第四十三話 講座
次にお前は「何だこれ……」と言う!
「――チキショウが!」
言葉と共に、グレイはジョッキをテーブルに叩きつけた。
C級冒険者、〈グレイ・アール〉は荒れに荒れていた。
ただでさえ悪い目つきをさらに険しくして、この世の全てを呪うがごとくに、周囲をにらみつける。
もう何度目になるか分からない依頼の失敗と、遠のくB級冒険者への昇格。
好きだったはずのエールの苦みも、荒んだ心を癒やしはしない。
「何でオレたちじゃなくて、〈ライバースパイル〉のアホ共がB級になりやがったんだよ! ギルドの奴ら、あいつらに金でも握らされてんじゃねえのか! そう思わねえか、ケーン!」
グレイは対面で黙々と酒を飲む侍、〈ケーン・シン〉に話を振ったが、
「……奴らは、強い」
と返すだけで、乗ってくる様子もない。
グレイは「つまんねえ奴だな、お前は!」と吐き捨て、さらに酒をあおった。
「グレイ。もう、お酒はやめた方が……」
明らかなハイペースで飲み続けるグレイを、パーティのヒーラー〈ゼミナ・リングス〉が諫める。
それはいつもの光景であったはずだが、今日ばかりは違った。
「ふざけんな! テメエの回復が遅れたせいでオレは今日、死にかけたんだぞ!」
「そ、それは……」
グレイが叫ぶと、ビクッと身を縮こまらせるゼミナ。
「黙ってんじゃねえ! 何とか言えってんだよ!!」
「あ、の……」
こいつはいつもそうだ。
こうやって震えて被害者ぶっていれば、自分だけは何もされないと思っている。
「テメエのせいで! テメエのせいでオレはなぁ!」
苛立ちが募り、思わず彼女に向かって手をあげた、その時だった。
「――もうやめろ、グレイ」
その手を、後ろからつかんで止める者がいた。
アールの所属するパーティのリーダー〈ベネ・セット〉だ。
「止めんなベネ! こいつが……!」
グレイはその手を振りほどき、もう一度ゼミナを殴ろうとした。
しかし、
(おかしい。何で振りほどけないんだ?)
渾身の力を込めたグレイの手は、ピクリとも動かない。
大柄なグレイと比べて、ベネの身体はそれよりも一回りも二回りも小さい。
実際、出会った時は、グレイの方がベネよりも力があった。
(酔っているせいだ)
グレイはそう結論づけると、もう一度腕に力を込めて、その手を振り払おうとする。
しかし、やはりグレイの腕は動かない。
「グレイ!」
叫び声と、不意に解放される右手。
時間差で頬に感じる「ドン!」という衝撃。
「……っ!」
視界が二転三転し、気付けばグレイは、酒場の外の地面に転がっていた。
「ベネ、テメェ……!!」
自分が殴り倒されたのだと理解した瞬間、カッと頭に血が上る。
(許せねえ! ぶん殴ってやる!)
拳を握り締め、立ち上がろうとするが、うまく足に力が入らない。
怒りを込めてにらみつけた先にいたのは、冷たい視線をたたえたベネだった。
グレイが何かを口にする前に、ベネが地面に這いつくばるグレイに向かって何かを投げつけた。
それは、グレイの名前が書かれた木札だった。
「明日、酔いが醒めたらそれを持ってギルドのクラス相談窓口に行け」
「……は?」
突然口にされた意味の分からない言葉に、グレイは口をぽかんと開けた。
「そこで、『転職支援プログラム』が受けられるらしい」
「ベネ? テメエは、何言って……」
それが何を意味するのか理解した瞬間、殴られた時以上の屈辱に、グレイは目の前が真っ赤になるような衝撃を覚えた。
……転職、支援。
――それはつまり、盾職のオレは要らねえと……。
――今のオレはパーティのお荷物だって、テメエはそう言ってんのかよ!
激高したグレイが、立ち上がるよりも早く、
「期間は十日間だそうだ。それまで――」
ベネは地面に倒れたグレイを無視するように背中を向けて……。
「――パーティには、戻ってこなくていい」
バタン、と音を立てて、酒場の扉が閉まる。
それでもグレイは、立ち上がることが出来なかった。
「クソ!」
ガン、と地面を殴りつける。
「ふざけんな! ふざけんなふざけんな!」
酔いと身体の芯に残るダメージで動かない身体をひきずって、よろよろとその場をあとにする。
(あんなことを言われて、オレが素直に転職支援とやらを受けて、別のクラスになってまで尻尾を振って元のパーティに戻るとでも思ってるのか!?)
