68話 実験と方針
「はあ……よりによって天人族がそれを言い出して、ヴィオラとイグナーツも同意するとはね」
天幕の中、全員の視線を浴びたオルガが深い溜息を零した。
「しかも、思ってたよりもとんでもなく酷い話じゃないかい」
「え、もしかしてオルガも少しは知ってたの?」
「知ってるわけあるかい! でもまあサシャ、あたいたち<幻灯弧>がなんで現代魔法から離れ、古代魔法の復元に力を入れてると思う? まさか奈落との関与が疑われるような、そこまでキナ臭い話だとは考えてもいなかったけどさ」
そこでオルガは、前に話したことがあるかもしれないけどさ、と一同を見回し、ざっくりと説明を始めた。
元々現代魔法というものに、そこはかとない疑いを抱いていたこと。
それは二十年ほど前に上級魔法を連発した際、力を借りた神が「不気味にほくそ笑んだ」ように感じてからであること。
一度気付いてしまったその感覚は日を追うごとに消えるどころか確信へと深まり、やがて率いるクランを挙げて、使う魔法を古代魔法に切り替えていったこと。
「まあ、自由がない現代魔法に限界を感じていた、というのもあるんだけどね。その点、精霊から力を借りる古代魔法は術者の技術次第で無限の広がりがあるのさ。要求される対価も魔法の制御も、現代魔法の比じゃなくシビアではあるんだけれども」
「そんなことが……」
「ああ、ヴィオラにはきちんと説明していなかったかもね。でもそんな訳でまあ、クラン<幻灯弧>は現代魔法から距離を置きつつあったのさ。クランメンバーの日々の鍛練も古代魔法ばっかりだろう?」
そこでオルガはダークエルフならではの暗銀色の髪をかきあげ、ふう、ともう一度溜息を吐いた。
「それにしても……現代魔法の神々には得体のしれない何かがあると感じてはいたけど、まさかの奈落かい。サシャ、あんたがそこまで言うにはこの場で話せないような、天人族ならではの情報もあったりするんだろう?」
「え、まあその、あるというかない訳じゃないというか、できればそこは聞かないでほしいというか」
「くく、あんたはもう少し腹芸を覚えた方がいいよ。まあ、あたいとしては信じるしかないだろうね。話が大きすぎて慎重にならざるを得ないけれど、とりあえずはそれを前提に動いてみようじゃないか」
「動くと言ってもオルガ、下手をしたら大騒ぎどころの話じゃないぞ?」
思わず声を上げたのはシルヴィエだ。
魔法という力を与えてくれている新世代の神々が奈落と通じているなど、このハルバーチュ大陸全土を揺るがしかねない爆弾情報である。
魔法使いは当然反発するだろうし、噂の流れ方によっては最悪、一般大衆による「魔法使い狩り」なども勃発しかねない。あとは幸いザヴジェルにはないが、新世代の神々と密接な関係がある各地の神殿勢力の動向も気になるところで――
「あ、それならオルガにやってほしいことがあるんだけど!」
オルガが味方についてくれたことに安堵したサシャが、はいっ、と大きく手を挙げた。シルヴィエの懸念などはまるっと無視である。
「おいサシャ、事がどれだけ重大なのか分かっているのか!? 一歩間違えれば――」
「大丈夫だよシルヴィエ。やってほしいのは簡単に出来ることで、すぐ終わることだから」
「……すぐ終わること?」
む? と上げかけた腰を止めたシルヴィエに、サシャは「そうそう」と二回頷いた。にっこりと最上級の愛想笑いのおまけ付である。
「ねえオルガ、やってほしいというか、試してみてほしいことがあってね」
「なんだい、簡単に出来ることなら言ってみな。あたいはいつどんな状況でも、聞く耳は持っているつもりだよ」
「おお、さすがオルガ。ええとね、現代魔法だと奈落の先兵はすり抜けちゃうでしょ? それ、古代魔法で試してみたことある?」
「……ほう」
「ね、これから試してみない?」
サシャの言葉にオルガのみならず、シルヴィエやヴィオラ、イグナーツを含めた全員が強い興味を示した。
それはおそらく、これまで誰も試したことがないこと。
今の世の中魔法といえば現代魔法であり、古代魔法を復元させて実戦レベルで使える者などまずいないからだ。
「ふむ、古代魔法かい……」
本当に新世代の神々の力だけがすり抜けるのか、それとも精霊由来の古代魔法であっても、魔法という時点ですり抜けてしまうのか。もし現代魔法だけがすり抜けるとなると、これまで話してきた奈落と新世代の神々の癒着、その説得材料がまたひとつ増えることとなる。
そして何よりも。
