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世界が壊れていくのは、魔法のせいかもしれない  作者: 圭沢
第三部 胎動する神々とヴラヌスの戦士

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82話 氾濫

「使徒殿! スフィアは無事に!?」

「サシャ、もう抑えきれんぞ!」


 一帯が死蟲で覆われた<赤の湿地迷宮>の管理小屋前。

 サシャとヴィオラがそこから出てくるなり、イグナーツとシルヴィエの緊迫した声が飛んできた。


「ごめん、お待たせ!」

「加勢します!」


 即座に参戦するサシャとヴィオラ。

 見れば管理小屋のすぐ下手でイグナーツの展開した神盾が死蟲の奔流をせき止め、そこでイグナーツとシルヴィエが八面六臂の大奮戦を繰り広げていたのだ。


「これだけいれば補充には困らないよね――【ゾーン】! さあ、景気よく行くよっ!」


 サシャがありったけの青の力を煌めく双剣に流し込み、雷のごとくジクザグに死蟲の只中へ突っ込んでいく。小柄なサシャはすぐに見えなくなるが、その進路には爆発したかのような蒼焔が立て続けに上がり、どこに行ったのかはすぐに分かる。


 そのひとつながりの爆炎が伸びていくのは、管理小屋の少し水上、元はちょっとした広場だったであろう場所。シルヴィエとイグナーツがいるのは管理小屋の水下に展開された神盾付近だが、爆炎はそこには向かわずに水上の方へと伸びていく。


「ヴィオラ! ちょっとまとめてやっつけてくるから、シルヴィエたちの方に行ってあげて!」

「はい! お気をつけて!」


 なみいる死蟲を片端から蒼焔で焼いていくサシャが狙っているのは、出来るだけ多くの死蟲を一気に片付けてしまうことだ。


 イグナーツの神盾が堤のようにせき止めている死蟲の大群、それが山側からどんどん流れ込んでくる新手とぶつかって、ちょうどダムのように高密度で密集している場所――元はちょっとした広場だったであろうそこは、派手にぶちかますにはもってこいの場所だ。


 ぴったりと背後のフォローをしてくれていたヴィオラが疾風のようにシルヴィエたちの方へ逸れていくのを確認し、サシャは大きく息を吸って青の力を刹那に集中させた。


「うおおおお!」


 展開した【ゾーン】から滝のように流れ込んでくる力、それに体の中の泉に溜まっているものを思い切りよく上乗せして――




「ここだ! 行っけえええええ!」




 ――地表すれすれでかいくぐった死蟲の下腹に、渾身の青の力を流し込んだ双剣が十文字に叩き込まれる。スフィアを破壊する時に使っているのと同じ、今のサシャの全力をつぎ込んだ大技だ。


 両の双剣が煌めく帯の軌跡を描き、たまたまそこに居合わせた死蟲の下腹で青が爆発する。迸る閃光、周囲全ての死蟲を席巻して一瞬で同心円状に広がる蒼焔。


 イグナーツが<怒れる天空神の神罰>と評した光景が、遮るもののない屋外で解き放たれたのだ。


 その威力と効果は屋内の比ではない。

 広場全てが途方もない聖光に飲み込まれ、展開した【ゾーン】から使用した何倍もの青の力がサシャの元へと流れ込んでくる。狙いどおりに大量の死蟲を一網打尽に出来たようである。


 けれども。


「……うわ、酔いそう」


 見渡す限りの蒼焔、おびただしい数の死蟲が一瞬で焼かれ消滅していくその中心で。

 双剣を油断なく構えたサシャが僅かによろめいた。


 それもそのはず。

 こうしてすぐに補充されるとはいえ、とんでもない量の青の力がサシャの小柄な体を通過していったのだ。しかも先ほど管理小屋のスフィアを滅した時からほとんど時間も経っていない。さすがにそれがかなりの負担となって、そこまでの力の使用に慣れていない体に返ってきたということなのだろう。


