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ワン・モア・ソング  作者: 杉本敬
29/41

ずる休み

 健太は天井を見ていた。カーテン越しに薄い光が射し込みつつあった。夜が明け始めたようだった。健太の横には沙也夏が規則正しい寝息をたてていた。健太は目を天井から沙也夏に移した。彼女の黒髪が乱れていた。

〝人生ってわからないものだな。あのホテルで彼女をあきらめていたら、俺はここにいなかった。信じてればなんとかなるってことはほんとうのことかもしれんな〟


 健太はベッドのかたわらにあった腕時計をそっと取った。針は六時前を指していた。

〝そろそろ帰ったほうがいいな。今日は会社に顔もださなくちゃいけないし〟

健太は沙也夏を起こさないように静かに体を起こし、ベッドから降りた。乱暴に脱ぎ捨てたシャツとジーンズが床に広がっていた。それを見て健太は苦笑した。静かにジーンズを履き、シャツを着てから手ぐしで髪を直した。

「改めて見るとモノトーンって感じね。その格好」

沙也夏の声にびっくりして、健太は振り返った。

「起こしちゃったか・・・ゴメン」


 沙也夏は胸元を隠すように起きて、微笑んだ。その姿を見て健太はきれいだなと素直に感じた。

「だまって帰っちゃうつもりだったの?朝ごはん一緒に食べようと思ってたのに・・・」

「う~ん。そうしたいけど、ごちそうになってたら会社に間にあいそうもないからなぁ」

「休んじゃえばいいのに」

「えっ?」

「休んじゃえ、休んじゃえ」


 健太はあまりにもその言い方が可愛らしかったので、思わずその気になりかけた。

「沙也夏さん。まだ酔ってる?」

「アハハハ・・・そんなわけないでしょ。たまには自分に楽させてあげようよ。日本人は働きすぎなの。ねっ、そうしようよ。健ちゃん」


 健太は女というものは一夜を共にしたら、こんなに変わるものかと思った。だが、そんな沙也夏を見て、健太はますます好きになりそうだった。

「わかったよ。まあ、今日は急ぐ仕事もないから・・・」

「よし!決まり。じゃ腕によりをかけて、おいし~いお味噌汁作ってあげるわね。じゃちょっと背中向けてて。着替えるから」

「あ。ああ」


 健太は窓のほうを見ながら、沙也夏に背を向けた。健太はいくら一夜を共にしても、女はやはり羞恥心があるんだなぁと思った。

「はーい。いいわよ」

そう言うと、沙也夏は健太の肩に両手をかけると唇に軽くキスした。

「おはようのキスよ。ご飯できたら呼びにくるから、もうすこし休んだら」

そう言うと、沙也夏は鼻歌を歌いながら部屋を出ていった。


 沙也夏が出ていった後、健太はベッドに腰かけた。沙也夏から言われたようにもうすこし休もうと思ったが、さすがに人の家でそこまでする図々しさはなかった。

健太は明るくなった空を窓から見ながら、物思いにふけった。

〝しかし彼女が初めてとは思わなかった。あれほどの女性なら、恋なんて腐るほどしてる感じなのに。やっぱ人は顔で判断しちゃいけないな〟

健太は背伸びをして、喜びが心に広がっていくのを感じた。


〝さてと、今日休むとなれば会社に連絡しなくちゃならんな。とはいっても、まだ時間が早すぎるし・・・〟 時計は六時半を過ぎたところだった。

健太はすこし考えて立ち上がり、テーブルの横の電話を見た。無断で悪いけど電話を拝借しようと思った。

受話器を取り、いつもかけ慣れているテレフォンナンバーを押し、コールした。かける先はヒロシの家だ。


〝起きてるかなぁ。ヒロシも純子も相当飲んでたからな〟

五回目のコールで相手はでた。

「もしもし!純子!おまえいったいどこにいるんだ!」

ヒロシの怒鳴り声だった。思わず健太は番号を間違えたのかと思った。


「あ。俺だけど・・・」

健太はボソッと言った。

「え?なーんだ、健太か」

「どうしたんだよ。いきなり怒鳴ったりして。びっくりしたぜ」

「すまん、すまん。純子かと思ったんでな」


「純ちゃんがどうかしたのか?」

「ああ。帰ってないんだよ」

「そうだったのか。でも純ちゃんの外泊は今に始まったことじゃないだろう」

「そりゃそうなんだが・・・ただ今までは連絡が必ずはいってたんだ。これは俺の勘なんだが、純子は淳之介と一緒じゃないかと思うんだ」

「淳之介と?なんか昨日あったのか?」

「ああ。健太が店を出て行った後、一時間ぐらいでお開きになったんだ。で、四人でコーヒーでも飲みにいくかと言ったんだ。ジョンは女の子たちと先に出て行ってたしな。そしたら。純子と淳之介のふたりはすっかりできあがってしまってて、もう一軒行くってきかないんだ」


