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ワン・モア・ソング  作者: 杉本敬
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音楽談義

 時計の針が11時30分を指していた。

この11時30分頃というのは、サラリーマンやOL諸君のだいたいがホッとする。昼休みが近いからである。

まあ、注文取りに必死になっている営業マンはこうはいかないが。


 ところで、純子もご多分に漏れず、この口なのであるが、今日はちlょっとヒヤヒヤしていた。純子にしてはめずらしいことである。

実は健太の遅刻が課長にばれているのではないかと思ってたからである。


 当然、健太の遅刻がばれれば、純子も〝共犯〟である。この課長は自分に不機嫌なことがあると、数日間根にもつような人なので、部下としてはほんとうにやりづらい。


 時計の針が12時を指して、オフィス内にも昼休みを知らせるチャイムが鳴った。

純子はさっさっと食事に行こうと思い、会社を出ようとしたところ課長から呼び止められ、ビクッとして振り向いた。

「古田君、外食かね?それとも、弁当を買いに行くのか?」

「外に食べにいきます」とホッとした様子で言った。


「まったく、なんで私がこんな心配しなくちゃならないのよ!これも健太のアホが悪いのよ」と純子はブツブツ言いながら、会社を出たところ、駐車場から健太が出てくるところだった。

健太は純子と目が合うと、ギョッとして、まわりをキョロキョロ見て純子に手を合わせた。

「純ちゃん、ゴメン。助かったよ、この埋め合わせはするから」

「当然よ!それより注文取ってきたんでしょうね」

「注文?課長みたいなこと言うなぁ」

「その課長には気をつけたほうがいいわよ。ひょっとしたらばれてるかも。だから注文取ってきてなかったらジ・エンドね。言っとくけど、私は無実ですからね」と純子は捨てぜりふを残して、ギョッとしている健太の横を通りすぎて言った。


 純子は行きつけの喫茶店に入り、ランチを頼んだ。

カウンターに座り、ファッション雑誌のページをめくっていたが、頭には雑誌の文字は入らずに別のことを考えていた。

なんで、あんなこと言ったんだろう。別にそんな腹をたてるよううなことでもないのに・・・〟


 純子はこの頃、健太が気になっていた。会社にいる健太とバンドのボーカリストの健太が、同一人物にどうしても思えないのだ。会社にいる時はおっちょこちょいで、世話ばかり焼かせるのに、歌を歌っている時の健太というのは尊敬に値する。


 健太は自分の世界というのをもっていて、純子もなんとなく引き込まれていく感じがしている。健太のバックをやっていると音楽の奥深さというのを感じぜずにはいられない。

〝惚れたかな?もし、惚れてるとしたら、ボーカリストとしての谷川健太に惚れているのかもしれない〟と純子は思った。

要するに、純子は健太がまだわからないのだ。

純子は恋愛経験がけっこうある方で、せつない恋の経験もある。だが、健太の場合はちょっと違う。健太には自分のもっていないなにかがある気がしている。そのなにかに興味があり、恋愛感情みたいなものを感じているかもしれなかった。


 純子はランチがきてるのも気づかずに、物思いにふけっていた。

「純ちゃん、食事きてるぜ」と声がした。健太だった。

 純子は、ハッとして我にかえった。

「わかってるわよ。今食べようと思ってたところなの!」

「まあ、そんなカリカリするなよ。たしかに遅刻したのは悪かったけど・・・だから埋め合わせするって」と健太は純子の横が空いていたので座った。


「で、課長のほうはどうだったの?」

「なんとかうまくいったよ。ヒロシから注文もらったんで、課長ホクホク顔さ。純ちゃんとヒロシにはお世話かけてます」

「そうよ。もう、これ以上は私もかばいきれませんからね」と純子はおどけて言った。

すこし機嫌が良くなったようである。


「そうそう、さっき圭子から電話があったわ。圭子の診療所にけが人を連れて行ったんだって?」

「まあな。雨も降ってたし、見るに見かねてといったところさ」

「人助けして遅刻か。美談というかばか正直というか・・・」

「なんだよそれ。ほめてんのか、ばかにしてんのかわかんねえな」

「都合のいいようにとっとけば。あら、もうこんな時間!早く食べないと、昼休み終わっちゃう」

やっといつもの純子にもどったようである。健太もほっとして、水をガブリと飲んだ。

 

