36話 姫の実力
「わははは、これは興味深い!」
「なんとまあ、こりゃ確かに見たこともない階層だねえ」
鬱蒼と繁った原生林、のしかかるような熱気と蝉の大合唱。サシャとシルヴィエはオルガたちを引き連れ、再び<密緑の迷宮>の第二十一階層に転移してきていた。
「凄いぞサシャ君! ではここへも検証のため、もう二回は転移を繰り返してみよう!」
「やっぱりここでもまたやるんだ……」
同行者は先ほどの場に同席していた顔ぶれから、老婦人のラダが抜けた面々。
つまりサシャとシルヴィエの他は、オルガ、ヴィオラ姫、そして異様にテンションの高い<幻灯狐>サブマスター、学者肌のエリシュカの全部で五人である。
この階層に転移する前にも、一行は検証という名目で何度も転移を繰り返してきている。それは、「ラビリンスと切っても切れない深い関わりを持つザヴジェル社会に与える影響を鑑みるとそうするべきだしやらないでどうする!」とエリシュカが一歩も譲らなかったのだ。
まずはラビリンス管理小屋のスフィアからサシャ抜きで通常どおり転移するかを五回ほど確かめ、次いでサシャと共にランダム指定された各階層への転移を三回、そしてようやくこの元・未踏破層である第二十一階層へと転移してきたのだが――
「さあ管理小屋のスフィアに戻るぞ! もう二往復だ!」
「……そんな面倒くさそうな顔をするなサシャ。こうして地道に確認していけばいくほど偶然という可能性を潰せるし、お陰で分かったこともあるではないか」
研究心に火がついているエリシュカ並みに嬉々として転移を繰り返しているのは、意外にもシルヴィエである。理論立てた考え方をする彼女は、こうして不可解だった物事を解明していくのに愉しみを覚える質なのかもしれない。
「そうだなシルヴィエ。これまでにおいては、やはりサシャ君の意図どおりにスフィアで転移されることが証明された結果となっている。ああ、帰還の宝珠がもっとあれば!」
「うむ、そこが実に残念なところだ。どうやらサシャの転移先指定は管理小屋からの行きだけのようだからな。小屋に帰れるだけの宝珠の数が充分にあれば、小屋からもっと万全な回数の検証を行えるのだが」
「とはいえ、行きの転移だけならば今のところサシャ君の指定から一度も外れたことがないではないか! 本当に素晴らしいことだ!」
「ああ、強いて問題点を挙げるならば」
エリシュカと熱く語り合っていたシルヴィエが、そこでなぜか呆れたような眼差しでサシャを眺めた。
「現状で浮き彫りになった唯一の問題点はサシャ、お前の階層の認識が非常に残念だということだ。なぜ第二十一階層といったように秩序立った序列数値で転移先を指定するのではなく、おっきな湖があるところ、というような漠然としたイメージでしか指定できないのだ?」
「えええ、だってそんな味気ない数字を言われても想像できないじゃん……」
「これは由々しき問題だぞ。いいか、もしここ以上に似たような階層が並ぶラビリンスで、ある特定の層に転移したいとなった時に――」
思わぬ火傷を負いそうになったサシャはそっとシルヴィエとエリシュカから距離を取り、後ろにずっと控えているヴィオラ姫に声をかけた。
「ヴィオラもごめんねえ。お姫様なのに変なことにつきあわせちゃって」
「いえいえ、こうしてサシャさまのお力の一端が明らかになっていくのは、なんというかとてもわくわくして楽しいですよ?」
ヴィオラ姫は今回のラビリンス行きで装備してきた純白のミスリルメイルの胸を右手で押さえ、にっこりとサシャに微笑みかえしてきた。
サシャはとりあえずの話題として謝罪を入れてみたのだが、どうやら本当に面倒くさがっているのはサシャだけだったらしい。ちなみにお互いの呼び方は、お互いの入念なる交渉の結果だったりする。
ヴィオラと呼び捨ててくださいまし、というお願いになし崩し的に屈したサシャと、いくら懇願されてもサシャさま呼びを頑なに固持するヴィオラ。言葉使いとは裏腹の、二人の力関係が如実にそこに表れてしまっている。
この場には来ていないラダが聞けば何と言うか、それはそれで今から戦々恐々としているサシャであった。
