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ワン・モア・ソング  作者: 杉本敬
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弾む会話

 ほんとうにTシャツは残りが少なかった。

そういうのを見ると、人間の心とは欲求がわくもので、健太はTシャツを取ろうとした。

その時だった。健太の取ろうとしたTシャツに、もうひとつの手が重なった。きれいな手だった。

健太は思わず〝手の主〟を見た。


 当然女性だった。その女性も健太の方を見ていた。

健太はどこかで見た顔だなと思っていたのだが、女性の方は健太の顔を見て驚いた顔をしていた。そしていきなり大声をだした。

「あぁっ!やっぱり来てたんですねぇ!」

 誰だろうと思いながら、キョトンとしていた。

「ほら、私ですよ。大雨の時に助けてもらった・・・」

「えぇっ!あの〝捻挫の君〟なの!」と健太も大声をだしてしまった。

健太と彼女はお互いを見ながら呆然としていた。


「あのぅ、お客さま。他のお客さまのご迷惑になりますので、お早く決めてほしいんですが・・・」と販売員が困った様子で言った。

「あぁ、すみません。じゃ、このTシャツ」と言って、健太は代金を払った。そしてTシャツを彼女に渡した。Tシャツは残りが一枚だったのである。


「買うつもりだったんでしょ」と健太は彼女に言った。

「いいんですか。ありがとうございます。この前は助けてもらい、今日は譲ってもらって。迷惑のかけっぱなしですね」

「いいんですよ。それより、びっくりしました。まさか、こんな所で逢うなんて・・・」

「私は逢えるような気がしてたんです。今夜のコンサートにひょっとしたら来てるんじゃないかなと思ってました」

「予感?なんで?」

「そのことについては食事でもしながらお話ししません?ここはそろそろ退散した方がよさそうだし・・・」


 なるほど、ロビー内は人がまばらになってきたようである。

「私の知ってる店に行きましょうか。この前のお礼もしたいから」と彼女は先に歩きだした。

健太は、こんなチャンスは滅多にないと思い、彼女の誘いにのることにした。


 ホールを出ると、すでにバスは出たらしく、バス停には人がいなかった。

ふつう、コンサートの時は臨時バスが出ているのだが、それも出てしまっているようだった。

しかたなく、健太と彼女は客待ちしているタクシーに乗った。

タクシーに乗ると彼女は行き先を浄水通りと告げた。


 浄水通りは主に欧州料理の店が連なる、洒落た雰囲気が漂う通りである。

健太はどうもフランス料理というのが苦手なので、あまり行ったことがない。

しかし彼女の服装からしてフランス料理という感じではないなとも、健太は思っていた。

彼女はイタリアン・レッドのブルゾンとベージュのキュロットというラフな格好で、髪はポニーテールにまとめていた。

タクシーでは彼女とはほとんど話さなかった。


 しばらくして目的の店へ着いたようだった。健太はフランス料理店を想像していたのだが、目の前にある店は正反対の店だった。入口からして、エスニックな感じがして、実際入ってみるとそれがよけい感じられた。

店そのものが〝アジア〟で、活気のある話し声とワールド・ミュージックが店内に響いていた。


 健太は店内を珍しげに見ながら彼女の後をついて行った。

席へ着くとテーブルには〝リザーブ〟の札があった。

健太は、彼女とあらためて向き合うとドキドキするものを覚えた。

〝ほんとうにきれいな人だな。美人というよりも、きれいといった表現がぴったりだな〟と健太は感じた。


「予想外だったでしょ。ふつう浄水通りといったらフランス料理が定番ですものね。私あんまり気取った店、好みじゃないから」と彼女はニコニコしながら言った。

「いや、ほっとしているところです。フランス料理だったらどうしようかと思いましたよ。フランス料理店というのは静かだし、あの食べる時のフォークの音が嫌なんですよね。ところで、今夜は誰かと食事の約束があったんじゃないんですか?」


