第十五話 孤高の訳は
「――もう一度、尋ねます。『あなた』は誰ですか?」
レシリアの視線と剣は、俺の額にピタリと照準をつけていた。
夜更けの高級宿の一室に、緊迫した空気が流れる。
「いきなり、何を……」
「とぼけないでください。私が、実の兄のことを見分けられないとでも?」
緊張の下に、静かな怒りを隠した口調。
一切の言い逃れを許さないその気迫に、俺は鼻白んだ。
「それ、は……」
目の前、レシリアの持つ剣に力が込められたのが分かる。
言葉に詰まったことが、どうやら彼女に確信を与えてしまったようだった。
「……分かった。全部話そう」
ここで俺は、観念した。
やけくそになった、ということでもない。
元々、隠すつもりはあったが、隠し通すつもりはなかった。
俺はお人好しでも聖人君子でもないが、肉親のことを知りたがる相手に嘘をつくほど腐っちゃいないつもりだ。
ただ、覚悟しろよレシリア。
「まず、俺はレクス・トーレンであって、レクス・トーレンじゃない。俺が生まれたのはこことは違う世界で……」
こうなったなら一蓮托生。
悪いがこの秘密、お前にも背負ってもらう。
※ ※ ※
俺はレシリアに、洗いざらいをぶちまけた。
色々と誤魔化すことも出来たが、その必要は感じなかったのだ。
転生のことだけじゃない。
このままだと悪神が蘇って世界が滅ぼされるであろうことも、俺がこれからどうしようと思っているか、それから、彼女の故郷、アースの街が魔物の手に落ちてしまったことまで、隠さずに話した。
「……そう、ですか」
全てを聞いたあとの彼女が怒るのか悲しむのか、俺はいくつものパターンを想定していたが、彼女は静かにそうつぶやいただけだった。
ショックを受けていない訳ではないようだが、あまりの反応の薄さに戸惑ってしまう。
「俺が嘘をついているとは、思わないのか?」
こらえ切れず、つい自分からそう聞いてしまった。
レシリアはその質問になぜかうなずいて、感心したように言った。
「その反応は、とても『らしい』ですね」
どういう意味か分からず眉を寄せると、補足してくれる。
「教会で『審理の裁定』を受ければ、全ての嘘は明らかになります。ですから、この世界の人間はその場しのぎの嘘が無意味であることを知っています」
「……なるほど、だから、『らしい』か」
俺が「審理の裁定」を知らない異世界の人間か、もしくはそういう演技をしている、と思われた訳だ。
事実、俺はゲームの設定としての「審理の裁定」は知っていたが、それをこの場面で生かすという考え方は全く持っていなかった。
俺はゲームでブレブレの世界を知っているが、あまり攻略と関係ない部分について言えば、知識に穴があるのは認めざるを得ないのかもしれない。
「それに、本当に『あなた』は、レクス……いえ、兄のことを、何も知らないんですね」
「どういう、ことだ?」
レシリアは、少しだけ遠くに視線を向けてから、素っ気なく言った。
「私が兄と最後に会ったのは、もう十年も前のことなんです」
「え……」
予想外の返しに、俺は言葉を失った。
「兄は十年前、突然全てを投げ出して家を飛び出し、冒険者になりました。その時は周り中大騒ぎで、大変だったんですよ。……魔物が襲ってきた時も、私は兄が街に帰っていることだけしか知りませんでした。だから、必死に聞き込みをして、東の門に向かったんです」
「ま、待てよ。じゃあさっき、実の兄を見分けられないはずがない、みたいに言ってたのは……」
「もちろんブラフです。でも、間抜けは見つかったみたいですね」
レシリアは悪びれもせずにそう言い切った。
「だから、別人が兄の中に入っている、と言われても、何を思えばいいか分からないんです。だって、私にも兄のことは分かりませんから」
「それは……」
なんと言っていいか、分からなかった。
ブレブレの人気キャラ、〈孤高の冒険者レクス〉。
圧倒的な人気に対して、彼について知られていることは少ない。
なぜなら、彼は……。
「でも、一つだけ、聞かせてください。……兄は、あなたの世界の『物語』の中での〈レクス〉は何をしていましたか?」
