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世界が壊れていくのは、魔法のせいかもしれない  作者: 圭沢
第二部 奈落の足音と終末の使徒

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51話 新たなる敵

「な、なあサシャ。そこの馬鎧の留め金、弛んでないか?」

「えー、そこさっき確認したところだって。もうどこも完璧だよ?」


 翌朝。

 ヴィオラからの報せはシルヴィエたちを大いに盛り上げ、話し合いとしてはそれ以上進まずに解散となったのだが。


 幸いにして奈落の先兵の襲来もなく無事に朝を迎え、再集合した面々を驚かせたのは、別人かと思うほどに落ち着きを失くしていたシルヴィエだった。


「い、いや。こうして動くと少しそこが浮く気がするのだ……ほ、ほら」

「はああ、シルヴィエあんたねえ。久しぶりの再会に舞い上がっているのは分かるけど、ちょっとは落ち着きなよ。みんな何事かとあんたを見てるじゃないか」


 彼らがいるのは、昨日に比べて一段と見晴らしが良くなった境壁の上。

 <幻灯弧>を始めとした増援魔法使いたちによるほぼ徹夜に近い作業の結果、元々五メートルほどの高さだった境壁が、全体的に二メートルは嵩上げされているのだ。


 さらに今もその魔法建築は続いており、多重結界による死蟲の誘導が予想される個所を重点的に、更なる上乗せがなされている最中だ。


 もちろんいつまた奈落の先兵の襲来があっても良いように、兵士たちによる厳重な警戒態勢も崩されてはいない。


 そんな緊迫と活気が混在した中、対死蟲の切り札ともいえるサシャと神剣使いたちが揃って視察に来ているのだ。それだけでも視線は集まるというもの――なのだが。


「そ、そんなことを言われてもだな。今日は、ち、父が来るのだぞ。しかも私は流れのままにこんな分不相応な、そ、その父と同じ神槍まで持って」

「はいはい、それはさっきも聞いたじゃないか。あれからこの境壁に正式に届いた通達によると、到着は早くても昼。それまでに死蟲の襲撃だってあるかもしれないんだし、今からそんなに落ち着きを失くしてどうするだい」


 シルヴィエ以上に寝不足の顔をしたオルガが、その疲れた顔で大げさにため息をついている。


 彼女は昨夜の話し合いが解散となった後、多重結界の展開作業の助力に入って文字どおり一睡もしていないらしい。死蟲との戦いには魔法使いの出番がないが故、魔法で出来ることに全力を尽くしたいとは彼女の弁。


 が、疲れがピークに達しているそんなオルガの大きな声が、必要以上に周囲の視線を集めてしまっているのもまた事実ではあった。


「……サシャさま。わたくし、余計なことをシルヴィエに伝えてしまったのでしょうか」

「うーん、そんなことはないんじゃないかな? どのみち分かることだし、本人もあれで喜んでるだけだし。それにいつまた奈落が攻めてくるかってこの状況で、装備を万端に整えるのは悪いことじゃないよ」


 ……やりすぎはまあ、アレだけど。


 そんな言葉を飲み込み、サシャは困惑顔のヴィオラに頷いてみせた。


「それならいいのですけれど……」


 ヴィオラは自分の装備をちらりと見下ろしつつ、ありがとうございます、とサシャにやわらかい微笑みを返した。


 シルヴィエはシルヴィエとして、今朝のヴィオラはヴィオラでいつに増して輝いている。それはもちろん化粧がどうのということではなく、純白のミスリルメイルを始めとした装備品の数々が、という意味だ。


 どうやら昨日のファルタからの増援に彼女の側仕えのラダも潜り込んでいたようで、すわお嬢様がザヴジェルの危機と戦う大舞台だ、とラダはラダで睡眠時間を削ってヴィオラの装備品を磨き上げていたらしい。


 色々な意味で少し安堵したのか、ヴィオラがほんわかとサシャに世間話のようなものを振りかけた、その時。




「――問題は、まだ奈落の先兵が押し寄せてこない、ということだ」




 厳しい顔で瘴気漂う地平線を眺めていた樹人族の剣士、イグナーツが腕組みをしたまま静かに言葉を発した。彼は昨夜の話し合いの最後に「以後は使徒殿の専属護衛を務める」と宣言し、それ以降ずっとサシャの傍を離れずにいる。


