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世界が壊れていくのは、魔法のせいかもしれない  作者: 圭沢
第二部 奈落の足音と終末の使徒

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44話 会談

「こっちがファルタの騎士団からユニオンに正式に注文が行った分でしょ、それであっちはそれとは別のユニオンからの無償提供分で、でもってそこにあるのが商人組合ってところからの義援ポーションと魔鉱石……」


 死蟲の攻勢がひと段落して休む暇もなく、サシャはザヴジェル騎士団の南方駐留部隊本部へと連れてこられていた。先の目覚ましい救援についての話ももちろんあるが、その前にまず、カーヴィの空間収納で運んできた各種救援物資を引き渡してほしいと懇願されたのだ。


 救援物資には食料や魔鉱石なども含まれているが、今この領境の要塞で一番必要とされているのはポーションである。


 サシャの癒しがものの見事に死蟲に効いてくれたとはいえ、次なる来襲に備えて数はいくらあっても良い。しかも先の戦いで上級以上のポーションは対死蟲に優先され、一部の怪我人は中級以下のもので時間稼ぎをしている状況なのだ。


「なあサシャ、たしか目録というか一覧のようなものを受け取っていなかったか? 間違いなく物資を渡したという証に、こちらの責任者のサインをもらってきてくれと言われていただろう」

「お、そういえばそんなのあったねえ。さすがはシルヴィエ。ねえカーヴィ、なんかこれぐらいの、こうやってくるくるって丸めてある紙を出せる? ――ああコレコレ」


 非常に感覚的な表現のサシャの注文にも、先ほどからカーヴィは一度も間違えることなく指示されたものを出現させている。さすがはアベスカの特級従魔、と騎士団の兵站担当部署の面々は感嘆しきりである。


 彼らは輝く目で、時間があればぜひ詳しい話を聞かせてほしい、そんな無言の訴えをサシャとシルヴィエに投げかけてきているが、今はそれどころではないのが事実。いつまた次の来襲があるのか分からないし、何より部屋の壁際にずらりと並ぶ騎士団のお偉方が、領壁を救った若き神父の体が空くのを今か今かと待ち構えているのだ。


「ああっ、コレがあれば随分と助かります! ……ええと、後はこちらで出来ますので、神父殿はどうぞあちらへ」


 兵站担当の責任者が上官たちの無言の圧力に負け、サシャとシルヴィエをお偉方たちの前へと恭しく導いた。


 実際問題として、彼が渡された書類をちらりと見た限りでは、とりあえずこの場で緊急に必要なものは充分に揃っていそうだった。ならば、先の戦いでまざまざと見せつけられた眼前の小柄な神父の驚くべき力、それこそがこれからの戦いにおいて一番に必要なものなのだ。


「……一同、神父殿に敬礼!」


 小声で囁かれた兵站責任者の号令は、はたして必要だったかどうか。

 お偉方たちに連れられて作戦会議室へと向かうサシャの背中に誰からともなく、兵站担当部署十二名の心からの最上級騎士礼が一糸乱れずに、音もなく一斉に捧げられたのである。



 ◇



「神父殿、シルヴィエ嬢。この領境は今日、二人に救われたといっても過言ではない。まずは我ら一同、建前抜きでの本心からの礼を言わせてくれ」


 華美なものの一切ない、質実剛健な南方駐留部隊の作戦会議室で。

 サシャとシルヴィエを客座に据えた騎士団幹部たちが一斉に立ち上がり、口々に礼を述べて頭を下げた。


 その物々しい光景に、うひゃあ、と声にならない悲鳴を上げたサシャ。

 とてもではないが、いたたまれないにも程がある。視線で必死にシルヴィエに助けを求めると、そんな思いはシルヴィエも同様だったようで、小さな咳払いと共に場をとりなしてくれた。