その質問に答えるのには、ためらいがあった。
だが、全て聞かせると決めたのは、俺だ。
話すことをまとめながら、俺はゆっくりと口を開いた。
レクスは序盤のお助けキャラだ。
序盤だけは強いが、だんだんとその強さにも陰りが見えてくる。
そしてそれだけじゃなく、彼とは「明確な別れ」が用意されている。
「レクスは、『主人公』がある程度成長すると、『俺にはやることがある』と言って、必ず主人公のもとを離れるんだ」
その条件とは、ゲーム開始から一年が過ぎるか、あるいは主人公たちが「闇深き十二の遺跡」のうちの一つを踏破するか。
どちらにせよ、レクスは確定でパーティから姿を消す。
そして……。
「それ以降、彼が『主人公』の前に姿を現すことはない。ただ……」
言いよどむ。
救いを求めるようにレシリアを見たが、彼女は目を逸らすこともせずに、俺を見ていた。
「ただ、なんですか?」
「……廃墟になったアースの街の城に行くと、その奥に、黒尽くめの服を着た死体が見つかるようになる」
おそらく、「レクス」の言う「やるべきこと」とはアースの街の奪還か、それに類することだったのだろう。
ただその結末は、あまりに残酷だ。
ブレブレが誇る〈孤高の冒険者〉は、本当に孤高のまま、その生涯を終えることになる。
「……そう、ですか」
レシリアは、そう言ったきり、しばらく動かなかった。
だが、
「……話していたら、喉が、渇きましたね」
「は?」
唐突に顔を上げたかと思うと、呼吸を外すようなタイミングで綺麗なガラス瓶に入った水を取り出して、コクリコクリと飲み出した。
突然の奇行を呆然と見つめる俺に、何を思ったか、
「……どうぞ」
と差し出してくる。
「い、いや……」
「大丈夫ですよ。毒ではないですから」
俺は固辞しようとしたが、勢いに押し切られて受け取らされてしまった。
流されるままに、恐る恐る口をつける。
……いたって普通の水だ。
「よかったです」
俺が水を一口飲んだのを見届けて、彼女は微笑んだ。
何がそんなに嬉しいのか、と俺は思ったが、
「それ、聖水なんです」
「は?」
彼女はしれっとそう言い放った。
「悪魔の中には人に憑りつくものもいるらしいので」
「お、まえ……」
要するに俺に悪魔が憑りついていないか疑っていたってことだろう。
「念のために、です。それに、あなたがあまり警戒心のない人柄というのも分かりました」
淡々と、とんでもないことを言う。
ゲームの印象から健気な一般モブかと思ったら、この子はだいぶ食わせものらしい。
彼女はしばらくジッと俺を見ていたかと思うと、うん、とうなずいた。
「……決めました。しばらく、あなたについていかせてください」
「なっ」
唐突な提案に、俺は驚くことしか出来ない。
「あなたが誰であるかはともかく、身体は兄のものです。放っておく訳にはいきません」
「い、いや、それはそう、なんだろうが……」
「あなたはこの世界の一般常識には疎いようですし、事情を知っている人間が傍にいるというのは、あなたにとっても好都合なはずです。それに、トーレン家は武門の家です。戦いでもお役に立てます」
淡々とまくしたててくる。
その眼光からは梃子でも動かないという強い意志が窺えるが、こちらもそれにはおいそれとうなずく訳にはいかない。
「待ってくれ! それとこれとは話が別だ。少なくとも、戦いについては強さが分からないと何とも言えない」
少なくとも、ガーゴイルに勝てないことは分かっている。
そもそもレシリアは最序盤のイベキャラで、碌な設定がされているかも怪しい。
仮とはいえ、血縁者を放り出すつもりはないが、戦えない人間を戦闘に駆り出す気は俺にはない。
「とりあえずレベルを、いや、まずは詳しいステータスを教えてくれ。その上で、今後のことを話し合おう」
俺はそう言い募ったが、レシリアの反応は奇妙なものだった。
その顔に浮かんだのは、納得でも、反発でもない。
彼女はただ、俺と会って初めて見せるかもしれない困惑をその顔に貼りつけて、言ったのだ。
「――その、レベルやステータスというのはなんでしょうか?」
……と。