「……使徒殿は、いくらなんでも再襲来に時間がかかりすぎている、とは思わないか? 昨日は攻めきれずに退却したとはいえ、あれだけの死蟲が引き上げていったのだ。戦力が壊滅した訳ではない。嫌な予感がする」

「嫌な予感?」

「あまり言葉にしたくはないが、そうだ。使徒殿がまず一昨日の夕方に死蟲を撃退して、次の襲来は昨日の昼――そこには新戦力の飛行蟲が追加されていた。それを我々も加わって昨日の夕方に撃退したが、またこうして時間を置いている現状、果たして次の襲来は如何なるのか」

「……うわあ。そう考えると確かに嫌な感じかも」


 イグナーツの懸念に、サシャの顔がひきつった。


 死蟲は戦力的に壊滅した訳でもないのに、なぜ撤退するのか。すぐにでも波状攻撃ができる戦力を残しているのに、なぜこうも時間を置くのか。


 時間を置いて行われた昨日の二回目の襲来で飛行蟲が加わっていたように、今日これからあると思われる三回目の襲来に、何かまた厄介なものが加わっている可能性は高いのではないか――そんなイグナーツの指摘に、サシャも思わず唸らざるを得なかった。


「……ただの集団暴走(スタンピード)じゃなくって、まるで相手に指揮官がいるみたいだよね。手強いようだったら無理押しはしないで、仕切り直してから次の手を打ってくる、みたいな」

「そうでないことを祈りたいが、昨日のあの引き際。飛行蟲の第二弾を全滅させた直後、大地を埋め尽くしていた死蟲が一斉に退却していったのだ。何かはある、そう考えるべきだろう」

「それでイグナーツさんは、出来れば次は早めに来てほしいと?」


 サシャの問いに、寡黙な樹人族の剣士は深い溜息で答えた。


「次の襲来に碌でもないものが追加されるぐらいなら、な。幸いにして今回の空白時間で、こちらはここまでの防備を追加できた」


 そう言って、節くれだった長い腕でぐるりと周囲を示すイグナーツ。


 そう。ひと晩で見違えるほどに高く嵩上げされた境壁は、飛行蟲の空からの攻撃はともかく、押し寄せてくる死蟲は確かにかなりの割合でシャットアウトできるだろう。


 まずは飛来する飛行蟲の迎撃に専念し、それからこちらのペースで死蟲を屠っていく――それが出来るだけの城壁が完成しつつあるのだ。


「我が儘を言わせてもらえば、ここで今すぐ攻めてきてくれるのが一番都合が良いのかもしれぬな。しっかりと時間を置いた前回はこちらの防壁という地の利を覆す、飛行蟲という新手を手勢に加えてきた。今回も下手に時間をかけて、それ以上の難敵を用意されては堪らぬ」

「かと言って、こちらから攻めるわけにいかないのが何とも難しいところですね」

「だよねえ……」

「…………」


 ヴィオラの言葉に、サシャもイグナーツも唸るような同意を返した。


 ここまであの死蟲の大群と五分に戦えているのは、それは偏にこの場の境壁に拠って戦っているからである。攻めに打って出て何もない荒野であの大群に囲まれるなど、自殺行為以外の何物でもない。


 騎士団が間断なく送り出している偵察部隊が充分な情報を持ち帰ってこれないのは、その辺りの事情が大きい。司令官のヘルベルトから他言無用で打ち明けられた話によると、偵察部隊の生還率は実に三割を切っているという。


 そういった意味では、そんな奈落の先兵の鉾先をこの領壁のしかも特定箇所に誘導している、オルガたちも展開に尽力した多重結界の働きは影の殊勲であるともいえよう。


「うーん、でもまあ向こうが攻めてこないってのも、ありがたいといえばありがたいんだけどね。ほら、死蟲はあれだけの大群だし、何を食べているか知らないけどお腹減って動けなくなっていくかもしれないし」

