47話 防壁上の乱戦(後)
「者共、落ち着けえ!」
「刺又隊、出番だッ! 大盾隊と協力し、どうにか動きを封じるんだ!」
二百メートルにわたって胸壁を乗り越え、一斉になだれ込んできた死蟲の大群。
けれども、この領壁を守るザヴジェル騎士団も全くの無策ではない。
「よしきた、任せてくれ!」
「うおおおおお!」
この事態に対応すべく考案されていたのは、やはり新設の部隊だ。それは昨日の戦いを参考に創設された、暴徒鎮圧用の刺又を主装備とした対死蟲の制圧部隊である。
刺又とは長柄の先にU字型の大型金物が取りつけられた、暴徒の首や腕などを壁や地面に押しつけて捕らえる武具のこと。それが距離を保ったまま死蟲の動きを封じるのに丁度いいと、大盾隊と同様に急遽在庫をかき集めて創設されたのだ。
空を舞う飛行蟲には殆ど無力だった彼らも、地を這う死蟲相手ならば想定どおりである。ようやく出番が来たと猛然と躍り出てくる。
「よし! 捉えたぞ!」
「一箇所では抜けられる! 寄ってたかって胸壁に押しつけろ! ポーション兵、こっちだ頼む!」
領壁上の何ヶ所かでは目論みが初動から功を奏し、被害を出す前に死蟲を封じ込めることに成功している。
だが、それで上手くいったと安心はできなかった。
「――む、無理だ! 押さえている間にぎぐわああああ」
封じ込めに成功したのは僅かに半分。
刺又の武具としての使い勝手は想定どおり、いや死蟲相手には想像以上に使える代物だった。けれども本来の想定では、まず一般兵が領壁上から登ってくる死蟲を迎撃し、それをかいくぐってきたものの動きを大盾隊と共に封じ込める、それが彼らの役割である。
ところが飛行蟲という想定外の相手が、その前提を見事に崩してしまっている。
飛行蟲に襲撃され、領壁上からの死蟲迎撃など碌に出来ていない現状。
なだれ込んでくる死蟲に対して彼ら刺又隊の人数が絶対的に足りていない上に、連携して動くはずだった大盾隊も未だ飛行蟲にかかりきりとなっており、刺又で必死に死蟲を押さえている者たちが他の死蟲に対して完全な無防備となってしまっているのだ。
「た、頼む! 誰か早く来てくれ! ポ、ポーション兵早く!」
「今行くよっ! もうちょっとだけ頑張って!」
しかし、そこで八面六臂の大活躍を見せているのがサシャ。
範囲が広い死蟲の乱入箇所を所狭しと駆けまわり、青く輝く双剣が止まる暇もないほどに片端から奈落の先兵どもを斬りまくっている。サシャの一撃さえ入ればそれらがまとった瘴気が薄まり、仮に刺又で突いてもダメージを与えられるようになるのだ。
そしてさらに。
「道を空けろ! 駆け抜ける!」
凛とした叫び声が戦場の叫喚を切り裂き、暴風のようにシルヴィエが疾駆してくる。
その周囲には青い神槍が複雑な軌跡を描いて暴れ狂っており、駆け抜けた後には死蟲と飛行蟲の苦悶の金切り声が湧き起こっていく。
天を揺るがす怒声と喊声がさらに高まり、人間と奈落の先兵との攻防は時を重ねるごとにますますその苛烈さを増していく。
青き聖光を煌めかせるサシャとシルヴィエの、神々しくも鮮やかな神兵のごとき力戦。
新たに創設された大盾隊と刺又隊の奮闘を含めた、ザヴジェルが誇る精鋭たちの死闘。
飛行蟲が追加で現れることこそないものの、死蟲は後から後から胸壁を乗り越えてなだれ込んでくる。ここ数十年ザヴジェルが経験したことのないほどの激しい戦闘が、今まさに繰り広げられているのだ。
「――多重結界による誘導は八割がた成功している! こここそが主戦場! 手すきな管区から増援も来ているぞ! 者共、今が正念場だ!」
「うおおおこの蟲けらがああ! 次から次へとしつこいんだよ!」
「蟲どもの死骸が邪魔だ! 余裕がある者なら誰でもいい、片端から投げ落とせ!」
今のところ、戦いの趨勢はどちらに傾いているとは言いがたい。
サシャとシルヴィエというまさに神がかり的な戦力がザヴジェル側に加わったかと思えば、奈落の先兵側には飛行蟲という新手の強敵が現れた。領壁というザヴジェル側の絶対的な地の利を根本から覆したそれに、サシャやシルヴィエ、新設の各部隊の奮闘でようやく戦いの均衡を保っている。