「……うげえ。【ゾーン】て血を飲むより全然いい補充方法なんだけど、だからと言ってさっきのを連発するのは止めといた方がいいかも」


 サシャは胸を押さえながらそうひとりごち、改めて周囲を確認した。

 高火力で死蟲を一気に焼きつくした蒼焔はゆっくりと下火になりつつあり、それを通して見えるかぎりは動くものひとつない。そして。


「サシャ! 助かったぞ!」

「さすがは使徒殿。今ので一気に片付いた!」

「サシャさま、大丈夫ですか!? お顔の色が――」


 押し寄せる増援が途切れた周囲の死蟲を無事に殲滅した仲間たちが、焔の向こうから駆け寄ってきた。ヴィオラがサシャの顔を見るなり息を飲んだが、そこまで酷い事態という程でもない。サシャはひとつ大きく息を吸い込んで、気がかりだったことをようやく仲間たちに尋ねた。


「ありがとヴィオラ、今のをしばらく連発しなきゃ大丈夫だから。だけど、この死蟲の数! これってもしかしてこの先にあるっていう二つの未踏破ラビリンス、その両方から出てきてるにしても計算合わなくない!?」

「――ああ、さすがに多すぎる。その二つが特に進行が早かったというだけではないな。何か予想外の事態になっている可能性が高い」


 シルヴィエが谷筋の上方、新手の死蟲がなおも押し寄せてくる光景を鋭く見遣って唇を噛み締めた。幸い今は蒼焔の残り火に突っ込んでは自滅して燃え上がっているが、その隊列は谷筋一杯に広がるほど太い。じきにまたここにも押し寄せてくるのは明白だった。


「これほどの量、残る二つの管理小屋での生存者は絶望的かもしれない」

「そんなっ!」


 ヴィオラが短く悲鳴を上げたが、ずっと管理小屋の外で戦っていて、刻々と増加していく死蟲の隊列を目の当たりにしていたシルヴィエは悔しげに首を振った。


「……残念ながら、そうとしか考えられないのだ」

「今はやるべきことをやるしかない」


 逸れかけた話に、きっぱりとそう口を挟んだのはイグナーツだ。


「目の前のあれを押しのけて進み、奈落の手に落ちた転移スフィアを潰して先兵の流入を食い止める――今の我々が為すべきはそれだ」

「そう……ですわね。いえ、そのとおりです。すぐに向かいましょう!」

「ヴィオラちょっと待て。なあサシャ、さっきのを連発はできないと言っていたが、実際のところはどんな具合なのだ? あの死蟲の量、おそらくぎりぎりの戦いになる。正直に答えてくれ」


 シルヴィエが周囲の収まりつつある蒼焔と、それに比例して迫りつつある死蟲の奔流を視界に収めながらサシャに尋ねた。同様に進むべき先を一瞥し、僅かな逡巡の後に口を開くサシャ。


「正直に言うとたぶん、スフィアを破壊する時だけにしておいた方がいいのかも。普通に戦うだけなら平気だけど、アレをやりすぎると動けなくなる気がする。……ごめん」

「謝ることではない。了解した。あれほどの威力なのだ、連発できる方がおかしい。ならばアレはスフィアを破壊できる唯一の手段として温存して、そこまでの道は我々が中心となって切り開こう。少なくともその顔色が戻るまでは後ろに控えていてくれ。イグナーツ殿、ヴィオラ、それでいいな?」

「はい!」

「無論だ。使徒殿は対奈落の要、無理使いしてよい存在ではない」


 えええ、そこまでしなくても大丈夫――そう開きかけたサシャの口を、シルヴィエが視線で押し留めた。


「よし、お喋りはここまでだ。早速行くぞ!」

「はい!」

「応!」


 シルヴィエが馬蹄の音を響かせて走り出し、その左右をヴィオラとイグナーツが固める形で追随していく。サシャはシルヴィエの気迫に押された形で最後尾だ。


 そこかしこで消えつつある蒼焔をすり抜け、目指すは霊峰チェカルの中腹にある残るい二つの未踏破ラビリンスだ。先頭のシルヴィエが青く輝く愛槍を天に掲げ、高らかに鬨の声を上げる。死蟲の奔流の最前線はすぐそこだ。