と、そこに思わぬ助け船が入った。
何度も繰り返されるエリシュカとシルヴィエの転移検証に、ここまで何も言わずにつきあってきたオルガである。
「はあ、あたいは少し飽きてきたよ。どうだいアンタたち、この階層の検証が終わったら次はいよいよ最奥の間だよ。ちょっとこの階層で各々の戦い方のすり合わせでもしておかないかい?」
「それ、乗った!」
オルガの渡りに船の申し出に、サシャが一も二もなく飛びついた。エリシュカたちに引き止められる前にと、安全地帯であるスフィア周辺からひと息で飛び出していく。そして早速群がり始めた魔獣を、背中の双刀をすらりと抜き放って鮮やかに迎え撃ちはじめる。
サシャからしてみれば、昨日さんざん戦ってきた隠密奇襲系の魔獣ばかりである。右に袈裟斬りしたかと思えば左に跳躍し、頭上を払って足元を突く。
居場所と行動パターンというコツさえ分かってしまえば、どうということのない相手だ。そんなサシャの目まぐるしい動きにも慣れたのか、肩の上のカーヴィも軽やかに追随している。
そしてサシャは双刀を煌めかせながらスフィア周りをぐるりと一周し、肩に乗せたままのカーヴィともども息切れもせずに皆の元へと帰りついた。
「――こっちはこんな感じ。ここの魔獣ならもう楽勝ってところかな」
「へえ、驚いた。敵なし且つ余裕綽々じゃないか。あんた癒しに加えてそこまで戦えるのかい」
「えへへ、これでも元は最前線の傭兵だったからねえ」
「さすがはサシャさま。カーヴィともぴったりと息が合っていて、まるで演劇に出てくる英雄を見ているようでした」
「凄いなサシャ君! ちなみに今のは我流剣術かな? けれどもそこらの剣士では足元にも及ばない――」
目を丸くしたオルガたちから溢れる賞賛の言葉に、シルヴィエが逞しい馬体の上で自分のことのように胸を張って頷いた。
「だろう? サシャとカーヴィはこれで私の駈歩での突破にも悠々伴走できるのだ。正直、私の目から見ても底が見えないと思ってるところだ」
「まあ、<槍騎馬>と名高いシルヴィエさまもそのように思われているとは。わたくしも共に歩む者として、負けてはいられませんわね」
では次はわたくしが、と言い置いて、ヴィオラはサシャにニコリと微笑んだ。そして背後の原生林を静かに振り返り、
「ちょ、ちょっと待てヴィオラ殿!」
周囲の制止も聞かずに唐突に姿を消した。いや、予備動作なしの無拍子で、滑るように魔獣ひしめく敵地へと移動したのだ。
皆の視線の彼方で時が止まったかのように再び静止したヴィオラが、腰の魔剣に手を添えてゆっくりと息を吸い込んだ。その間にも付近のトーチスパイダーやトライアングルスネークらが、問答無用の凶悪な攻撃態勢に移っていて――
「ダメですよ?」
――次の瞬間、まばゆい緑白の魔剣が刹那の弧を描いた。
ザヴジェル本家に代々引き継がれる魔剣レデンヴィートルが、何の予備動作もなしに低く水平に振りぬかれたのだ。その軌道上にあったものは全てが平等に斬り裂かれ、綺麗に上下へと分断されて地面に転がり落ちていく。
そして返す刀でもう一閃。
エストック型のその魔剣の緑白光は二メートルにも伸び、描かれた二度の円弧の範囲に動くものは何もない。
「これがかのアマーリエ候が愛用していた風の魔剣、レデンヴィートルの力……」
蝉の大合唱すら静まって聞こえる空気の中、シルヴィエがぽつりと呟いた。アマーリエ候とは先のカラミタ禍で彼女の父と肩を並べて戦ったという、ザヴジェル史に残る女傑の名である。
「うふふ、シルヴィエさまはお父君から聞いていらっしゃるのね。でもわたくし、アマーリエさまには出来なかったこんなことが」
「――煌めく翠の女王よ、平等なる死をその糧とせよ! デスサイズ!」
流れるように紡がれた詠唱に合わせ、再び無拍子で振るわれる緑白の閃光。
今度の閃光の軌跡は円弧ではなく、巨大な鎌の形となって彼方へと飛び去っていく。
……軌道上にある全ての魔獣の命を、生い繁った木々ごと薙ぎ払いながら。