戦いはまさに佳境、分水嶺ともいえる膠着状態だ。言葉を替えれば、攻守ともにあと一手、決定的なもう一手があれば流れを己が物へと引き寄せられるという状況。
そんな危うい均衡状態が果てることなく続き、そして。
――戦女神の祝福を手繰り寄せたのは、総力を尽くして守るザヴジェル側だった。
「サシャさま! お待たせしました!」
「よくぞ持ち堪えてくれた! ファルタから援軍に来たぞ!」
「奈落の先兵どもめ、一歩たりともザヴジェルの地に入れさせはせん!」
「怪我人はこっちだ! 絶対に守る!」
ここぞという絶好のタイミングで領壁を駆け登ってきたのは、ヴィオラほか三名の魔剣使い。
彼らはザヴジェルでも屈指の知名度を誇る、死蟲にも有効と期待されている魔剣を持つ者たちだ。昨日の緒戦の段階で八方に激を飛ばし、懸命に増援を要請したザヴジェル騎士団首脳部の努力がここで再び成果をもたらしたのだ。
ザヴジェルの秘宝ことヴィオラの魔剣は、斬ったものに等しく死という名の破壊をもたらすという、領主一族伝来の緑白に輝く『古の破壊神』の剣。
大方の識者が、死蟲にもあの剣ならば、と見込む対奈落の最有力武器のひとつであり、他の者たちがもつ魔剣も負けず劣らずのものがずらりと並んでいる。それは現状で望み得る、最高の顔ぶれだ。
――ある者の魔剣は、有名な切断魔法『エアブレード』の精髄をその刀身に宿し、この世に斬れぬものはなしと謳われ。
――またある者の魔剣は、ひとたび解き放てば大魔法『ファイアウェーブ』で顕現する神力をそのまま刀身に留め続け、その圧倒的な灼熱で万物を焼き尽くす神罰の剣であり。
――そして最後の一人が持つ魔剣は知名度こそ他に劣るものの、知る人ぞ知る古の神の遺物であり、どんな攻撃にも耐え、望んだ形の絶対防壁に変化するという正真正銘文字どおりの神剣だという。
著名な破壊神の神剣を持つヴィオラに、火、風、土属性の名だたる神剣使いたち。
そんな世にも稀少な魔剣の使い手たちが偶然にもファルタに揃っていると知った騎士団首脳部は「何という神の采配か!」と驚喜し、あらゆる伝手を総動員してファルタから呼び寄せていたのである。
そして一番の僥倖は、偶然にもその流れの中でサシャが先行し、この領境に駆けつけてくれたことだ。ザヴジェルでは姿を消して久しい神の癒しの真なる使い手、文字どおり神の御業の代行者とも思えるサシャ。
彼が昨日先行して救援に来ていなければ、今という時はなかった。そして今も戦いの山場ともいえるタイミングで、彼ら首脳陣が喉から手が出るほど欲しかった『あと一手』となる、頼もしき増援が到着したのだ。
――まさに全てが、神の奇跡であるのかもしれなかった。
これで勝てる。負ける訳がない。
そんなヘルベルトら指揮官たちの熱狂は兵たちにも敏感に伝わり、歓呼の叫びが領壁上に伝染していく。
「ファルタからの援軍が到着したぞ!」
「ヴィオラ姫が、名だたる魔剣士たちが、俺たちと一緒にこのくそったれな死蟲を屠ってくれる!」
荒廃し病み衰えたこの世界において。
大陸南方でいくつもの国を闇で喰らい尽くしたという奈落との戦いは、この地に生きとし生けるものの命運を賭けた戦いであると言っても過言ではない。
有望な『あと一手』を得たザヴジェル勢の士気はいやがおうにも上がり、戦いの流れを一気に引き寄せ、闇の先兵を果敢に撃退していく。
「サシャさま! 共に世界の敵と戦いましょう!」
まずは風のようにサシャに合流したヴィオラが、サシャと共に飛行蟲をその緑白の魔剣で片端から屠りつくし。
「そこをどけ! 今行くからな!」
それで若干のゆとりが生まれたシルヴィエが、狭い領壁上ながらもその機動力を存分に生かして、広範囲でなだれ込んできた死蟲を縦横無尽に迎え撃って。
残念ながら炎と風の魔剣は魔法と同様に死蟲らには一切通用せず、使い手は奮戦虚しくあえなく戦場に沈んでしまったが。
「ここは通さぬ! さあ皆こちらへ!」