 ヴィオラが緑白光に染まった魔剣を斜に構え、イグナーツが古の大地神の長大な神剣を裂帛の気合いと共に振りかぶる。神盾による護りよりも、攻撃による殲滅を重視した形だ。


「いざ、参る!」


 燃え盛る蒼焔から飛び出した一行に襲いかかってくるのは、怒涛のように押し寄せる死蟲の奔流。キリアーン奈落の英雄たちの、壮絶な戦いが始まった。



 ◇



 数を数えることすら躊躇われる死蟲の大群。

 そこにシルヴィエの神槍が入神の域で繰り出され、イグナーツの神剣が豪快に薙ぎ払って道をこじ開け。


 取りこぼしはヴィオラが味方にも読みづらい無拍子の動きで、片端から鮮やかに斬り捨てていく。


 後ろにいるサシャの目から見ても、三人の戦いぶりは凄まじい。

 荒れ狂う死蟲の大群をものともせず、じわりじわりと着実に前に進んでいく。


 サシャ本人は三人の後ろを目まぐるしく走り回って、その双剣で過剰ともいえるフォローを入れてはいるのだが。



 ――どのくらい戦い続けているのだろう。



 極度に集中しているお陰で時間の経過が分かりづらく、ただ、屠った死蟲の量を思えば進めた距離は微々たるものなのかもしれなかった。


「くっ、キリがないぞ!」

「せめてひとつでもスフィアを潰したいところだ! 出てくる量が半減すれば少しは楽に!」

「はあ、はあ、次のラビリンスはまだですか!?」


 要所要所で【ゾーン】を展開して青の力を補充しているサシャはともかく、他の三人には徐々に疲れが見え始めている。この際限のない死蟲との戦いにおいて、それは危険な兆候だった。


「――シルヴィエ! 先頭、変わるから!」


 ようやく体の違和感が収まったサシャが、待ち焦がれたように三人の前へと飛び出した。双剣に込める青の力は念のために控え目ながらも、剣を振るう度に複数の死蟲がばらばらと斬り飛ばされていく。


 過剰なまでの青の力を注がれ続けてきたこの双剣自体、もはやすっかり染まりきって神剣化しているのだ。蒼焔で燃やしつくそうと思わない限り、斬るだけなら追加の青の力はいらない。


「サシャ! もう大丈夫なのか!」

「お陰さまでもうバッチリだよ! 休ませてもらった分、これから頑張るから!」


 サシャが更に戦闘のギアを上げる。

 右に左に前にと双剣を快速で煌めかせ、現世に降臨した神兵のごとき働きでそれまでの三人分に近い死蟲を屠っていく。咢を広げて襲いくる禍々しい頭部をかち割り、下に潜り込んでムカデのようなその蛇腹を切り裂き、身を翻して緋色の背甲を両断し。


 そんなサシャの姿が前面に出た途端に死蟲の勢いは輪をかけて激しくなったが、それであっても一行の前進速度は僅かに上がったほどだ。


 特に息が少し上がりはじめたヴィオラがいる左側は徹底的に蹂躙し、少しでも休める余裕を作るのを忘れない。


 体調を考慮して【ゾーン】こそ展開していないものの、サシャの身体能力は太古の昔より夜の王と恐れられたヴァンパイアそのものである。しかもその実父ヤーヒムは、真祖直系の貴種ヴァンパイア。本人は未だ知る由もないことだが、並みのヴァンパイアが束になってかかっても軽くあしらえるほどの身体能力をサシャは秘めているのだ。