「あー、サシャはさておき、私は何もしていない。そしてサシャも仰々しい場は苦手だ。どうか頭を上げ、普段どおりに着席してほしい」

「ではお言葉に甘えて。我らにとって感謝を伝えることも重要だが、今後に向けての話し合いも重要なのでな。皆、着席を」


 場を代表してそう答えたのはヘルベルト=ヘルツィーク。彫りの深い実直な顔に誇り高き錆色の瞳が印象的な、ザヴジェル騎士団の南方駐留部隊の最高責任者だ。


「神父殿は初めまして。シルヴィエ嬢は久しぶり、というところかな。ご父君とは時おり顔も合わせるのだが、貴殿とは十数年ぶりになろうか」


 彼はザヴジェルの名高き無敗の防衛部隊、<鉄壁>騎士団の副団長でもあるという。

 長年の鍛錬と風雪で研ぎ澄まされたかのような風貌に浮かべた、サシャの胸に自然と敬意を抱かせる微笑と共にそう自己紹介をしてきた。


 彼は普段はファルタを本拠地にしているのだが、昨日の朝キリアーノ領側から届けられた第一報を受けて即座に動きはじめ、急遽兵力をかき集めて昨日のうちにこの領壁へと駆けつけていたらしい。ちなみにぺス商会のオットーを驚かせた大容量魔鉱石の買い占めは、まさにこの人がファルタに残していった無数の指示のひとつである。


「ふふ、それにしても立派な武者になったものだ。<槍騎馬>の噂は聞こえているぞ? 今回もケンタウロスの誇りを枉げ、ファルタより神父殿をその背に乗せて疾駆してきたそうではないか。謙遜は不要。お陰であのタイミングでの救援となり、この場がある――違うかな?」

「…………」


 つつ、とあからさまに視線を逸らせているシルヴィエ。

 あの混乱の最中に到着した時は説明する時間も惜しく、流れのままにそういうことにしていたのだ。そしてそのままサシャと共に領壁の救援になだれ込み、今に至る訳なのだが。



 ……まあ、このままそういうことにしておいてもいっか。



 密かに動揺するシルヴィエの隣で、サシャはそんなことを考えていたりする。

 このヘルベルトという偉い人は良い人そうだし、シルヴィエの家族ぐるみの知り合いのようでもある。あえて訂正するほどのことでもない。


 それに実際、昼間シルヴィエがラドヴァンに特級従魔の交渉を持ちかけなければ、他の人たちと一緒に明日朝の出発になっていた可能性もある。そう言った意味では、あのタイミングでここにこれたのはシルヴィエのお陰、そう言ってもあながち間違いではないのだ。



「――それと、バルトロメイ殿と<連撃の戦矛>にも感謝を」



 微妙に途切れた会話の間を埋めたかったのか、騎士ヘルベルトは作戦会議室の隅の一角へと声をかけた。


「民兵であるにもかかわらず共に戦ってくれたことと、神父殿の存在を進言してくれたこと。どちらが欠けていても今のこの状況はない。神の配材とすら思えるほどの、この上ない助けとなった」

「それはお互い様だ、ヘルベルト殿。そもそも死蟲に追われてこの領壁に逃げ込んだのは我々民間調査隊の方だからな。神父殿の迅速な救援と神の奇跡に、我ら<連撃の戦矛>からも同様に心からの感謝を」


 そう言って重々しくサシャに頷きかけるのは、昨日ユニオンで勧誘してきた有力ハンターのバルトロメイその人だ。別れてからまだ一日しか経っていないのに、その分厚い金属鎧には幾つもの真新しいへこみが出来ている。


 本人に怪我はなさそうなのが幸いだが、よほどの激戦が続いていたのだろう。

 あのタイミングで来れて本当に良かった――知った顔が無事に見れたことで、改めてサシャの胸にそんな思いが込み上げてくる。


「それにしても神父殿がここまで戦況を引っくり返してくれるとは、まさかの我々も思っていなかったぞ。湯水のように減っていくポーションの代わりに、少しでも怪我人を癒す助けになってもらうことができれば――それだけの考えだったのだ」