「これがザヴジェル本家代々の継承者の中でわたくしだけが使える魔法、エアブレードのレデンヴィートル版ですわ」
凶悪ともいえる特大の魔法を放ったヴィオラが、サシャの傍らではにかむように微笑んだ。その予測不可能な無拍子の動きで、いつの間にか戻ってきていたのだ。
「……とんでもないな。魔法も一流だと聞いてはいたが」
「くくく、ヴィオラの魔法は相変わらずえげつないねえ。ちょっと張り切りすぎの気はしないでもないけどさ。少しは加減てものを練習した方がいいんじゃないかい?」
「いやいやマスター、これほどの魔法はさらに威力を伸ばす方向で――」
「オルガさま、加減と言われてもわたくし、幼き頃から一生懸命練習してきたのです。レデンヴィートルが導くとおりに、運命の御方のお役に立てるようにと。それにサシャさまの瞳の色が持つ意味、それはオルガさまも分かっているでしょう?」
一同が口々に感想を漏らし、ヴィオラがまた意味ありげな返しをしているが、唯一サシャだけが魔法が放たれた地点を未だ愕然と凝視しつづけていた。
何にそこまで驚いたかといえば、あれほどの大魔法が放たれたのがすぐそこであるにもかかわらず、未だに欠片も例の悪寒が感じられないのだ。
オルガたちの<幻灯弧>クランで遭遇した魔法使いたちの鍛錬風景、あれも驚くほどに悪寒が薄かったが、今のヴィオラの魔法はまさに皆無。魔法となれば多かれ少なかれ必ず拒絶反応が出るサシャからしてみれば、これまでの概念を覆す出来事だったのだ。思わず間抜けな質問が口から零れてしまうのも致し方ないといえよう。
「ね、ねえヴィオラ。……今の、魔法なの?」
「はいサシャさま。わたくしの魔力を呼び水に、このレデンヴィートルから古の<死と破壊の女神>ゼレナの力を引き出しているのですわ。……あの、いかがでしたか?」
金に近い琥珀色の瞳を不安げに揺らがせ、そう言ってすがるように見上げてくるヴィオラだったが、サシャに魔法の良し悪しなど分かるはずもなく。
正直に答えれば、嫌な感じは全然しなかったよ、となるのだが、そう言うのはなんだかキザな伊達男っぽい感じがして躊躇いが先に立ってしまう。
結果として「あー」とか「うー」とか言葉を濁していると、満面の笑顔のエリシュカが二人の間に割り込んできた。
「そうなのだサシャ君、君はなかなか鋭い感性を持っているね。今のは実に珍しい魔法なのだ。初見でそこに気付けるとは、君の魔法使いとしての素質もなかなかのものがありそうだな。知識のある魔法使いならすぐに理解するのだが、古のゼレナの力を降臨させるなど、古今東西でヴィオラただ一人しか出来ないのだから」
「そうなの? 前半部分はさておいて、じゃあやっぱりヴィオラって凄いんだね」
「はい!」
サシャの半端な誉め言葉に、やった、褒められた!と言わんばかりの笑みを浮かべたヴィオラ。それを見たシルヴィエも小さく微笑み、感慨深そうに声をかけた。
「それにしても今の魔法もたいしたものだったが、私としてはその前の魔剣の剣捌きこそ天晴だったと思う。全く読めない無拍子の動きといい、さすがはザヴジェルの武の嫡流というべきか」
「くく、そう言うのはシルヴィエ、いかにもあんたらしいねえ。あたいたち魔法使いからすりゃあの魔法こそ天晴だよ。まあ、そのふたつを併せ持っているんだ。たいした戦力って点には間違いないね」
「そういえばヴィオラ殿、初めに会った時に真剣での手合せをと言っていたが、あれはまだ有効か? 時間がある時にでも是非一本お願いしたいのだが」
妙に笑顔の迫力が増し始めたシルヴィエに、サシャが「うわ、シルヴィエが武人モードになってる!」と内心でひとりごちたが、ヴィオラの反応は予想外のものだった。
「え、あの、あれは……。その、正直に申しますと、ああしてレデンヴィートルでの手合せをお願いして、見事反応するお方を探していたと言いますか……」
「――ほう。もう反応する相手が見つかったから、有象無象とは手合せしないと?」
声にまで妙な迫力が出始めたシルヴィエの問いには、さすがの姫君も慌てて否定を始めた。サシャからすれば八割がたヤクザないいがかりに思えるのだが、ヴィオラは素直な良い子のようで、