 際限なく押し寄せる死蟲の大群を真っ向から迎え撃ち、斬り伏せ、一気呵成に前進し続けることしばらく。


 サシャの奮闘もあって他の三人も若干の余裕を取り戻し、陣形はそのままに背後からの援護も増えてきた、そんな頃を見計らってサシャが肩越しに叫んだ。


「シルヴィエ! 次のラビリンスまであとどのぐらい!」

「まだ半分を超えたところだ! 気を抜くな!」

「うそぉ!?」


 返ってきた予想外の答えに、サシャの口から思わず妙な声が漏れた。


 これだけ奮戦して、まだ半分。

 原因は分かっている。谷筋を濁流のように押し寄せてくる死蟲の数が多すぎるのだ。これで流出元が二つの未踏破ラビリンスだけとは到底信じられない。


 先の南領境の戦いでの立役者、その四人が揃って懸命に戦ってもこれだけ前に進めないとなると。


 むしろ、押し寄せてくる数が刻々と増加していることを考えれば、どこかで前進すら出来なくなるかもしれない。いったいこの先はどうなってしまっているのか。だったら今のうちに。


 ……アレ、使っちゃう?


 サシャの脳裏にそんな誘惑がちらつき始めた、その時に。







「わははは! 的だらけだぞ! 吼えろ精霊、絶対氷河となって今こそ世界に君臨するのだ!」







 右手の尾根の稜線から、聞き覚えのある高笑いが激戦の谷筋に響き渡った。


 そしてサシャには見えた。

 とんでもない数の精霊がそこら中から湧きだし、高笑いの主へと集まっていくのを。


 ひとつひとつは大小さまざまな淡い光点に過ぎないそれ。


 そんな精霊たちが無数に舞い踊り、聞き覚えのある高笑いに煽られるように震え、谷筋全体を包むように戻ってきながらその輝度がどんどん強くなっていって――



「なんかヤバい! お願い精霊さん、この周りだけは除外で!」



 サシャがそう叫んだ、その瞬間に。


 世界が、凍った。

 霊峰チェカルの山頂へと昇っていく谷筋、その尾根に挟まれた雄大な大自然が。


 その谷筋を緋色の濁流となって押し寄せてきていた、暴れ狂う死蟲の大群が。


 それら全てが、一瞬で真っ白に氷結した。

 凍っていないのはサシャを中心とした、僅か五歩ほどの範囲のみ。唐突に肌を染め上げる極寒の冷気、吐息までもが白く凍えて霧散していく。


「わははは、待たせたなサシャ君、皆! 不肖エリシュカ、宣言どおり最速で駆けつけたぞ!」


 そしてそこに、再び聞き覚えのある高笑いが降ってきた。

 誰がどう聞いても、<偽りの迷宮>で別れたエリシュカだった。


「エ、エリシュカ!? 助かったけど、助からないところだったというか!」 

「ば、馬鹿者! とりあえずこっちに降りてこい!」

「エリシュカさま、魔法を使うときは範囲に気をつけないとダメなのですよ!?」


 一同の抗議もなんのその、エリシュカ本人は自らの古代魔法がもたらした驚異的な光景を満足気に眺めてひとつ頷き、弾むような足取りで尾根の斜面を駆け降りてきた。


「どうだい私のとっておきは! ここまでの古代魔法はオルガにもきっと使え――」

「その辺りの細かい話は後で聞く! 今は時間が惜しい、この好機を最大限に活用するぞ!」


 楽しげに喋り始めたエリシュカをイグナーツがぴしゃりと遮り、有無を言わせず走り始めた。そう、見渡す限りの死蟲が凍結した今、一気に前進するには絶好のタイミングなのだ。


 そんなイグナーツの意図を余さず理解した他の面々も、それ以上の言葉を交わさずに即座に走りだす。醜い氷像のように林立する死蟲が邪魔とはいえ、先程までと比べたらその前進速度は雲泥の差だ。


 ぼんやりしていたらまた死蟲の大群が押し寄せてくる。見渡す限りの氷原を作り出したエリシュカの特大古代魔法とはいえ、残る二つのラビリンス管理小屋までを凍らせられたはずがないのだ。