「いいえ。どうして?」

「だって、この席予約席でしょ」

「ああ、なるほどね。違うんです。実は今夜のコンサートで逢える気がしてたんです」

「まさか、それでここをリザーブしたんですか?」

「そう。まあ話はゆっくりとしましょう。その前に飲み物を注文しません?」


 健太も彼女もハイネケンを注文した。

「じゃ、再会を祝して」とふたりはグラスを合わせた。

食事のほうは彼女にまかせた。健太はエスニック料理というとトム・ヤム・クンぐらいしか知らないのである。

「ほんとうにこの前はありがとうございました」と彼女は深々と頭を下げた。

「いえいえ。困った時はお互い様ですよ」

「助けてもらった時、恥ずかしさもあったけど感動もあったんですよ。ああ世の中にはこんな親切な人もいるんだ、こんなやさしい人もいるんだって」

「そんな大袈裟な・・・そこまで言われたら恥ずかしくなってしまうなぁ」

「だから早くお礼しなくちゃいけないと思ってたんです。あら、その前に自己紹介しなくちゃ。須藤沙也夏です。27歳で、仕事は絵画販売をやっています」

「谷川健太です。30歳で仕事はごく平凡なサラリーマンです。ところで、さっきの逢える予感がしたってどういうこと?」

「谷川さんに助けられて車に乗せてもらった時、曲がかかってましたよね。もう憶えてないかな」


 健太の社用車にはカーオーディオがついている。

勿論、初めからついていたわけではない。健太が自分でつけたのだ。

「そうそう、〝彼〟の曲ね。俺、いつも車に乗る時は音楽流してるから」

「〝彼〟って?」と沙也夏はけげんそうに健太に聞いた。


 健太は今夜の〝彼〟のフルネームを言った。もちろん今夜のコンサートのアーティストだ。

「へぇ~。谷川さん、〝彼〟って呼んでるですか。おもしろ~い」

「俺にとってなくてはならないアーティストだから。で、〝彼〟の曲がどうしたの?」


「ええ。その〝彼〟の曲、私も〝彼〟って呼ばせてもらいます。曲が流れている時、なつかしいなぁって思ったんです。私も〝彼〟の曲、前はよく聞いてたから。で、病院に連れて行ってもらって、あの看護婦さんに聞いたんです。谷川さんが帰った後で、谷川さんが〝彼〟が好きだっていうことを」


「圭子のやつ、そんなこと俺にひとことも言わなかったぞ」と健太は独りごとのように言った。

「仲がよさそうですね、あの看護婦さんと」と沙也夏は意味ありげに言った。

「腐れ縁ですよ」と健太は苦笑しながら言った。


 テーブルの上には料理が所狭しと置いてあった。その料理を食べながら、健太と沙也夏の会話は弾んでいた。

「その後、その曲が頭から離れなかったんです。で、〝彼〟のコンサートがあるっていうのをラジオで知って、ひょっとしたら谷川さんも行くかもしれないなって思ったんです」

「でもそれって何百分の一の確率じゃないですか?」

「確率というよりも賭けみたいなものかなぁ。でもそれが今現実にこうやって逢えたんですよ。私こういうのが好きなんです。一般的にみればただの偶然としか思えないかもしれない。だけど違うんですよ。偶然じゃないんです。逢えるようになってたんです。だから出逢いっていうのはおもしろいんですよね。私こういう出逢いをしたのは初めてなんです。今夜はついてるなぁ」


 沙也夏はほんとうに健太と逢えたことを喜んでいるようだった。

「沙也夏さんと俺とは共通点みたいなものがありますね。俺、詞を書くからそういうのって痛いほどわかるんです。でも、そういうことっていうのは自分の身のまわりでは現実に起こりえないと思っていましたよ。それが現実になるなんて、今不思議な気持ちですよ」

「作詞のことも圭子さんでしたっけ、聞きました。バンドやってるんでしょ。谷川さんがボーカルで圭子さんがキーボードでしょ?」

「あいつ、よくもペラペラとしゃべってるなぁ」

「いいじゃないですか。別に悪いことしてるわけじゃないし・・・逆に素敵ですよ。なにか夢中になれるものがあるっていうのは。これは絶対聞こうと思ってたんですけど、バンドの素晴らしさってなんですか?」


「そりゃ一体感ですよ。楽器のアンサンブルとボーカルがぴったり合った時の素晴らしさ!生でしか味わえないものです。まあそこまでいくには地味な練習を何日もやらないとだめですけど」

「うらやましいですね。私なんかみんなでなにかやるっていうのをしたことがないから。たぶん共同作業っていうのが合ってないのかもしれない。バンドって大変だけど楽しそう」