「純ちゃんにしちゃ珍しいな。で?」

「まあ圭子もふたりとも酔っぱらってるけど大丈夫じゃないって言うから、それならって感じで別れたんだ。もう子供じゃないしな」

「なるほど。でも、もしそうだったとしても淳之介なら別に悪いことはないだろう?変な男につかまるより。大丈夫だよ。純ちゃんはしっかりしてるから」

「簡単に言ってくれるな。兄としては心配だ。淳之介も淳之介だ。泊まらせるなら泊まらせるって連絡でもしてくりゃいいものを。こちとら、朝の四時から寝てないんだぞ」


「わかった、わかった。じゃ淳之介のアパートに連絡したらどうなんだ?」

「いや、電話なんかしたらカッとなって、怒鳴ってしまう気がしてな」

「う~ん。そりゃ言えるかもな。電話が鳴っただけでも、いきなり怒鳴るようじゃな。で、どうすんだよ?」

ヒロシの大きなため息が受話器から伝わってきた。


「そうだな。あ!そうだこうしよう!」

ヒロシは閃いたように言った。

「健太、頼む。淳之介のアパートに連絡してくれ」

「えー、俺がか!」

「うん。おまえが言ってくれたほうがいいって」

「なんで俺なんだよ。しょうがないな」


「頼むよ。ん?ところで俺になんか用事だったのか?」

「いや。ヒロシじゃなくて純ちゃんにだったんだけど・・・」

「こんなに朝早くからか?」

「まあ・・・な。しかたない。ヒロシには言っとこう」

健太は迷ったが、ヒロシには言っといたほうがいいと判断した。

「実はな、今アパートからじゃないんだ」

「アパートじゃない?外からかけてんのか?でも公衆じゃないみたいだな」

「公衆でもないよ」


「あっ!まさかおまえ沙也夏さんとホテルで・・・」

「半分当たってる。でもホテルじゃなくて、彼女の家なんだ」

「家って、健太・・・」

「成り行きってやつだよ」

ヒロシは言葉がでないようだ。

「へぇー!やるもんだな。で、やったのか?」

「やったって、下品だなおまえも。でもそのとおりだな」

「おめでとう、やっと春がきたな、健太にも」

「おめでとうって、結婚したわけじゃないんだから」

「ハハハ・・・そりゃそうだな。だけど、それが純子と関係あんのか?」


「実はなこれも成り行きなんだけど、会社休む羽目になってな」

「はは~ん。そうかわかったぞ。彼女とアバンチュールってやつだろう?」

「そうはっきり言うなよ」

「よし。俺にまかしとけ。健太の会社には俺がうまく言っといてやるよ」

「おいおい、ヒロシ。それはまずいよ。会社の外部の人間がいうのはちょっと・・・」

「心配すんな。あの課長に言えばいいんだろう。そうだな、今日一日、おまえを借りることにしとこう。健太んとこの課長をまるめこむぐらい朝飯前だよ」

健太は苦笑いした。ヒロシにかかっては課長もかたなしである。


「わかったよ。すこし不安だけどな」

「じゃ、そういうことで。そのかわり純子のことは頼むぞ」

「交換条件だな」

「そうだ。これですこし安心したよ。沙也夏さんとうまくやれよ。じゃあな」

健太は受話器をおき、ニヤリとした。


 健太は再び受話器を取り、淳之介のアパートへ電話した。

〝いるかな。もしヒロシの思っているとおりなら、ひょっとしたらホテルにしけ込んでいるかも〟

案の定、留守電だった。

〝留守か。いや、ひょっとしたらいるかもしれん〟

健太は試しに言ってみた。

「淳之介!いるんだろ!俺だよ。寝てるなら目をさませ。ヒロシからの伝言だ!」


 最後のはもちろん脅しだ。

すこしの沈黙があり、いきなり受話器を取る気配がした。

「なんすかぁ。健さん、こんなに朝早くから・・・」