 遠慮がちにそう語ったバルトロメイは、そこでふと思い出したように太い眉をひそめた。


「それと、結果として勝手に神父殿を売ってしまったようで、誠に申し訳なかった。併せて謝罪させてくれ」

「ああ、ええと、それは別に……。その、お願いだからそんなに畏まらずに普通に話してもらえると、こっちも助かるというか……」


 サシャがバルトロメイの顔を見て安堵している間に、散々重ねられてきた感謝の上に、何とも思っていないことに対する謝罪まで加わってしまった。サシャのいたたまれなさは再び天元突破の勢いである。しどろもどろになってどうにか言葉を捻りだすと、バルトロメイクツクツと笑いはじめた。


「くく、神父殿は相変わらずだな。だが、神父殿の神の癒しとはそれほどまでのものなのだな。まあ、奈落がこの世界を蝕む邪悪な病と考えれば、神の癒しがそれを癒せるのは当然なのかもしれないな」


 悪戯っぽい口調で、分厚い肩をひょいっとすくめたバルトロメイの言葉に食いついたのは、意外にも議長席に座るヘルベルトだった。


「ほう、それはなかなか興味深い喩えですな。いや、あの死蟲どもの弱体化ぶりを思えば……存外的を得た考え方なのかもしれんぞ。実際、ブラディポーションより直接的な効果を与えているようにも見えた。それに、最後のあの死蟲どもの唐突ともいえる退却は――」


 最後の方は自問するようにぶつぶつと呟いていたヘルベルトが、唐突に視線を上げてサシャの珍しい紫水晶の瞳をひたと見詰めた。


「――ふむ、神父殿はいかがお考えか? あれほど敢然と死蟲に立ち向かっていったのだ、どんなお考えであのような事を?」

「かかか、考え!? ええと、その、ポーションが効くんだったら癒しも効いたら嬉しいなあ、と考えていたというか、それ以上のことまで考えていなかったというか」


 なんだか深いことを聞かれてしまったが、実際にサシャの頭にあったのはそれだけである。


 あの時は領壁に到着する前から切羽詰った怒号やら絶叫やらが聞こえていて、いざ現場に駆けつけてみれば、誰もが必死な顔で慌ただしく走り回っている。なので焦る気持ちのままに勝手に領壁の上に駆け上がり、まずはそこの怪我人を一気に癒した。


 それから物は試しと一番近くで暴れまわっていた死蟲に、癒しの青光をまとわせたままの手を思いきって叩きつけてみれば。


 なんと、もの凄い咆哮と共にその死蟲が崩れ落ちたのだ。


 そうなった死蟲には剣も槍も通じるようで、周囲の兵士たちが驚愕に目を瞬かせたのも刹那のこと、あっという間に滅多切りに屠ってくれた。


 後はその場の勢いで流れるがままである。

 湧き上がる歓声の中で手近な騎士っぽい人に大雑把な事情を説明し――それは実際にはシルヴィエに丸投げした――、サシャ自身は即座に踵を返して、領壁上に侵入してきている死蟲を夢中になって相手していっただけのこと。


 途中で素手ではなく、癒しをかけるように多めの青の力を流し込んだ双剣でも通用することに気がついたのは僥倖だった。双剣の長さの分の間合いが稼げるし、何よりそれは慣れ親しんだ自身の戦闘スタイルだ。


 それからは死蟲に癒しの一撃を与える作業が一気に加速し、領壁上を駆け抜ける勢いで文字どおりに走り抜けたのだ。士気を取り戻した兵士たちのお陰もあって死蟲を追い払うことに成功し、サシャが割れんばかりの歓呼の大歓声に包まれたのも束の間のこと。


