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ワン・モア・ソング  作者: 杉本敬
14/41

クレイジー・エディ

 F3000に参戦してからの一年目。チーム成績は最悪だった。

一年目といっても、参戦したのは、たしか第5戦目からだった。

沙也夏がおぼえているのはリタイヤ続きのレースと光太郎と亜紀が言い争いをしてる様子だけだ。

もし、景気が今のような状況だったら、おそらく一年目で撤退していたかもしれない。あの頃はちょうどバブル期の始まりで、モータースポーツも一番よかった時期かもしれなかった。


 ただ、そのひどかった一年目も素晴らしい出来事がひとつだけあった。

最終戦のイギリスG・P。前日の予選から天気がコロコロ変わり、各チームはタイヤの選択に四苦八苦していた。イギリスの天候というのは〝一日のうちに四季がある〟といわれるほど、天気が変わりやすい。

いよいよ決勝で、天気は曇りでいつ雨が降ってもおかしくない。

光太郎は基和義と話し合いのうえ、レインでいくことを決断した。


 沙也夏は最終戦ということで、光太郎からパドックに入ることを許されていた。ビデオで見たように、パドック内というのは喧騒な雰囲気が漂っていた。特に負けがこんでいるチームというのは、ドライバーとメカニックがしっくりいっていない。光太郎もドライバーと言い争いをしていて、大きな声がでていた。


 ドライバーはドイツ人で、いちおうドイツ国内レースでは総合3位という成績で、このF3000にのりこんできた。だが、いかんせん世界の壁は厚く、最終戦を迎えるまでにポイントどころか完走すらできない状況だった。完走ができなければ、メカニックとしてはデータが得られない。光太郎も胃が痛くなる日々が続いていた。亜紀に当たってしまうのも無理からぬことだった。


 そしてこの天気だ。タイヤの選択を決めかねていた。予選は雨になり、各チームともレイン・タイヤでタイム・アタックした。その結果、チームは18位と今までで最高位だった。雨で各チームともタイムが伸びなかったせいだ。18位で最高位だから、チームがいかに不振かわかる。


 イギリスG・P。シルバストーン・サーキット。

出走21台。レースは45周で行なわれる。このサーキットは数少ない高速サーキットのひとつで、ストレートのマックス・スピードは300キロ近くになる。F1マシンなら300キロを越える。


 マシンはすでにスターティング・グリットに並んでいたが、まだメカニックはマシンの横にいた。

沙也夏は光太郎をずっと見ていた。

この一年あまりいいことがなかった。ヨーロッパを見られると思い喜んで来たが、見るのはいつも車窓の風景だった。たまにきれいな景色が目にはいっても、そこに立ち止まることができるはずがなく通りすぎて行く。この頃、沙也夏は日本で高校生活をエンジョイしていたほうがよかったのではないかと思う時がある。

沙也夏の心はこのシルバストーンの空のように、どんより曇っていた。


 光太郎はそんな沙也夏の気持ちが痛いほどよくわかっていた。チームがこんな状態ではゆっくりと話す機会もなかった。メカニックとしてレース当初はマシンの整備をするだけで幸せだったが、今は情けない気持ちでいっぱいだった。

〝自分の整備したマシンが完走できない。それにもっとタフなエンジンが欲しい〟


 ドライバーとてそれは同じだろう。光太郎はこのドライバーと一緒に戦うのも、今日で最後だろうと感じていた。ドライバーの名はミケールといった。

「ミケール。序盤は我慢して走ってくれ」


 光太郎は静かに言った。ミケールは光太郎をまっすぐ見た。目が充血していて、レース前の緊張がいやがおうにも高まっているのが表れている。

サーキットがだんだん静かになってきた。フォーメーションが始まるようだった。フォーメーションとは決勝前にサーキットを一周することで、レースが始まったわけではないので追越しは禁止だ。

これは路面にタイヤを慣らすために行なわれるもので、ドライバーによってはステアリングを左右にきって、タイヤのグリップを確かめる。

光太郎はマシンから離れる前、ミケールに力強く言った。

「雨は降る。必ず降るからな」


 光太郎がパドックに戻ると、マーシャル・カー(マシンを先導する車のこと)を先頭にして、フォーメーションが始まった。沙也夏は初めて自分の目でレーシング・マシンが走っているのを見ていた。

鮮やかなカラーにペイントされたマシンが次々とメインスタンド前を走っていく。沙也夏はあらためて美しいと感じた。


 しかし、このパドック内には美しいと感じている者は沙也夏だけだろう。今日はほんとうに雨が降るのか、もし雨が降ったとしてもはたして完走できるのか、そんな思いでいっぱいだった。

やがて、フォーメーションも終わり、各マシーンがスターティング・グリットに戻ってきた。パドック内も緊迫した空気がピークに達している。サーキットはマシンのエキゾースト・ノートがこだましていた。


 シグナルはまだレッドのままだ。そして一瞬の空白の時がサーキット内にはしる。次の瞬間、シグナルがグリーンに変わった。

マシーンが一斉に甲高いエキゾースト・ノートを響かせて、第一コーナーに飛び込んでいく。ついにレースが始まった。

沙也夏はマシンが生きもののように見え、鳥肌がたつのを感じていた。


 オープニング・ラップは常勝のチームの3台がトップ・スリーを編成して走っていた。

ミケールはだいたい15位から20位の間で走っている。とりあえずは順調なスタートのようだ。

レースはこのまま5周目に入った。雨はまだ降らない。ミケールはレイン・タイヤを装着しているため、走りが今一歩だった。パドックにも失望感の空気がはしる。

〝お願い!もし神様がいるなら雨を降らせて!〟沙也夏は祈った。


 15周目。ついにミケールは最後尾のマシーンにも追いつかれそうになる。が、その時稲妻が空にはしり、次の瞬間、大粒の雨が降ってきた。待望の雨だ!