「終わりだ! もう、終わりだ!」
ぶつぶつとつぶやきながら、酒場から歩き去る。
パーティ結成当時からずっと入り浸っていた、パーティの思い出がこもった小さな店。
今はほんの少しでもこの場所から遠ざかりたかった。
街を歩く通行人が、グレイを避けて何かつぶやいているのが分かる。
「クソが! どいつもこいつも……」
分かっちゃいねえ!
何も分かっちゃいねえんだ!
「オレは……」
苛立ち混じりに踏み出した足が、濡れた地面で滑った。
その場でバランスを崩し、惨めに地面に倒れ込む。
「……ガッ!」
打ち所が悪かったのか、身体に力が入らない。
クスクス、という笑い声が、後ろから聞こえた気がした。
「分かってる、分かってんだよ、一番!」
地面に倒れたまま、グレイは叫んだ。
(オレはどうしようもない役立たずだ。あいつらと冒険をする価値なんてない、どうしようもないクズだ!)
だけど……。
「だけど、オレには、これしかない! 盾しか、ないんだよ……!」
※ ※ ※
ベネとゼミナとグレイ、三人は一流冒険者を夢見てこのフリーレアの街にやってきた。
なんだって器用にこなせるベネが攻撃役、魔法を使えるゼミナはヒーラーになって、力が強いことと頑丈な以外に何のとりえもないグレイは、二人を守る盾職になった。
最初のうちは順調だった。
ベネは力こそグレイにはおよばなかったが魔物の弱点を見つけるのが得意で、ちょっとした魔法を補助で使うことも出来た。
ゼミナの回復魔法はすごい性能だったし、合間に攻撃魔法を使うことで魔法しか効かない敵を倒すことも出来た。
グレイだって必死に二人の前に立って魔物の攻撃を防いできた。
ベネだってグレイに「盾役はグレイの天職だよ」と言ってくれていた。
敵の攻撃を一身に受ける盾役ってのはきついし、華のない職業だ。
だけどグレイはその役割にやりがいを感じていた。
二人とならどこまでもいけるって、そう無邪気に信じていた。
歯車が狂い始めたのは、いつの頃だったか。
寡黙だが腕のいい剣士であるケーンも仲間に加わり、グレイたちはいくつかの初級ダンジョンをクリアして、初めにベネが、それからゼミナが、次々に二次職へとクラスチェンジしていった。
その時はまだ、グレイは笑顔で二人のことを祝福出来ていたと思う。
けれど、冒険者を続けて、ダンジョン攻略を進めて、進めて、進めて、ようやく中級冒険者に手が届くほどになっても、グレイは一次職の〈ソルジャー〉のまま。
いつまで経ってもグレイは、〈ガーディアン〉にはなれなかった。
一次職と二次職、その差は少しずつ表れてきた。
防具は優先して回してもらっている。
成長だって、ほかの仲間たちと同じようにしている。
なのに、敵の攻撃をさばけないことや、後ろに敵を通してしまうことが多くなってきた。
認めたくなかった。
不器用でどんくさいグレイが二人に並んでいられるのは、この耐久力があるからだ。
(その唯一の取り柄がなくなってしまったら、オレはどうすればいい?)
ダンジョンに行かない日には、いや、行ったあとにもギルドの訓練場に行って、必死に訓練をした。
訓練の度に、成長の度に神殿に通って、〈ガーディアン〉になれないか確認をした。
だが、全ては無駄だった。
中級ダンジョンを攻略し、C級冒険者に昇格しても、グレイは〈ガーディアン〉になれなかった。
そして、ダンジョンを攻略して成長し、今度こそと神殿に向かった、その日。
ベネが、三次職の〈インペリアルソード〉になった。
グレイはその時、ベネになんて声をかけたのか、覚えていない。
酒を飲む量が、増えた。
訓練は続けていたが、明らかに以前よりも身が入らなくなった。
攻略でも二人の足を引っ張ることが多くなり、結果また酒量が増え、さらにダンジョンに身が入らなくなる。
完全な悪循環だった。
分かっていても、抜け出せない。
地獄のような螺旋の中でグレイはもがき、溺れて、そして……。
――今日、全てを失った。
壁に手をついて、よろよろと立ち上がる。
(これで、よかったのかもしれねえ……)
いつまで経っても二次職にすらなれない落ちこぼれが、あいつらの隣にいたことが、そもそも間違いだった。
(……村に戻って、別の仕事を探そう!)