「でも仕事は自分の好きなことをやっているんでしょ?絵画販売でしたっけ?」

「そうですね。今の仕事は趣味が興じて選んだようなものですね。絵と音楽って似てるんですよ。わからない人にどんなに説明しても馬の耳に念仏でしょ。結局はその絵やその曲に対する価値観がわかるかどうかじゃないかなと私は思うんです」

「そうですね。絵を買う人っていうのはインスピレーションみたいなものを感じてるのかもしれないな。音楽でもそうなんです。特に音楽っていうのは形がないものだから、インスピレーションでほぼ決まると思うんです。俺なんかイントロ聞いて、ハッとするものを感じてその後の展開を感じるんです。だいたい自分の予想どおりのメロディがでてきますね」


「谷川さん。絵のことわかってますね。好きな画家とかいるんですか?」

「鈴木英人が好きなんです。なんか映画のワンシーンを見てるようで、アメリカを感じさせてくれるから。それも60年代から70年代の頃をね。それに車がよく描かれているでしょ。往年の名車っていうやつが。特にポルシェ356のが良かったなぁ」

「珍しい、鈴木英人が好きだなんて。ヒロ・ヤマガタとかラッセンが好きな人が多いのに。あんまり派手な絵は好きじゃないんですね」


「というよりも、俺って絵を見ると、この絵を自分の部屋に置いたらどうかなって、いつも思うんです。だから、目立つ絵よりも自分の普段の生活に溶け込めるようなのがいいんですよ」

「それはわかります。派手な絵というのは、特にラッセンなんかパッと見はいいんですよ。たとえば、自分が会社から疲れて帰ってくるとします。それで自分の部屋にラッセンの絵が置いてある。それを見てどう思うかですよ。絵を販売してる者からこんなこというのおかしいんですけど、私個人の意見としては永くつきあっていける絵じゃないと思うんです。ラッセンの絵は華やかさはあるけど、やさしさがすこし欠けているなと感じるんです」


「やさしさっていうと?」

「なんて言ったらいいのかな。絵を見てる人を包み込むような感じかな。それを感じさせてくれるのがヒロ・ヤマガタなんです。あの人の絵も色彩豊かだけど、色にやわらかさがありますよね。たとえば青ひとつとってもラッセンの場合は深くてすこし暗いんです。だからきつく感じるのかもしれない。でもヤマガタ先生のは誰が見てもスッと入っていけるような色なんです。まあラッセンは海を描いているからあんな深い色になるんでしょうけど、私は万人向きじゃないなと思います。ラッセンの絵を好きな人は海がたまらなく好きな人なんですよ、きっと」


 沙也夏の話は熱がこもっていた。健太は〝俺が音楽が好きなようにこの人もほんとうに絵が好きなんだ〟と思っていた。

「あっ、ごめんなさい。わたしばかり話して・・・あら、料理がなくなっちゃいましたね。なにか頼みます?それとも飲むほう?」

「そうだな。じゃバーボンでも、もらおうかな」


 健太は沙也夏との会話に引き込まれていく感じがしていた。沙也夏の話は実にスムーズだった。それにアルコールも飲み慣れているといった感じだった。

「お酒なんかよく飲みにいくんですか?」と健太は聞いてみた。

「こういう業界は接待がよくありますからね。いつのまにか強くなったって感じですね。でも、今夜みたいにリラックスして絵の話をしながら飲むのっていうのはあまりないですよ。谷川さんも飲むの嫌いじゃないでしょ?」

「飲みにいくのが好きというより、雰囲気が好きなんです。俺なんかバンドのメンバーと飲むのがほとんどだから、飲みながら音楽の話に夢中になっちゃうんですよ」

「そういうのっていいですよね。私も今夜こうやって絵の話なんかすると、自分自身ほんとに絵が好きなんだと実感するもの。音楽と絵か・・・素敵な取り合せですね。ところで谷川さん、さっき言われてましたよね。〝彼〟は自分にとってなくてはならないアーティストって。よかったらもうすこし詳しく聞かせてもらえませんか」


「そうあらためて聞かれると、言葉にはなかなかできないけど。ひとことで言えば〝彼〟からこだわりを教えてもらったんです。俺って70年代のロックが好きだからね。〝彼〟のサウンドは70年代の一番良かった頃、いわゆるウェスト・コースト・サウンドをを自分なりにアレンジしていると思うんです。それを10年間変えることなくやり続けている。そりゃ、細かいところは違ってはきているけどね。基本的には変わっていない。俺はそのこだわりが好きなんです。10年間も続けるっていうのは並大抵のことではできませんからね。ヒット曲が氾濫している今の時代、ひとつのことにこだわり続ければ聞いている人たちにもあきられてしまいますから。当然離れていったファンも多かったと思いますけど、逆にこだわりをもち続けていたから、10年間も浮き沈みの激しい音楽業界で生き抜いてこられたと思うんです」