パドックが歓声に変わる。

「ミケール!ゴー!ぶっちぎれ!」トニーが奇声をあげる。

トニーは若手のメカニックだ。

 そして、ほぼ同時に観客席にもどよめきがおこっていた。

「また奴だ。クレイジー・エディがパフォーマンスを始めやがったぜ!」とトニーが憎々しげに言った。

「クレイジー・エディって?」沙也夏はトニーの顔を見ながら尋ねた。


「この五、六レースにいつも気違いみたいに走って、途中でリタイアする奴がいるんだ。それがクレイジー・エディさ」

なるほど、メインスタンド前でごぼう抜きを演じているブルーのマシンがあった。

これが沙也夏がエディを見た最初だった。


「クレイジー・エディとはよくつけたな。トニーらしいな」

 いつのまにか、基和義が沙也夏の横にきていた。

「どうせ今日もリタイアですよ」トニーはますますおもしろくなさそうだ。

「それはわからんぞ。エディのマシンもレイン・タイヤだし、それにここは奴の母国だ。走り慣れてるだろうしな」


 雨は本降りになってきた。ドライ・タイヤのマシンは慌てて次々とピット・インしてきた。その間にミケールは徐々に順位をあげてきている。エディはというと、これは凄い勢いで順位をあげ、あっという間にベスト5に食い込んできた。観客は地元のドライバーということで大歓声だ。


 沙也夏はさっきからモニター・テレビに釘づけだ。

〝速い。マシンはうちとそう変わらないのに・・・どこが違うんだろう。ドライバーがマシンに振り回されることはよくあるけど、あのドライバーは逆だ。マシンがドライバーにやっとついていってるようだ。リタイアするのはきっとそのせいだ〟


 30周目。エディはついに3位のマシンに肉薄してきた。ミケールも15位まであがってきた。

「今日はミケールはいいとこいくかもしれん。マシンの挙動がいつもと違う。タイヤもまだまだいける」

光太郎もモニターテレビをじっと見ていた。沙也夏は光太郎が別人のように見えた。


 そして、レースはラスト5周になった。

ミケールは12位争いをしていて、テール・トゥ・ノーズになっていた。エディは3位のマシンをついに最終コーナーでパスした。

残りは2台。観客は総立ちで、アナウンスも興奮している。サーキット内は異様な雰囲気に包まれていた。


 残り2周。エディはメインスタンド前で2位のマシンにピッタリとつき、プレッシャーをかける。2位のマシンは気迫ではエディに完全に負けていた。

2台はそのまま第一コーナーへ飛び込んだ。その時、エディの気迫に圧倒されたのか、2位のマシンは思わずインを空けた。エディがその隙を見逃すはずがなく、まるで獲物に襲いかかるようにインに飛び込みあっさりとパスした。


 残るは1台。昨年度ワールド・チャンピオンのミッシェルだ。

タイム差は5秒差。しかし、いまのエディにとって5秒差などあってないようなものだ。

そしてファイナル・ラップ。

エディのマシンはスピードが全然衰えず、むしろ加速しながらミッシェルとのタイム差を縮めていく。そして、最終コーナーの手前でエディはミッシェルの背後についた。テール・トゥ・ノーズだ。


 その時、エディはいきなりマシンをアウトにふり、抜きにかかった。

ここが勝負の別れ目だ。もし、ここでミッシェルがエディをガードしようとすればインが空いてしまい、エディがインに切り込んでくる。しかし、エディのタイヤも限界にきている。もちろんミッシェルもそのことはわかっている。ミッシェルはどっちにしろ賭けにでなければならない。このままではエディに抜かれる。


ミッシェルはエディのタイヤの限界がもはやここまでとみたようだ。素早くアウトにもっていき、エディをガードにかかる。今度はエディが賭けにでた。ミッシェルのインが空いた瞬間、素早くマシンを切り込む。

エディはタイヤがもつほうに、ミッシェルは限界にきてるほうに賭けた。


 エディがミッシェルのインから抜きにかかる。ミッシェルはなすすべがない。マシンはすでにアウトにふくらみ、無理にインにもっていこうとすればスピンしてしまう。エディはゴール数百メートルでミッシェルを抜いた。前方にはレーシング・ドライバーなら誰もがトップで受けたいチェッカー・フラッグがある。


エディの勝利は99%確実だった。しかし、またしても勝利の女神は浮気心をおこしたようだ。エディのマシンが急にスローダウンしたのだ。エンジン・ブローだ。ゴール直前、ミッシェルがエディの横をすりぬけた。エディは白煙をあげながら、2位でチェッカーを受けた。タイヤはもったが、エンジンがついてこれなかった。


 後続のマシンが次々とゴールしていた。結局、ミケールは12位でゴールした。ミケールが12位になったということで、パドック内は大騒ぎだ。他のチームには異様な光景に映っていたかもしれなかった。光太郎も基和義も肩を抱き合って喜んでいた。光太郎は沙也夏と目が合うと、近寄ってきた。

「沙也夏。光が見えてきたような気がする」


 沙也夏はなにも言えなかった。光太郎の目にうっすらとにじむものがあった。

グランプリは終わった。結局完走できたのはイギリスG・Pだけだった。が、来シーズンにつながるのは確かだ。


 




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