第三十一話 孤高の冒険者
「――ヴェルテランさん! 大変です!」
俺が仲間と一緒に酒場で一杯やっている時に飛び込んできたのは、ギルドでよく見たことのある、若手冒険者だった。
「落ち着け。ゆっくりでいい。順を追って話せ」
「は、はい。実は……」
酒場に駆け込んできた彼の話によると、話題のA級冒険者レクスが、彼の育てている新人パーティを引き連れギルドにやってきたそうだ。
そして、あろうことか新人たちに〈七色の溶岩洞〉の依頼を受けさせて街の外に出て行ったらしい。
「あんの、バカ野郎が!!」
俺は憤りのあまり、ジョッキをテーブルに叩きつけた。
「お、おやっさん!」
隣に座っていた魔術師のジュークと盗賊のレーンが慌てて俺を止めるが、俺の怒りは収まらない。
いつか、こんな時がやってくるんじゃないかと、恐れてはいた。
――〈孤高の冒険者〉レクス。
仰々しい名前と経歴を持ったあの冒険者は、一言で言えば「経歴に中身の伴わないペテン師」だ。
この一ヶ月、俺は俺なりにあの男の行動を見定めてきた。
確かに、アースの街が滅んで、ここにやってくるまでの逃避行には、見るべきものがあった。
死ぬような怪我を負いながら息を殺し、油断した悪魔を一刀両断。
そんな逸話を聞いた時には、アースの一件は不幸だったが、この街にも骨がある冒険者がやってきてくれたな、と喜んだものだ。
だが、その最初の思い込みは間違っていたと、俺はすぐに思い知らされる。
俺たちと同じA級の冒険者だという触れ込みであるのに、ただの一度もダンジョンを攻略しようともしない。
新人たちには過酷な訓練を課しながら、自分はそれを眺めるだけ。
大金をばらまいてゴミのようなアイテムを集めて、冒険者たち相手に人気取り。
果てには集めたゴミアイテムを新人たちに身につけさせ、それを見て笑っている。
〈孤高の冒険者レクス〉の勇名は知っていただけに、俺は大いに失望した。
もういっそ、外見はそのままに、中身がそっくりそのまま別人と入れ替わったんだ、と言われた方がまだしっくりと来るほどだ。
それに、実際に会ってみて、分かった。
一流、あるいは超一流と呼ばれる人間には、彼らなりの覇気、オーラと呼べるような雰囲気が、必ずある。
しかし、そのレクスと呼ばれる男の身にまとう雰囲気は、まるで一般人そのもの。
俺の威圧に対してもすぐに尻込みし、胆力においても見るべきところはない。
少なくとも、何度も死線を潜った歴戦の冒険者とはとても思えなかった。
(考えてみれば、奴の経歴自体がすでにおかしかったんだ)
そもそも、冒険ってのはパーティでやるものだ。
戦士、魔法使い、盗賊、僧侶。
それらの仲間の力が一体となって、やっと困難な依頼を達成出来る。
どんな努力を重ね、どんなトリックを使おうが、たった一人でその全ての役割をこなす冒険者など、存在するはずがない。
残念ながらおそらくレクスという男は、ここに来る前からとんでもない詐欺師だったってことだろう。
(溶岩洞の依頼は、あまり人気がない。どうにかして達成させれば自分に箔が付くとでも考えたんだろうが……)
確かに素人が見れば、採取依頼などは実力がなくても運がよければ達成出来るのではと思うかもしれない。
だが、あのダンジョンはそんな生易しい場所ではない。
このままでは、彼はともかく、彼が指導しているパーティは全滅することにもなりかねない。
(冒険者同士の刃傷沙汰はご法度。だが……)
気が付くと、俺は愛剣を手に、席を立っていた。
「悪いな、レーン、ジューク。これから、俺は……」
だが、口にしかけた言葉は、二人の仲間からさえぎられた。
「はぁ、あいかわらず、水くさいですよ」
「わりいけど、こっちは何があってもおやっさんについていくって、ずっと決めてるんでね」
「お前ら……」
明確に犯罪を犯したわけでもない相手を、無理矢理に止めようというのだ。
下手を打てば、ギルドからの降格処分、いや、除名を受けるかもしれない。
だというのに、レーンもジュークも、全くためらわずに、俺についてきてくれようとしている。
――俺は、仲間に恵まれた。
いつだってそうだ。
〈不死身のヴェルテラン〉〈フリーレアの街の守護者〉だなんて持ち上げられてはいるが、俺はいつも周りの奴らに助けられてきた。
俺が「不死身」でいられるのは、こいつらのおかげだ。
だから……。
「行くぞ! 今回も、お前たちの力、存分に使わせてもらう!」
今回も絶対に、誰も死なせねえ!