 結局、その夜は〝ロコ〟で純子と待ち合わせをすることにした。

埋め合わせのためである。健太はできれば週末がよかったのだが、自分に非があるのでやむなく承知したわけである。

だいたいが純子は平日であろうが、休みの前であろうが、平気で飲みにいく。

そして、翌日はシャンとしている。これも若さであろうか。健太などは眠くてしょうがない。


〝ロコ〟は天神の西通りにある。この西通りと親不孝通りが天神の夜を演出している。

親不孝通りは学生が多く、人が溢れ返っていて、活気がある。それに対し西通りは活気の点では負けるが、店がバラエティに富んでいて、グルメを楽しめる。

〝ロコ〟はコンビニがはいっているビルの4階にある。


 もし間違って三階に行くと、大変なことになってしまう。

なんと3階はすべてオカマバーで、エレベーターから降りなければいいのだが、降りると〝いらっしゃ~い〟ということになって、出るに出られなくなってしまう。健太も一度間違ったことがある。入ってみると意外に楽しかったのだが、男と話してるんだか、女と話してるんだかわからなくなってしまった。


 その西通りを健太は歩いていた。さすがに、休み前のような賑わいはないが、それでもここに来ると人通りは多くなる。

〝ロコ〟はちょうど今がライブの休憩時間のようで、静かだった。

マスターがにこやかな表情で迎えてくれ、目配せをした。

純子はもう来ていて、ビールを飲んでいた。


「待った?」と健太は尋ねた。

「お疲れ様」と後から聞き慣れた声がした。

後ろを振り向くと圭子がいた。

「圭子も来たのか!」と健太は驚いた。

「あら、ご不満のようね」

「いやそういうわけじゃないけど・・・」


 健太はこれで2人分かと、頭のなかで財布から飛んでいく金額をざっと計算した。

「で、純ちゃん。今夜はフランス料理かイタ飯か?」と健太は純子の方へ向き直り、尋ねた。

「もう、いいわよ。給料前なんだし。どうしても気が済まないっていうなら、ここのコロッケで手を打とうかな」

「そんなもんでいいのか」と健太は言って、〝しまった〟と思った時は遅かった。マスターが睨みつけている。たかがコロッケなれど、ここのコロッケは結構いける。素材のじゃがいもが北海道直送であるから味の方は保証できる。


「健太に朝連れてきた患者さんのこと伝えようと思って会社に電話したら、純子がでて、今夜飲みにいくことになってるって聞いたから、それなら直接言ったほうがいいかなと思って来たわけ。それとも、お邪魔だったかなぁ」と圭子が健太の顔をジロジロ見ながら言った。

