第三十五話 ラスト・アタック
溶岩洞攻略、最終回です
最初の一匹を倒してからは大きな失敗をすることもなく、オレたちは順調にスライムを狩っていった。
成長を重ねることで、MPの回復が追いつかなくなることが一番の心配だったが、それも杞憂に終わった。
戦えば戦うほど、成長すれば成長するほど次の一匹を倒すことはたやすくなって、オレたちは一度もMPを切らさないまま、戦い続けることが出来た。
(はっきりと分かる。最初の時とは、一回一回の成長の伸びが違う!)
「成長」を経験するごとに、自分が強くなるのがはっきりと感じられた。
おそらく今の自分は、この洞窟に入る前の自分とは一つ違う次元の強さを身に着けているだろう。
(それでも、このエンチャント指輪の効力を超えたって気がしないのが、悔しいところだけどな)
オレたちはダンジョンに入る前、それぞれが能力値の上がる指輪を二つずつつけている。
その効果は、あまりにもすさまじく、今までの修行がバカらしくなるほどだった。
とはいえ、エンチャントによる補正では転職条件は満たせない。
ブレイブソードの場合も指輪で装備条件は満たせるが、自力で装備条件を満たすまでは〈ブレイブレオ〉になることは出来ないらしいので、オレの修行が意味がなかったということはないそうだ。
(なんにせよ、オレたちは強くなった。だが……)
だが、だからといって、油断することはない。
いや、したくても、出来なかった。
酸を受け、バリアが壊れた時の苦しさは、まだ胸に残っている。
そしてどれだけ強くなったとしても、この障壁による防護がなければオレたちがここで戦う力がないことは、戦いを重ねるほど強く思うようになった。
(……本当に、いやらしいダンジョンだぜ)
ここが初級冒険者には向かない場所だってことは、攻略を進めていけば嫌でも分かる。
一般的な初心者冒険者を、いや、初心者用のダンジョンを制覇して調子に乗った自分たちを、想像する。
何の備えもなく洞窟に入り、出会ったスライムの鈍重な動きに安心して、「なんだこいつ、大したことないぞ」と不用意に接近していくオレたち。
その瞬間、スライムの毒の霧が吐き出される。
毒、麻痺、沈黙の状態異常のオンパレードに晒されて、それでも必死にスライムを攻撃しても、属性の乗っていない武器では歯が立たず、スライムの属性を見破ることも難しいだろう。
自然と攻撃は魔法頼り。
それでも前衛のオレたちが敵の攻撃を引き付けないと後ろが危ない。
受けた状態異常は心をむしばみ、地形ダメージがじわじわと体力を削る。
なくなっていく魔力に撤退を決めた時には、スライムの増援によって身動きが取れなくなり、鈍重なはずのスライムに逃げ道を塞がれ、そして……。
「……ラッド!」
「あ」
ニュークの声に、オレは現実に戻ってくる。
「ひどい顔色だけど、大丈夫かい? 疲れたのなら……」
「いや。ただ、オレたちが師匠と出会ってなかったら、ここを突破なんて出来たのかなって思ってよ」
オレがそう言うと、ニュークはくすりと笑った。
「なんだよ」
「いいや、本人の前ではおっさん呼ばわりするくせに、本人がいない場所じゃ師匠なんて呼ぶんだなって思ってね」
「……うるせえな」
こいつはいい奴だが、時々こうやって人を見透かすようなことを言うところが嫌いだ。
「でもまあ、それは本当にそう思うよ。僕らは師匠に恵まれた。だから……」
「分かってる」
もらってばかりのオレたちが、今、レクスに、師匠にしてやれること……。
それは……。
「……ラッド」
そこで、斥候に出ていたプラナが、戻ってきた。
「耳障りな音が、どこを歩いても聞こえない。やっぱり、ここにもう敵はいない」
「そうか。じゃあ、残りは……」
オレの言葉に、プラナはうなずいた。
「最後の通路。……その奥にいるダンジョンボス、だけ」
※ ※ ※
「属性変更、赤! 火属性です!」
マナの声に、オレは必死で振るっていた腕を止める。
(くっ! 追い、つかねえ!)
中断させてしまったアーツを惜しみながら、せめてもの抵抗に目の前の巨大なスライムをにらみつける。
――〈ヒュージレインボースライム〉。
それがこの〈七色の溶岩洞〉ダンジョンのボスであり、オレたちが必死に戦っている相手だ。
本当は、レクスからは「無理にお前たちがこいつを倒す必要はない」と言われていた。
「仮に溶岩洞の魔物を全部倒してレベルを上げていたとしても。パターン次第だが、お前たち四人でこいつを倒すのはまだ難しい」というのが、レクスの判断だった。
実際に戦ってみて、悔しいがレクスの言う通りだと思った。
この超巨大なスライムは、今までのビッグスライム戦の集大成のようなモンスターだ。
その特徴は、レインボーという名前の通り七つの属性を次々に変化させること。
一定時間経過か、一定以上のダメージを与えると身体の色が変化して、弱点属性が変わる。
属性が変化した直後はしばらく動かなくなるため、次々に弱点属性を突いて、ダメージを与え続けていれば完封出来る……はずなのだが。
「ダメだ! 〈氷進剣〉はもう使っちまった!」
「こっちも、水属性魔法は無理です!」
オレとニュークの声に、
「氷の矢、残り三!」
背後からプラナの水属性の矢が飛んできて、何とかスライムを押し留める。
ただ、おそらく今のでプラナの氷の矢も打ち止めになったはずだ。
(くそ、やっぱり地力が足りねえ!)