これまで奈落との戦いでは、出番のなかった魔法使いにも。
オルガの<幻灯弧>で古代魔法を習得さえすれば、奈落と真っ向から戦える可能性が出てくるのだ。それは戦力という意味でも、これからの戦い方を根底から覆すという意味でも、とてつもなく大きな意義があることである。
「サシャ、なんでそれをもっと早く言わない!」
「ごめんシルヴィエ。思いついたのが今日の昼間だったから」
「む、なら仕方ないとして……。ただこれから試すも何も、こんな帰還の途上ではどこにも試す相手がいないではないか」
「あ、それなら大丈夫だよ?」
サシャはにんまりと笑って、天幕の外を指差した。
「ほら、死蟲や巨岩蟲の死骸、研究用に持ち帰ってるのがあるじゃん」
おお、そんなどよめきが全員の口から零れた。
確かに昼間の顔見せ行進の間中、彼らの後ろで何台もの荷馬車がそれを乗せていたのだ。
一時は連日のように繰り返されていた先兵との激戦。
その合間合間で死骸の処分に苦労していたのは全員の記憶に新しい。死骸といえど魔法はすり抜けたので、燃やすにしてもわざわざ油をかけて火をつけていたのだ。
つまり、現代魔法はすり抜ける格好の実験材料が、この宿営地内に大量にあるということで――
「お手柄だよサシャ! ほらほら何をぼんやりしてるんだい、早速試しに行くよ!」
オルガが弾かれたように立ち上がり、鼻息も荒く手を打ち鳴らす。
一行は急かされるように天幕の外へと追い出され、戦局を大きく変える希望を胸にゆっくりと動きはじめた。
◇
「おお! これは救世の使徒様にヴィオラ姫、槍騎馬様に神盾様、焔の魔女様まで、錚々たる皆さまがお揃いで!」
「夜遅くまでご苦労様だね。運んできた死蟲やら巨岩蟲やらをちょっと見させてもらってもいいかい? 確かめたいことがあってね」
何本ものかがり火が焚かれ、物々しく警備兵が配置された宿営地の一番奥。
研究用にと運ばれてきた奈落の先兵の死骸群は、そこにまとめて並べられていた。
警備に関しては、物盗りを警戒してではない。兵たちの目が主に内側を向いていることからも分かるように、警戒の対象は運んできた死骸群そのもの。さすがに今さら動き出すとは考えていないが、史上初めて人類の手に落ちた正体不明の生物である。何が起こるか分からないために、こうして厳重に見張っているということらしい。
「まあ隠すことでもないんだけれど、あっちの奥の死蟲で試してみようかね」
警備の責任者から許可を得たオルガが――交渉するまでもなく呆気なく許可が下りた――、小山のような巨岩蟲の亡骸を回り込んで奥へと進んでいく。
「こういう実験のようなものは、エリシュカがいれば大喜びでやったんだけどねえ」
「あれ、そういえばエリシュカさんは見ないね。ファルタでお留守番?」
「そうさ、あれでもクランのサブマスターだからね。あたいが長期不在にする時は残ってもらうのさ――って、ここらでいいか」
一行が立ち止まったのは、死蟲、飛行蟲、巨岩蟲のどれもに手が届く一角。
既知の生物とはかけ離れた構造を持つそれらが、遠くのかがり火に照らされて不気味に横たわっている。
「さて、まずは念のために現代魔法がまだちゃんとすり抜けるか、そこから試したいところだけど――」
「あんな話を聞いた後だからな。新世代の神々の力を呼ぶことを躊躇う気持ちは分かるが、この場で現代魔法が使えるのはオルガだけだ。すまないが、頼む」
「――そうなるさねえ。エリシュカがいればとこんなに思ったのは何年ぶりかだよ」
はあ、と溜息を零すオルガに、淡々とイグナーツも声をかける。
「オルガ殿。この実験が使徒殿の思惑どおりに上首尾に終われば、世の魔法使いが奈落との戦いに参戦できるのだ。その為だと思って、ひとおもいに」
「何だい、そのひとおもいってのは! ……はあ、分かっちゃいるんだけどね」
「サシャさま、その、オルガさまはまだ全然“嫌な気配”に染まっていないのですよね? 一回ぐらいは大丈夫ですよね?」
「うん、魔法一回ぐらいじゃ魔に飲まれたりはしないよ。あれは何年も積み重なってなるものだし。それにオルガからは今のところ全然嫌な気配はしないし、強いて言えば――」
サシャがその透きとおった紫水晶の瞳で、まじまじとオルガを見詰める。
そして深呼吸二回分ぐらいの間を置き、小鼻をひくつかせて断言した。
「――紅茶とシフォンケーキの匂いがするぐらい」
「それはさっきの茶菓子の匂いじゃないかい! はあ、もういいよ。やればいいんだろう?」