「ちちち、違いますっ! シルヴィエさまさえ良かったら是非! 高名な<槍騎馬>と手合せ、したいですっ!」
白磁の肌を真っ青にしてそう宣言し、シルヴィエの満足そうな頷きを引き出していた。
「うむ。では是非頼む。私としてはサシャが神託の相手だというのもどうかと思っているのだが、まあ、それはヴィオラ殿が半日も行動を共にすれば、自ずと真実が見えてくるだろう」
「……え、ちょっとシルヴィエそれどういう意味!?」
「どういう意味も何もサシャ、そういう意味だぞ。それとヴィオラ殿、貴女は我らがザヴジェル領の領主筋の姫君だ。私のことはシルヴィエと呼び捨てで頼む」
「まあシルヴィエさま、それはいけません。あなたこそ我が高祖アマーリエの同格の盟友、英雄フーゴ卿の直接のご息女ではありませんか。わたくしのことこそヴィオラと呼び捨てくださいまし」
「ふむ……。では面倒な敬称は省き、かつての英雄たちの当代の子孫同志ということで、互いに呼び捨てではいかがか? 父によると、当時の英雄たちは隔意なく互いに呼び捨てで呼び合っていたそうだ」
「まあ素敵! うふふ、では是非そういたしましょう」
「ああ。では今後ともよろしく頼むぞ、ヴィオラ」
「はい!」
……あれ?
会話から置いてけぼりのサシャは思わず首を傾げた。
シルヴィエとヴィエラが、とんとん拍子に距離を縮めていくのはいい。周りの人たちが仲良くなっていくと自分だって楽しい。
だが、自分はあれほど頼んでも頑なに「サシャさま」呼びは変えてくれないというのに、シルヴィエはあっけなく呼び捨てにしてもらった。この違いは何なのか。
神託やら世界を救うやらに、ヴィオラがとにかく固執しているのは分かる。けれど自分だけ呼び捨てじゃないのはなんか寂しいし、一人だけ仲間ではないみたいではないか。それに、もしかしたら……
そこまで考えて、サシャはハッと気がついた。
……ははーん。さてはヴィオラ、シルヴィエが怖いんだ。
さっきの手合わせがどうのと言っていた時のシルヴィエは、確かにチンピラ顔負けのいいがかりをつけていた。あのド迫力に、深窓育ちのヴィオラはシルヴィエに反論する勇気を失ってしまったのに違いな――
「サシャ! 聞いているのか!」
「聞いていないですっ!」
鞭のようなシルヴィエの叱責に、サシャは条件反射で正直に答えた。見れば、全員が自分に注目している。
「まったく、何を一人でニヤけてるんだい。いいかい、この後で最奥の間に行く時は、ヴィオラとあんたが前衛でいいんじゃないか、そんな話をしていたんだよ。あそこはうじゃうじゃと魔獣が召喚されてくるからね」
「ああ、私はオルガたちの護衛を兼ね、しんがりを務めされてもらうこととなった。二人が魔法を放つ時、私がこの馬体で前を塞いでいると射角が限られてしまうからな」
「サシャさま、共にがんばりましょう!」
り、了解!
サシャはそう答えるしかなかった。実際悪くない配置だと直感的に思えたし、何よりも。
このメンバーで戦えば当然すぐ近くでオルガたちの魔法が放たれることになる、その事実の方に頭が持っていかれたからだ。
「ふ、二人とも魔法を使わなくてもいいように前で頑張る」
思わず漏れたそんな言葉にシルヴィエが、あ、という顔をしたが、サシャはそれを視線で押し留めた。
今このラビリンス内で時間をかけて話すようなことでもないし、そういえばオルガたちの魔法は拒絶反応もさほどないようだった。何より、かつての傭兵時代のように、前で本当に魔獣を殲滅してしまえばいいだけの話なのだ。
よおし、と両頬を叩いて気合いを入れたところに。
「さあ、ではその最奥の間に行く前に、やることをやってしまおうではないか!」
そう言ってエリシュカがサシャの両肩をがっしりと掴んだ。どうやら転移の検証をあと二回するのを、彼女は未だ忘れてはいなかったらしい。
「…………はあい」
思わず気の抜けた返事になってしまったサシャは悪くない……はずだ。肩の上のカーヴィが、サシャの頬に元気を出せと言わんばかりに体をこすりつけた。