「そうですわね。あとはほら、お昼以降になればこちらにも頼もしい援軍が来ますし。シルヴィエのお父君フーゴさまが持つ神槍と、天人族のダーシャ様が振るうウィローネイル――この二つはほぼ間違いなく死蟲をも両断すると言われていますし、詳しいことは知らされておりませんが、何やら秘策もあるようです。わたくしたちザヴジェルの民にとって、カラミタ禍の英雄の彼らは対奈落の最重要戦力でしてよ」

「天人族の最後の一人、月姫か。噂は聞いたことがある。天空の支配者と呼ばれるかの御仁ならば、飛行蟲に対しても決定的な戦力となろうな。どうせこうまで奈落の襲来が遅れているのであれば、その者たちが来てくれた後になってくれた方が良いやもしれぬ」


 ふむ、と腕組みをするイグナーツを見て、ヴィオラの顔に謎めいた微笑みが浮かんだ。


「うふふふ、イグナーツさま。この世の中に、いつまでも天人族がひとりだけとは限らないかもしれないですよ?」

「……歴史上にもあと一人しかいない、そう聞いているが。まあここで何を言っていても始まらない。結局、今の我々は待つしかないのだ。歯がゆいが、これが受け身の戦いのやり辛いところだな」


 サシャたち三人がそんな話をしていると、未だにオルガとああだこうだと言い合っていたシルヴィエが、すす、と話に入ってきた。


 父親と天人族の月姫の話をしていることが彼女の耳に届いたのだろう。

 父親のことはもちろん、天人族の月姫は月姫で、以前サシャにもちらりと話していた彼女の心の師なのだ。そんな二人の話とあって、シルヴィエは落ち着かない様子でサシャの背中をつついてきた。


「どどど、どうしたのだ? ち、父とダーシャ殿の話をしていたように聞こえたのだが」

「ん? 早く来てくれるといいね、って話」

「そ、そうか。確かに早く来てくれなければ、私の心臓はそこまで長く持ちそうにない」

「もう、ちょっと落ち着きなよ。いつまた死蟲が襲ってくるか分からないんだし、お父さんたちの到着までここを守るのが今のシルヴィエの仕事じゃない?」

「そ、そうだな。うむ、よくぞ言ってくれた。二人の到着までこの境壁を守る、それが今の私の責務だ。よ、よし」


 その場で思いついたサシャの言い分だったが、それがシルヴィエの琴線にクリティカルヒットしたらしい。いつもの凛とした雰囲気を取り戻していくシルヴィエに、そういえば、とサシャは質問をぶつけてみた。


「ねえシルヴィエ、そういえばずっと疑問に思ってたんだけどさ。カラミタ禍ってざっと百年も前の話なんだよね? シルヴィエのお父さんって、なんでまだ生きてるの? ケンタウロスってそこまで長寿じゃなくない?」


 聞きようによっては随分と失礼な質問ではあるのだが、シルヴィエは逆に誇らしげにそれを受け止めた。


「ああ、父は特別だからな。そうだからこそケンタウロスの中興の祖であり、英雄なのだぞ。なんでも想像を絶する激戦だったカラミタ禍の終盤で、何某とかいう古の神に力を授けられたらしくてな。本人曰く、この百年で三歳か四歳分ぐらいしか老けていないらしい」