 負傷者に大至急使いたいというポーションその他、持ち込んだ救援物資を急ぎ出してほしいと頼まれて――。




「……という訳で、我々も現場で初めて神の癒しが通用することを知ったのだ。改めて状況を知れば知るほど、通用して良かった、心からそう思っている」




 そうシルヴィエが話をまとめてくれ、一同からううむ、と嘆息が零れた。


「まあポーションが効くという話自体、今日の戦いで判明したばかりの最新情報ではあるからな……」

「だがポーションも神父殿の癒しも、死蟲には実に有効だ。それだけでも充分にありがたいことだと考えねば」

「まずはいつあるとも知れぬ次なる襲来、それにどう対処するのか考えるのが先だな」

「そのとおり! 兵たちがひと息ついている今こそ、我々がしっかりとした戦略を打ち立てていかねば――」


 ずらりと並んだ幕僚たちが口々に発言を始め、けれどもすんなりとひとつの方向に流れていく。


 うわ、この違いは何?とサシャは内心でこっそり驚いているが、それは故郷の権力争いばかりしていた騎士団との対比である。精鋭と名高いザヴジェル騎士団とは、そもそも比べるのが烏滸がましいのかもしれなかった、


「ふむ、話を逸らしてしまったのは私だな。申し訳ない。取り急ぎ、肝心かなめの懸案事項から確認させてもらうとしよう――――さて、神父殿」


 ふぁい? と危うく声を裏返しかけたサシャだったが、どうにか誤魔化すことに成功した。こんな偉い人ばかりの会議はどうにも心臓に悪すぎる。唐突に何を聞かれるかは分からないが、せめてもの時間稼ぎにと、ずっと感じていたことを口早に頼んでみた。


「あの、神父殿じゃなくて普通にサシャと呼んでくれれば嬉しいですます。その、こっちは見てのとおりの若輩者の……ユエに?」

「ふはは、自分がこの領壁でどれほどの感謝と畏敬を集めているか気づいてないと見える。だが、それで逆に本人が萎縮してやりづらいと言うのなら……サシャ君、でどうかな? 慣れない敬語も不要だ」

「おお!」


 それならばかなりマシである。

 しかもヘルベルトはさり気なく口調も和らげてくれており、なんだか急に親しみやすくなった印象だ。何事も言ってみるものだねえと、サシャは思わず安堵の笑みを浮かべた。


「ふふふ、サシャ君はそんな顔で笑うのだな。若輩者とはいうが、果たして見た目どおりの年齢かな? あそこまでの神の御業を修めているのだ。よほどの修行を重ねてきたのだろうと、そう考えていたのだが」


 口調を変えたことでサシャの緊張が緩んだのを察知したのだろう。ヘルベルトはまずは軽い世間話から入ることにしたようだった。


 サシャからしてみれば有難い配慮である。

 失敗がないようにと気を張っている部分はあるものの、気楽な話題に舌もスムーズにまわっていく。


「あー、癒しについてはほとんど生まれつきというか、独学で使っているうちに自然とこうなったというか。でも確かに見た目よりはちょっとだけ年齢は重ねてるかも。アスベカっていう、ここよりずっと荒れた国の孤児だったから正確なところは分からないけど、たぶんシルヴィエと同じくらいじゃないかな?」

「ちょ、ちょっと待てサシャ」


 思わず、といった態で、シルヴィエが上半身全体でサシャへと向きなおった。


 ようやく肩の力が抜けたかと思って聞いていれば、流れに乗っての失言としか思えない予想外の発言である。急きょ用意されたであろうケンタウロス専用の座椅子からその馬体の下半身をも僅かに浮かせ、シルヴィエは慌ててサシャをたしなめにに入った。


「私と同世代だなどと、それはいくらなんでもそれは盛りすぎだろう。私より五歳、下手をしたら十歳は幼いのではないのか?」

「えええ、シルヴィエまさかそんな風に見てたの!? 神父の格好をやり出す前は傭兵をやってたって言ったじゃん! そんなに年下だったらどう考えても計算が合わなくない!?」


