閑話1 ビショップ
ビショップの過去話になります。
愛妻を失ったビショップ。娘は妻の実家である商会で育ち、今は会わせてもらえない現状です。
この閑話は飛ばしていただいても物語そのものには影響ありません。
凄惨な表現が苦手な方は、この回を飛ばして下さい。
ただ、読んでいただければ、ビショップが感情をあまり表に出さない理由や、姫さま呼びの理由が理解できる回ではあります。
視点がころころ変わります。
ビショップの独白まで、ビショップ視点ではないことに、ご留意ください。
私はエルフォードグルーヴ。
この地に封じられて七年になる。
この屋敷の番小屋に、昔馴染みのビショップが住むようになったのは四年前のこと。
番小屋の元々の住人は、ビショップが来るまでは、隠れ里の一族の選別により、彼の妹のファミーユ・シルベストレだった。
屋敷の庭先で、春先の日差しに誘い出されるように、ファミーユと娘たちははしゃいでいた。
「親方さま、お嬢様たち歩きだすの、はやかったですね?」
「ふあみゅ、てっ」
「てっ」
「ああ、二人とも元気すぎて困る」
よちよちと歩く娘たちは、このころファミーユと手を繋ぐことを好んでいた。彼女も二人のことをよく可愛がってくれた。
そんなある日、なんの前触れもなく中央村の標石柱の一つが崩壊した。
「これはっ!?」
「セレス!アリス!ファミーユ!」
魔獣が結界を抜けて、村が襲われていると、私はウィンディアと共に訪れていた開拓村に届いた手紙鳥で知った。
慌てて中央村へ駆ける。
やはり村よりも屋敷に魔獣は集中しており、凪ぎ払いながら柵の内に入る。このころは魔獣よけも、護りの魔術も、家以外の周囲にはまだ施していなかったからだが…
本当に、もしも戻れるものならこの日よりも前に戻り、この子らを救いたい。叶わぬ願いかも知れないが、…やはり今も胸が痛む。
屋敷で目にしたのは、多くの魔獣の死骸と、番小屋の入り口付近に折り重なるように倒れていたボロボロの三人の姿だった。
アリスの左手の甲があったあたりに紋章が光り、そこを中心に傘が開くように、虹色に煌めく透明な何かが三人をおおっていた。
生きている!
そう思うのもつかの間、その光景に私は息をのんだ。
その透明な何かは、エイシーダと呼ばれる魔獣を寄せ付けず、口から吐き出す毒液(強酸)もはじいていた。
ただ…アリスの左手と、ファミーユの左足は、その透明な何かの効果圏外にあったようで、このトカゲ型の魔獣、エイシーダの吐き出した強酸によって、無残にも溶かされ、白い物が見えるほどの深手。
今思うと、アリスの左手の惨状は、マナを魔力に変換するために外界にさらされていたからだろう…
「ポーションを!」
「はいっ!しっかりしてアリス!…ファミーユ!セレス」
私が残った魔獣を切り伏せている間に、ウィンディアは癒しのポーションを素早く二人の手と足にかける。
シューシューと音がして、見る間に周囲から肉が盛り上がり、傷を回復していく。
ウィンディアは、そこに癒しの祝詞を重ねた。
アリスは手を握った形で再生が終わり、ファミーユは足首より下の形が出来たところで再生が止まる。
「喪われた肉体が多すぎた…」
「エル…この子たち…」
アリスの手の再生と共に、紋章とその透明な何かは薄れ消えていった。寄り添うウィンディアがいなければ、私はきっとその場に膝をついていたに違いない。
「家の中にいなさい」と言い聞かせたところで、活発な娘たちだ。外に出たがったのだろう。
「私のせいだ…置いてゆくべきではなかった。これだけの魔獣…さぞ怖かったろう」
気を失っている三人を、引き剥がし、それぞれに寝かせて、傷の確認と手当てをする。
一人で奮戦したのだろう、最後の盾となるべく一番上に覆い被さっていたファミーユは身体中に酷い傷があった。
気を失い、ぐったりとしているアリスを抱き上げてみると、左側の肩にも酸による火傷がある。なんということだ…
セレスは引っ掻き傷は多いが無事のようだ。セレスにもポーションを施していく。
ただ…やはりポーションは万能ではない。スッパリと切った場合は、切り口を圧しあててポーションをかければ接合する。が、潰されたり、欠損部が多い場合は、その限りではない。
何故アリスなのか…何故、我が子たちにこんな試練が降りかかるのか。健康であったなら、ただただそれだけで幸せだったというのに。
まだ目覚めぬアリスを、頼りなく項垂れる身体を抱きしめて、私は天を仰いだ。
☆
何ヵ月かたち、ファミーユが杖をついて歩けるようになったところで、一族の意向と自らの意思によって、彼女は番小屋を出ていくことになった。
「親方さま、奥様…お役にたてずに申し訳ありません…」
「ファミーユ…いや、貴女はよくやってくれた。私のほうこそ…本当にありがとう」
「ふあみゅ!ふあみゅ」
私に抱き上げられたアリスは、別れを悟ったのか、ファミーユに必死に手を伸ばそうとする。
