第五十三話 女神との邂逅
「ギャアアアアアアアアアア!!」
耳をつんざくような不死者の悲鳴がダンジョンに響き渡る。
流石、〈闇深き十二の遺跡〉のボスともなると、撃破時のエフェクトも凝っている。
〈エルダーリッチ〉のやたらと長い撃破演出を眺めながらホッと息をついていると、ラッドが微妙な顔をしているのに気付いた。
俺と目が合ったラッドは言い訳するように言う。
「いや、その、作戦を聞いて分かってたつもりではいたけどよ。やっぱり拍子抜けしちまったっていうか」
「まともに戦ったら勝てない相手を倒したんだ。素直に誇っていればいい」
ラッドとしては不満が残っているようだが、これだって立派な勝利だ。
ここまで劇的なものはあまりないが、石化が入ると一発で勝負が決まったり、沈黙が入るとほぼ何もしてこなくなったり、そもそも遺跡ボスの一体目は耐性がガバガバなので完全試合になりやすい。
それに、この聖灰ハメだって言うほど楽なもんじゃない。
実際ゲームではNPCが何らかの理由で別の行動を挟んでしまったりして足並みが乱れると、そこから立て直せずに全滅、なんてことも結構あったのだ。
「そりゃ、まあ、そうだけど。別にオレじゃなくても出来ただろうって思うと……」
「そんなこともないさ。エルダーリッチに怯えずにしっかりと行動出来る奴も、俺が言ったこんな荒唐無稽な作戦を信じてくれる奴も、そうはいない」
俺が言うと、ラッドはしばらく目を丸くして俺を見ていたが、
「ま、まあ、おっさんがそう言うなら、素直に喜んどくかな」
そんなことを言いながら、何だか落ち着かなさそうに顔を逸らした。
あいかわらず素直なんだかひねくれてるんだか分からない奴だが、今はそれどころじゃない。
「それより、ここからがお楽しみタイムだぞ」
「え?」
間抜け面を晒すラッドに、正面を指さしてみせる。
「――忘れたのか? 俺たちはここに、アイテムを取りに来たんだろ」
〈闇深き十二の遺跡〉のボスは、撃破すると必ずユニークアイテムをドロップする。
特に遺跡ボスの中でも上位に位置する〈エルダーリッチ〉の落とす装備は二種類の候補があり、どちらもゲーム中屈指の性能を誇る逸品だ。
杖か冠か。
二つのうちどちらが落ちるかによって、この先の攻略にも影響が……。
「お……」
その時にちょうど〈エルダーリッチ〉の姿が完全に消え、その代わり、とでもいうようにカラン、コロンと装備が転がる。
そこに残されたのは、先ほどまで〈エルダーリッチ〉が身に着けていた冠……と、真っ赤な杖。
「――ドロップが、二つ?」
思いがけないことに、こうして最終装備クラスの性能を持つ二つの装備が、同時に俺たちの手に転がり込んだのだった。
※ ※ ※
(まさか、両方とも手に入るなんてな!)
ボスのドロップアイテムはゲームではどちらか一つしか手に入らなかったため、ボスを倒し直して厳選、なんてかなりの苦行をすることもあった。
ただ、一度倒したボスをアイテム抽選目当てにもう一度倒す、というのは攻略掲示板でも不満があがるほどのストレス要素ではあったし、この世界ではそもそもやり直しなんて出来ない。
こうして二つ手に入った理由は分からないが、この装備が両方〈エルダーリッチ〉がもともと持っていたアイテムなので、片方しか手に入らないのはおかしいと世界から修正でも入ったのだろうか。
とにかくこれは嬉しい誤算だ。
――不死の魔術師の秘術が込められた冠〈ルナティックサークレット〉。
――森羅万象全てを焼き尽くす獄炎の杖〈クリムゾンインフェルノロッド〉。
どちらも癖はあるものの大仰な名に恥じぬすさまじい効果を持ったユニーク品。
これを両方とも手に入れたとなれば、今回のダンジョンアタックは大成功と言えるだろう。
俺はホクホク顔で装備を手に取ると、すぐさまインベントリに放り込む。
「兄さん!」
そこで、レシリアが警告の叫びを発した。
俺も顔を上げ、レシリアが注視する方向に視線を向けると、
「か、壁が……」
行き止まりだったはずの奥の壁が、大きな音を立てて動き出していた。
壁は轟音と共に地面に吸い込まれるように動き続け、音が収まった頃には、その奥に開いた本当の最深部の存在が露わになっていた。
「う、ぷ……」
隠されるように存在してたその部屋には、濃密な闇の気が満ちていた。
可視化されるほどの闇の気配に押され、思わずマナが口元を押さえる。
そして……。
その暗い部屋の中心には、限りない悪意を煮詰めたような、真っ黒な像が置かれていた。
「お、おっさん……」
「ああ。あれが、〈闇の神の像〉だ」
世界を我がものにせんとする悪神〈ラースルフィ〉の復活の標。
初めて目にしたこの世界の冒険者の目標を前に、俺たちはしばし立ちすくむ。
だが、その時、突然に奥の部屋に光が満ちる。
「こ、今度はなんだよ!」
ラッドの悲鳴のような叫び。
