66話 姉との会話、そして相談(中)
「私はね、奈落はそんな外部の存在の差し金なんじゃないか、そう思ってるわ」
そんなことを言い出した姉ダーシャに、サシャは目を丸くして尋ね返した。
「外部の存在……つまり、新世代の神々の差し金ってこと?」
「そうよ、だっておかしいじゃない。現代魔法は奈落から出てきたものをみんな素通りするのよ? けれど、例えばヴィオラの神剣の古の破壊神の力は死蟲に通用するし、イグナーツの古の大地神の神剣の力も通用した。後から聞いた話だけど、通用しなかった神剣の使い手も来ていたんでしょう? 通用しなかった彼らの神剣に宿っていた神、それは何だったか聞いた?」
サシャが無言で首を横に振ると、ダーシャは口にするのも忌々しいといった顔で吐き捨てるように言葉を継いだ。
「炎の神剣と風の神剣――どっちの神も、現代魔法で重用されている新世代の神ね。私たちヴラヌスからすれば敵よ。使い手の二人には悪いけど、魔法と同じで素通りして当然だったわ」
「……つまり、どういうこと?」
「つまり、奈落は新世代の神々に属するもので、そんな奈落から出てきた死蟲やら何やらには当然、同じ新世代の神々から力を借りて攻撃しても意味がない。私の予想を言えばそういうことね」
ダーシャは話を飲み込み切れていないサシャの顔を見て、ゆっくりと説明を始めた。
奈落の先兵には剣も魔法も効かない、今回の戦いまではそれが通説だった。けれど、今回の戦いで事情が変わった。
それは、サシャの青の力を叩き込めば瘴気の守りを弾き飛ばせ、剣が通じるようになるということと、【ゾーン】で空間を支配してやればやはり同様に剣が通じるようになるということ、そして神剣によっては普通に攻撃が通用することが判明したのだ。
それを先ほどサシャに語った、神々の世界の事情に当てはめて考えてみるとどうなるか。
サシャの青の力は、そもそもがヴァンチュラが独自に持つ力の精髄である。それは空間属性の力であり、ヴラヌスという種族が独自に持つ力である。【ゾーン】についてもそれは同様。
つまり、ヴラヌスの力で死蟲らの瘴気の守りを排除できるということなのだが、それをしても相変わらず素通りしてしまうものがある。
それは、魔法だ。
そうなれば剣は通用するというのに、魔法は通じない。
さらには、弱体化させずとも通用する神剣があるのに、魔法に力を貸しているのと同じ神が宿った神剣はと言うと――魔法と同様に素通りしてしまう結果であった。
そこまでくると、さすがに疑いたくもなってくる。
新世代の神々は、もしかして奈落と同じ穴のムジナなのではないか、と。
「……まあ、それが正しくても、私たちにはどうしようもないんだけどね」
一気にそこまで語ったダーシャが、そう言って小さな肩をすくめた。
納得がいかないのはサシャである。奈落のことがそこまで分かっているのになんで、という思いが溢れてくる。
「でも! そこまで分かっていれば何かやりようがあったりとか――」
「いいえ、相手はクラールと同格か、それ以上の存在なのよ? 私たちでは相手にもならない。相手にできるとすれば」
「できるとすれば?」
「父さんね。私たちの行けないどこかで、今も奈落と戦ってくれているのよ? 父さんは何も言わないで行ってしまったけれど、戦っているその相手はきっと、新世代の神々ってことだと思っているわ」
うわお。
サシャはあんぐりと口を開けた。
姉ダーシャは何かにつけて父のことを「真の英雄」だと表現するが、まさしくそれ以外の表現が思いつかない。つい先日に夜空を黄金色に染めながら話しかけてきた時からうっすら感じてはいたが、常識を超えて偉大すぎる存在であった。
「だからね、前も言ったと思うけど、私たちは私たちに出来ることをするの」
「……こっち側で少しでも奈落を抑える、ってこと?」
「そう。幸いにして貴方も少しずつ【ゾーン】に慣れてきているし、ね。それにこう思わない? もしかして今回のキリアーン奈落、私たちが先兵の出鼻を挫いたのに合わせて父さんが大元をやっつけてくれたのかも、って」
おおう、その発想はなかった。
サシャはさらにあんぐりと口を開けた。
奈落の先兵を歴史上初めて万単位で屠ったその日の晩、<新生の月夜>の影月を通じて父ヤーヒムが遠く臨界した。
