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ワン・モア・ソング  作者: 杉本敬
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ラストダンス

 健太は部屋のドアの前に立った。すこし息が荒かった。

〝たのむ!まだいてくれ!〟

健太は、沙也夏がもう部屋にはいないような気がしていたのだ。ドアをそっと開けて、健太は静かに部屋に入った。


 沙也夏は純白のドレスのまま、ただうなだれていたが、健太の気配には気づいた様子だった。

健太は部屋を出ていく前にしていたように、ソファーにすわり、沙也夏を見た。沙也夏は顔をあげようとしなかった。沙也夏が健太が部屋を出ていったあと、泣きとおしたのはあきらかにわかった。


 健太はジーンズのポケットからチェックのハンカチを取出し、沙也夏に渡した。

「ほらあんまり泣くと、目が赤くなっちまうぞ」

沙也夏は、やっとその言葉で顔をあげた。もう、目はすこし赤くなっていた。

「健ちゃん。私・・・私・・・」

「まずは涙をふけよ。話すのはそれからだ」

沙也夏は健太の言われたとおりに涙をぬぐった。すこし、落ち着きを取り戻すと、やっと顔をあげて言った。


「もう、戻ってこないのかと思った」

「俺もいないかと思ってた」

「どこへ行ってたの?」

「地下のバーで考えてた」


「そう・・・私はあなたを・・・あなたを傷つけてしまった。なんと言われようとも弁解できない。でも、どうしようもなかったの。自分の気持に嘘はつけなかった。好きになる感情は止めようがなかったの」

「正直言って、俺にはきみを理解できない。好きでもない男と結婚するなんて。それも、借金の帳消しと引き替えに。それはいってみれば、時代錯誤の考え方だ」

「健ちゃん、もうすこし詳しく話すわね。もちろん、一番の理由は借金のことだった。でも、ほかにもあるの。その人の会社はモーター・スポーツを応援してるの。私はモーター・スポーツが好きだったから、世界のサーキットを回れるならと思った」


「なるほど。玉の輿ってわけか」

「そんなことは考えなかった。ひょっとしたらパパをもう一度サーキットに復帰させてやれるかもしれないとも思ったから」

「父親思いなんだな。しかし、自分のことは考えなかったのか?」

「その頃の私は自分を殺してたんだと思う。エディのこともあったし。もう一度、モーター・スポーツにのめり込めれば、なにかみつかるかもしれないと思ったのかも・・・」


 沙也夏はそう言うと、立ち上がって窓から夜景を見た。

健太は沙也夏の後姿を見ながら、いとしい気持になった。

「そのままでいればよかったのよ。そのままの気持でいれば。でも私はあなたと出逢ってしまった」

「そうだな。遅すぎた出逢いだった」

「そんなふうには考えたくない。あなたと出逢って、私もまだ人を愛せることができるんだと思った。エディ以外の人を愛することはきないと思ってたから」


「わかったよ、沙也夏。きみはもう一度、人を愛してみたかったんだ。結婚はできないけど、真剣に人を愛したかったんだ。きみは俺と恋愛ごっこをしたんじゃない。さっきの言葉は取り消すよ」

健太がそう言うと、すぐさま沙也夏は健太のほうを振り向いた。

「どうしてなの!どうしてもっと怒らないの!私は健ちゃんに嘘をついてたのよ。たしかに、私はあなたを真剣に愛した。でも、それは最初から結婚しない愛し方だったの。それも、結婚する違う男がいながら。私は殴られてもしかたないことをしたのよ!」

沙也夏は大きな声をだして言った。


 健太は立ち上がり、沙也夏の肩に手をかけ、まっすぐ目を見て言った。

「沙也夏。ここで怒るのは簡単だ。俺が感情にまかせてきみを罵倒したらどうなる?それは、一番いやな別れ方だ。今まで俺がきみを愛し、きみが俺を愛したことが意味がなくなる。なぜ、俺が部屋を出て行ったと思う?あのまま話してたら、俺は感情をきみにぶっつけそうだったからだ。だから、ひとりになって考えたんだよ」


「やさしすぎる・・・あなたはやさしすぎるわ」

「しかたないさ。これが性分だから」

「でも、そんなあなたが好き。そんなやさしいあなただから、私は好きになった」

「俺もだ。どこがと聞かれても答えられないけど。しいて言えば、きみは人の弱さがわかる女だ。それは言葉のはしはしにでてくる。だから、結婚すべき男がいたのにほかの男を好きになったのさ」