「初めて聞きました、そういう話。私なんか音楽をファッション感覚で聞くって感じなんですよ。だから聞き流しているわけですよ。でも、谷川さんの話を聞いていると、ほんと音楽を真剣に聞いてるって感じが伝わってくるなぁ」

「そうですね。俺にとって音楽は生きている証しかもしれません。中学の頃まで、音楽なんて流行っているものしか聞いてなかった。でも、カーペンターズを聞いて世界が変わったんです。ビートルズじゃないところが不思議でしょ。それからカーペンターズばかり聞いていた。ところが高二の時、ある奴と会ってまた世界が変わったんです。そいつから、〝ひとりのアーティストを聞くよりも、もっと幅広く聞いたら音楽の枠が広がる〟って言われたんです。で、それ以来、ジャンルに関係なく音楽を聞き続けてるんです。幅広く聞いていたから〝彼〟の音楽にも出逢えたし、こだわりというのも教えられた。今ね、こだわりをもち続けているアーティストばかり聞いているんです」


「こだわりを持っているアーティスト・・・たしかに絵画の世界では、重要なキーポイントだわ。ラッセンは海、ヤマガタはメルヘンよね。やっぱり、自分はここだけは譲れないという強い意志をもってる人が生き残れるのかもしれない」

「そういうところでも、絵と音楽は共通点があるんですよ。エリック・クラプトンなんかブルースにこだわって生きてきた人だし」

「あっ、それ知ってる!たしか〝いとしのレイラ〟でしょ。あの曲のイントロが好きなんです。ギターがめちゃかっこいいもの」

「よく知ってますね。まあ〝レイラ〟はクラプトンの代名詞でもあるけれど」


「私ね、〝レイラ〟の曲ができたいきさつが興味深かったの。親友の奥さんに恋して、求愛する詞でしょ。それをクラプトンという人は実際にやってしまうのよねぇ」

「そう、そう。ビートルズのジョージ・ハリスンの奥さんに恋しちゃってね。結局、奪ってしまうんだけど」

「それにしても、イントロはかっこいいわね。いまの曲ってイントロを聞いただけではなかなかわからないけど、〝レイラ〟はすぐわかるもの。ギターはクラプトンひとりで弾いてるのかしら?」

「いや、もうひとりいて、デュアン・オールマンという、これまたブルースに心酔している人が弾いてるんだ。別名〝スカイ・ドッグ〟というんだな、これが」

「スカイ・ドッグ?空飛ぶ犬?」

「ハハハ・・・そうじゃなくて、デュアン・オールマンの顔って犬っぽいんですよ。そしてデュアンの弾くギター・サウンドがまるで空をかけめぐるような音といわれたんだ。それから、その名がついたんだ」

「さすがに詳しいなぁ。谷川さんの話って、すごく興味深い。私、そういう曲が作られたいきさつとか、背景みたいのがとても好きなんです。でも、空をかけめぐるような音っていうことは、音が高いっていうことですか?」

「まあ、簡単にいえばね。デュアンはスライドギターの名手だから、宙を舞うような音がだせるんだ」

「スライドギターって?」

「スライドギターというのはスライドバーというのを指にはめて、スライドさせるギター奏法で、音の表現が変わってくるんだ。あ、ちょっと専門的な話になっちゃったね」

「いえいえ。谷川さんの話はおもしろいから引き込まれるわ」


 それから健太と沙也夏はクラプトンの話に熱くなっていった。

健太が一方的に喋り沙也夏が聞く感じだった。

ときおり沙也夏は素朴な疑問をぶっつけ、健太が丁寧に説明していた。

ふたりともグラスが空になっているのも気にとめなかった。

クラプトンの話も一段落する頃には、店の客もまばらだった。


「俺ばかり喋っちゃって・・・そういえば、クラプトンの話ばかりして〝彼〟のライブのこと全然話してなかったね」

「ほんとだわ。久しぶりにライブ見たけど、やっぱり生の音楽はいいな。それと気づいたんだけど、今夜歌った詞というのはなにか考えさせられるものがあったなぁ」


「どういうふうに?」

「うーん、なんて言ったらいいのかな。ラブソングなんだけど、ノーマルなラブソングじゃないのよね。終わってしまった恋をもうひとりの自分が冷めた目で見ているような詞。でもそれは後悔じゃないのよ。努力しても実らない恋、すれちがいの恋。そう、ひとことで言えば、どうしようもなかった恋愛の詞というのが多かったわ」と沙也夏は自分に言い聞かせるように言った。