※ ※ ※
街の門衛から、レクスたちがすでに溶岩洞に向かって出発したことを聞いた。
だが幸い、出発からそう時間は経っていないようだ。
これなら十分に追いつける。
「いいか二人とも、今回はレクスって奴の化けの皮を剥いで、ヒヨッコ共の目を覚まさせるのが目的だ。出来れば相手に傷をつけるな」
「分かってるよ。レクスって野郎をやるのに、ヒヨッコ共まで巻き込んじまったら本末転倒だってんだろ。狙うのはレクスの野郎だけに……」
「違う! レクスも含めて、出来るなら怪我をさせるなって言ってんだよ!」
殺したり殺されたり、行くとこまで行っちまったら、憎しみの連鎖が始まるだけだ。
どちらかがでっけえ怪我を負っても、そこには深い遺恨が残るだろう。
……だが。
青くせぇ考えかもしれねえが、冒険者って奴は単純だ。
全力で殴り合ったら、互いにダチになれるって俺は信じている。
「強さが正義だなんて、俺は思わねえ。だけど、冒険者って奴はどうしたって強え奴に憧れる、バカな生き物だからよ……」
今は道を踏み外しちまってるかもしれねえが、あいつだって冒険者だ。
俺たちが圧倒的な力で、あいつを無傷のまま降参させられたら……。
(あいつを心服させて、正しい道に戻すことだって、出来るかもしれねえ!)
「だけどよ……」
「分かってる」
言うは易く行うは難し。
無傷で相手をやり込めるのは、単純に相手を打ち倒すよりはるかに難しい。
たとえあいつにA級の実力がないにしても、冒険者として無能ってわけじゃないだろう。
おそらく殺す気でかかってくるだろう相手に対して手加減をして挑むなんて、自殺行為かもしれない。
「――だけど、それをやってこその、A級冒険者だろうがよ!」
かつて俺が憧れた冒険者は、かつて俺が目指した冒険者は、不可能を可能にする存在だったはずだ。
決意の目で二人を見ると、俺の頼もしい二人の仲間は、にやりと笑っていた。
「まあ、あなたならそう言うと思ってましたよ」
「へへっ。ま、それでこそ、だよな」
その反応に、「からかうんじゃねえよ」と言葉を返して、俺たちは矢のように野を駆けた。
街の近くの、魔物もいない場所だ。
当然ながら、レクスたちはすぐに見つけられた。
だが……。
「あの野郎……!」
その格好を見た瞬間、怒りで視界が真っ赤に染まった。
レクスが連れているヒヨッコたちが身に着けている装備は、見たことがある。
訓練でも身に着けていた、ゴミ装備。
どれも着けているだけで動きが阻害されるような、劣悪品だ。
確かにあんなものを着けて訓練すれば、少ない運動でも訓練をした気分には浸れるだろう。
だが、百歩譲って訓練に使うのはありだとしても、ダンジョンに着ていくべきものじゃない!
自分の中の理性が、ぶちぶちと音を立ててちぎれていくのが分かる。
気付けば、俺は小声でジュークに指示を出していた。
「ジューク! あいつらの足元だ! 一発ぶちかまして、奴らの度肝を抜いてやれ!」
※ ※ ※
「悪いがここは、通行止めだ。横紙破りは承知の上。だが、自惚れ屋の勘違い野郎のせいで、若い奴らが無駄死にするのを見過ごす訳にはいかないんでな」
ジュークが〈フリーズレイン〉の魔法で氷の矢を雨と降らせて奴らの足止めをした後、俺たちはレクスたちの前に立ちふさがった。
対する彼らの反応は、というと、各人各様だった。
だが、どんな反応にせよ、内心の怯えと戸惑いを隠せていないヒヨッコ共の中で一人だけ、矢のように鋭い視線でこちらを射抜いている女がいる。
(あれは「強い」な)
単純に能力が、ということではなく、その心が、強い。
それこそ、ほかにはないオーラを感じる。
彼女は、まるで子供を守る母猫のようにレクスをかばおうと前に出て、しかし、それをレクス本人に止められる。
(なんだ……?)
