Your Song
その夜景に見惚れている健太をある紳士がレストランの外から見ていた。
そして、時計を見ると、レストランの前を通り過ぎて行った。紳士はいったんロビーまでエレベーターで降り、別のエレベーターに乗り換えた。客室のあるフロアで降り、目的の部屋のチャイムを押した。
「どうぞ」
女性の声だった。
「お待たせしました。約束のものをお届けにまいりました」
「ありがとう、フランク。手間とらせたわね」
「いいえ。お嬢様の頼みなら喜んで・・・」
「フランクに頼みごとするのもこれが最後になるかもしれない」
「そうですね。お嬢様がお決めになったことですから、私はなにも申しあげません。では、イブをお楽しみください」
そう言うと、フランクは沙也夏に背を向け、部屋を後にした。
沙也夏はフランクから受け取った紙袋を開けた。ひとつは今夜のドレス。もうひとつは健太へのクリスマス・プレゼントだ。沙也夏の準備とはこのことだったのだ。
沙也夏は意を決したように、着替えを始めた。沙也夏は健太に自分の一番きれいな姿を見せたかった。健太の心に自分の姿を刻ませたかった。
一方、健太はすこしイライラしながら待っていた。レストランに待つこと30分だ。さきほどボーイがワインのオーダーを取りにきたが、連れが来てからと断った。
〝なにしてんだ。これじゃ早く来た甲斐がないじゃないか。いつもは時間に正確なのに・・・〟
健太は席を立って部屋に行こうかとも思ったが、それはあんまりだろうと思った。
その時、レストラン内に小さなざわめきが起こった。
健太にはそのざわめきさえ耳にはいらなかった。ほほづえをつきながら腕時計ばかりを見ていた。
「お待たせ」
沙也夏の声が健太の頭の上で響いた。健太は条件反射のように顔をあげた。そして、あっけにとられた。
「さ、沙也夏・・・!」
「どうしたの?おばけでも見たような顔して」
「いや、そ、その格好・・・」
「どう似合う?冒険しちゃった」
これは健太でなくても驚くはずだ。なんと沙也夏は、さきほどのカジュアルな格好から、一転してドレス姿に変身していた。それもチャイナ・ドレスだ。店内がざわついたのはこのせいだったのだ。健太は目の前にいるのが沙也夏であって沙也夏じゃないような気がしていた。ただ、呆然としていた。
沙也夏は席に着き、窓から夜景を見て驚きの声をあげた。
「きれいねぇ!健ちゃんの言ったとおりだわ!」
健太は夜景よりも沙也夏の姿に釘づけだった。
沙也夏は夜景に見惚れていたが、やがて健太のほうを見て尋ねた。
「ワインはオーダーした?」
「・・・・・・・・・・・」
健太は唾をごくりと飲み込んだ。
〝女ってのはこうも服で変わるものなのか!〟
健太は沙也夏の問いに答えることも忘れていた。
「ねぇったら。ワインは?」
沙也夏が再び聞いた。
「えっ?あ、なに?」
「もうー。どうしたのよ?ワインは頼んだのか、頼んでないのか聞いてるの!」
「ワイン?まだまだ。いゃぁ、あんまり沙也夏がいつもと違うんでびっくりしてたんだよ。わりい」
そう言うと、健太はボーイにワインの赤を頼んだ。健太自身はあまり赤が好きじゃないのだが、沙也夏が肉料理には赤と言い張ったので折れたわけである。
やがてワインがきて、ふたりは陽気にグラスを合わせた。
「メリー・クリスマス」
健太は、これが沙也夏との最初で最後のイブになることも気づかずに・・・。
「なんでメリー・クリスマスなんだろう?」
健太はワインをひとくち飲むと、ひとりごとのように言った。
「クリスマスだからよ。めでたいから祝うんじゃないの」
「キリスト教徒でもないのに?」