ウィンディアに抱き上げられているセレスも、気配を感じるのかじっとファミーユを見つめていた。
細々とではあるが、ファミーユには生活の助けを毎月出すことにし、彼女の希望もあって辺境拍の領都に、初等院の教師見習いとして送り出すことになった。
☆↓ビショップ視点☆
隠れ里に戻るのはいつぶりか。
南島を西まわりに船で南下し、隠された水路を遡る。
未だに、皇国すらも存在を知らぬ地。
感傷に浸る暇などなく、自分は里の実質的な長である巫長ヨミ…ババ様と対面した。
何を話そうとしているか、わかっている。わかっているが、それで気分が晴れるかと言えばまた別の話しだ。
煙で燻された壁や、黒く煤けてしまった天井の梁、織物で描かれた御使い様のタペストリー。それらの全てが今の自分には色褪せて見える。
「ババ様、わたしは…」
「ビショップ…お前も見たであろうや?あの紋を。あそこまで明瞭に形が刻まれた者は、長い歴史の中でも数えるほどしか輩出されてさおらぬ。何があっても、我らが護らねばならぬ王国の正統後継者よ。受傷により今は紋が見えぬとしてもな」
様々な祈りの紋様が刺繍されたケープを、ババ様は翻して竹で編まれた背の高い椅子にかけた。
ババ様が動くことで撹拌された、この祈りに使う香油の匂いも、自分の気分を鬱とさせる。
「ババ様…私は…護らねばならなかった者を失った……私に…つとまるとは思えない」
「イリアのことは…本当に残念であった。娘のレイデもな。されど…ビショップよ、そなたも男の子であろう?いつまでも心の檻に入っておるわけ…」
否……!わかっていない!
「わからぬよ!ババ様。私にはわからぬ…
…もう、とっくに失われた魔法王国のために、我らが何故このような思いをしてまで、古の掟を守られねばならぬのか、私には微塵もわからぬよ…」
「胸に手をあてよ。ビショップ」
「…」
「そこには何がある?」
「……」
「内神様はみえるかや?自らを砕かれ、その御姿は確かに我らには見えぬ。しかし、在るのよ。我らは内神様が確かに存在されると信じる。それは姿を現すからではない。我らが在ると知るからであろう?」
「在ると知る…」
「二千年の昔、王国を興されたミーチェス様はお隠れになる時におっしゃった。
『白銀の鎧と、波紋の盾を持つ御使い様が、世に必要とされた時にあらわれ、王国を再興し壊れ行く世界を、永遠の死の呪いから救う』と」
その言い伝えは、自分も知っている。この北部の地で知らぬ者などいない。自分は、そのために生かされてきた一族の末裔ですらある。
しかし…
「アリシティア姫が、その存在であるかは、まだこのババにもわからん。しかし、紋をもつものは王国を再興しうる資格を持っておる。それを無関係であろう?などと放り出す愚物なぞ、この里には一人としておらぬ」
しかし!
「ババ様は!……
ババ様は、ただその御印が左手にありさえすれば、王国は再興できると申すのか!?隠れるように生きてきた我ら一族に、覇を求める力なぞない!それはババ様も知っているだろうに!」
そう、そんな力があればイリヤは亡くならずにすんだ。エラキドなど滅ぼせた。
それに…レイデとさほど変わらぬ幼子に、幼いアリシティア姫に背負わせると言うのか?
「はっ!それは道理。当たり前であろう…ビショップよ、そなたの目は現世しかうつさぬのか?今を見て再興できるかを秤にかければ、里の者全員首を横に振るに決まっておる。カカカ…たとえ我であってもな」
何を言っている?
「そのような『島の形がわかるまで見やる者』にはそれは成せぬ…」
※こちらの世界の諺。島の形がわかるまで見やる=決断をせずに愚鈍に過ごし好機を逃す者
「…必ず成すと決める者にしか、それは見えぬ。成すまで諦めぬと決めた者にしかたどり着けぬ。命をかけると決めたものしか生き残れぬ。失うのが怖いか?ビショップよ?」
ババ様がそう語る中、私は思い出していた。あの日のことを。
☆↓エルフォード視点☆
ファミーユに入れ代わる形で、ビショップがやってきた。探索者をやっていた時には、彼はもっと明るい性格をしていたと記憶していたが…
「親方様、こちらでも世話になります。姫様がたは私が命に代えてもお護りいたします」
いろいろと固い。
まるで一生懸命に、自分を役割の内側に抑え込もうとするように。
顔には片目をまたぐように、縦に刃傷が残る。長髪を後ろに束ねているが、ただそれだけであり、今が戦から帰ったばかりと言われても納得する風貌だろう。
「ビショップ?またよろしく頼む。パーティーを組んでいた頃のようにエルでかまわないぞ?」
「いえ、ここでけじめをつけねばお子の教育にも良くない」
『…ビショップよ…教育に良くないほど怖い顔をしているぞ』とは口が裂けても言えぬ。
私が子供だったら泣くかもしれない。あ… セレスにアリス泣かないよな?