そうすればきっと、今日のこともいつかは笑って振り返ることが出来るようになる。
そうだ。
オレの人生は、ここから始まるんだ。
――そう、思っていた。
――そう、思っていた、はずなのに。
グレイの足は、自然といつも通っていた場所に向かっていて。
「あ、の……」
カウンターの奥の人影に向かって、グレイは握り締めた木札を差し出しながら、震える声でこう言っていた。
「転職相談窓口、って、ここで合っていますか?」
※ ※ ※
「……あさ、か」
目を覚まして、途端に襲ってくる頭痛に、顔をしかめる。
見覚えのない景色に辺りを見回すと、どうやらギルドの仮眠室のようだ。
「そうか。昨日は……」
どうやら、泥酔してギルドに押しかけたあと、そのまま潰れてしまったらしい。
「……かっこわりい」
酔いに任せて、転職相談窓口とかいう場所に行ったのは、はっきり覚えている。
そこで職員に促されるままに、自分が盾職をやっていることや、それが思うようにいかなくて仲間に愛想をつかされたこと。
それでもどうにかしてあいつらに恩を返したいことなど、赤裸々に話したような記憶がある。
「うああああああ」
思わず、頭を抱える。
(酔っていたとはいえ、オレはなんてことを……!)
そんな風に猛省し、グレイがベッドを転げまわっていると、
「あ、まだ寝てたんですか。初日からそんなんじゃ、ダメですよ」
突然ドアを開いて、ギルドの職員の格好をした女が、グレイのいた部屋に入ってくる。
(この女、確か受付のエリナとかいう……)
現状を認識しようと必死に頭を巡らすグレイに、エリナはポン、と荷物を放り渡した。
「え? こ、れは……」
渡されたのは、明らかに魔法使いや僧侶が着るような白いローブに、得体のしれないアイテムの数々。
戸惑うグレイに、エリナは呆れた様子でため息をついた。
「何を寝ぼけてるんですか。『転職支援プログラム』、始めますよ」
「……は?」
※ ※ ※
(……屈辱だ)
それからグレイは白ローブと玩具のような三角帽子をつけさせられ、「転職支援プログラム」とやらを受けさせられることになった。
こんなみっともない格好なんて出来ない、と抗議したものの、渋るグレイに出されたのは、自分の直筆で書かされた念書。
そこには、「転職支援プログラムを受けることを了承し、どんな指示にも従う」といった内容のことが、グレイの筆跡で書かれていた。
(何やってんだよ昨日のオレぇええええ!!)
泥酔し、前後不覚になったグレイは、いつのまにかその転職支援プログラムとやらを受けることを了承していたらしい。
(みっともねえ)
しかも、訳の分からない格好でやらされたことと言えば、訓練所で「祈る」こと。
盾職である自分とはもっともかけ離れた行為に、尻の辺りがもぞもぞする。
グレイが知る限り、自身に魔法の才能は欠片もなかった。
こんなことをやっても無駄だと、心の底から思ってはいる。
(だが……)
ベネは言った。
転職支援プログラムを受けるまで、パーティに戻ってこなくていい、と。
裏を返せば、それは、プログラムを最後までやり切れば、もう一度、あいつらと……。
「クソ! 何を女々しいこと考えてんだ、オレは!」
自分がこのプログラムを受けたのは、約束をしてしまったから。
ギルドの契約を破るのは、冒険者としての死を意味する。
だから仕方なく、受けてやっているだけ。
ただ、それだけだ。
グレイは湧きあがる思いに蓋をして、ただただ祈ることに没頭した。
※ ※ ※
「クソ、こんなこと、本当に意味があんのかよ……」
朝、ギルドの仮眠室で起きて、祈ってまた仮眠室で眠る。
休憩は食事の時だけ。
(このプログラムを決めた奴はぜってえ頭がおかしい!)
