35話 運命の魔剣
「なんとまあ。とりあえずおめでとうと言っておくよ、ヴィオラ」
「姫様、ラダは嬉しゅうございます。これでようやく姫様も……」
「オルガさま、婆や、二人ともありがとう。お陰さまで無事に務めが果たせそうで、わたくしも嬉しいです」
流れていく会話は何やら喜ばしいムードなのだが、サシャの鼻先には、未だブオン、と低い共鳴音を上げ続ける緑白の光剣がまっすぐに向けられている。
「神父さま、このレデンヴィートルの喜びの声が聞こえまして? わたくし、ここまでこの剣が祝福に満ちたのは初めて見ました」
「いや、あの……あれ? まさかこれって、ザヴジェル独特のお祝いか何かの儀式とかだったり?」
「そんな訳あるか!」
混乱するサシャに的確な突っ込みを入れたのは、やはり状況がまるで飲み込めていないシルヴィエである。
「ヴィオラ姫、まずはその剣を下ろしてもらおうか。何やら事情があるようにも見えるが、初対面の場で魔剣を突きつけるとは無躾にも程があるだろう」
「ああシルヴィエさま、違うのです! ほら、こうすると!」
ヴィオラ姫がその琥珀色の瞳を大きく見開いて、スス、と緑白に輝く魔剣をサシャの前から外した。
「……ほら、剣の声が小さくなりましたでしょう? もっと離すとさらに……ほら!」
確かに魔剣の切っ先がサシャから離れれば離れるほど、ブオン、という共鳴音は小さくなり、ヴィオラの足元にまで下げられた時には一切の音がしなくなった。
「わたしくは、天空神の神託を受けてこの地に参りました。いわく、このレデンヴィートルが導く相手と運命を共にせよ、さすれば世界は救われん、と」
ヴィオラ姫の言葉に、部屋の隅に控えていた老齢のラダが感無量といった態で大きく頷いている。
「初めはわたしくも半信半疑でした。この魔剣はかのアマーリエ=ザヴジェルが数多のラビリンスを踏破した際に使っていた由緒正しいもので、持ち主をラビリンスコアへと導く特別な力があるとされていました」
改めてその緑白の光芒を放つ刀身を眺め、ヴィオラ姫は静かに微笑んだ。
「持ち主を運命へと導く力があるなど感じたこともなかったのですが……ほら!」
鮮やかな剣捌きで再びサシャの眼前に緑白の切っ先が伸ばされ、ブオン、と聞き覚えのある共鳴音が応接室に充満していく。
「ほら、ほら! ね! 音だけではないのです。持ち主の私には、このレデンヴィートルに溢れんばかりの祝福が満ちているのが分かるのです!」
咲き誇る花のような笑顔が、ヴィオラ姫の可憐な顔立ちをさらに子供のように輝かせている。
が。
シルヴィエはヴィオラ姫の言葉を聞き、微かに眉間に皺を寄せて考え込みはじめた。この純粋極まりない姫君は、何か途方もない勘違いをしているのではないか。そう思えてならなかったからだ。なぜならば。
「……その魔剣は持ち主をラビリンスコアへと導く力がある、ヴィオラ殿はそう言っていたな」
「はい! わたしくは経験したことがありませんが、ラビリンスに入るとサシャさまに示しているような反応の、もっと弱いものが転移スフィアやコアに対して感じ取れるそうです」
「……………………そうか」
会話をそこで打ち切っておもむろに指先をこめかみに当て、しきりに揉みほぐしだしたシルヴィエを見て、サシャを筆頭としたその場の全員が首を傾げた。
「あの、シルヴィエさま? 大丈夫ですか?」
「どうしたのシルヴィエ、頭痛い?」
「ちょっとあんた、大丈夫かい? 少し横になって休んでもいいんだよ?」
「……いや、すまない。そういった類のものではない。頭が痛いのは事実だが」
シルヴィエはしばし視線を虚空に泳がせ、やがて何か決意を固めたのだろうか。ちょっと失礼、と誰にともなく告げると、やおらケンタウロス用の座椅子から立ち上がった。そしてサシャの腕を掴んで応接室の片隅へと引っ張り込む。