 部屋の中にお偉方がずらりと並んでいるにもかかわらず、若干小声に抑えながらも普段どおりの賑やかな抗議を始めるサシャ。つい先ほどまで緊張して静かにしていたのが嘘のように、生き生きとその紫水晶の瞳を輝かせている。


 けれども周囲はそんなサシャをとがめる様子でもなく、かといって微笑ましく見守っている様子でもない。周囲は周囲でまた、予想外の反応を見せていた。どういう反応かというと――


「……あの瞳の色で、その年代だと?」

「……まさか、ただの偶然ではないのか。二十年も前に神隠しにあった赤子が生き延びている筈がないだろう」

「……他国の孤児だったと聞こえたが、はたして」


 ――作戦会議室の一角を占める高位魔法使いたちを中心に、そんなどよめきが湧き起こっていたのだ。


 それは世にも珍しいサシャの紫水晶の瞳を見るなり、お歴々の一部の脳裏に電撃のように思い出され、そしてこっそりと念頭から消し去られていたこと。サシャが見るからに年若く、明らかに年が合わないと判断してしまっていたのだ。


 だが、先のやり取りでは若く見えるだけで、<槍騎馬>シルヴィエと同世代だという。ならば、もしかして。


 思えば件の紫水晶の瞳の血脈もまた、ハイエルフの流れを汲む長寿の一族だ。そういった長命種族の成長が通常の人系種族より遅いことを考えれば、成人したばかりに見えるその風貌も身体つきも、そして垣間見える真っ直ぐな性格も、全てが年相応と言えるのではないか――




「……諸君。また話が逸れてしまったようだが今はまず、迫りくる死蟲への対応を考える。それが先決ではないかな」




 ヘルベルトが咳払いと共に場を仕切り直し、改めてサシャへと向き直った。


「サシャ君、我々は以後の戦いにおいても、死蟲を弱体化できる君の協力を切実に求めている。サシャ君の癒しが独学ということなら所属の神殿の許可などは不要かと思われるが、サシャ君の意思は如何かな? 報酬などは我々が出来うる限り希望に応じるし、この地で奈落の脅威を食い止めるために。どうか協力してはもらえないだろうか」


 そう。

 まずこの問いかけをすること、それが今回の会合の第一要件である。


 このままなし崩し的にサシャを前線で戦わせ続けることを良しとしない、誇り高きザヴジェル騎士団らしい本人の意思確認。これが不確定なままだと、以後の作戦立案どころの話ではなくなってしまうということもある。


「それはもちろん! そのためにここに来たんだし、ポーションと同じように癒しも通用するみたいだし。出来ることは何でも、ねえシルヴィエ?」


 そしてサシャはもちろん、緊張の取れた顔でしっかりと承諾の返事をした。

 ただ、かねてよりの不安材料についても、一応釘を刺すことは忘れない。


「あー、でも癒しは無尽蔵に使えないというか。さっきの戦いぐらいならまだ何回かは大丈夫そうだけど、それ以上は休憩が必要というか、ちょっと時間が欲しいかも」

「それは当然の話であるな。むしろサシャ君の協力が得られるようなら、こちらから次に聞こうとしていた内容だ。安心めされよ、無理な戦いは強要しないと約束する。なに、常に魔力残量を計算しながら戦う魔法使いと似たようなもの、そうこちらが考えておけば良いだけの話だ」


 そこまで余力があるとは想像もしていなかったが。

 そう付け加えられたヘルベルトの最後の呟きは、列席者たちによる口々の賛同で迎えられた。


 どうやら、先の戦いで聖光をまとい続けて奮戦したサシャはあまりにも常軌を逸していて、次に戦えるようになるまでかなりの時間がかかりそうだ、そう思われていたらしい。


 補充されたポーションで多少はまた時間は稼げるにしても、サシャの参戦が不透明な上にいつ復帰してくるか分からない、では作戦の立てようもない。そこを確認するための今回の会談でもあったのだが――