「なに言ってんだよ。それで彼女どうだった?」

「うん。思ったよりも、腫れがひどくて、二日ぐらい会社を休んだほうがいいみたいね。だから帰りは私が車で送っていったの」

「そうか。でも不幸中の幸いだったな。もしあの時俺が圭子のとこへ連れてこなかったら、もっとひどいことになっていたかも」

「そうなの。それはうちの先生も言ってたわ。この雨じゃ体も冷えきってしまって、捻挫だけじゃなく風邪もひいてたかもしれないって」


 健太は圭子の話を聞きながら、今朝の〝捻挫の君〟を思った。

〝美人だったけど、なにか影があるようにも感じられたな。まるであじさいのような人だった〟

「さあさあ、話に夢中になるのもいいけどオーダーを早くしたほうがいいんじゃない?私も早くコロッケ食べたいし」と純子が催促した。


 マスターが待ってましたとばかりに注文をとりにきた。

「今夜はマスターひとり?」と健太が聞いた。

「月曜だからね。来る客は馴染みばかりだから、私ひとりで十分だよ。コージはいるけどね」

コージとは厨房で働く、マスターの弟だ。コージはアジア各国を放浪して、料理をマスターしたらしく、その味付けは独特だ。


「じゃあ私、めんたいコロッケ!」と純子が元気よく言った。

健太も圭子も同じものを頼んだ。

福岡といえばめんたいである。そのめんたいをベースに、ちょっとエスニックな味付けをしたコロッケがめんたいコロッケだ。


「健ちゃん、ビールはいつものやつ?」とマスターが聞いた。

「うん」

 健太は〝ロコ〟に来ると、メキシコのビールを飲む。メキシコのビールはあっさりとしていて、飲みやすい。

ビールがきて、三人はグラスをあげた。

「健太が二度と遅刻しないようにかんぱーい!」と圭子と純子が同時に言った。

「そう言うなよ。純ちゃん、さっきもういいって言ったくせに」

「ダメダメ。今日は仕方ないにしても、今月ちょっと多いんじゃない?ほんと、今日は課長にばれないかヒヤヒヤもんだったんだからね」

「それは認める。課長に言われたもんなぁ、直行する時は事前に言っとけって。ヒロシからかなり注文もらってたから、そう不機嫌にならなかったけど」と健太は苦笑した。


「それでヒロシのところで、また油売ってたんでしょ」と圭子が聞いた。

「いつものことだよ。夏のライブのことでほとんど、時間がたってね。それでさ、やる曲はこれでどうかなと思うんだけど」と健太は言って、カバンからスコア・ブックを取り出した。

「健太、そんなのいつも持ち歩いてるの?」と圭子が呆れ顔だ。

「そうさ。いつ詞が浮かぶかわからないからな。いい息抜きになるぜ。内勤だとこうはいかないだろ」と健太はすまし顔だ。

「やれやれ。課長が聞いたらなんと言うやらね。健太みたいな、のんびりした営業マンも少ないんじゃないの?」と純子も言った。


 さすがに純子は同じ会社なので、健太の行動は読んでいる。性格はいまいち読めないが・・・。

「のんびりしてるからいいんだよ。ノルマばかり気にして、数多く商談しにいっても同じだ。売れる時は売れるし、売れない時は売れないものさ。物事は〝テイク・イット・イージー〟でいかないと」