「ちょっと待てオルガ。厳正なる実験のためには、使用する現代魔法と古代魔法の威力に差があってはならないぞ。仮にどちらかだけがすり抜けなかった場合、そちらの威力が強かったからかもしれない、などという可能性は実験を台無しにするからな」
「シルヴィエ、こういう時のあんたはエリシュカとそっくりだよ。……年を取るとどうでもいい知識が増えていくもんだね」
やれやれと肩をすくめたオルガが、おもむろに右手の人差し指を死蟲の残骸に向けた。
そして次の瞬間。
豆粒ほどの炎が尾を曳いてその死骸に吸い込まれた。次いで矢継ぎ早に飛行蟲の残骸にも、巨岩蟲の残骸にも。
詠唱不要の初級魔法、炎弾の三連発だ。
発動の早さと狙いの正確さはさすがは焔の魔女の異名持ち。誰もが口を挟む間すらなく、一瞬の早業で全ての標的に魔法を放ってみせた。
だがどの一発も先兵の死骸には何の影響も与えず、その奥で地面が弾けた音だけが全員の耳に残っている。オルガの三連弾は、ものの見事にすり抜けていったのだ。
「ふん、これでいいだろう――現代魔法はすり抜ける、と」
誰もが唖然として言葉が出てこない中、オルガは足元の小石を拾ってそれぞれの死骸にひとつずつ放り投げた。つい今しがた魔法がすり抜けていったにもかかわらず、コン、コン、コン、と死骸表面で軽やかに弾んで夜闇に消えていく三つの小石。
「さて、じゃあ本命の古代魔法だね。こいつは炎弾ほど気楽には出せないけど――」
そう言ってオルガは肩幅に足を広げ、目を瞑って小さく息を吸い込んで、そして。
わあ……。
サシャは喉元まで出かかった感嘆の声を飲み込んだ。
夜だから分かる、周囲のあちこちから漂い集まってくる淡い光点の数々。
他の人はみな無反応なところをみると、見えているのはサシャだけかもしれない。足元の地面のそこかしこからふわふわと、遠くのかがり火からは光の帯となって、続々とオルガの前へと集まっていくのだ。
かなりの数が集まったところにオルガがそっと手を伸ばすと、まるでご馳走に群がるひな鳥のようにその手に群がっていく淡い光点たち。
オルガがその手で円を描き、光点たちがそれに追随し、オルガがさらに円を描き、光点たちは次第に球状に集まっていって。
「……なんだか今日は妙に集まりがいいね。それじゃ、頼むよ」
小声で囁かれた、そんなオルガの言葉に応えるように――
ぼっ。ぼっ。ぼっ。
――光点たちの真上に、三つの火の玉が虚空に出現した。
そして一瞬だけその場にとどまった後、忽然と消え失せた。
同時に背後で轟く爆発音みっつ。消えたのではない、標的に向かって矢のように飛んでいったのだ。
サシャが慌てて振り返ると、死蟲と飛行蟲の死骸はバラバラになって激しい炎に包まれ、小山のような巨岩蟲の死骸は横っ腹に大きな穴を開け、奥の死骸を押しのけるようにひっくり返っている。
「……わお」
「……ふむ、見事なぐらいにすり抜けなかったな」
サシャとオルガがそれぞれの感想を零し、一拍置いてシルヴィエがオルガに喰ってかかった。
「オルガ! これのどこが同じ威力だ、明らかに今の方が強力だろう!」
「そうは言ってもシルヴィエ、精霊は気まぐれなんだよ。今回は予想以上に張り切ってくれたみたいだね。……仕方ない、もう一回現代魔法を撃つからちょっと下がってな」
オルガが身振りで皆を下がらせ、ローブの中から短杖を取り出した。
これから放つのは中級の無属性現代魔法に分類される、知名度と威力を兼ね備えたものらしい。
「さて、こいつを使うのは久しぶりだね。行くよ――古のものによりて創造されし罪深き黒よ、その腕で敵を貫け! グレート・ランス!」
杖の先から漆黒の柱が巨岩蟲めがけて迸る。
が、一瞬で標的を貫いたかに見えたその魔法の槍はしかし、魔法が終わって忽然と消え失せた後、何にも標的の死骸に影響を残していなかった。穴すら開いていない。やはりすり抜けただけだったのだ。
「どうだい、今のですり抜けるなら他はみんなすり抜けるよ。周囲への説得力もある。なにせ今のは魔法使いなら十人に九人が愛用する、汎用性が高い魔法だからね」
「そ、そうなんだ。でも古代魔法は普通に当たったんだよね。充分な実験の成果なんじゃ――」
「何事ですかっ!」
間近で放たれた魔法の怖気に顔を引き攣らせたサシャの言葉の途中で、血相を変えた警備の兵たちがなだれ込んできた。
「やや、皆さんご無事で! この騒ぎは何です? もしや、やはりこの化け物が死の淵から甦ってきましたか!?」
