コンサート会場
ロビーでは、TシャツやCDなどが売られていた。ロビーに来ている人々は、思い思いの服装で、あと数十分で始まる〝夢の時間〟の前のひとときを楽しんでいるようだった。
健太はソファーに座り、その様子を眺めながら、物思いにふけっていた。
〝不思議なもんだ。ひとりのアーティストのために、同じ時間にこれだけの人が集まるなんて・・・それも、たったひとときの時間を過ごすために〟
そう。ここはコンサート会場なのである。とは言っても、そんな有名なアーティストではない。いわゆるヒット・チャートを常に賑わしているのではなく、自分のスタイルにこだわり続けているアーティストである。だから聞く側も、〝彼〟の音楽にこだわり続けて聞いている人が多い。
もちろん健太もそのひとりだ。健太は〝彼〟の音楽が好きどころのさわぎではない。作詞するきっかけをつくってくれた大切なアーティストなのだ。
健太の作る詞には風景がよくでてくるが、これは〝彼〟の影響するところが大きい。健太が一番最初に〝彼〟の歌を聞いた時、その情景が目に浮かんだものである。
だから〝彼〟から一番影響を受けたのは、ストーリー性のある詞を書こうというところである。ストーリー性のある詞を書けば、健太自身がそうであったように、聞く人によってストーリーを思い描くことができると思ったからだ。
〝彼〟がいなければ今のバンドで歌っていることはなかった、と健太は思っている。
健太は今夜のコンサートを楽しみにしていたので、珍しく会社に早く行き、デスクワークを午前中で片付け、午後から外回りを適当にしてきた。外回りといっても、得意先を3件ぐらい回って来ただけで、後は喫茶店で時間をつぶしてた。だから、今日の注文は当然のことながら全然(!)である。うかつに注文など取ろうものならコンサートなど間に合うはずがない。今日は(今日も?)仕事よりもライブである。
ロビー内は人が少なくなり始めたようである。みんなホールの方へ入っているようで、アナウンスも席へ着くように促していた。
健太もソファーから離れ、はやる気持ちを押さえながらホールへ向かった。
ホールに入ると、クーラーがいくぶんかきいているようだった。梅雨もすっかり明け、街は日に日に陽射しが強くなっていた。
そうなのだ。夏がすこしずつ近づいてきていたのである。健太の大好きな夏がもうすぐそこまで来ていた。
健太はホールの席に座り、〝彼〟のコンサートに似合いの季節だなと思っていた。
〝彼〟の歌には夏を感じさせる曲がほとんとで、住んでいる所がハワイのワイキキというから半端ではない。まさに夏男である。
健太は初夏の気配を感じながら、今年も半分終わったんだなぁと思った。この半年なにかおもしろい出来事でもあったかなと思い出してみても、たいしたことは思いつかなかった。しいていえば、大雨の日に、あの〝捻挫の君〟を助けたぐらいのことだった。
〝捻挫の君〟からは、あれから1度だけお礼の電話があっただけだった。まあ健太はもう一度ぐらい逢えるかなと思っていたので、すくなからずショックを受けたものだった。
〝女なんてあんなものだろう〟といつもの調子で、次第に忘れていってしまったのである。
〝後半、なんかこうドラマチックな出来事でもないかなぁ〟と半分人ごとのように思って、天井を見上げた。
見上げると同時に、ライトが薄暗くなり始めた。健太はいよいよかと思い直しステージに見入り、〝夢の時間〟に吸いこまれていった。
健太は最初の曲から目が釘づけになった。
オープニングはバラード調のあまりヒットしていないシングル・ナンバー(!)で、ピアノのしっとりとしたイントロが響いた。
〝彼〟の声はよくとおり、気持ち良かった。
このシングル・ナンバーの詞は大変意味深く、失恋のことでもないし、かといって讃歌でもない。好きなんだけれど、このまま友達でいたほうがいいんじゃないかという、せつなさを歌った曲なのである。 今、幸せな人から見れば、〝好きなら好きと言うべきだ〟とも思うだろうし、経験のある人には涙ものであろう。