「〝気楽にいこうぜ〟か。健太らしいわね」と純子は呟いた。

「まあそんなことはいいから、ちょっと見てくれよ」と健太は圭子と純子にスコア・ブックを差し出した。


 すでに三人ともグラスが空である。マスターが気をきかして、ビールを持ってきてくれた。

それとめんたいコロッケ三つね」と純子がスコア・ブックから目を離さずに言った。

圭子と純子はスコア・ブックをしばらく見ていた。

「この〝ウインディ〟って曲、いきなりコーラスで始まるのね。昔のケニー・ロギンスの曲みたい。ギターのリードはスライド奏法なんだ。変わってるわね」と純子が言った。

健太は純子の読譜力にはいつも驚かせられる。純子はさすがにキーボードに精通しているだけのことがあり、各楽器の奏法には詳しい。


「健太、これやっぱり風をイメージして書いたの?」と圭子が聞いた。

「イメージは風なんだけど、風の中に自分が溶け込んでいるような感じといったほうがいいかな。だからタイトルが〝ウインド〟じゃなくて〝ウインディ〟なんだ」

「ふ~ん。でもこの曲、コーラスが難しそうだな」

「そうなんだ。3人でハモらなくちゃならないからね。かなり練習してもらわないとな。ヒロシとジョンだから大丈夫だろう」

ジョンというのはバンドのギター担当である。ヒロシがアメリカへ出張した時に、見つけてきた奴で典型的なアメリカ人である。

ボーカルもまあまあこなすので、健太も参考になることがある。


「でも、全体的に見ると夏ぽくていい感じじゃない?」と純子は2杯目のビールを飲んだ。

「でも、健太もヒロシもよく作るわね。まるで、ビートルズのレノン・アンド・マッカートニーみたい」と圭子はめんたいコロッケをうまそうに食べている。

「圭子、それを言うならイーグルスのドン・ヘンリーとグレン・フライよ。な~んちゃってね。これは兄貴の口癖」

「そんなにおだてても、なにもでねえぞ。まあ、他の曲は家に帰ってからでもゆっくり見てくれよ。変えたいところがあったら、言ってくれ」


「いつも私思うんだけど、ヒロシの書く曲って、いろんなロックの影響があるみたいね」と圭子が言った。

「そりゃそうさ。ヒロシはアメリカン・ロックが好きだからな。アメリカン・ロックとひとくちで言っても、複雑なんだよ」

「そもそもロックって、なにから生まれたのかな」

「やっぱ、ブルーズじゃないか。ブルーズがポピュラーミュージックの基本で、ブルーズになにかが加わって、今のような様々の音楽が生まれたと思う。たとえばアメリカン・ロックの原点はカントリーだ。じゃそのカントリーはというとブルーズとクラシックが出会って生まれた。そしてシンガー・ソング・ライターの時代が始まって、カントリー・ロックが流行りだした」

「評論家も真っ青ね」

「俺の持論だよ」

「わかってる」


「そしてそのシンガー・ソング・ライターの代表的なのがイーグルスだ。メンバーが全員がシンガー・ソング・ライターだったわけだから、その時代では驚きだったろうな」

「そうね。イーグルスってほんといい曲書くもんね。再結成しても新曲なんかロックン・ロールはあるし、カントリーの曲も忘れていないところが凄いわね」

「でも再結成したイーグルスと70年代のイーグルスはあきらかに違うね。70年代の曲っていうのは、爽やかなロックという感じだったけど、今は完成された大人のロックという気がする」

「好き嫌いはあるかもしれないけど、やっぱり私は〝ホテル・カリフォルニア〟だな。あのドン・ヘンリーの声がたまらないなぁ」

「俺は〝テイク・イット・イージー〟だ。この曲で初めてウェスト・コーストという言葉を知ったから、想いがあるね。〝ホテル・カリフォルニア〟には知名度では負けるけど、カントリー・ロックの名曲だ」


「そのイーグルスとよく比較されたのがドゥービー・ブラザーズだったんでしょ?」と今度は純子がドゥービー・ブラザーズのことを語りを始めた。

「そうさ。西海岸のイーグルスに対して東海岸のドゥービーとよく言ったものさ」

「私がドゥービーを聞いたのは中学生の頃だったのね。その頃のドゥービーっていうのは洗練されたロックだった。結構気に入っちゃって、最初の頃も聞きたいなぁと思って、レコード買ったの。それで聞いたら、びっくりしちゃった。同じグループで前期と後期であんなにも音が違うグループもないんじゃない?」

「そりゃあびっつくりするよな。前期はスピード感があって、荒々しさが魅力なのに対して、後期はメロディ・ラインで勝負してたから」

「でも私思うのよね。ドゥービーの本来の姿は前期のほうだったんじゃないかってね。再結成したのも前期のメンバーだし、後期の音っていうのはバンドを持続していくために路線が変わっていったんじゃないかな」

「同感だな。イーグルスはバンドとして短命だったけど、ドゥービーは長かったからね。バンドを続けなければいけないという想いが強かったのかもしれない。下積時代はライブを1日4~5回やってたらしいから、バンドというよりファミリーに近かったんだろうね」


「私たちもそんなファミリーに近いバンドになれたらいいわね」と圭子がしみじみ言った。

「そうね。もっともっと練習して、ライブをどんどんやりたいな」と純子も言った。

圭子も純子もバンドの素晴らしさをようやくわかりかけているようで、健太は嬉しかった。一日でも永く今のメンバーでバンドを続けていきたいものだ、と健太はつくづく思うのだった。


そろそろ、そんな3人の音楽談義が終わりに近いと思いきや、なかなか終わりそうもなく長々と2時間続いた。

「あら、もういい時間ね。そろそろ引き揚げない?」と圭子がビールをいっきに飲み干した。

「そうよね。また、明日健太が遅刻したら、もう私かばいきれないしね」と純子がニヤニヤしながら言った。

「はい、はい。わかりましたよ。でも、残念でした。明日は直行だから、すこし寝坊できるんだ」


 3人はそんな冗談を言いながら、席を立った。

この3人が集まると、いつも音楽の話に尽きてしまう。これが、休日前なら大変である。夜通し話して、朝帰りになってしまう。


 店ではライブが始まる様子だったが、明日に差し支えると思い、店を出ることにした。3人は〝充実したひととき?〟を過ごし、〝ロコ〟を後にした。




 





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