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ワン・モア・ソング  作者: 杉本敬
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ワン・モア・ソング・・・そして ラスト・ソング

 トイレの中で、涙がまたとめどもなく流れた。枯れていたはずの涙がとまらなかった。体が宙に浮いてる感じがした。だが、頭のなかにはひとつのメロディが浮かんでいた。コードのひとつひとつさえもが、はっきりと浮かんでいた。


 ひとしきり泣き終えると、顔を洗った。鏡を見ると、青白い顔があった。鏡に写ってる自分の顔をじっと見て、突然思った。

〝歌いたい〟

そう思うと、体じゅうに力が湧いてくるのを感じた。


 静かにトイレのドアを開けた。

圭子はまだいた。圭子は圭子なりに考えていたのだろう。健太は圭子の後姿をチラッと見て、厨房にいるはずのマスターに大声で言った。

「マスター!キーボード借りるよ。それとボーカル・マイクも」


 その声にマスターが慌てて出てきて、圭子と顔を見合わせた。ふたりとも何事が始まるのかという顔だった。健太はけっして広いとはいえないステージに向かいながら、とんでもないことを考えていた。ピアノの弾き語りをするつもりなのだ。ピアノは以前、人前でやっていた経験があるので、多少の自信はある。だが、弾き語りは練習でしかやったことがなかった。やれるかどうか不安だった。


 健太はステージに上がり、キーボードの前に座った。鍵盤に指を軽くおき、感触を確かめ、ボーカル・マイクを調節した。そして、アンプのスイッチをオンにする。鍵盤を数フレーズ弾いて、声をだしてみる。喉がすこし痛い。酒のせいだと健太は思った。


 健太は大きく息を吸い込み、それから全身の力を抜くように吐き出す。そして、今は自分のもとから去って行った恋人に向って心のなかで言った。

〝沙也夏。これがきみに捧げる俺のラスト・ソングだ〟


 肩の力を抜いて、ピアノを弾き始める。低いトーンが店の中に響きわたる。それから伴奏にのって、静かに歌い始めた。


    〝夕陽が射し込む部屋で歌っていた。

     そして心のなかでふと声がした。

     もう行く時間だよ

     すると、窓際の椅子に座っていた

     彼女はこう言った

     私のために、もう一曲だけ歌ってくれ

     ないかしら・・・


     去りゆく今日のため、歌おう

     ふたりの日々のために、歌おう

     きみと僕自身のために、歌おう

     別れを選んだふたりのために、歌おう


     僕と彼女は

     うまくいくと思っていた

     だが、別れというものは突然やってくる

     なぜ別れるのか

     それはもう、どうでもいいことだ

     今はふたりが過ごしたこの部屋で

     彼女のために精一杯歌うだけ


     去りゆく今日のため、歌おう

     ふたりの日々のために、歌おう

     きみと僕自身のために、歌おう

     別れを選んだふたりのために、歌おう〟


 健太は切々と歌った。自分の感情をさらけだすように。間奏でもソロはあまりいれなかった。すこしフェイクした程度だった。健太は歌いながら、気持がだんだんと軽くなっていく気がした。自分はボーカリストだと感じ、はじめて感情のままに歌ってると思った。三番もその気持を持続して歌い、エンディングも静かに消え入るよなピアノで終わらせた。


 健太は歌い終えても、なかなかステージから降りてこようとしなかった。ただじっと鍵盤を見ていた。

〝聞こえたかい。きみのために歌ったワン・モア・ソングだ。これが最後だ。沙也夏、さ・よ・な・らだ〟健太は心のなかで沙也夏に語りかけ、キーボードから離れステージを降りた。


 マスターと圭子は拍手するのを忘れていた。健太が近づいてきてやっと気づいたほどだ。

「素晴らしかったわ。初めて聞いた曲だけど、なんて曲?」

「タイトルはない。今、即興で作ったんだから」

「えっ、オリジナルなの!それも即興!信じられない・・・」

「そうだろうな。歌った本人が一番驚いているんだから。音楽っていうのは、やっぱり感情なんだな。感情のまま素直にメロディーにのせれば、ひとつの歌になるんだ。それが今初めて、わかった気がしたよ」