そんな風に愚痴りたくなるような生活を、グレイはなんだかんだで一週間も続けてきた。
あれから七日もの間、グレイはひたすらあの不可思議な格好で祈らされ続けていたのだ。
流石にそれだけやれば、祈りのコツのようなものが掴めてきたような感触はある。
ただそれでも、自分の中で何かが劇的に変わったかと言われると、そんなことはなかった。
やっぱりこんな訳の分からない話に乗るべきじゃなかったと、後悔したその時だった。
「あれは……」
訓練場に、元パーティメンバー、ゼミナの姿を見つけた。
反射的に隠れてしまう。
(何でこんなとこにいるんだよ!)
心の中で悪態をつきながら、自分の格好を顧みる。
盾職には到底見えない軟弱な白いローブに、冗談のようなカラフルな帽子。
こんなものを着た姿をあいつに晒すなんて、死んでもごめんだった。
(くそ!)
食事のために外に出ていたのが最高に間が悪かった。
運が悪いことにゼミナがいるのは祈祷室の近く、彼女に見つからずに部屋に入ることは出来そうにない。
(いいから、もうオレの前に現れないでくれ! これ以上、オレを苦しめるな!)
グレイの願いが通じたのか、ゼミナは誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回していたが、やがてどこかに歩き去っていってしまった。
助かった、と胸をなで下ろすが、同時にグレイの胸の中では、やけっぱちな決意が燃え盛っていた。
(やめてやる! こんなこと、もう絶対にやめてやる!)
グレイは鼻息も荒く、あの受付嬢、エリナのもとに向かった。
そして、胸に満ちる不満をぶちまけようとして、
「あ、ちょうどよかった! 食堂にいないから捜しちゃいましたよ! 無事、グレイさんの受け入れパーティが決まったんです!」
「……は?」
晴天の霹靂のような彼女の言葉に、さらに翻弄されることになるのだった。
※ ※ ※
「あ、あんたらは……」
エリナの紹介でやってきた「受け入れパーティ」とやらは、グレイにとっても因縁深い相手だった。
「その様子じゃどうやら自己紹介の必要はないみたいだが、一応な。フリーレアで活動しているパーティ、〈ライバースパイル〉だ。三日って短い間だが、よろしく頼む」
B級冒険者パーティ〈ライバースパイル〉。
グレイたちとほぼ同時期に冒険者を始めたにもかかわらず、グレイたちより早くB級に昇格した期待の若手冒険者たちだ。
グレイが勝手にライバル認定していた彼らと、短い期間とはいえ、パーティを組むなんて、数日前には想像もつかなかったことだ。
いや、そもそもそれを言ったら……。
「まさか、オレが〈プリースト〉に転職させられてたなんて、な」
全く記憶にないが、泥酔していた初日のうちに、オレは自分の意志で〈プリースト〉にクラスチェンジしていたらしい。
(……まあ、考えれば分かる話か)
祈りは「精神」を鍛えるもの。
そして、「精神」が必要な職業と言えば、ヒーラーだ。
(つまり、ギルドはオレに、ヒーラーをやらせたいって訳だ)
無駄なことを、とグレイは思う。
自分にヒーラーとしての素質がないことは、天性のヒーラーだったゼミナを見ていれば分かる。
だがここまで付き合ったのだから、最後までやり遂げたいという想いはあった。
様々な思いを押し殺して、リーダーの男と握手をする。
なぜ、素人のグレイを〈ライバースパイル〉は受け入れたのか、というと、本来のヒーラーがやむを得ない事情で数日間パーティを抜けることになり、その間のピンチヒッター兼小遣い稼ぎとしてギルドからの打診を受けたらしい。
「悪いが、オレはヒーラーをやった経験はないんだ。だから……」
「大丈夫だ。その辺りの事情は全部聞いてる。相談して、少しずつならしていこうぜ」
こうして、想像以上に理解のあるライバルパーティのもとで、グレイの新しい挑戦は始まったのだった。
※ ※ ※
自分にヒーラーなんて務まるはずがない。
そう思っていたグレイの考えは、半分は正解で、半分は間違っていた。
グレイにヒーラーとしての適性はない。
使えるようになった魔法も、初歩のヒールだけ。
それも「精神」が高くないため、雀の涙のような回復量しか出せない。