「くっ! 凍った死蟲が邪魔だ!」

「イグナーツさま、尾根の斜面を進みましょう! きっとその方が早いです!」


 より速度を上げるため、そしてシルヴィエの大きな馬体が躊躇いなく駆け抜けられる場所を探すため、エリシュカを含めて五人となった一行は谷筋の中央を離れ、尾根の斜面へとその進路をずらしていく。


「――ねえエリシュカ、どうやってここが分かったの?」


 懸命に伴走するエリシュカを始め全員に癒しをかけながら、サシャが尋ねた。


 皆そこまで大きな怪我はしていないようだったが、少しでもここまでの疲れが抜けてくれたら、そんな思いからの行動である。特にエリシュカはあまり体を鍛えてはいないようだし、先ほどのとんでもない古代魔法の反動もあるはずなのだ。


「ああ、それか、サシャ君。私は、あれから、だな――」


 荒い息を吐きながら走るエリシュカによると、どうやら彼女は言っていたとおりに<偽りの迷宮>で四人もの即席古代魔法使いを作り上げ、熟知する抜け道を駆使して必死に追いかけてきたらしい。


「ここの、手前の、<赤の湿地迷宮>、そこで派手な、聖炎が上がるのが、見えて――」


 サシャが管理小屋の外で放った大技、それで燃え上がった蒼焔が抜け道を走るエリシュカからもはっきり見えたらしい。


「そっか。それで抜け道を先回りして」

「そういう、ことだ。それで朗報、が二つ、あるぞ」

「おお!」


 朗報のひとつめは、騎士団の先遣隊が早くもこの霊峰チェカルの山麓に到着し、封鎖と築陣を始めているということだった。


 出来るかぎり死蟲を潰しながら進んできたサシャたちだったが、当然かなりの数の討ち漏らしはある。だがそうして騎士団が迅速に対応してくれているのならば、少しは安心できるというものだろう。


「もうひとつは、かなり強固な防衛線を、この谷筋の下の方、に敷いてきたぞ」

「え、どういうこと?」


 サシャの癒しが効いてきたのか、呼吸が少し楽になってきたエリシュカが説明を始めた。


 いわく、うち三つが同じ谷筋にあるという未踏破ラビリンスの配置を考えれば、この谷筋を奈落の先兵が流れていくという今の展開は充分に予想できたという。そしてエリシュカの目の前には、古代魔法が使えるようになった人間が四人もいた。


 サシャたちが向かったことで先兵の侵攻が遅れることも考えれば、それなりに時間の余裕もある。そこでエリシュカは<偽りの迷宮>にいたハンターやディガーらを引き連れ、谷筋の隘路となっている部分に寄り道して防壁を作ってきたという。


「あの奇跡の灰が、素晴らしいのだ! あれをほんのひとつまみ! ペロリと舐めてから古代魔法を発動すると! さっきの豪快な威力、サシャ君も見ただろう!」

「えええ! エリシュカ、まさかあの灰を食べたの!?」

「エリシュカ、お前……」

「エリシュカさま、落ちているものをむやみに口にしてはダメですよ?」

「皆なにを、言うか! あれはサシャ君の豊富な神力が結実した、いわば聖灰! 汚くなど、ないぞ!」


 走りながら話を聞いていたシルヴィエとヴィオラが思わず横から口を挟むが、エリシュカは猛然と抗議する。


 お陰でそれなりに期待のできる防壁を精霊たちがあっという間に作ってくれたし、そこに残してきた四人の新人古代魔法使いも、灰がある限りはかなりの威力の古代魔法を使えるようになっているらしい。


 彼らも時間のある限りは防壁の増強に努めるはずだし、いざ死蟲が来たらその防壁に立てこもり、劇的にブーストされた古代魔法で迎え撃つ。そんな段取りになっているのだ、とエリシュカは胸を張って力説する。