「え、ちょっと何? みんな驚いてるよ!」
「ああ、皆すまない。少しだけサシャと相談させてくれ」
「さっきから一体どうしたんだいシルヴィエ。あんたらしくないよ。まあ、話したいなら気がすむまで話せばいいさ。そのかわり、終わったらきちんと説明するんだよ」
オルガの言葉にシルヴィエはもう一度全員に頭を下げ、そして馬体を屈めてサシャの耳元で囁いた。
「――サシャ、ヴィオラ殿は勘違いをしている」
「――それはきっとそうだけど、それだったらみんなの前で言えばよくない? どうしてこんな内緒話で?」
サシャもシルヴィエに囁き返し、至近距離からシルヴィエの彫像のように整った顔を見詰めた。
「――いいかサシャ、昨日の<密緑の迷宮>を思い出せ。お前が操る癒しの聖光はスフィアの青光と瓜二つで、そしてお前はスフィアの存在を感知でき、更にはスフィアはお前の望むとおりに転移させてくれるようだった」
「――確かになぜかそうだったけど、それとこれに何の関係が?」
「――理由もどういったものかも分からないが、私はお前とスフィアに何らかのつながり若しくは類似点があると予想している」
耳元で囁かれる予想外の推論に、サシャは背筋がぞくりとするのを禁じ得なかった。
それが本当ならただでさえややこしい自分の生い立ちに更なる秘密を重ねるものになるし、耳たぶにかすかに触れたシルヴィエの唇がくすぐったくもあったからだ。もし囁かれた内容が内容でなかったら、思わずうひょひょひょと笑い出してしまっていたかもしれない。
「――真面目に聞いているのかサシャ? だから、ヴィオラ殿の魔剣はスフィアにも反応するのだぞ。つまり、さっきのは『神託で告げられた運命の相手』云々に反応したのではなく、そんなお前に反応しただけではないのか?」
「――うわお。なんか見事に正解っぽい」
「――どうする? 今のを皆に話せば勘違いを解くことが出来るが、話さなければなし崩し的に『運命の相手』にされる可能性が高いぞ」
シルヴィエが以前に言っていたように、スフィアを感知できる人間は古今東西サシャ一人だ。つまり本物の神託の相手を見つけない限り、魔剣が反応するサシャが誤認から逃げられる術はないということ。
その反面、サシャとスフィアのあれこれについて、オルガには話す予定でいたことは事実。それがこの場にいる人間にも対象を広めてしまっても良いものかどうか。
シルヴィエが強引にこの内緒話を持ちかけてきたのは、そこの判断をサシャに問うものだったのだ。
「――どどど、どうしよ? そんなに急に言われても困る」
とりあえずサシャの頭に浮かんだ選択肢は三つ。
ひとつ目は、何食わぬ顔をして運命の相手とやらに収まってしまう道。
先ほどのヴィオラ姫の様子を見る限り、領主との謁見やその後の諸々についてそれは非常に楽にはなりそうだが、相手が見つかったと純粋に喜んでいるヴィオラ姫に悪い。
さらに言えば神託に従って、世界を救うなんてことを期待されるようになってしまうかもしれない。そんな力がサシャにある筈もなく、これは絶対に逃げなければいけない道であることは間違いない。
残るふたつの選択肢のうちのひとつは、サシャのあれこれをこの場の面々には伏せたまま、強引に「勘違いだと思います!」で押し切る方法。
これは皆を納得させるのに苦労しそうなことが難点で、あとからこっそりオルガに事情を打ち明けてフォローしてもらうぐらいしかその打開策がないのが痛いところだ。
最後の選択肢は、この場にいる人にはもういっそのこと話してしまう方法。
幸いここにはオルガに加えて<幻灯弧>のサブマスターもいるので、後々どこかの時点で<密緑の迷宮>の最奥の間に再挑戦する時は楽が出来るかもしれない。カーヴィの件もそうなのだが、その他のことについても味方は多い方がいいのだ。