戦えば戦うほど、こっちの弱点が露呈していく。
まずオレの場合、技が少なくてクールタイムを消化しきれない。
今までの通常スライム戦では別属性も使うことで何とか補ってきたが、属性が一種類しかなかった通常スライムと違い、こいつは弱点が持ち回りになる。
だから違う属性の技を使ったら、その分だけ次の属性変更で技が出せなくなる。
(多少MP効率が悪くてもやっぱりほかの属性スキルを覚えておけば……ああくそ! 課題ばっかり増えていきやがる!)
悪態をつきながら、無駄だと知りつつスライムを斬りつける。
「く、〈アイスアロー〉!」
そこにニュークの放った魔法の矢がスライムの身体に突き刺さるが、巨大なスライムはまるで効いた様子がない。
しかし、それも当然だ。
魔法には、アーツのマニュアル発動のような裏道はない。
ニュークは能力値だけを上げた促成栽培の魔法使いで、その魔力に対して使用可能な魔術が少ないという弱点を、装備品で代替していた。
それが通じないとなれば、ニュークの戦力はガクンと下がる。
「氷と風は使い切った。もう撃てない」
淡々と、だが悔しそうに報告をするのは、プラナだ。
序盤において抜群の安定感を誇ったプラナだったが、オレたちの穴埋めに属性矢を使いすぎた。
そして、純粋なアーチャーであるプラナには、自力で属性攻撃を放つ手段はない。
「ホーリ……! 酸、来ます!」
その叫びに反応して、身体を横に動かす。
マナの光魔法はどんな形態にも安定してダメージが入るが、役割としては観測手の方が重要だ。
それに、やはり弱点属性ではなく、本職の魔法使いでもない以上、火力には欠ける。
そして、全員に共通する問題が……。
「くそ! 魔力が……」
――MP切れ。
今までは戦闘の一回が比較的短く、レベルアップによってMPが補填出来たため、ずっと戦い続けていられた。
だが、このボスとの戦いでは、当然ながら途中で休憩もレベルアップも挟まれない。
当然ながら、オレたちのMPは、底をつき始めていた。
そして、ついに……。
「ラッドくん! もう、時間が……」
言われて、オレはギリ、と歯を食いしばった。
《――五分だ》
と、あの時レクスは言った。
《ボスと戦ってもいいが、お前たちが全力で戦えるのはせいぜい五分間。それが、タイムリミットだ》
その言葉の意味は、痛いほど分かる。
長時間の戦いが出来るほどオレたちのMPは潤沢ではないし、戦いに慣れていないオレたちは、そんなに長い時間集中はしていられない。
(分かってる! 分かってるんだよ、それは!)
だけど、オレは、オレたちは、どうしてもこのボスを倒したかった。
もちろんこいつを倒せばオレたちはまた成長するだろうし、依頼の報酬だってもらえる。
でも、そんなのは大して意味があることじゃない。
オレたちはこれからきっと強くなるし、そうしたらこの一回の依頼の報酬くらい、大した差ではなくなるだろう。
だからここでオレたちが逃げ出しても、オレたちは別に損はしない。
ボスを倒せなくても、〈七色の溶岩洞〉で戦っていくつかの依頼を果たしたというだけですごいことだし、オレたちをバカにする奴らもいなくなるだろう。
(――でも、それじゃダメだ!)
この一ヶ月の訓練の間、オレたちは散々陰口をたたかれた。
無駄なことをしている、とか、かわいそう、とか、面と向かって言われたことだってある。
だけど、一番つらかったのは、レクスのことをバカにされることだ。
オレたちは、いい。
だって自分が強くなっていることなんて、自分が一番よく分かってる。
誰に何を言われたって、耐えられた。
だけど、レクスに対してだけは、違う。
こんなにたくさんのものをもらったのに、こんなにすごいことを教えてもらったのに、なのに周りは「無能」だの「ペテン師」だと言って、あいつのことをバカにする。
だから……。
(オレたちが、それを変えるんだ!!)
難しいダンジョンから生きて帰ってきたとか、ちょっとした依頼をこなしたとか、それはすごいことだ。
だけどこの悪評を一気に覆すには、きっとそれじゃ足りない!
(オレが、オレたちがボスを倒して、あいつに恩返し、するんだ!)