肝心の黒尽くめの冒険者、レクスは、神経質そうに右手を左手でさすりながら、俺たちを見ていた。
ビビッて声も出ないか、と思ったが、どうも様子がおかしい。
「ヴェルテラン、レーン、ジュークか。やはり、ほかの二人は知らないな」
知らないな、と言いながら、はっきりと名前を言い当てる。
そのことに、俺は言い知れぬ不気味さを感じた。
「さっきの魔法を使ってきたのは、ジュークか。ふぅん、スカウト系から魔法使いへの転職組か」
「なっ」
思わず、口から驚きの声があがる。
確かにジュークは駆け出しの頃、スカウト系の職業をやっていたことがある。
本職のシーフであるレーンが入ったことで魔法使いになったが、なぜそれをレクスが知っているのか。
「敏捷に関しては大したものだ。集中だって、レベルを考えたら及第点だろう。ただ……」
そこで、彼は目の前、時間経過で消えていこうとする、ジュークの放った氷の矢を見つめて、笑った。
「――魔力が全く、足りていない」
その瞬間の怖気を、なんと表現したらよいだろう。
気付けば俺は、なりふり構わずに振り返り、二人に向かって叫んでいた。
「レーン! ジューク! 奴が何か……」
「要は、力を示せばいいのか?」
しかし、その警告は遅かった。
レクスがゆっくりと右手をかざし、その指にはまった三つの指輪が鈍く光ったと思った瞬間、
「――〈フリーズレイン〉」
詠唱と共に、空から氷の「槍」が降り注ぐ。
暴力的なまでの大きさと速度の氷槍が俺たちの目前に次々と突き刺さるのを、ただ呆然と眺めていた。
「バカ、な。杖もなしに、こんな……」
震えた声のジュークの言葉に、俺は気付いた。
この魔法は、ジュークが唱えた〈フリーズレイン〉、「無数の氷の矢を降らせる魔法」で間違いはないはずだ。
それが、術者が違うだけで、これほどの威力の差を生むとは……。
「クソ! あいつが魔法使いだなんて情報は、どこにもなかったぞ!」
悪態と共に、もう一人の仲間、レーンが素早く動く。
その動作が彼の得意技が放たれる合図であることは、一瞬で見て取れた。
「レーン!!」
「ダメだおやっさん! あいつは今仕留めないとやばい!」
今まで数々の難局を乗り切ってきたレーンの言葉に、一瞬俺の動きが鈍る。
対して……。
「レーンか。速度はなかなかだが、成長が敏捷に寄りすぎている。それじゃ、宝箱もろくに開けられないんじゃないか?」
その標的とされている黒尽くめの冒険者は、黄金に輝く指輪を撫でながら、呑気な講釈を述べていた。
それが最後の一押しになったのか、レーンはついに、攻撃を断行する。
「出し惜しみはしねえ! 食らいやがれ!」
「バカ野郎! 後ろには……」
慌てて制止の言葉を投げかけるが、間に合わない。
レーンの右手が、閃く。
――〈ナイフショット〉!
極まった技術を持つ盗賊職であるレーンの投擲は、たった一度の動作で二本のナイフを投げることを可能にする。
まさにベテランの冒険者だけが使える神技により、全く同時に投げ放たれた一撃必殺のナイフは、
「――〈ナイフショット〉」
黒尽くめの冒険者から放たれた、四つのナイフによって、あっさりと弾かれた。
そして、投擲を行った直後で、身動きの出来ないレーンにそのナイフを避ける術はなく、
「レーン!」
俺の目の前で、レーンは四本のナイフをその身に受け、倒れた。
慌てて助けようとするが、
「これは……」
四本のナイフは、全てレーンの身体を傷つけることなく、その服と影に突き刺さって身動きを封じていた。
それが〈影縫い〉と呼ばれる盗賊職の技術だと、俺は思い出す。
(冗談じゃねえぞ。あの咄嗟の場面で、そこまで考えて……)
思わず立ちすくんだその一瞬こそが、隙だった。
「おやっさん! 後ろ!」
レーンの警告に、ハッと我に返る。
振り返ると、そこに奴はいた。
「――〈疾風剣〉」
二人の間に横たわる、はるか数メートルの距離を、黒尽くめの男は一瞬で詰める。
奴の剣が閃き、その右手にはめられた指輪が赤く輝く。
その瞬間、俺は死を覚悟した。
しかし、レクスの一撃は空を切り、俺の目前一メートルほどの場所を無為に薙いだ。
目測を違えたのか、だとしたら……。
「――〈オーバーアーツ〉」
だが、そのつぶやきを耳にした瞬間、俺の背中を特大の悪寒が走った。
向こうは片手剣を持ったバランス型の冒険者。
こっちは近接一筋で生きてきた両手剣持ちの戦士だ。
理性は、押し負けるはずがないから叩き斬れ、と叫び。
しかし本能は、今すぐに剣を盾にして身を守れ、と絶叫していた。
「ちき、しょう!」
結局俺は、気付けば気圧されたように後退し、自慢の大剣を盾代わりに身体の前に構えていた。
――〈剛剣リボルト〉。
三年前に偶然見つけたこの剣は、それからずっと俺の相棒だった。
無数の悪魔に取り囲まれ絶体絶命に陥った時も、亜竜と一対一で死闘を繰り広げた時も、俺はこの剣一本で難局を打ち破ってきた。
(――負け、ねえ!)
どんな攻撃が来ても、それを受け切ってから、力勝負に持ち込む。
速度では敵わずとも、単純な腕力でなら俺に分があるはずだ。
一瞬でそこまでの計算を終えた俺は、レクスの斬撃を受け切る覚悟を決めて、衝撃に備える。
だが……。
想像していた衝撃は、なかった。
なぜなら、奴の剣が閃いたその先に待っていたもの。
それは、ひどく冷静な目で俺を見つめる黒尽くめの冒険者と、
「……は?」
刀身が根元から斬られた自分の大剣だけだったのだから。
To Be Continued→