健太自身はこのような詞の経験はないが、こういう詞を作れるのは心の傷みを知ってないと書けないだろうなと思う。あらためて詞を書くというのは、心を裸にすることだと思うのだった。
それから、健太は次第に〝彼〟の世界に引き込まれていった。
〝彼〟はタイミング良く喋りを入れ、観客を魅了してゆく。
ステージも半ばにさしかかり、健太のお気にいりのナンバーが始まった。
この曲は〝自分の夢〟をモチーフにしているのだが、それを直接的に表現するのではなく、〝夢〟を風景にして歌っている。
この曲の聞きどころはコーラスだ。
そのコーラスを聞きながら、健太は全身が鳥肌がたつのを感じた。
曲が好きだからではない。海が見えるのだ。
誰もいない海岸に、自分ひとりが座っている。目の前にはどこまでも青い海が広がっている。その青い海に太陽の光が反射して眩しかった。そんな景色がステージに浮かびあがっていた。
なんでもない景色だ。でも、健太はこういうなんでもない景色が好きだ。
〝やっぱり、今夜も海が見えた〟と健太は思った。
健太は彼のコンサートに毎年来ているが、それぞれ違う海の景色が見えるのだった。車窓から見た海だったり、海中を自分が漂っていたりする。
〝彼〟の歌に健太の心はますますホットになっていった。それに応えるかのように、〝彼〟は往年のヒット曲(?)を歌っていく。
ただ以前のまま歌うのではなく、大胆にアレンジして歌っていくところが違っていた。
観客は総立ちで、コンサートも最高潮に達しているようだった。
健太もネクタイを緩め、体でリズムを刻みながら満足感を感じていた。
時間というのは楽しい時にはあっというまに過ぎていくもので、コンサートもエンディングを迎えた。エンディングはきれいなバラードだった。健太はうまい曲の構成だなと思った。
そしてステージには楽器だけが残った。
客席からはアンコールの拍手が鳴り響き、健太も心地いい気持ちで拍手していた。
〝彼〟はなかなかステージに現われなかった。健太は拍手しながら客席をぐるっと見回した。さすがに客層は年齢が高そうで、前ほど人気はなさそうだった。でも健太は〝彼〟の音楽はわかってくれる人が聞いてくれたら、それでいいと思った。
アンコールの拍手がどよめきに変わった。
〝彼〟と彼のバンドがステージに再び現われた。〝彼〟はバンドのメンバーを紹介した。
やがて、アンコール曲が始まった。ラストを飾るのは〝彼〟のデビュー・シングルだった。これは昔のままの歌い方だ。
健太がこの曲を聞いたのは8年ぐらい前だった。その頃はノリのいい曲で、ドライブの時なんかに聞いたら最高だなと思ったものである。
しかし、今聞くと軽い感じがして、〝彼〟の音楽もすこしずつ変わっているんだなと思うのだった。
ひとりのアーティストをずっと聞いていると大幅に音が変わらないかぎり、変わったというのを気づかないものである。
アンコール曲も終わり、〝彼〟とバンドのメンバーがステージに並び、客席に向かって深々と頭を下げた。
客席からは盛大な拍手が浴びせられた。〝彼〟は手を振りながらステージを後にした。
再び、アンコールの拍手が鳴り響いたが、ホールのライトが明るくなり、〝夢の時間〟の終焉を告げていた。
健太は灯りが消えたステージを見ながら、〝いいライブだった〟と
思い、客席を離れホールの出口へと向かった。
ロビーには人が溢れ、帰りを急ぐ人やなごり惜しそうにロビーにたたずむ人などいろいろだった。
コンサート・グッズを販売する声もひときわ大きくなっていた。
「今夜のコンサートの記念にいかがですかぁ。尚、Tシャツは残りが少なくなっていますのでお急ぎ下さーい」
その声を聞き、思わず健太は足を止めた。だいたいがこのコンサート・グッズというのは開演前よりも終演後のほうがよく売れる。
開演前というのはみんなコンサートのことで頭がいっぱいで、素通りしていくが、終演後というのは気分が高揚しているので、記念に買っていこうかなという気になる。
健太もそのひとりで、〝そういえば、今持っているTシャツはヨレヨレだな〟と思い、売り場の方へ急いだ。