と、いうことなら。
サシャは大きく息を吸って、こちらの様子をじっと見守っている面々を振り返った。
まずは、オルガ……は、初めから話す予定だったので問題ないとして。
サブマスターのエリシュカ。魔法使いというよりは学者といった感じの彼女は、さっきからの言動を見る限りでは研究第一といった印象である。オルガからの信頼あってこそのサブマスターだろうし、研究のために解剖などと言い出さない限りは、逆にその知識を色々と頼りに出来るのではないだろうか。
そして、ヴィオラ姫とラダ。
品の良い老婦人のラダはきっと問題ない。<幻灯弧>の使用人というよりはヴィオラ姫付の忠実な側仕えだとサシャは思っているからだ。さっきもヴィオラ姫に婆やなどと呼ばれていたし、二人の間に強い絆があることも垣間見えている。おそらくヴィオラ姫が口止めすれば、きっとラダは絶対に口外しなくなるのではないだろうか。
最後に、ある意味で一番よく分からないヴィオラ姫。
たしか昨夜ヘレナが「剣も魔法も一流」というような事を言っていたと思うのだが、見るからに可憐でたおやかで深窓の姫君然としたその外見からは、そんな様子は一切見受けられない。
魔法使い特有の嫌な気配は全くと言っていいほどに皆無で、生まれてから一度も魔法を使ったことがないと言われても信じられるほど。ただ、先ほど剣を抜き放った時の予備動作ゼロの無拍子の動き――あれには、尋常ではない反射神経を持つ彼も全く反応できなかった。
つまり、さすがは領主一族の姫君というべきか、平たく言えば全然読めない相手なのである。十人いれば十人が振り返る整った顔立ちに、穢れのない琥珀色の瞳。子供のような純粋な笑顔を浮かべたりもして…………!
あまりにじろじろと観察しすぎたのか、サシャはにっこりとヴィオラ姫に微笑まれてしまった。
風薫る春の小麦畑にぽつりと咲いた、一輪の撫子のような可憐な笑顔。
けれど、それでサシャの心が決まったといえば決まった。
うん。この人に嘘をつくのは心が痛いよね、と。
「――シルヴィエ、決めた。何ごとも正直が一番だし、ここにいる人たちには話しちゃおう」
「――良いのか? まあ、誰をとっても信頼に値する人物だとは思うが」
「――シルヴィエもそう思う? じゃあ説明はシルヴィエお願い」
面倒なことはまるっと丸投げしてしまうサシャだったが、シルヴィエは諦観のため息ひとつで引き受けてくれるようだ。
さすがは同志シルヴィエ頼りにしています、とサシャが内心で褒め称えるが、実際問題として、こういったややこしい事柄を説明するのはシルヴィエの方が適任である。この場においても、
「すまない、長々とお待たせした。結論は出たので、全てを話そうと思う」
さらりとそう切り出して、シルヴィエは一筋縄ではいかないその面々を相手に見事に取り仕切ってしまうのだ。
そして軽いどよめきを受けながら彼女はサシャと共に席に戻り、凛とした口調でこう宣言した。
「昨日<密緑の迷宮>に行った際、実はサシャの驚くべき体質が判明している。ヴィオラ殿には申し訳ないが、魔剣の反応はそれに関連した誤作動に近いものではないか、我々はそう考えている」
「へえ? ってことはつまり、サシャは神託とは無関係ってことかい?」
「そんな……わたくしはてっきり。それにその瞳だって、その」
口々に零れるそれぞれの反応を静かに受け止め、シルヴィエはひとつ頷いて言葉を続けた。
「神託に関しては、これからする説明を聞いた上で判断してもらえれば、と思う。ただし、サシャのその体質は実に特殊であり、下手な広まり方をすれば多くの厄介ごとを引き寄せるものだ。元々はこの場で打ち明ける予定ではなかった話、という点を理解していただき――」