思えば、奈落が消失したのはその直後。
翌朝には瘴気ごと綺麗になくなっていたのである。偶然といえば偶然だが、ダーシャからあれこれを聞かされたばかりのサシャには、それが紛れもない真実のように思えてしかたなかった。
「まあ、こんなこと誰にも言えないんだけどね」
「え、みんなに言おうよ! これだけ奈落はどこに行ったって探し回ってるんだよ? 言わなきゃダメだって」
「言うって、そもそも確かなことじゃないし、ヴラヌスのことから全て話さなきゃいけないのよ? それ、遠回しに私たちは天空神クラールの子供なんです、そう言い出すってことじゃない。さすがにそこまでは無理よ。誰もついてこれないわ」
あーそうなるのか、とサシャは喉まで出かかった更なる言葉を飲み込んだ。
確かに誰も信じてくれなそうだし、信じてくれたらくれたで後が怖い。暴走するヴィオラの顔がちらりと脳裏をよぎって、うわあ、と思わず頭を抱えそうになった。
「父さん云々はそうだったら嬉しいけど、確かめようのないこと。こっちからじゃ連絡の取りようがないしね。それにもしそうじゃなかった場合、兵を引き上げた後に再襲撃なんてされたら取り返しがつかないわ」
「そっか……」
「そうよ。そしてこうして大々的に調査をしているのは、本当に奈落が消えていたとしても後々役に立つことよ。残された焦土の状態から、どんな風にそれが広がっていったかとかの分析も進んでいるし。私は現状で余計なことを言うつもりはないわ。そして、できればサシャもそうしてほしいと思ってる」
「あー、そう言われちゃえば、そうするのが無難で確実なのか……」
「そういうこと。さ、そろそろ休憩はお終いよ。【ゾーン】の練習、再開!」
「あ、ちょっと待って!」
えい、とベッドから立ち上がったダーシャに、サシャが思い出したようにストップをかけた。
「ねえ、さっきふと思ったんだけど。……新世代の神々がそんな埒外の存在だったのなら、そんな力を日常的に使ってる魔法使いの人たち、それが魔狂いになっていくのって」
「ああ、それは間違いなくその影響でしょうね。魔狂いが出始めたのがここ数年、奈落の出現とだいたいタイミングも合うし。この世界の母体であるクラールがいよいよ弱って、色々と抑えきれなくなってきた印だと思ってるわ」
「え、じゃあ――」
「サシャ、貴方は人がいいけど馬鹿ね。だからといって魔法使い全員に、魔法を使うな、なんて言える? 彼らは魔法で生活の糧を得ているの。今の社会だって魔法に依存している部分が大きいのに、それを全て取りやめろ、と?」
正論すぎるその言葉に、サシャは思わず言葉に詰まった。
そしてそんなサシャを見て、ダーシャは「本当に人がいいんだから」と深い溜め息を零した。
「それとね、これはあんまり言いたくないんだけど……。魔法使いは、私たちヴァンチュラをさんざん狩ってきたの。人としての生を捨ててラビリンスになったヴルタはどうでもいいんだけど、狩られたヴァンチュラ――ヴァンパイアの中には、人として人と共に生きようとしていた仲間だって大勢いたんだから」
悔しそうに、寂しそうに唇を噛み締めるダーシャ。
ヴァンパイアだけれども、人として人と共に生きる――それは、かつて父ヤーヒムが掲げた目標のひとつであったという。それをダーシャは引き継ぎ、彼女の人生の目標としているのだとか。
かつてサシャがシルヴィエから聞いた、ダーシャとフーゴの<青光>傭兵団がヴァンパイア狩りを謳いつつも、裏でヴァンパイアの生き残りを保護してまわっているという話。
それは誇張でも何でもなく、彼女が英雄天人族として生きてきたこの百年という歳月の間に、その目標に共感してくれたヴァンパイアを幾人となく救ってきたのだ。ザヴジェルにはヴァンパイアの隠れ里があるという噂と併せ、全ては紛れもない真実。
けれども、その救いの手が間に合わなかった相手もいる。共感してくれて一緒に活動していく中で、ヴァンパイアであることが露見し、人知れず魔法使いになぶり殺しにされた仲間もいる。
「……魔法使いが魔狂いになっていい気味だとまでは言わないけれど、心のどこかが素直になれないの。とてつもない労力をかけて魔法に依存した今の社会を変え、種族の秘密を日の下に晒してまで。魔法使いを魔狂いから救おうとは、私はどうしても思えないわ」