「あー、ごめんなさい。甦ったりとかはしてないんだけど、なんか、新しい攻撃方法を試してたらこんなことになっちゃって。ほら、普通にやったら剣も魔法も効かなくって、困ってたでしょ?」
「お、おお! さすがは次世代の英雄様がただ!」
ようやく古代魔法の炎が収まってきた現場の状況を見てとった警備責任者がゴクリと唾を飲み込み、構えていた刺又を下ろした。
「こ、この炎はもしや、新たな神剣をお作りになったのですか?」
「へ? そういえばそんな話もあったけど、これはそうじゃなくて。ええと、ちょっとみんなで話を整理して、明日とかファルタに着いた後で騎士団の偉い人たちにも説明するから――あ、ヘルベルトさんって領境に残ってるんだっけ」
首を捻ったサシャに、ヴィオラがにこりと微笑みかけた。
「はい、サシャさま。その代わりファルタでは叔父のマルチン=ザヴジェルと、サシャさまのおじい様がわたくしたちの帰還を待ちわびているそうですよ? 今回の実験のこともお二人への土産話にすれば、さぞや喜ぶことでしょう」
「ちょっと待ったヴィオラ、マルチン=ザヴジェルって領主様じゃないかい!」
「はい。サシャさまのおじい様、ローベルトさまと一緒に、騎士団の本隊を率いて後詰めに駆けつける途中だったとか。状況がもう少し確定するまでファルタで待機するそうです」
「……ローベルトってまさか、シェダ家当主のローベルト=シェダ、その人かい?」
「はい、ザヴジェル最大の迷宮都市ブシェクの太守にして、魔法騎士団<白杖>の名誉団長、ハイエルフのローベルト=シェダさまです。今回の奈落戦役に関し、ザヴジェルは本気ですから」
「なんてこった……」
ほんわかとしたいつもの笑顔で言い切ったヴィオラと、名前を聞いて血相を変えたオルガ。今ひとつ状況を理解しきれないサシャは、いつものようにシルヴィエに小声で助けを求めた。
「……ねえシルヴィエ、領主さまがいるのは分かったけど、僕のおじい様? なんかすごい肩書がずらずら並んでたけど、ひょっとしてオルガが顔色を変えるぐらいに怖い人なの?」
「……ザヴジェル魔法界の重鎮中の重鎮、たしかそんな話だったな。最近は滅多に表に出てきていないはずだ。それはオルガも慌てるだろう。でもそうか、サシャはシェダの一族の嫡系でもあるのだな」
「……そのシェダの一族って、何回か聞いた気がするけど。もしかして有名?」
「……魔法に疎い私でも知っているぐらいだ。大陸中の王国で重用されている通信の魔法具、あれはたしかシェダの一族しか作れなかったはずだ。お前の母方の血筋になるのだから、失礼のないように後でオルガに色々と聞いておくのだぞ」
「……そんな風に言われると、なんか会うのが怖くなってくるんだけど」
サシャとシルヴィエがそんなひそひそ話をしている間にも、他の面々は会話を続けている。
し、失礼しました詳細はそちらにお話頂ければ!と警備兵たちが撤収していき、オルガが特大の溜息を零している。そこに大陸南方出身のイグナーツがやはりサシャ同様に質問を繰り出し、満足のいく答えを得られたようだ。
「――はあ、今の古代魔法の話をするのが、いきなりザヴジェルのトップ二人って流れかい。まあ、手っ取り早いからいいといえばいいんだけどさ」
「おおう、そういうことになるのか。説明とか苦手だから、魔法がらみだしその辺はオルガにお願いしちゃってもいい?」
シルヴィエとの質疑応答から戻ってきたサシャが、見るからに胃の痛そうな顔をしているオルガに声をかけた。
「サシャ、あんたねえ。……まあそういうことになるんじゃないかとは思ってたさ。けど、あのローベルト卿に古代魔法の説明をしなきゃいけないあたいの身にもなってくれよ」
「そこはほら、さっきと同じことを二人の前でやってみせれば、それで話はだいたい終わりみたいなもんだし?」
「ローベルト卿の前で古代魔法を披露するのかい……。そうするのが早いけど、ちょっと皆で打ち合わせをしておかなきゃならないね。何をどこまで話すのか、話した後にそれぞれどうするのか――まずはこの場を片付けて、天幕に戻って話し合いだよ!」
パン、とオルガが手を叩き、一行はそれぞれに動きはじめた。
明日の朝この宿営地を発てば、昼にはファルタに着く。
早ければそのタイミングで面談が始まってしまうのだ。名実ともにこのザヴジェル領の最高権力者である二人と話したことは、下手をすればその場で決定事項となる。
各々のその後の身の振り方など、その後についての腹案も考えておくべきだというオルガの言葉も尤もなこと。何かと慌ただしい夜はまだまだ続くのだった。