「うわあ、さすがに英雄視されるだけのことはあるね。それじゃ普通のエルフより全然長生きなんじゃないの?」

「おそらくはそうなるだろうな。父は私にとっては越えられない壁であり、生涯をかけて目指すべき目標――」





 その時。

 それまでサシャの肩で大人しくしていたカーヴィが突然、転移で逃げた。


 そして。





「……な、なんだよアレ」




 見張りの兵士が掠れ声で漏らした言葉が、喧騒の間の一瞬の静寂を死神のようにすり抜けて、はっきりと境壁上に流れて消えた。


 そこに込められた狼狽と恐怖。


 兵士の声を耳にした者全てにそれは明確に伝播し、全員がピタリとその作業の手を止めて一斉に振り返った。


 昨日より遠くまで見渡せるようになった、キリアーノ領側の瘴気たなびく荒れ地の彼方。


 そこから鬼気迫る勢いで数騎の騎兵が駆け戻って来ていて、その後ろには。


 瘴気よりも更に濃い暗黒の地平線が、地鳴りと共にこちらへと押し寄せてきていた。




「――な、奈落が来るぞ!」




「飛行蟲の大群だ!」

「その下、死蟲だけじゃない! なにかデカいのが混じっているぞ!」

「警鐘ッ、警鐘を鳴らせッ! 奈落の第三陣、凄まじい勢いで接近中ッ!」


 一拍置いてけたたましく早鐘が打ち鳴らされ、境壁上の全員が我先に動き始める。

 幾つもの怒号が上がり、作業の喧騒は一気に戦場の緊迫したそれへと塗り替わった。


「大盾隊、大至急作戦箇所に展開しろ!」

「魔法使い殿! そこの胸壁だけは敵襲前に仕上げを!」

「誰か偵察部隊を迎え入れろ! 新種の情報を今すぐ聞いてくるんだ!」

「神父殿! ヴィオラ姫! シルヴィエ殿もイグナーツ殿もどうぞこちらへ!」

「アンタたち気をつけるんだよ! あたいはあたいでやれることをやってるから!」


 サシャたちが慌ただしく境壁中央の見晴らし台へと誘導される中、オルガがひと声を残して多重結界の管制所へと駆け去っていく。


「敵戦力は飛行蟲約二百、新種が五十超、死蟲は数え切れず! 多重結界に沿って一塊となってこちらへ向かってきます!」

「伝令! 先行して戻った偵察騎兵より報告が来ました! 新種の蟲はワーム型、体長二十メートル越え! 例によって剣も魔法も効かず、全身に岩石をまとい重量は不明ながらも駿馬同等の前進速度あり! 境壁への体当たりに注意されたしとのこと!」


 矢継ぎ早に飛び交う緊迫した情報群――



 それはイグナーツが懸念していたことが、最悪の形で実現したことを意味していた。



 危惧していたとおり、充分な準備時間をかけて捲土重来を期していた奈落は今回。

 人間には抗いようのない質量を以て、頼みの綱の防壁を物理的に破壊する――そんな手段に出てきたのである。



「イグナーツさん!」



 鼎の沸くがごとき大騒ぎの中、その新種の情報が耳に飛び込んできたサシャが大声で叫んだ。


「ねえ! イグナーツさんの神剣なら新種の体当たりを止められるんじゃない!?」

「む、剣を絶対防壁に変えてその正面に捉えれば、数体ならばおそらく――だが! それでは使徒殿を守る者がいなくなる!」

「こっちの守りはいいから! 境壁が崩されたらそれどころじゃないでしょ! だからお願い、まずは壁を守ることに専念して!」


 一瞬の躊躇の後、承った!と猛然と踵を返した樹人族の剣士を見送りもせず、サシャは続けてもう一人の神剣使いへと振り返った。


「それとヴィオラ!」

「はい!」


 すぐ傍らに追随していた彼女が、即座に返事を返してくる。


「ヴィオラにもお願い! こないだ見せてもらった斬撃の魔法みたいなやつ、アレで新種を攻撃して! そんなに大きいの相手じゃ普通の剣とか槍とかじゃ無理! ヴィオラのアレしか!」

「お任せください!」

「ありがと! こっちはシルヴィエと飛行蟲をなんとかするから! ヴィオラの方に行かないように二人で守るから、新種を最優先でお願い!」

「はいっ!」


 どこが琴線に触れたのか分からないが、今の短いやり取りで更に気合いが入った様子のヴィオラ。


「ヴィオラ、頼りにしてるぞ!」

「はい! シルヴィエも気をつけて!」


 同志シルヴィエはこの急場でもさすがに同志だった。

 サシャが確認するまでもなく、以心伝心で言いたいことが伝わっていた。それどころか――


「伝令兵! 今の話を大至急司令部に伝達!」

「はっ!」

「多重結界の管制所ともその方向で連携を、とも伝えておいてくれ! 頼むぞ!」

「はっ、直ちに!」


 ――サシャの気が回らなかった部分をフォローしてくれた。


「ありがとシルヴィエ! 敵は予想以上に足が速いみたい! 行くよ!」

「おう!」

「はい!」



 三度目となる奈落の先兵とザヴジェルの死闘は、今まさに始まろうとしている。




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