 健太は圭子の横に座ると、静かにそう言った。

「健太って不思議だわ。どんなに落ち込んでいても、歌うときはボーカリストになるのね。むしろ、その落ち込んでる感情を歌にしてしまう。人を感動させるのがわかるような気がする」

「歌ってる時だけが、すべてのしがらみから解き放されるのかもしれないな。俺はこの三日間忘れてたよ。歌うことの喜びを。歌が自分自身を救ってくれるのを」

「ねえ、ちょっと聞いていい?」

「ああ」

「どうして急に歌おうと思ったの?」

「話せば長くなるよ。でも話さないと、わからないだろうな」


 健太は圭子に沙也夏とのイブのいきさつをすべて話した。圭子は黙って聞いていた。

「素晴らしい女性ね。沙也夏さんって。そして、強いわ。そこまで自分の信念を貫きとおすなんて。私にはとても真似できない」

「ふつうの女じゃなかったってことかもな」

「裏を返せばそこが魅力だったってことよ」

「でもふられたら、なんにもならない」

「それは違うわ。健太はライブの時、言ってたじゃないの」

「ライブの時?」

「精一杯やったのなら自分をほめるべきだって。話を聞くかぎり、健太は精一杯やったと思う。精一杯やったけど、沙也夏さんの決心を変えられなかったのよ。それはどうしようもなかったことなの。だからね、もうそんなに自分を責めちゃいけないわ」


 圭子の言葉は健太の心にしみた。またも涙がでてきそうだった。もちろん、別の意味でのだ。

「精一杯か・・・精一杯、人を好きになると、涙ってとまらないものだな。人を好きになってこんなに泣いたのは初めてだよ」

「それは勲章だよ。涙は人を愛したことの勲章」

マスターがふたりを見わたすようにして言った。

「マスター、いいこと言う。そういえば、大人になればなるほど泣くなんてことはなくなっていくわ。それは悲しいことなのかもしれない」


「ふたりとも追い出すわけじゃないけど、時間はいいの?もう二時になろうとしてるよ」

「ああ。もうこんな時間か。圭子、明日仕事なんだろ?帰ったほうがいいんじゃないのか?」

「それは健太もでしょ。まさか、また休むつもりじゃないでしょうね」

「心配するな。これ以上休むと、課長からなんて言われるかわかんねぇよ。いや、課長よりも純ちゃんかな」

「そうそう。純子なら言いかねないわよ」


 ふたりともようやくいつものペースに戻ってきた。

「じゃ、健太もすこし元気がでてきたようだし、帰るわ。健太はどうすんの?」

「もうすこしいる。マスター、いいかな?」

「ああ、いいよ。でも、仕事大丈夫?」

「平気だよ。二日も寝っぱなしだったから。じゃ、圭子にタクシー呼んでやって」


 〝ロコ〟はどんなに遅くなっても、タクシーは呼べるようになっている。どこか、つてがあるらしい。

健太は圭子をビルの下まで送っていくことにした。

入口の付近でタクシーを待つことにした。

「圭子。今日はすまなかった。変にからんだりして・・・それと、圭子の気持嬉しかった。だけど、今の俺には・・・」

「いいのよ。私は自分の気持を言っただけ。それと、はっきりしたことがあるの」

「はっきりしたこと?」


「私、ヒロシとどうなるかわからないけど、健太のバックでピアノを弾くことはやめないわ。今夜の歌を聞いて思ったの。健太の歌は人の心を動かすものをもっている。それがわかった」

圭子の言葉を聞いて、自分はひとりじゃないんだなと思った。

「ありがとう。じゃ、もっともっと詞を書かなくちゃいけないな」

健太がそう言うと、一台のタクシーが停まった。


「それじゃ、またね」

「ああ。気をつけて帰れよ」

健太は圭子の乗ったタクシーが見えなくなるまで見ていた。

店に健太が戻ると、マスターはステージでギターを抱えていた。

「あれっ。めずらしいね、マスターがギターを弾くなんて」

「たまにはね。健ちゃん。ちょっとジャムろうか?」

「そんな急に言われても。楽譜もないのに・・・」

「楽譜ならあるよ」


 マスターは健太に数枚の楽譜を渡した。

「あ!これ俺たちの曲じゃないの!」

「そう。それを弾き語り風にちょっとアレンジしてみたんだ」

「なるほど。これならやれそうだな。よし、やろうか!」


 それから、健太とマスターのジャムセッションが始まった。やりはじめると、健太もマスターも夢中になった。数曲やる予定が大幅に狂って、何十曲とやってしまう羽目になってしまった。終わったのは朝方だった。時計を見ると、なんと六時だった。四時間も演奏していたことになる。健太はマスターに丁重に礼を言って、店を後にした。