「どうも健ちゃんは物事を深く考える癖があるみたいね。すこし直したほうがいいわよ。こう考えたら?クリスマスは海外ではお正月みたいなもんなのよ。日本ではお正月がめでたいんだから、海外ではクリスマスがめでたいの」
「答えになってないような気がするなぁ。正月は年が明けたからめでたいけど、なんでクリスマスはめでたいんだろう。ま、いいや。これが海外で生活した日本人と、日本にずっと住んでる日本人の違いということにしとこう」
「あいまいな結論ね。でも、こういうことは議論しても答えはでそうもないわ。やめましょ。ねえねえ、去年のイブは何してた?」
「去年ねぇ。そうだなあ。あ、そうそう仕事で佐世保に行ってた。それも夕方の五時すぎから。あん時は大変だったぜ。渋滞だし、道はわかんねえしな。おまけに右も左もカップルばっかし!」
「フフフ・・・相当頭にきてたみたいね。でも今夜もカップルばっかりよ」
「今夜は許せるよ。目の前にはすっげぇ美人がいるからな」
「ありがとうございます。おまけにワインもおいしいし。そういえば、私も仕事だったわ」
「また展示会か?」
「まさか!イブに展示会しても客は来ないわよ。んーとね。横浜に行ってたかな」
「横浜と佐世保じゃえらい違いだ」
ふたりは去年の話で徐々に盛り上がっていた。やがて料理が運ばれてきて、ふたりは料理に夢中になった。
料理は素晴らしかった。フォアグラに始まり、肉料理(それもヒレ肉を独特のソースで味付けしてある)、ロブスター、そして自家製のドレシングをたっぷりかけてあるサラダ。
健太は特にサラダと肉料理が気に入った。サラダは自家製のドレッシングがうまかった。そして、ヒレ肉のやわらかさ。舌がとろけそうだった。
「うまいなぁ。これ。ほんとーにうまい!」
その様子を沙也夏はうれしそうに見ていた。
「男の人が料理をおいしそうに食べてる様子っていいわねぇ」
「ん、そうかぁ?。だって、うまいもんはうまいからな」
「思いきって一番高いのにしてよかったわね。私もこの料理には文句のつけようがないわ」
ふたりは食べながら会話が弾んでいた。健太と沙也夏の共通点はいくつかあるが、この食べながら会話を楽しむことをわかっているのも、そのひとつであろう。
「あ。でもあんまりうまいうまいなんて食べちゃいけないな」
「どうして?」
「そりゃそうさ。今夜は特別な日なんだぜ。なんかこう洒落たセリフでも言いながら、上品に食べるもんだろ」
「アハハハ・・・似合わない、似合わない。健ちゃんは豪快に食べてるほうが似合ってるわ。そんなセリフは詞を書くときだけでいいの」
「ふん悪かったな、似合わなくて。でも、俺の書く詞ってそんなにキザか?」
「歌っていうのはキザなほうがいいんじゃないの?日頃言えない言葉を詞に託すんだから。絵だって一緒だわ。たしかに現実にある風景を基本にして描くけど、それに自分の思い込みというか理想を加味するようなところがあると思うの」
「へえー。なかなかいいこと言うじゃないか。もっと詳しく聞かせてくれよ」
それからふたりはいつものように、音楽と絵の話題にはいっていった。
結局、ふたりの会話は音楽と絵のことにいきつくのである。
時計の針は刻々と時間を刻んでいた。健太と沙也夏の会話は終わることを知らなかったが、レストランを出る時間になっていた。ふたりは心地よい酔いと満腹感に満足して、レストランを出ることにした。レストランを出る時、ふたりは注目の的になった。沙也夏の美しさはドレスにより際立っており、エスコートする健太にも人の目が注がれた。
ふたりは腕を組むようにしてエレベータに乗り、ロビーまで一旦降りて、別のエレベーターに再び乗り込んだ。このホテルの唯一の欠点は、レストランと客室のエレベーターが別々になっているところだろう。