そんな言葉を最後に、月光差し込む部屋に長い沈黙が訪れた。
やがて休憩は終わりとなり、ややぎこちない雰囲気の中で【ゾーン】の練習が再開されたのであった。
◇
「ええと、何から話せばいいのか……」
時は戻って、境壁から帰還の途にある第一陣の、宿営地の天幕の中。
一時の回想から意識を戻したサシャは、さてどうしたものか、と大きく息を吸い込んだ。
目の前にはヴィオラの側仕え、ラダが手際よく給仕してくれた香り高い紅茶が置かれている。その香りが深呼吸と共に頭に染み込んで、心なしか気持ちを落ち着かせてくれた。
オルガに魔狂いの話をしようと姉ダーシャとの話を思い出せば思い出すほど、話せないことだらけのような気がしないでもない。
けれども、どうにかして上手に話しておくべきだと思うのだ。
ダーシャは話すことに消極的ではあったけれども。話すことで何人もの魔法使いが救われる可能性が高いことだし、何よりも、サシャの中で新世代の神々に感じる胡散臭さが天元突破しているのである。
「ええと、新世代の神々ってさ……」
ちょちょいと呪文を唱えればそれだけで、誰であろうとお手軽かつ見返りなしに力を貸してくれる。けれどもその力を使いすぎた魔法使いは、どこかで必ず気が狂ってしまう。
改めて考えてみれば、そんな時点でもう充分に怪しい気がするのだ。
もし市井の人物なり組織なりが、合言葉さえ唱えてくれれば誰でもお金を融通しますよー、そんなことを言っていて、それに乗った結果が身の破滅だったとしたら――それはもう、悪徳金貸しか詐欺師を疑うレベルではなかろうか。もしかして新世代の神々が人々に与えた魔法という力は、言ってみれば前代未聞の規模の詐欺案件ではないのだろうか。
「いや違った。それを話すならまず、魔法ってさ……」
奈落も現れ、刻々と終末に近づいているこの世界。
けれども、こんなに早く壊れていくとは思ってもいなかった――たしかダーシャが、父ヤーヒムの話のどこかでそんなことを言っていた記憶がある。
もしかして、本当にもしかしてだが、魔法という名の外部存在の力を人々があちこちで召喚し、それが少しずつこの世界を蝕んでいるのだとしたら。
ダーシャも言っていた。クラールの守りは本来固いはずだが、どうにかしてこの世界に足がかりを作られてしまったと。
もしかしたらそれこそが、人々に気前よく魔法の力を与える新世代の神々と呼ばれる外部存在の、隠された本当の狙いだとしたら。
――そんなことを考えて、いても立ってもいられない気持ちでオルガに「相談がある」と言付けを頼んだのである。
その後はなんやかやと目の前のことで忙しく、ひとりではどうしようもない事でもあるので、ちょっとだけ忘れてしまっていたサシャではあるのだが。
「いや、そこからじゃなくて。ええと、死蟲とかに魔法が効かないのから話した方がいい……?」
天幕の中、口を開いては逡巡を繰り返すサシャ。
周囲の面々は、そんなサシャがどんな秘密を語りはじめるのかと固唾を飲んで見守っている。そもそもが謎めいた天人族の英雄ダーシャとの天人族同士の会話が起点だというし、今のサシャの様子からも、何か途方もない内容であろうことは想像に難くない。
けれども当の本人は、話の規模が大きすぎて何から話せばいいのか見当もつかないのだ。
「ええと、うーんと……」
ヴラヌスという種族のあれこれはさすがに話せない。
天空神クラールこそがそのヴラヌスの成体で、この世界はその体の中であり、クラールは人々を見守るどころか子育てのための餌として人間を“飼って”いるだけ――そんなこと、口が裂けても言えやしない。
皆に話したいのは魔法のこと、魔狂いのこと。新世代の神々が危険で、奈落と裏で繋がっていると思われること。
……よし。そんな路線でいこう。
ようやくサシャの中で話の方向性がまとまった。頭に閃いたその流れならば、だいたい綺麗に納まるはず。
サシャは天幕の中の全員の顔を順に見回し、ゆっくりと口を開いた。
「――ええとね、世界が壊れていくのは、魔法のせいかもしれないんだ」
ようやく作品の副題をコールできました(^^)