 外に出ると、いちだんと寒さが増していた。頬に北風が容赦なく吹きつけた。

健太は西通りから親不孝通りに向かった。さすがに人はまばらで、名物のストリート・ミュージシャンもいなかった。


 公園に入り、ベンチに腰掛けダウン・ジャケットの衿を立てた。

〝さすがに寒いな。でも、この寒さは今の俺にとっては心地いい。この三日間というもの、よく泣いたな。女のためにこんなに泣くなんてことは、もうないかもしれない。しかし、沙也夏も苦しんだろう。苦しんだ末の結論だ〟


 健太は、ようやく沙也夏のことを客観的に見れるようになっていた。

彼女は俺と逢うことは、ひとつの歌だと言っていた。その歌を終わらせたくないために、もう一曲だけとリクエストしたわけだ。だが、いつかは歌は終わる。いや、終わらせなくちゃいけなかった。彼女は夢から覚めて、現実に戻っていったんだ。悲しいけど、俺はそれを受けとめなくてはいけない〟


 健太はベンチから立ち上がり、空をあおいだ。もうすぐ陽がのぼるなと思った。

〝沙也夏。きみのことは今日限りで思い出にするよ。きみは愛することの喜びと苦しみを教えてくれた。ありがとう。そして、さよなら〟


 健太は沙也夏に、今初めて決別した。だが、健太は気づいてなかった。沙也夏が健太にさよならと言わなかったことを。沙也夏が健太と再び逢えると、信じていることを。

ふたりはまた逢えるかもしれない。それは、ふたりのこれからの生き方にかかっている。


 健太は公園を出て、歩きだした。そして、ふと思った。

〝鹿児島もこんなに寒いかな。久しぶりに帰ってみよう〟ふるさとのことを思うと、なぜかおだやかな気持になった。遠くで甲高いバイクの音が聞こえていた。(了)








ようやく、四ヶ月を超える長い連載を終えることできました。この作品「ワン・モア・ソング」は十数年前に書き上げました。今回連載するにあたって、書き加えたり削除したりしました。僕は大の音楽好きなので、この作品もある曲にヒントを得て書こうと思いました。ある曲といっても1曲だけではありません。複数曲です。


 もっとも一番書くにあたって影響を受けてのは、作中に出てくるランディ・マイズナーのワン・モア・ソングです。この曲の詞は恋愛の詞ではありません。僕が思うにはバンド(おそらくイーグルスのこと)でドサ周りをしていた頃のことを歌っていると思います。それを自分勝手に恋愛に置き換えて書き始めました。


 作中にバンドのオリジナル曲が出てきますが、これもあるボーカリストに影響を受けています。今ではあまり聴かなくなりましたが。誰に影響を受けたか、読んで分かったらすごいと思います。僕もバンド経験者なので、バンドのことを書いてる時は当時のことを思い出しました。書いていて楽しかったです。


 作品としては結ばれることない恋愛小説です。主人公の健太は結局沙也夏にフラれてボロボロになります。健太のやりきれない気持ちの描写は一番書きたかったところです。そんな立ち直れない健太を救ったのは歌でした。「人間、自分自身の中に夢中になれるものを持っていれば救われる」ということを健太は最後の最後で思います。人生の中で、このような思いに助けられるのはあるのではないでしょうか?


 一方の沙也夏の行動をひどいと思う人もいるでしょう。自分のわがままを貫いて、人を傷つけてしまってもいいのかと。また一方では、人を愛するという気持を抑えることができずに突っ走ってしまった。でもそれは自分の気持に正直だっただけのこと。相手を傷つけてしまったことはけっした褒められることではないけど。健太と別れた後の沙也夏の気持はどうだったのか・・・それは次回で書いてみようと思います。


 この作品は今の時代のニーズには合っていないかもしれませんが、最後まで無事連載できて良かったです。最後に「ワン・モア・ソング」を読んでくださった方々、ありがとうございました。これからも書き続けます。

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