……はずなのだが、ギルドから貸し出された指輪をはめた途端、グレイのヒールは熟練したヒーラーの回復魔法と遜色ないほどの回復量を誇るようになった。
(効果がありすぎて、気味がわりぃ)
思わずグレイがそう思ってしまうほどの豹変ぶりだった。
ただ、それで一流のヒーラーになれるほど、冒険者は甘くない。
状態異常を癒やす魔法は即席ヒーラーのグレイには使えなかったし、必要な場面ですぐに回復を使えなかったり、逆に回復魔法を乱発しすぎて肝心な時にMPが切れてしまうこともあった。
あの日、グレイがパーティと喧嘩別れした日。
グレイは、ヒーラーのゼミナを回復が遅いとなじったことを思い出す。
(あいつは、きちんと配分を考えて回復魔法を使ってたんだ。それを、オレは……)
後悔するが、もはや遅い。
その後もグレイはヒーラーに徹するも、やはり盾職とは勝手が違い過ぎ、ゼミナがいかにうまく立ち回っていたか、それを思い知らされる結果となった。
その日の冒険の終わり、グレイは屈辱を抑えて、〈ライバースパイル〉に自分の不出来を詫びたが、
「いや、ヒーラーがいなければ、このレベルのダンジョンに潜ることすら不可能だったんだ。君には感謝しているよ。ありがとう」
彼ら全員に、逆に頭を下げられる始末だった。
胸があたたかくなると同時に、自分の惨めさが浮き彫りになる。
(くそ! こんな出来た人たちを、オレは……)
しかし、これで手を抜くという選択肢はなくなった。
それからもグレイは彼らの冒険に帯同し、ヒーラーとして立ち回り、そして、三日目。
グレイはこのプログラムを開始してから初めて、「成長」をした。
〈ライバースパイル〉の冒険者たちはそれを喜び、冒険者流の荒っぽい流儀でグレイを祝福してくれた。
だが、だが、グレイは……。
(……最低の、気分だ)
その裏で、唇が切れるほどに強く、絶望を噛み締めていたのだった。
※ ※ ※
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!」
白いローブも、道化の帽子も、もう脱ぎ捨てた。
今、グレイの身体を支配しているのは、ただ身の内から湧き上がる怒りの感情だけだった。
「オレは、何の役にも立ってないのに! オレはただ、あの人たちの優しさにつけこんだだけなのに!」
それなのに、こうして「成長」してしまった。
まるで一端の冒険者のように、経験値を受け取ってしまった。
「お別れとお祝いを兼ねて一杯やろうか」と誘ってくる〈ライバースパイル〉に一方的に別れを告げて、グレイは駆け出していた。
ギルドは、グレイにこんな生き方を選べと言うのか。
そう思ったら、グレイはもう、いてもたってもいられなくなった。
――そりゃそうだろう、とグレイの頭にわずかに残った理性がささやく。
盾役としては失格で、ほかに取り柄のない自分が冒険者として生きていくには、どうにかして他人に寄生するしかない。
その点ヒーラーであれば、直接敵と戦わなくても問題ない。
アイテムが潤沢にあるなら、サブのヒーラーがいるなら、自分自身が不出来でもやってやれなくはないし、最低限の需要はある。
「ふざけんな!!」
だがそんなものは、グレイの考える「冒険者」ではなかった。
そうまでして自分が冒険者にしがみつきたがっているのだと、パーティに迷惑をかけてまで冒険者を続けたいと思っているのだと思われたことに。
そして何より、そんな最低な提案を受け入れた初日の自分に、グレイは心の底から憤っていた。
「あ……」
しかし、頭に血が上っていたせいだろうか。
グレイが辿り着いたのは、ギルドではなかった。
「神殿……」
そういえば、いつもは成長の度にここに立ち寄っていた。
そんな経験が、無意識のうちにグレイの足をここに向けてしまったらしい。
「……チッ」
今の自分が冷静じゃないことは、グレイにも分かっていた。
頭を冷やす意味を込めて、ここで少しだけ時間を潰そう。
そう決めると、グレイは苛立ちをぶつけるかのように、地面に足を打ち付けるようにして神殿の門を潜った。
※ ※ ※
バン、と音を立てて、酒場の扉が開く。