この強面がパーティーの盗賊避けになっていたのは十年ほど前。
現在辺境伯のキリル・レナードも、当時は子爵家で三男だったことから、私たちと共に探索を行っていた。
魔法学院を私が十二歳で卒業後、ビショップとは三年ほど、共に探索者を続けた。
彼の性分と探索者は合っていたとは言え、それを私と一緒にやりたかったか?と問えば彼は何と答えただろう。
掟では正統後継者の紋がある者が成人するまでは、一族の者で護衛をすることになっていた。
実は私もセレスも、アリスほどの濃さではないが、うっすらと紋があるのだ。アリスの紋は傷のために見えなくなってはいるが。
ビショップが二歳上にも関わらず、卒業年が同じだったのは、この一族のしきたりによるものだ。
そのこと一つをとっても、この生真面目な友人の人生に、私という存在がいかに無理を強いてきたかがわかる。
私が成人すると共にビショップは皇都に向かった。その後の自分の道を求めて。
そこからは彼の出世は早かった。
彼は僅か三年で、皇都を拠点とする第三騎士団副長の座に実力で就いたと聞く。
(第三団から、皇都の外で治安維持が必要になった時に派兵される部隊。第七騎士団まで存在)
当時もザガ族が散発的に北島の町や村を襲っており、時折派遣されては活躍し、剣の腕と、指揮の正確さをかわれて副長となった。これは凄い出世だった。
その後、魔法学院で同級生だった今は亡きイリアと家庭も設け、娘にも恵まれていた。
あの日さえなければ…
そのまま幸せな家族でいられたかも知れない。
あの日、あの場所にさえいなければ。
そう思う人々の、なんと多い世の中であろうか。
領都で、初等院の教師を目指しているファミーユが、もしも護衛を続けられていれば、彼は今頃どうしていただろうか。
様々なもしもに思い悩んだとしても、時が巻き戻らぬ以上は、前に進まねばならん。
「そう…だな。教育だな。わかった。二人をよろしく頼む」
私はビショップに手を差し出した。
「ああ、必ず」
握手ではなく、互いの拳をぶつけ合う。パーティーでの定番の挨拶だ。
彼の本質は変わっていない。私にはそう思えた。
☆↓イリヤの父、バランディン商会長視点☆
イリヤの夫、レイデの父親であるビショップから、グルーヴ男爵家の息女たちの護衛として、皇都を離れる話しをしたからだろうか。
「イリヤ?何もあなたが行かなくてもよろしいのではなくて?」
「ありがとう存じます。ですが…お母様?私はこれでもバランディン商会の兵糧部門の責任者ですので、後方の拠点とはいえ、行って状況を把握しておきませんと。それに私だけ代理の者をたてるのでは後々侮られ、商会の舵取りがしにくくなりますので」
「…そこまで考えてのことなら行きなさい」
「あなた…それでは…」
「商会の話しをしている時は私は父親ではない。バランディン商会長だ。イリヤにもしものことがあればレイデは私たちが責任をもつ。覚悟を決めたのなら、万全に整えてから行きなさい」
「商会長、ありがとう存じます」
……イリヤを送り出した日のことを、商会の執務室の椅子に腰掛けたまま夢に見ていたようだ。
あれが最後になるのなら、もっと甘やかしてやれば良かったと、何度も思う。
ビショップはイリヤと結婚するための条件として私が提示した三年という期間…普通ならば無理だと諦めるような課題を超えてきた男だ。
私がレイデに会わさぬとでも言わなければ、あの生真面目な騎士は、イリヤとの約束を頑なに守ろうとしたに違いない。
ビショップを、彼を戦いの前線から遠ざけねば、遠くない将来その命を落とす。
そのための憎まれ役なら、いくらでも買ってでよう。
レイデには父親までも失ってほしくはない。
「誰か」
「はい!旦那様」
「すまないが、これを辺境伯のところへ送る手配を頼めるか?」
「かしこまりました…これは目録でございますね?」
「そうだ。あれも就任したてで困っていると聞く。恩を売る良い機会だ」
「では物品の手配は私が行うとして、この物量なら運送は…イザベラ様のところでも?」
「そうだな…海賊を警戒するなら、イザベラ商会のところが妥当だろう。あとついでに、これもだ」
「こちらはグルーヴ男爵家へ?」
「ああ、家の婿のビショップが向かう先だ。困らないようにしてやらないと」
「旦那様?それはビショップ様に直接お話しになってあげて下さいませ。いつも旦那様はビショップ様には厳しいでしょう?あれでは勘違いなさいます」
「勘違いか…あはは、それは本望だ」
「旦那様、笑い事ではございません」
「ん、わかった考えておくとしよう」
秘書の一人、ノアに手で合図をしながら執務室を出た。
「暴風」と二つ名のつく、彼の肖像画を横目に見ながら。
次回はちょっとした設定集を地図付きでアップの予定です。
その後、閑話2、本編 始生祭へと続きます。
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