なのに……。
叫ぶ心と裏腹に、身体は重く、敵はあまりにも強大だ。
心が折れそうになった時、ふと、横を見た。
「……あ」
その時、自然と仲間たちと目が合った。
その瞬間、オレたちの心は、完全に一つだった。
言葉には出さずとも、みんながみんな、同じことを叫んでいた。
(――諦めたくない!)
と。
唇が、吊り上がる。
「……緑、だ」
「え?」
驚いた顔の仲間たちに、オレは告げた。
「攻撃をやめて、奴が緑に、火属性弱点になるのを待つ」
「待った! あいつは自己再生で、待っていると体力が……」
叫ぶニュークを、片手をあげて制す。
「分かってる。だけどオレたちのMPは残り少ない。やみくもに攻撃を続けてMPを無駄にするよりはマシだ」
「それは……」
「奴が火属性弱点になった瞬間、タイミングを合わせて三人で火属性攻撃をぶち込む。属性が変わる前に、一気に片を付けるんだ」
もちろん、弱点攻撃が当たれば、すぐに属性は変わる。
タイミングがずれて属性変更がなされてしまえば、オレたちの攻撃は無駄に終わってしまうだろう。
「次に、緑が来るって保証は?」
「祈ろうぜ」
あっさりと言うと、ニュークは脱力したような笑みを漏らした。
その間も噴きつけてくる煙をいなし、飛び散る酸の雨を避け、オレたちはじっと「その時」を待った。
そして、ようやく奴の色が変化する。
その、色は……。
「――緑!!」
叫びが、重なった。
「ラッドって、たまに持ってるよね」
ニュークの呆れたような声に思わず笑みがこぼれるが、喜んでばかりもいられない。
これが正真正銘、最後のチャンスだ。
「カウント五で一斉に攻撃する! マナ!」
「……五!」
オレの意を瞬時にくみ取ったマナが、カウントを取る。
「……四!」
プラナと視線を合わせ、彼女が火属性矢の束を手にするのを見届け。
「……三!」
ニュークが顔を歪めながらも、真っ赤なロッドを宿敵に向け。
「……二!」
そしてオレも、二人に負けじとボスに向かって一気に駆け出し――
「――五分経ちましたので、倒してしまいますね」
その声が聞こえてきたのと、オレの横を風が駆け抜けたのは、ほぼ同時だった。
「え……」
その風が、今までずっとオレたちを背後から見守っていた「五人目のメンバー」だと気付いた時には、もう彼女はボスのもとに辿り着いていた。
レシリアの右手に閃くのは、王の風格漂うメタリックな色の剣。
ヴェルテランたちと戦った際にレクスが装備していたその剣を、真っ赤な指輪が二つはまったその手に握り締め、
「――〈紅蓮覇撃〉!」
赤い残光を纏い、妖精が舞う。
灼熱に燃えるその一撃は、スライムの身体を吹き散らし、奴はたまらずその色を土色に変えた。
「――〈雷天翔〉!」
雷光を纏って、妖精が舞う。
スライムの身体が震え、その身体が赤色に変わる。
「――〈氷威連斬〉!」
氷を纏って、妖精が舞う。
スライムの身体が震え、その身体が青色に変わる。
「――〈地烈破陣〉」
妖精が舞い、地が割ける。
オレたちがあれほど苦戦した強敵とは思えない、まるで訓練場の案山子のように棒立ちのスライムに、同情心すら湧いてくる。
当然のように、またスライムの色が変わって……。
「……あ」
そこで思わず、声が漏れた。
スライムの色が青から無色に、「物理弱点」へと変化する。
そしてそれが、終わりの合図だった。
「――〈冥加一心突き〉!!」
誇らしげな響きと共に、レクスの得意技でもある一撃必殺のアーツが、色のないスライムの身体に炸裂する。
何かが破裂する音と共に、スライムの飛沫がダンジョンの奥に飛び散って、そして……。
……それが、戦いの終わり。
動かなくなったボスから飛び出した光がオレたち全員の左手に吸い込まれ、成長の予感と共に、傷ついた身体をも癒やしていく。
戦闘終了だ。
ただ……。
「……え、ええと」
あまりにもあんまりな幕切れに、オレたちは動けなかった。
い、いや、今回レシリアは〈ブレイブ・ブレイド〉のパーティメンバーに入っていたし、むしろレベルだってオレたちよりも低いくらいだし、手続き上は全く問題はない。
きっとこれでレクスの悪評も払拭出来るし経験値も手に入った。
だから何も悪いことはない。
ない、んだが、その、なんか、えぇぇ……。
「……さて」
レシリアが静かに剣を振るって振り返る。
オレたちが思わずビクリと背筋を伸ばす中、彼女はその目に魔物を屠った時以上の熱を込め、断固とした口調で言ったのだ。
「もう二時間四十分も兄さんを待たせています。一刻も早く戻りましょう!」
その時、自然と仲間たちと目が合った。
その瞬間、オレたちの心は、完全に一つだった。
言葉には出さずとも、みんながみんな、同じことを叫んでいた。
(――こいつやっぱり、ブラコンじゃないか!!)
と。
最後の一撃は、せつない。