同時にベネが、ケーンが、そしてゼミナが、突然やってきたグレイを見て、その目を丸くする。
その光景に、自分が何の言葉も用意せず、ただ衝動のままにここに足を踏み入れてしまったことを、やっとグレイは自覚した。
「あ……」
何を言えばいいか、分からなかった。
会わなかった時期にはいくらでも思いついた言葉が、何一つ頭に浮かばなかった。
「……れ、たんだ」
だから、こそ。
グレイの心を占めていた言葉が、素直に心から漏れた。
「――オレ、ガーディアンになれたんだ!」
気付けばグレイは、かつての仲間たちに向かって、そう叫んでいた。
言ってしまってから、その場違いさに後悔する。
もう別れた仲間に、それも三次職になっている相手に、たかが二次職への転職ごときを……。
そんなネガティブな衝動に、思わず逃げ出しそうになった時、
「おめでとう! おめでとうグレイ!」
「ゼ、ゼミナ!?」
いつもは穏やかなゼミナが、グレイにしがみつくように飛びついてきた。
それだけじゃない。
「やったな、グレイ!」
いつも冷静沈着なベネが、顔全体をくしゃくしゃにしながら、グレイに近付いてきて、
「ほんとに、本当に、おめでとう! ……俺、俺さ。グレイがずっと無理して、ボロボロになっていくの、見ていられなくて、ああ、クソ! ごめん、本当は、笑ってお祝いしてやらなきゃ、いけないのに」
零れ落ちる涙を必死に拭いながら、泣き笑いみたいな顔で、グレイを祝福していた。
「…………」
寡黙なケーンは、何も言わなかった。
ただ、ニヤリと笑って、親指を立てていた。
(……そう、か)
その瞬間になって、やっとグレイは気付いた。
隠せていると思っていた悩みは、実はこいつらには筒抜けで。
見捨てられたと思ったパーティメンバーは、ずっとグレイの帰りを待っていてくれていたんだ、ということに。
「ごめん。ごめん、みんな……。ありがとう」
そして、一度自覚してしまったら、ダメだった。
グレイたちは一塊になって肩を抱き合い、子供みたいに泣き喚いた。
酒場のオヤジはやれやれと首を振って、ほかの客にはずいぶんとはやし立てられたけれど、グレイたちにはそんなもの、気にもならなかった。
再会した四人は泣いて、騒いで、祝って……。
その日は彼らにとって、最高の一日になったのだった。
※ ※ ※
それからしばらくの時間が経って……。
グレイたちのパーティは、Bランクに認定された。
グレイが転職して盾の安定感が増したというのもあったし、けれど何より、パーティのチームワークがよくなって、より安定した立ち回りが出来るようになった、ということが理由としては大きいとグレイは考えている。
(結局、職業ってのはきっかけに過ぎなかったんだ。不貞腐れて、大事なもんを見失ってたんだよな、オレは)
でもそれに気付けたのは転職が出来たから、というのもあって、なんというか、世の中って単純じゃないんだな、と思う。
あれからギルドにも行ってきたのだが、「転職支援プログラム」の目的は最初から、「グレイをガーディアンに転職させる」ことだったらしい。
グレイがガーディアンになれなかったのは、盾職として必要な「生命」が足りなかったのではなく、本来はヒーラーなどに使われる「精神」が足りなかったからだとあとで聞かされた。
グレイは生来精神の素質が極端に低く、そういう人はそれが原因で上位職になれないことがよくあるのだとか。
だから、「精神」を上げやすい装備で身を固め、訓練や成長によって「精神」を集中して伸ばすことによって、ガーディアンへと転職出来るようにしたのだ。
だったら初めにそう言ってくれれば、とグレイは思わずエリナに文句を言ったが、「内容については初日に説明を受けて、そのうえで了承されてるはずなんですが」と言われれば、ぐうの音も出なかった。
結局はグレイが前後不覚になるほどお酒を飲んでいなければ、いや、あるいはベネが言った通り酒が抜けた翌朝に窓口に行っていれば解決した問題で、原因は全てグレイにあった、という訳だ。
あれから……。
ベネとは前以上によく話すようになって、昔は興味がなかったからと任せきりだったパーティの運営や成長の方針なんかも、二人で相談するようになった。