「いやはや、そこまで余力をお持ちとはまさに文字どおりの僥倖だ。今日ほどクラールに感謝を捧げたくなったことはない」

「全くだ。これで少しは前向きな作戦計画も練れるというもの――いやいや、サシャ殿は今晩はゆっくりお休みいただいて結構ですぞ。偵察兵の報告によれば、死蟲はかなりの距離を退却してようやく止まったとのこと。再襲撃は早くても明日の未明と予想されていますのでな」


 幕僚たちの顔は明るく、先ほどまでの激戦の疲労が消え去ったかのように活発な議論が始まっていく。


「サシャ殿たちはその上、ファルタからの魔鉱石も持ち込んでくれたのであろう? 防護結界は気休めにしかならないとはいえ、死蟲どもが退却した今のうちに多重展開をしておけば、明日の朝以降の奴らの攻め口を限定できるかもしれん。やってみて損はないぞ」

「それは良い手だ。明日になればファルタからの増援もくる。しかも向こうからの情報によれば、なんとザヴジェル本家のヴィオラ姫もそれと一緒にお越しいただけるとのこと――」

「おお、あの魔剣の申し子と謳われたザヴジェルの秘宝に連絡がついたのか! かのアマーリエ卿直伝の魔剣もまた、死蟲に有効視されている武器のひとつよな! 奈落の先兵がこれで諦めるとも思えぬが、よし、明日は目に物を見せてくれるわ!」


 参加者たちの顔にはもはや悲壮感はなく、強い希望の光と闘志に満ち満ちている。


 その源となったもの全てをサシャたちが持ち込んだ訳ではないが、幾許かの手伝いは出来たはず――


 サシャはシルヴィエと目を見交わして、小さな満足感と共にそう頷き合った。

 今日のうちに到着できるよう、少し無理をして走り抜いた甲斐があったというものである。


 明日の朝は早いにしても今晩はゆっくり休んでいいというし、隙あらば体内の青の泉を補充にこっそり夜の狩りに出てもいいけれど、先の戦いでそこまで目減りしている訳でもない。


 サシャはここまで大人しく膝の上で丸まっていたカーヴィのふさふさの背中を優しく撫でつつ、とりあえず今のところは一応全てが順調に流れているらしきことに安堵のため息をついた。


 そういえば、と指先に小さく癒しの青光を灯らせ、ずっと良い子でいてくれたカーヴィにご褒美をあげておく。額の宝玉を輝かせて満足そうに見上げるその首には、真新しい特級従魔の首飾りがかけられている。


 ふと思い起こせば、今朝はオルガに会いに<幻灯弧>のクランハウスに行くところから始まったのだ。


 そこでヴィオラやエリシュカに会い、皆でラビリンスに行ってコアの予想外の反応に驚いて。最後は領境のここに救援に来て、流れのままにこうしてザヴジェルの偉い人たちと立派な会議室で話し合いの場に同席している。


 ……随分といろんなことがあった一日だったなあ。


 サシャは感慨を込めてそんなことを内心で呟きつつ、膝の上のカーヴィの特級従魔の首飾りを指先でつついた。


 それは、今日という一日が現実にあったという証のようなものである。

 ほとんどのことに上手く対処できたのは主にシルヴィエのお陰なのだが、それはそれ。明日も明日で大変そうだけれど、どうにか無事に過ごせますように――そう願ってしまうサシャであった。











 ――そんなサシャのいるザヴジェル南端の領壁からさらに南方、治政を放棄されて久しい旧キリアーノ領の懐深くでは。


 潮が引くように退却をした死蟲の大群が、キチキチと咢を鳴らしながら夜の森のそこかしこで静かに蠢いている。


 彼らはいたずらに逃げ出したのではない。

 彼らの天敵である、忌むべき青光の持ち主。突如として行く手に現れたそれを警戒し、群体の本能に従って一時撤退をしただけなのだ。


 彼らは待っている。

 より強い力を持つ、仲間の到来を。



 そしてそれはもう、近いところまでやってきている。



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