「――結果だけ考えれば、我々の背後に充分な防護施設がある。そういうことだな?」

「過程も見てくれイグナーツ殿! あの奇跡の灰の素晴らしさ、それこそが全ての原点! まさに魔法界に革命が起きたのだぞ!」

「――ならばこの先、方針を変えよう。死蟲の殲滅より突破を最優先とし、少しでも早く残る二つの未踏破ラビリンスのスフィアを破壊する。皆、それで良いか?」

「異議なし!」

「分かった!」

「はいっ!」


 イグナーツの提案に、シルヴィエ、サシャ、ヴィオラが即座に乗った。

 これまで遅々として前に進めなかったのは、逃した死蟲がそのままチェカルを下った後のことがどうしても気になっていたからでもある。下の防壁がそれらを食い止めてくれるのならば、ただがむしゃらに進んでいってしまっていいということである。


 それにもうひとつ。


 誰も口には出さないが、この死蟲の量。

 はたしてこの先の二つの転移スフィアはどうなってしまっているのか。どう考えてもこれまでに見てきた個々の未踏破ラビリンスでの流出量、その二つ分などといった量ではないのだ。


 この先の二つの未踏破ラビリンスが、何かとんでもないことになってしまっているのか。そうでなければ、もしかしたら。


 初めの<神罰の迷宮>で奈落の先兵が侵入してきていたのは、守護魔獣の門の手前、<深淵に架かる道>のその深淵からだった。狙いは未討伐のラビリンスコアだったようだし、<深淵に架かる道>があるのは未踏破ラビリンスのみ。


 だから、奈落が侵入してきてるのは未踏破のラビリンスだけ――自然とそう考えてしまっていたのだが。


 もしかして、経路は不明ながらも、その他の踏破済ラビリンスからも奈落が侵入してきてしまっているとしたら。




「む……まあ、ザヴジェルの敵、研究の邪魔者を潰すのには、大賛成だ。そんなものは、早い方がいい。うむ、やるか!」




 誰もが嫌な予感を必死に打ち消している中、エリシュカが意外にさっぱりとイグナーツの提案を支持し、それで五人全員の意思が揃った。


 ……結果だけ見ればスゴい人なんだけどね。


 早くもぼちぼち癒しの疲労回復効果が消えつつあるエリシュカを見ながら、サシャは心の底からそう思う。


 別行動を取った僅かの間に、四人もの古代魔法使いを育て上げ、サシャの大技の後に残った灰のとんでもない利用方法を見つけ出し、さらには後顧の憂いを断つ防壁まで作り上げて。


 その上で、サシャたちの行く手を塞いでいた死蟲の大群を、たった一発の魔法で颯爽と葬り去ったのだ。


 ……だけど、なんていうか、憎めない人?


 サシャは追加の癒しを、さり気なくエリシュカにかけた。


 何はともあれ。

 エリシュカのお陰で、サシャたちの惑いは消えた。


 これからの戦いは電撃戦。

 突破最優先で死蟲の大群を縦断し、奈落の手に落ちた未踏破ラビリンスの転移スフィアを滅していく。


 この先にあるという二つのそれがどうなっているのか不安しかないが、少しでも早く死蟲の流出源を潰す必要があるのは変わらない。


 いくら後方で迎撃態勢が整いつつあるとはいえ、普通の剣も普通の魔法も効かない死蟲の、これだけの大群である。彼らの迅速さこそがザヴジェルを守れるかどうかの分水嶺なのだ。



 ……よし、やるぞ。



 人知れず固められたサシャの決意は、何よりも強く。


 一心に走り続ける五人の前方に、エリシュカが作り上げた魔法の氷河の果てが近づいてきた。難を逃れた死蟲の大群が、同胞の氷像を破壊しながら押し寄せてきているのが見える。


「うおおおおお!」


 仲間たちの先頭に進み出たサシャの口から、無意識のうちに叫び声が上がった。


 接敵はもうあと僅か。

 エリシュカが復帰し五人となった彼らの戦いが、再び始まる。




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