「なるほどね。今夜のライブはニュー・アルバムからの曲が中心だったけど、そのニュー・アルバムは今までと違うコンセプトで作ったんじゃないかな」

「今までっていわれても、私、〝彼〟の音楽をずっと聞いてたわけじゃないから・・・」

「具体的に言うと、〝彼〟のイメージっていうのは夏男っていうのが固まってると思うんだ。だけど今回はそれからすこし離れてみたかったんじゃないかな。アルバムにはほんとうにいろんな恋愛の形が表現されているしね。初めてアルバムを聞いた時はちょっと驚いたよ。こんな詞も書けるのかってね。俺もこんな詞を書けるようになれればいいけど」

「本当の恋愛っていうのは、今夜のライブで歌っていたようなことなのかもしれない」とまたも沙也夏は自分に言い聞かせるよう言った。


 健太は沙也夏の言葉を聞いて、この人は何か悩んでいるのかもしれないとふと思った。よほど口にだして言おうかと思ったが、やめた。今の楽しい雰囲気を壊したくなかった。そのかわり別のことを聞いてみた。


「ところで今日のライブ、なにか風景が見えませんでした?」

「風景?どういうこと?」

「海が見えたんです。真っ青な海に眩しい光が反射してたな。あんまり人にはこういうこと話さないけど、今夜は気分がいいから話しちゃいます。〝彼〟の音楽には風景を感じますね。海、太陽、光、風、あらゆる景色が浮かぶんです」

「やっぱり作詞している人は違うなぁ。谷川さん、選んだ仕事間違ったんじゃないですか?」

「ハハハ、それはないよ。あくまで音楽は趣味だからね。でも人よりイメージが頭に浮かぶほうだと思うよ。作詞するのは全然苦にならないし。むしろ風景をイメージすることが楽しいんだよね」

「一度、谷川さんのバンドの演奏聞いてみたいな」

「そうだ!聞きにこない?俺たちの演奏」

「えっ!いいんですか。そんなあつかましいことして?」

「別にあつかましいことないよ。定期的にスタジオで練習してるから、気軽に聞きにくればいいさ。うちのメンバーは人に見られているほうがはりきるんだ。目立ちたがり屋が多いから。ハハハ・・」

「行きます!ぜひ、聞かせてください!感激!私、スタジオで生の演奏聞いたことがないんです。あら、もうこんな時間だわ。そろそろ帰りましょうか?」

「そうですね。すっかり話し込んでしまいましたね」


 外へ出ると、健太はほろ酔い気分で気持ち良かった。これも会話が弾んだせいだろう。沙也夏も気持ちよさそうに健太の顔を見ながら言った。

「今夜はほんとうに楽しかった。また、音楽の話いろいろ聞かせてくださいね」

「いゃぁ、なんか自分ばかり話してしまって・・・今度はもうすこし絵の話もききたいなぁ」

「私で良ければいつでも・・・」


 沙也夏はアルコールがかなりはいっているにもかかわらず、店に入る前とあまり変わってないようだった。

健太はその様子を見ながら、〝酒が強いというよりも、スマートな飲み方をする人だな〟と思った。

沙也夏は自宅までタクシーで帰ると言ったので、健太も駅まで相乗りすることにした。

今日はライブとわかっていたので、健太は車には乗ってこなかった。


 沙也夏は別れ際、健太にこう言った。

「約束、忘れないでくださいね。必ず演奏聞きにいきますから」

 健太はタクシーを見送りながら、〝俺にもすこし運がめぐってきたかな〟と思った。が、健太はあわててその思いを打ち消した。


〝いつも期待をしてうまくいったためしがない。今度も変な期待をしないほうがいい〟と自分に言い聞かせた。そうはいっても、心のどこかでは沙也夏に惹かれていく自分を感じていた。














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