エレベーターはふたりだけだった。
沙也夏は健太の肩に頭を預けるようにして言った。
「いい気持だな。ほろ酔い気分って感じ・・・」
「ワイン飲みすぎたんじゃないか?」
「うーうん。そんなことない。素晴らしい料理を好きな人と食べられたし、これが幸せっていうのかな」
健太はそういう沙也夏を可愛いと思って、そっとキスをした。エレベーターの〝閉〟のボタンを押しながら。沙也夏もそれに応えた。
〝この人もずいぶん大胆になった。まえはぎこちなかったけど。でも、それが好きになったひとつでもあるけど。だけど、私がほんとうのことを言ったら、この人は傷つくかもしれない〟
沙也夏は健太と唇を合わせながらそう思った。
やがて、泊まる部屋のあるフロアに着き、ふたりは降りた。
部屋に入ると、健太は中を見回した。ドアを開けると、右手がすぐユニット・バスになっていた。
その奥は洋室かなと思って開けると、なんとミニ・キッチンというかミニ・バーのようなスペースだった。さらにその奥が寝室で、寝室の向かい側が洋室になっている。
この洋室の窓から見る夜景も素晴らしかった。
「すごいな、このホテルは。レストランからだけじゃなくて、部屋からも夜景が見れるんだな」
「このフロアだけらしいわよ。こんなにきれいに見られるのは」
沙也夏も健太のとなりにきて言った。
ふたりはソファーに座ると、背伸びをしてくつろいだ。
「あー、ほんとにいい気持だ。こんなぜいたくしていいのかな」
沙也夏は健太の屈託のない声を聞くと、心が痛んだ。
それを振り払うかのように言った。
「さぁ、着替えようかな。部屋でこういう格好もあんまりだし」
「そうだそうだ。いつもの楽な格好がいいぞ」
「うん。じゃ、着替えるわ。見ちゃだめよ」
「もう見飽きたよ」
「あ、言ったわね」
沙也夏は笑いながらそう言うと、洋室から出た。
ソファーの端に、健太のギター・ケースが立て掛けてあった。
健太はギター・ケースを開け、アコースティック・ギターを取り出した。そして、チューニングを始めた。
「おっ、あまり音が狂ってないな。さすがジョンのギターだ」
チューニングをすませると、軽く弾き始めた。これも、ちょっとブルーズっぽいやつで、クラプトン・ナンバーだ。
ほんとはドブロ・ギターで弾くと、いい感じがでるのだが・・・。
健太は声がスムーズにでて、指も弦の上を滑らかに動いているように思えた。
その様子を、着替え終わった沙也夏が後で見ていた。
〝もうこの人の歌声を聞くのも最後になるのね。でも、忘れないでおこう。言葉をかみしめるような歌声を〟
そう思いながら、沙也夏は健太の歌を聞いていた。そして、健太が歌い終わると言った。
「お待たせ!こっちのほうがいいでしょ?」
背中越しに沙也夏の声が聞こえたので、健太は後を振り返った。
健太はまたしても驚かされた。沙也夏は再び別のドレスを身にまとっていた。それも純白のドレスだ。まるで、ウェディング・ドレスのようだった。
健太は沙也夏を見て、今度は素直に気持のまま言おうと思った。
「きれいだよ。ほんとにきれいだ」
健太はギターを置いて立ち上がると、沙也夏の片手をとった。
「ありがとう」
健太は沙也夏の手をとったまま、静かにソファーに座らせた。
「なんていう曲?」
「なにが?」
「今歌ってたの」
「ランニング・オン・フェイス。クラプトンの曲」
「初めて聞いた」
「初めて歌った」
そう言うと、ふたりとも笑いあった。
健太は沙也夏の笑顔がまぶしく感じられた。そして、自分が最高の女性とこうしていられることに喜びを隠せなかった。
「でも、似合わないな」