だが、土系統に分類されるであろう絶対防壁の神剣は死蟲にも通用し、使い手の樹人族の剣士は存分に活躍をしている。重く力強い剣で死蟲を打ち払いつつ宣言のとおり怪我人を安全に隔離し、そして限定的にではあるが、なだれ込んでくる死蟲の勢いが強い箇所にはその絶対防壁を立てて時間稼ぎをしたりもしている。
「ここが勝負どころだ! 一気に押しかえせッ!」
「死蟲を突き落せ! 新型はもう殆ど残っていないぞ!」
「連携を忘れるな! 力を合わせて耐えれば、すぐに神剣使いたちが補佐に来てくれる!」
こうして確かに傾いた戦いの天秤は、夕刻まで続いた激戦の終わりに――
「見ろ! 死蟲が一斉に退いていくぞ!」
「気を緩めるな! 残っているものは最後の一匹まで叩き落とせ!」
「衛生兵! 負傷者の回収と治療を急げ!」
――遂に守備側の勝利という形で決着したのである。
途中で二百の飛行蟲が追加として現れたが、それをかろうじて全て屠り去ったところで、大地を埋め尽くした死蟲が引き潮のように撤退していったのだ。
「うおおおお! 勝った、勝ったぞ!」
「俺たちは守りきった! 今日も守りきってやったぞ!」
暗黒の猛攻にどうにか耐えきった領壁に残されたのは、声の限りに勝鬨を上げる兵士たちと、無数に転がる死蟲と飛行蟲の残骸。
「よくやったお前たち! だが休むのは早いぞ、次に備えるのが先だ!」
「各部隊、点呼して被害を確認しろ! それと境壁上を綺麗にしろ、今すぐだ!」
足の踏み場もないぐらいに打ち棄てられた敵の残骸は、残念ながら火魔法で焼却しようにも相変わらずすり抜けてしまう。今のうちにと領壁の下へと転がり落とし、油をかけて盛大に燃やし始めた劫火が、夕陽を受けてさらに赤々と輝いていって。
――こうして今日の戦いは終わったのだった。
「なんとか、守りきったな」
「ええ、ほんとうに、なんとか」
精根を使い果たし、シルヴィエとヴィオラが領壁上に仲良くへたり込んでいる。
そのすぐ近くには、膨大にあった体内の青の泉を使い尽くし、蒼白な顔で胸壁にもたれかかるサシャの姿もある。
「みんな、本当に頑張ったよね」
「ああ。サシャも私もヴィオラも――そして、全ての兵士たちもな」
シルヴィエが何の衒いもなくそう断言した。
名実ともに今日の戦いの立役者であったサシャ、英雄の血筋というものを鮮烈に証明してのけたシルヴィエ、最後まで死力を振り絞って戦い抜いた勇敢な兵士たち。
そして途中救援ながらもその類稀な魔剣の力を十二分に発揮し、やはり抜きんでた活躍を見せたヴィオラと樹人族剣士のイグナーツ。
炎と風の魔剣使いを始めとした犠牲も大きかったが、昨日の戦いを元に工夫創設された新部隊も含め、誰か一人、何か一つでも欠けていれば、今日の勝利はなかったかもしれない。
「明日もこの夕陽を眺められるかな」
「ええ、サシャさまがいれば、きっと」
「また皆で見たいものだな。出来れば兵士たちも含め、これ以上誰一人欠けることなく」
奈落との戦いは未だ前哨戦に過ぎない。
今日の戦いは、歴史には残らない名もなき戦いのひとつになっていくのだろう。
だが。
今日の苛烈な戦場に立った全ての者が、一兵卒に至るまで英雄と謳われてもおかしくない戦いをしたことは紛れもない事実である。
それを知るのは、同じ今日の戦場に立った者のみ。
それでもいい。強い同胞意識と共に確かな達成感が、全員の胸に共有されているのだから。
「――さあ、そう言えばさっきヘルベルト殿が呼んでいたぞ。次の襲来に向けての対策会議だそうだ」
シルヴィエがその馬身の四脚を踏ん張って、ゆっくりと立ち上がった。
それを領壁上の石床に座ったままのサシャとヴィオラが、顔だけを上げて見上げている。
「それは、わたくしも?」
「えええ―、今は動きたくないー」
「何を言っている。サシャとヴィオラが欠けてどうする。オルガもバルトロメイも出るようだぞ。それと――イグナーツ殿! 貴殿も参加してほしいそうだ!」
気合を入れ直したシルヴィエの凛とした声が夕焼けの領壁に響き、指名を受けた面々が一緒になって歩き始めた。
今日の戦いは終わった。
だがそれは、次の戦いの始まりでもあるのだ。