 沙也夏は健太の言葉にたまらなく感激した。

健太の胸に沙也夏は静かに抱きついた。健太は沙也夏をしっかり受け止め、肩を抱いた。

「俺は沙也夏を愛した。だから、最後まで愛したままでいよう」

沙也夏は健太の胸のなかでうなづいた。

健太自身、男のやせ我慢とわかっていたが、こうすることが一番の方法だと思った。


 ふたりは抱き合ったまま、ソファーに座った。

健太はテーブルの横にあったラジオに手を伸ばして、スイッチを入れた。ラジオからは懐かしい曲が流れだした。

カーペンターズの〝イエスタディ・ワンス・モア〟だった。

「踊って」

沙也夏は健太の耳元に囁いた。

「踊れないよ」

健太は笑って言った。

「踊れなくてもいい。ただ、私を抱いて立っててくれるだけで」

「・・・・・わかったよ」


 ふたりは互いの想いを曲にのせて踊った。

カーペンターズの曲が終わると、今度は聞き慣れた曲が耳にはいってきた。

「これは・・・〝彼〟の曲だ」

健太はゆっくりと踊りながら言った。

「ああ。これ知ってる。けっこう前にヒットしたもの。〝彼〟のクリスマス・ソングだわ」

沙也夏は健太に体を預けたまま、静かに言った。


「私のことを歌ってるみたい。イブは、ほんとうに好きな人と過ごしたいだなんて・・・泣けてきそう」

〝彼〟の曲は沙也夏をせつない気持にさせた。

「どうして・・・どうして俺ときみは別れなければいけないんだ?どうして・・・」

健太は、いままで我慢していたものが頬をつたって流れた。


「ごめん・・・ごめんね。私があなたを誘わなければ・・・遠くから見ているだけだったら・・・」

沙也夏は健太にしがみつくようにして抱きつき、健太は上を向いてただ泣いた。

「みっともねぇな。泣くなんて。でも・・・でも・・・くそっ」


 健太はそう言うと、いきなり、沙也夏を抱きかかえて寝室へ行った。

それから、ふたりは感情にまかせて、愛し合った。せつなさや、淋しさが入りまじった複雑な気持で、狂おしいほど愛し合った。ふたりが別れを惜しめば惜しむほど、時間は無情にも過ぎていく。

気持が落ち着いたのは夜も深い時間だった。

ふたりはベットで抱き合いながら話していた。


「健ちゃん。約束してほしいことがあるの」

「なに?」

「朝、私が先にホテルをチェック・アウトするわ。健ちゃんは私が出ていくのを見送ってほしいの」

「それはつらいな・・・」

「一緒に出たほうがもっとつらい。そのまま、エンドレスのように別れられなくなる気がするの。私は明日から生まれ変わらなければけないの」


「生まれ変わるか・・・。沙也夏は強いな」

「強くなんかない。ただ・・・気持を変えないと、生きていけそうもないから」

「俺はどうしたらいいのか。明日からなにを頼りに生きていけばいいのだろう」

「健ちゃんには音楽があるじゃないの。それに、素晴らしいバンドもあるわ」

「音楽か・・・」

「私、健ちゃんが音楽をやっていなかったら、好きになっていないと思う。というよりも、私はなにかひとつのことを夢中でやっている男の人に魅力を感じるの。よく雑学っていって幅広く話す人がいるけど、私はあまり好きじゃない」


「ただ、歌うことが好きなだけだ。そんな大それたことじゃない」

「それが一番大事よ。エディもそうだった」

「レースと音楽じゃ違うよ」

「たしかに違うけど、ふたりとも私を夢中にさせるなにかをもっていた。エディにはスピードに対する執念、そして、あなたには音楽を愛する心があった。その心が人を感動させたのよ。私もその心に惹かれ、自分にブレーキをかけることができなかった」


 健太は沙也夏の言葉が嬉しくもあり、悲しくもあった。こんなにお互い好きなのになぜ別れなければいけないのか、そんな気持ばかりが心をよぎるのだ。今まで、空想でしか作ったことのない詞の世界が現実のものとなっていた。


「俺と沙也夏は結局、同じような気持で出逢ったんだろうね。音楽を好きな男と、絵を好きな女がふとしたきっかけで出逢って、お互いの好きなものを認めあい、理解しあった。俺と沙也夏は自分が好きなものを好きになってほしいと言ったわけではなかった。ただ、自分と違うものをこの人はもっていると感じたんだ。そこに、共通するなにかがあった。好きなものを一途に愛すると言う気持。このまま結ばれれば一番よかったんだろうけど、そうはいかなかった」


