プロローグ
気が付けば、ダンジョンに剣と盾を持って立っていた。
「……へ?」
思わず、手に持った剣を二度見した。
それはいかにもゲームでよく見るような両刃の西洋剣で、磨き抜かれた鏡のような煌めく刀身に、柄頭には獅子の装飾なんぞついていてとてもカッコいい。
とてもカッコいい……が、そんな場合ではなく。
「え? なんだこれ? え?」
俺は普通の会社員で、少なくとも今までの生涯において、剣だの盾だなんて物騒なものと縁があった覚えはない。
それに、いま俺が立ってるこの場所……。
一見自然にくりぬかれた岩肌を持つ洞窟だが、要所要所に怪しげな壁画が描かれ、謎の光源によって探索に差し支えない程度の明かりが確保されている。
いや、そこまでならギリギリどっか秘境の遺跡なんじゃと言い訳出来なくもないが、何より決定的なのはあの通路の奥に見える蓋の開いたドでかい宝箱。
「完全に、ゲームのダンジョンじゃねえか!」
叫び声が、無意味に洞窟に反響する。
意味が分からない。
本当に、全く、意味が分からない。
(待て! 待てって! 俺は確か、昨日は……)
特に、変わったことのない一日だったはずだ。
ルーチンワークのように仕事をこなして、いつものように会社を出て、それから……。
そうだ。
駅に出る道の信号に捕まって、スマホで時間を潰していたら、面白い記事を見つけたんだ。
「――歴史に埋もれた名作RPG〈ブレブレ〉を徹底解剖――」
俺が学生だった頃にハマっていたRPG『ブレイブ&ブレイド』、通称ブレブレ。
社運をかけたビッグタイトルとして作られたものの、様々な要因で鳴かず飛ばずで終わった悲劇のゲーム。
懐かしさに惹かれた俺は、一も二もなくそのリンクを押した。
『「ブレブレ」を全力で楽しむ五つのポイント』
『時を越え再評価された奥深いマルチシナリオ・マルチエンディング』
『ヒストリージャンクションシステムで自分だけの歴史を紡げ!』
『本能と知略が激突するリアルタイム剣戟バトル!』
『フェイタルイベントでお気に入りキャラを救うには?』
『やり込み地獄!? 充実の追加要素と変更点』
画面いっぱいに開かれるウェブページと、踊る文字。
見出しだけでも胸をうずかせる、懐かしすぎるフレーズの数々。
その下にゲームでも人気だったキャラクター、〈光の王子アイン〉と〈孤高の冒険者レクス〉が手をぶつけ合っているイラストを見つけて思わず笑みをこぼして、でもそこで、隣で信号を待っていたセーラー服の女の子が動き出したのを視界の端で捉えて慌ててスマホをしまって……。
――真っ白に光る車のヘッドライト。
――横断歩道で硬直する制服姿の女の子。
――「危ない!」という誰かの悲鳴。
「……そう、だよ」
どうして、忘れてしまったんだろう。
懐かしいもんを見て、高揚していたせいだろうか。
俺は柄にもなく、女の子を助けようと道路に飛び出して……。
――そこで、車に轢かれて死んだんだ。
女の子をかばった瞬間に、視界は一瞬で吹き飛んで。
何が何だか分からないうちに、俺の身体は地面に転がっていて。
暗い、とか。
あの女の子助かったかな、とか。
どうせならもう一度ブレブレをやっておけばよかったな、とか。
そんな、どうしようもなく、どうしようもならないことを、考えて。
そして、それから……。
真っ暗な世界に、火が、灯って……。
《――そのねがい、聞き届けたり》
遠い……遠い場所から、声が――
「――ギャッギャッ!!」
水を差すように背後から聞こえた現実の声に、俺は我に返る。
「な、なんだよ! 今度は……」
恐る恐る振り向いて、その正体に気付いた瞬間、俺は硬直した。
洞窟の奥から出てきたのは、明らかに人間ではありえない緑色の肌をした小人。
「……ゴブ、リン」
足が、すくむ。
ゴブリンなんてのは、大抵のゲームでは最弱に近い魔物で、プレイヤーにとっては単なる獲物だ。
怖い、なんて思ったことはないし、むしろ経験値になるからと積極的に倒そうとすらしていた。
だが……。
アニメやゲームの中でだけの存在だと思っていたそいつが、汚らしい歯を剥き出しにして、粗末なこん棒を片手に、濁った黄色の瞳に卑しい光を宿して俺を見ている。
その圧倒的な存在感を前に、俺は完全に震えあがってしまった。
「う、ぁ……」
緊張に、息が詰まる。
手に持った剣や盾が、急にとても重いもののように感じる。
逃げなければ、と思うのに、足が動かない。
「ギ、ィ」
そんな俺を、ゴブリンが嘲るように笑う。
そして、ブオン、と右手のこん棒を一振りすると、その身体に似合わぬ速度で飛びかかってくる。
「う、うあああああ!」
ゴブリンの醜悪な顔が迫り、勝利を確信したゴブリンが、自身の武器を大きく振り上げる。
冗談じゃなく、「死んだ」と思った。
だが……。
現実に起こったのは全く逆の事態だった。
「ギャッ……ァ?」
ゴブリンが剣の間合いに入ったと思った瞬間、身体が自然と動いていた。
後ろに、ではなく、前へ。
まるで長年訓練し続けた動きを、忠実に再現するように。
こん棒をかいくぐるように一歩を踏み出すと、俺は右手に持った剣を振り抜いて、ゴブリンの頭を両断していた。
「――え?」
力を失い、地面にどう、と倒れる小人の身体。
持ち主を失ったこん棒が、地面に跳ね返って転がる。
何が起こったのか、呑み込めなかった。
ただ呆然と、立ち尽くす。
「おれ、が、やったのか?」
当然ながら、俺に剣の心得なんてない。
こんなことが出来るなんて、自分でも……。
だが、異変はそれだけで終わらなかった。
倒れたゴブリンの身体が光ったかと思うと、その肉体は細かな粒子へと分解され、
「なっ!?」
宙に舞ったそれは、俺の左手に飛び込むようにして吸い込まれていく。
数秒後には、まるでゴブリンなどどこにもいなかったかのように、ダンジョンの中に静寂が戻った。
「な、んだよ、これ。まるで、ゲームみたいな……」
口にして、ハッとする。
「ゲーム……? ブレイブ&ブレイド……?」
あのゲームでは確か「倒されたモンスターの魔力はそれを討伐したキャラの左手に吸い込まれ、経験値へと変わる」という設定があったはずだ。
まさか、とは思う。
だが思えば、ゴブリンの姿も、俺が振るった剣のデザインも、どこか既視感があった。
それはブレイブ&ブレイドのゲーム内で見ていたから、と考えれば……。
もう一度しっかり確かめようと慌てて右手の剣を正面にかざし、まるで鏡のように磨き上げられた刀身を覗き込んだ俺は、そこに映り込んだ「自分」の顔を見て、驚きに大きく目を見開いた。
「うっそだろ、おい」
なぜなら、本来は「俺」の顔が映っているはずのそこに描き出されたのは、「俺」とは似ても似つかない顔。
俺が死の間際に見たイラストに描かれた〈孤高の冒険者〉。
――〈ブレイブ&ブレイド〉のキャラクター、〈レクス・トーレン〉のものだったのだから。
三話までは一時間ごとにぽぽぽぽーんします