「おう。やっぱりいたな。淳之介、単刀直入に聞くぞ。そこに純ちゃんいるだろ?」

「じゅ、純子さんっすかぁ。朝から冗談言わないでくださいよぉ」

「嘘つけ!ネタはあがってんだよ」

「健さん。ちょっとテレビの見すぎじゃないっすかぁ」

「それならいい。ヒロシが疑ってたみたいだからなぁ。だが、もしそれが嘘だったら俺もヒロシも容赦しねえぞ」

「・・・・・・・!」


 しばし沈黙があった。それから受話器の向こうでなにやらもめてる声がした。あきらかに純子の声だった。

「健太なの。おはよう。もうばれてるみたいね」

「おはよう。やっぱりヒロシの推察は図星だったか・・・」

「兄貴、怒ってた?」

「ありゃあ、かなり熱くなってるぞ」

「そう。やっぱりね。当然かぁ」

「しかしなんでまたこうなったんだ?」

「成り行きよ」

俺と同じこと言ってやがると健太は内心苦笑した。

「でも酒の勢いだけじゃないだろう?お互いそれなりの想いはあったんじゃないか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」


 純子はまだ頭の整理がついてないようだった。早朝ということもあってか、いつもの強気な口調はどこかに消え失せていた。だが、純子の気持が今一番わかるのは健太なのかもしれなかった。

「とにかくヒロシの奴、心配していたようだから早めに連絡しとくことだな。でないとバンドのほうもギクシャクしてしまうから」

「うん。ごめんね。健太にまで迷惑かけて」


 健太はこんな純子の言葉を聞いたのは初めてのような気がした。

それにしても純子は健太とヒロシがなぜこんなに早く連絡を取り合ったのか不思議に思わないようだ。今は自分のことで精一杯なのだろう。

「よく淳之介にも言っといてくれ。じゃあな」

健太は今これ以上ふたりになにを言っても同じだろうと思い、話を切り上げた。


 受話器を戻すと、大きくふうとため息をついた。

〝どうも今日は騒がしい日になりそうだな〟

健太はそう思って、床に座りこんだ。そうすると、昨日の酒が残っていたのか、また眠くなってしまった。思わず目を閉じると、あっという間に睡魔に引き込まれてしまった。


 どのくらいたっただろう。

健太は肩を揺すられて、目を覚ました。沙也夏の笑顔があった。

なんで沙也夏がいるんだ?と一瞬思ったが、すぐに理解ができた。

「こんなところで寝ないで、ちゃんとベットで横になったらよかったのに」

沙也夏は笑いながら言った。

健太は頭を掻きながら、苦笑いした。

「さあ、ごはんできたわよ。一緒に食べようよ」

「う、うん」

時計を見ると七時半になっていた。いつもなら会社に向ってる時間だと健太は思った。


 部屋を出て、階段を降りると右手が玄関で左手がトイレらしかった。トイレと反対方向にフロアがあり、突き当たりがキッチンになっていて、わりと広々としていた。食事はキッチンと続きになっている和室の部屋に置かれていた。


 健太は沙也夏に促されて、キッチンの隣の洗面所で顔を洗い、歯を磨いた。そして和室の部屋に入った。 中に入ると、味噌汁の匂いが漂っていた。どうやら定番の豆腐とわかめの味噌汁のようだ。

健太は沙也夏と向かい合って座り、テーブルに目を向けると驚いてしまった。まあ味噌汁とめざしはいいとしても、大盛りのサラダが三種類も作ってあった。


 健太にとってはそれぞれが初めて見るものだった。サラダというと野菜という感じだが、豆腐が入っているものもあった。また色が鮮やかなサラダもあり、食べるのがもったいない感じがするものも