 健太はありったけの気持を吐き出すように話した。

「現実という壁が私にあったせいね」

「違う。ふたりにあったんだ。それで、きみは苦しんだ。そして、結論をだした。だから、俺にはなにも言えない。俺が借金を肩代わりできるなら問題が解決できるんだろうけど、とてもできることではないし・・・」

「健ちゃんにはそういうことしてほしくない・・・」


 沙也夏は健太の胸に顔をうずめるようにして言った。

「別れるしかないんだね。それが最善の方法なんだ」

「もう言わないで。また、涙がでてきちゃう」

健太は沙也夏の肩を強く抱き寄せると、そのまま目を閉じた。つけっぱなしのラジオから〝ホリー・ナイト〟が響いていた。

ふたりは静かに目を閉じた。


 健太は夜が明けるのを感じた。結局一睡もせず、ただ沙也夏の規則正しい寝息だけを聞いていた。

沙也夏も朝の気配を感じたらしく、目を覚ました。

健太の顔を見て、小さい声でおはようと言った。

「とうとう朝になったのね・・・」

「ああ。そうみたいだ」


 沙也夏は健太の体から離れて起きると、ガウンを着て洗面所へ行った。

健太も、だるい気持で起きると、服を着だした。こんな時、男は楽だ。服を着て、髭を剃り歯を磨いて、髪を整えれば終わりだ。女には化粧というものがあるので、そういうわけにはいかない。


 沙也夏も健太もお互いの身支度を一言も喋らずに行なっていた。

沙也夏が服を着終わったのはもう八時過ぎだった。セーターとジーンズ姿で、昨夜のドレス姿は夢のようだった。


 ふたりは洋室で昨夜と同じように向き合って座っていた。

ひとことも喋らない。なにか言うと、別れなければいけないのがわかっていたからだ。

時計の針の音ばかりが聞こえている。時間は刻々と迫っていた。


 先に口を開いたのは沙也夏のほうだった。

「私、行くわ」

健太はハッとするように、沙也夏を見た。

「そうか。このままいてもしかたないな」

沙也夏はバッグを肩から掛け紙袋を手にして、立ち上がった。紙袋には昨夜着たドレスがあった。そしてドアの前まで行くと、言った。

「約束どおり、ここで見送って」


「わかってる。ほんとに・・・ほんとにサヨナラなんだな」

「ごめんなさい。そして、ありがとう。レイラは一生忘れないわ」

「もし、つらくなったら・・・いや、よけいなことだな」


 ふたりはお互いの顔を見ていた。

沙也夏は行かなければと思いながら、なかなか動こうとしない。

健太は自分の気持と正反対のことを言った。

「もう行ったほうがいい」

それでも、沙也夏は動こうとしなかった。


 健太は沙也夏のそばに寄り、肩を抱くようにしてドアを開けようとした。

「ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。私が・・・私が・・・あなたを・・・」

沙也夏はあやまってばかりいた。


 健太はそんな沙也夏を見るのが、だんだんつらくなってきた。

「沙也夏。笑って別れようぜ。せっかくの化粧が台無しだ。人生はテイク・イット・イージーだ」

「気楽にいこう・・・ね」

「ああ。そうだ」

沙也夏は涙をぬぐうと、泣き笑いのような声で言った。

「うん。じゃ、最後に握手して」


 ふたりはお互いの手のぬくもりを確かめあうように、握手した。

「ありがとう。もうあなたにリクエストをすることもない。素晴らしい半年間だった」

沙也夏が言った。

「そうだな。もう沙也夏のリクエストには答えることができない。だけど、半年間のひとつひとつのメロディーはふたりの心に永遠に残るんだ」

健太も精一杯の声で言った。


 沙也夏は健太に向かってにっこりと微笑むと、ドアを自分で開けてしっかりとした足取りで歩いて行く。

沙也夏は歩きながら、親友の麗子が言った言葉を思い出していた。

〝人生どうなるかわからない。先のことは悲観してはだめ〟


 健ちゃんとは今日別れたけど、もしかしたら、いつかやり直す時がくるかも・・・自分勝手な考えとはわかっていたが、そんなことも思うのだった。そして、健太はそんなことを沙也夏が考えてることも知らず、後ろ姿がエレベーターに消えるまで見ていた。






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