「今まで自分一人でやってて不安だったから、助かるよ」なんてベネは言うが、ベネの知識量にまるでついていけていないのが現状だ。
これからはそういう方面でもパーティの役に立てればいいな、と勉強を始めている。
ケーンとは、あいかわらずだ。
ただ、酒の席でぽつぽつと話すことはあって、最近では、彼の故郷では名前の呼び方がこっちと逆だから、ケーンではなくシンが名前だという話を聞いた。
けどまあ、オレの中ではケーンはケーンだ、とグレイが言うと、ケーンは無言で笑っていた。
そして……。
そして、グレイのパーティの最後の一人、ゼミナだが、彼女については大きな大きな変化があった。
――〈ゼミナ・リングス〉という名の冒険者は、グレイのパーティにはもういない。
転機は、パーティがB級に昇格するほんの少し前。
ゼミナから提案を受け、グレイがそれを受けたことで、パーティの名簿は書き換えられることになった。
つまり……。
「――グレイ!」
笑顔と共にこちらに駆け寄ってくる女性に、グレイは振り返った。
満面の笑みを浮かべてグレイに手を振るその薬指には、グレイの贈った指輪がはめられている。
彼女の名は、〈ゼミナ・アール〉。
〈グレイ・アール〉のパーティメンバーにして、最愛の人。
ベネの話によれば、ずっと前からゼミナはグレイのことを想っていた、のだという。
訓練場でゼミナを見かけたのも、パーティから離れたグレイのことを心配して様子を見に来ていたから、だとか。
「まったくさ。グレイが鈍感だから、ずいぶんとやきもきさせられたよ」
とはベネの弁だ。
結婚式は、ゼミナの希望であの酒場でやることになった。
いつも仏頂面のオヤジさんと、パーティの仲間たちと、それからお世話になった人たち、あとは〈ライバースパイル〉の奴らも呼んで、小さいけれども温かい、最高の式になった。
「……ゼミナ」
「ん?」
「その、ありがとう」
心からの気持ちを伝えると、彼女はふふっと可憐に笑って、
「これからだよ」
とささやいた。
「……そうだ、な」
あの十日間をきっかけに、どん詰まりに思えたグレイの人生は、劇的に変わった。
――あの時、勇気を出して「転職相談窓口」に行ってよかった。
当時のことを振り返って、グレイは心の底からそう思った。
もし、ベネが「転職相談窓口」をオレに薦めなかったら、あるいは、その話を聞いたオレが「転職支援プログラム」を受ける決断をしなかったとしたら、絶対に今のオレはなかった。
あのプログラムを受けて、オレの人生は、ふたたび動き出した。
相談員の的確な分析と、それから利用者のことを考えた、最高の指導。
あの十日間のおかげで、オレは強さだけじゃない、様々なものを手に入れられた。
ガーディアンに転職が出来るようになったことをきっかけに、念願だったBランクへの昇格に成功して、仲間たちとの絆を確認することが出来て、最高の女性とも結ばれることが出来た。
それもすべて、「転職相談窓口」が、「転職支援プログラム」があったおかげだ。
そして、それは、何もオレに限ったことじゃない。
ギルドの「転職相談窓口」は、悩める冒険者たち全てに門戸を開いている。
こうして次に幸せを手に入れるのは、君かもしれない。
さあ、みんなも……レッツトライ!!
☆ ☆ ☆
「――という感じの漫画を作って、冒険者の家に毎月届けるんだ。絶対に宣伝効果は高いと思うし、どんなものか想像しやすいから、制度の説明にもなる。あ、ついでに『転職支援プログラム』じゃ覚えにくいから、もっとキャッチーな名前、例えば『真剣ゼミ』って名称に変えて……」
冊子まで用意して熱弁した俺の提案を、ヴェルテランは胡散臭そうに聞き流し、
「ほーん。で、そのマンガとやらは誰が描くんだ?」
そんな言葉で一刀両断した。
「というかな。もう知名度も利用者も間に合ってるって言ってんだろ! むしろ客が多すぎてパンクしそうなんだよ! 訳の分かんないことを言ってる暇があったら、自分の仕事をしてくれ!」
こうして、俺の「真剣ゼミ漫画異世界普及計画」は、日の目を見ることなく頓挫する運びとなったのだった。
クソ落ちのために一万字をドブに捨てるのたーのしー!!
あ、次からはふつーの冒険回となります