混乱するラッドたちの前で、光は人の形を取った。
「あ、れは……」
ラッドの、慄いた声が響く。
光が収まった時、目の前に浮かんでいたのは、半透明の女性の姿。
彼女は何も、俺たちに対して敵意や悪意を向けている訳ではなかった。
ただじっと俺たちを見つめ、微笑んでいるだけ。
だが、ラッドが驚く気持ちは分かる。
――彼女は、あまりにも美しすぎた。
深い慈愛と思慮を湛えた金色の瞳、人ではありえないほどに整った鼻梁。
豪奢で艶やかな黄金の髪と、そこから覗く理想的な曲線を描く耳。
そして、慎ましやかでありながらどこか蠱惑的な、形のよい唇。
「〈救世の女神〉……フィーナレス」
俺の口から、まだ誰も知るはずがない名前が飛び出して零れ落ちる。
その声は当の女神も含めて誰にも届かなかったようだが、あるいは届くとしたら俺は何も口に出来なかったのかもしれない。
そうして、誰もが女神の偉容に魅入られ、動けない中で、
《……待って、いました》
女神の小さな唇が、そっと音を紡ぐ。
《愛しき光の子らよ。あなたたちをずっと、待っていました》
彼女はまるで思い人に再会したかのように顔をほころばせると、俺たちを両手を迎え入れるように両手を広げた。
《さぁ、今こそ勇気を示す時です。悪しき力を蓄えた像に触れて。闇を、払って……》
紡がれる言葉が、凛とした響きを持って俺たちの鼓膜を揺らす。
俺は彼女の言葉に導かれるように、闇に満ちた部屋に鎮座する邪気に溢れた像を見た。
――これが、〈ブレイブ&ブレイド〉のメインストーリー。
〈闇深き十二の遺跡〉の攻略は、ボスを倒しただけで終わりじゃない。
その最深部にある〈闇の像〉にパーティメンバーの誰かが触れ、像を破壊することで初めて攻略達成となるのだ。
〈闇の像〉を破壊すればこの場所の支配権をフィーナレスが取り返すことが出来、復活する悪神の力を一段階下げることが出来る。
代わりに〈闇の像〉から漏れだした邪気によって世界は汚染され、魔物が一段階強くなるが、それもゲーム攻略的に言えば必要なことだ。
敵が強くなるということは、敵からもらえる経験値も増えるということ。
皮肉ではあるが、全ての元凶である悪神に打ち克つ力を得るためには、悪神が放つ邪気が必要なのだ。
ただし、像を破壊する時期と、像に触れるメンバーには注意が必要だ。
像を破壊すると女神が「褒美」として攻略したダンジョンに応じた能力を授けてくれるのだが、その恩恵が受けられるのは「像に触れた」本人だけ。
恩恵は各種の属性適性と能力値の上昇で、確かこのダンジョンの場合は〈精神〉の値が上がるはずだ。
回復魔法と魔法防御に関わる〈精神〉値。
この中で誰か一人を上げるとしたら、それはもちろん……。
「レク……おっさん」
気後れしたような声で呼びかけられ、俺は我に返った。
振り向くと、ラッドがどこか気まずそうな顔をして立っていた。
「本当に、いいんだよな?」
何が、とは聞かなかった。
ボスを倒したあとの流れについてもダンジョンに入る前に事前に決めて、全員が納得している。
「ああ。頼む」
俺がうなずくと、ラッドは恐縮した様子で前に出ると、仲間たちを振り返った。
「や、やるぞ」
かすかに震える声で、ラッドが号令をかける。
すると自然に、ラッドの周りに仲間たちが集まった。
そんな俺たちの様子を、女神は穏やかな目でじっと見守って、そして……。
《どうやら、決まったようですね。さぁ、勇気を出してこの像に触れてください。それで、闇の神の企みはまた一つ潰え……え? なぜ、立ち止まってアイテムを取り出してるのですか? き、気持ちは嬉しいのですが、私なら気にしなくて平気ですよ。そもそもこの身体は実体じゃないですし、お供え物とか要りませんから。それより、ね? 早く像を……え? あぁっ! それよく見たら〈帰還の羽〉じゃないですか! ダ、ダメですよ! そんなの間違って使っちゃったらダンジョンの入り口まで戻っちゃいますからね! せっかくここまで来たのがパーですよ! パー! は、早くしまってしまって! あ、もしかしてこの部屋が怖いんですか? だ、大丈夫ですよ? ちょっと暗いですけど暗い方がむしろムードが出て気分が盛り上がるというか、なんかこうハイセンスないい意味での暗さですし、この黒いのだってただちに人体に影響はないですから! ほ、ほーらこわくなーいこわくなーい。あ、ちょっ! そこの黒い人! 何で「バイバイ」みたいな感じに手を振ってるんですか!? バイバイじゃないですまだ何も始まってませんよ! むしろこれから……あっ、ダメ! ちょっと待っ――》
こうして、無事にボスを撃破してアイテムをゲットした俺たちは、そのまま脱出アイテムでダンジョンから帰還。
俺たちの最初の〈闇深き十二の遺跡〉の探索は、大成功のうちに幕を閉じたのだった。
HAPPY END!!