「えーっ!さっきはきれいだと言ってくれたじゃないの」
「違う、違う。沙也夏のことじゃない。そのドレスと、こういうジーンズ姿の男じゃ似合わないって言ってるんだよ」
「健ちゃんはジーンズが好きなんでしょ?」
「ああ。でも、時と場所によるだろう」
「いいの。そんなことは気にしなくて。私は健ちゃんのジーンズ姿好きよ。私が気に入ってんだから、健ちゃんはよけいなこと考えなくていいのよ」
「こりゃ一本取られたな。人の目を気にせず、沙也夏の目を気にしろってことか」
「そうそう」
ふたりの顔には笑いが絶えなかった。
ふたりが恋人でいられるのはあとわずかだ。沙也夏はそれを知っていて、健太は知らない。
「さて。それではプレゼント曲のお披露目といきますか」
健太はおどけた調子で言った。
「じゃ、私から」
沙也夏はそう言うと、ガラステーブルの下にある紙袋を取った。なかなか大きい袋だった。沙也夏は、そのまま健太に差し出した。健太は袋を受け取り、かなりの重さを感じた。袋から取り出すと、その重さにふさわしいものがでてきた。額にはいった一枚の絵だった。
その絵を見て、健太は鳥肌がたつ思いだった。
それは、一目で自分だとわかった。健太がステージで歌ってる姿がそこにはあった。
「これは・・・いったい・・・」
健太は、なんと言っていいかわからないようだ。
「今夜は驚かせてばかりいるわね。じつはその絵、私が仕事でおつきあいさせてもらっている先生に描いてもらったの。無理を承知でね。私が健ちゃんのライブを見たままを言って、先生にイメージしてもらったわけ。なかなかのものでしょ」
たしかに、なかなかのものだった。健太の遠くを見て歌ってる感じがリアルにでていた。静かな絵だが、人物の力強さを感じさせる絵だった。
「俺って、こんなふうにして歌ってるのか・・・なにか自分じゃないみたいだ。でも、俺だよなぁ」
「それは健ちゃんの分身よ。歌う時の健ちゃんは違う人になるの。違う人になって、聞く者に感動を与えるの」
「違う人か・・・それじゃ、この絵はその瞬間を捉えてるわけだ。これは俺の宝物になりそうだな。ありがとう。大事にするよ」
「よかった。気に入ってくれて。じゃ、今度は健ちゃんの番よ。今夜はどんな感動を、私に与えてくれるのかしら」
沙也夏がそう言うと、健太は絵をソファに立て掛け、ギターを持ち直した。
「今夜はちょっとけだるく、一杯やりながら聞けるようなナンバーをお届けしましょう。お嬢様、ワインなど飲みながらお聞きになっては?」
健太は、またおどけた調子で言った。
沙也夏は笑いながら、ミニ・バーの冷蔵庫から白ワインとグラスを持ってきた。そして、グラスにワインを注ぐとテーブルの上に静かに置いた。
その間に健太は、〝レイラ〟のコードを確認していた。そして、静かに言った。
「では。きみのためだけに・・・」
健太は静かに息を吸い込み、左手のコードを確認して、右手のピックを握り直した。
ブルージィーなイントロで始めて、出だしは軽く歌いだす。そして、だんだんとブルーズ・フィーリングをメロディーにのせる。二番にはいると、すこしリラックスして歌えるようになった。伴奏も無難にこなしている。サビの〝レイラ〟と歌う部分は、わざとキーを落とすような感じをだす。このほうが、アコースティックな感じがより増すからだ。
そして、間奏部分では冒険をする。演奏する予定でなかったリードにトライしてみた。なかなかいい。沙也夏に対する気持ちが、指に乗り移ったかのように軽やかに動く。リードを終わらせ、再びサビを歌う。サビを幾度も繰り返して、エンディングを迎える。エンディングも、半音下がったような感じで終わらせた。