あった。極め付けはハムだくさんといった感じのボリュームサラダだ。とにかく見ているだけでお腹いっぱいになるようなサラダだ。


「いつもこんなにサラダがあるの?」

健太は思わず聞いた。

「まさか。今朝だけよ。きのうはアルコール漬けだったんでしょ?だから、さっぱりしたほうがいいと思って」

たしかに飲んだ翌朝はさっぱりしたものがいい。だが、テーブルの上に並んでいるサラダはさっぱりというより、ボリュームがありそうである。


「さあさあ、早く食べましょ」

「うん。では、いただきます」

健太はそう言って箸をつけたものの、あまり食欲がなかった。なにしろ昨夜はバーボンをしこたま飲んでいる。


 だが、味噌汁をひとくち飲むと、おっと思った。

「おいしいね。この味噌汁」

「でしょ?信州味噌だもの」

「なるほど。本場の味噌か」

「信州に伯母が住んでて、定期的に送ってくれるの」

ふと、健太は沙也夏が家族のことをあまり話さないことに気づいた。母親がいないことは昨夜の話でわかっていたが・・・。


「今朝は家族の人は出かけてるの?」

健太はなにげなく聞いた。

「パパは出かけてる。ママは隣の部屋にいるわ」

沙也夏はつくり笑いのような感じで答えた。

「隣?」

「隣の部屋には仏壇があるの」

あ、と思った。


「ごめん。よけいなこと聞いちゃったみたいだな」

「ううん。いいの。ママは精一杯自分の人生を生きたんだから。ママはね、パパのためになにかしてあげることが生きがいのような人らだった。でも、人生にはどうしようもないこともあるわ」

健太は沙也夏の言葉を聞きながら、彼女は母親好きだったんだなと思った。それだけに母親の死をあまり語りたくないのかもしれない。


「いけない、いけない。暗い話になっちゃった。外はこんなにいいお天気なのにね。さあさあ早く食べて。お味噌汁がさめちゃう」

「そうだね」

健太はこんなに食べられるかなあと思いながら箸をつけた。意外にも沙也夏と話しながら食べると食はすすんだ。話は世間話ばかりだったが、好きな女性と食事するのはこんなに楽しいものなのかと健太はあらためて思った。

やがてふたり食べ終わったころ、沙也夏は箸をおくとポツリと言った。


「私、昨日のこと後悔してないから」

健太はどう言っていいのかわからなかった。

「後悔してる?」

沙也夏は健太に聞いた。

「冗談じゃない。後悔のこの字も思い浮べられないくらいだよ」

健太は言いながら、へたな表現だなと思った。

「健ちゃんっておもしろい。やっぱ、変わってる」

沙也夏は明るく笑い、健太もつられて笑ってしまった。


「じゃ約束しましょう」

「なんの?」

「お互い、さんづけで呼ぶのはやめること。それと敬語を使うのもやめるってこと」

「でもなんて呼べばいいのかなぁ。淳之介みたいに沙也ちゃんっていうのはなんかいやだしなあ」

「あ。それだけはやめてね。なんか淳之介さんだったらいいけど、健ちゃんには似合わないわ。呼び捨てでいいわよ」

「呼び捨てか。そんなこと言われても急にはなあ」

「圭子さんなんかは呼び捨てで呼んでるじゃない。それと同じ感覚よ」


 それとこれとは違うと心のなかで言った。

「さ・や・か」

健太は小声で区切るようにして言った。

「聞こえな~い」

沙也夏はわざと大きな声で言う。

「沙也夏!」

健太は思いきって言ってみた。


「うーん。いい響き。合格よ」

「合格か」

健太は苦笑した。

「よし。早いとこ後片づけして、行こう」

沙也夏は立ち上がった。

「行くって、どこへ?」

「私の仕事場」

健太はわけがわからなかった。だが、今日は沙也夏の言うとおりにするしかないなと思った。ようするに、まな板の上の鯉の心境である。

 



 

 






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