そこでシルヴィエは一人ひとりの顔を見渡し、ゆっくりと続きを口にしていく。
「――他言無用と知り得た情報の恣意的利用禁止の誓約を、この場で天空神に立てていただきたい。それなき者にはお話しできない。ヴィオラ殿、貴女も同じだ」
「なっ!」
「シルヴィエ様、それはザヴジェル本家の姫君が信用できないと、そう仰っているということですが」
看過できないという顔で敢然と話に割って入ったのは、それまで部屋の隅で静かに控えていたラダだった。白髪を品良く結い上げた頭を決然と振り上げ、穏やかだった青い瞳には強い怒りが浮かんでいる。
「ラダ殿、お怒りは尤もだが、それだけ世間に与える影響が大きい秘密ということだ。どうか理解してほしい。そして……もし誓約を拒否する場合は、お二人ともこの部屋から一旦退出願いたい。そうして魔剣の反応が神託に関係のない誤動作であるという我々の推論を、そのまま事実として受け入れて頂きたく」
一歩も譲らないのはシルヴィエも同様だった。
領主に近く権力を持つ者だからこそ、サシャの秘密に接する前に歯止めが必要なのだ。ヴィオラ姫とラダがこの場にいなければ、彼女もここまでの事は言い出さなかった。
他国で神殿という権力者に追われ、逃げるようにこの地へやってきたサシャ。
当然何の後ろ盾も持たないばかりか、シルヴィエから見れば少々頼りない弟のような少年である。そんなサシャだからこそ、このザヴジェルでは自分が権力者から守ってやらなければならない――シルヴィエの決意は固い。
一方そのサシャは、まさかシルヴィエがここまで大ごとにするとは思っておらず、ただただオロオロとラダとシルヴィエの顔を交互に見守っている。
シルヴィエの意図するところはうっすら分かるしその気持ちもありがたいのだが、この剣呑な空気は実にいたたまれない。そこまでしなくても、という思いがあるため尚更だ。
「――ねえ、婆や」
そんな膠着状態に終止符を打ったのは、当のヴィオラ姫だった。
主のために怒りを露わにしたラダを、今は控えてちょうだい、と宥め、ゆっくりとシルヴィエとサシャに向き直った。優雅に一礼をしていわく、
「お二人はたしか、そもそもオルガさまに相談があっていらしたのですよね。この場に割り込んだのはわたくしたち。ですので、ここから先の詳しい事情をお伺いするのに誓約が必要とあれば、喜んで誓いましょう」
「ですが姫様っ!」
「婆や、気持ちは嬉しいのですが、今は本当に控えてちょうだい。それに、魔剣に誤認の可能性があったとして、天空神がそれを見落として神託をくだすとは……わたくしにはとても思えないのです」
そんなヴィオラ姫の論理に、サシャの口がガクリと開いた。
このお姫様はなんと、どうしてもサシャを運命の相手にしたいらしい。そして世界を救わせたいらしい。頑固というかそんな無茶なというか、とにかく困ったというのがサシャの率直な心情である。
「それに婆や、ここで誓約をすれば、サシャさまの持つ秘密にぐっと近づくことができるのですよ? うふふ、世界を救う方はどんな大きな秘密を抱えていらっしゃるのでしょう。未来の英雄のないしょ話、お聞きするのが楽しみでなりませんわ」
……これは逃げられない、ダメなやつかもしれない。
夢見るようなヴィオラ姫のたおやかな笑顔に、サシャの脳裏がそんな言葉で埋まっていく。シルヴィエもやや呆然としていたようだが、気を取り直して話を先に進めた。
「さ、先ほども言ったように、神託に関してはこれからする説明を聞いた上で各自が判断してもらえれば、と思っている」
シルヴィエ、まさかの放棄!?
サシャが先ほどと違った意味で口をあんぐりと開けている間にも、元の軌道に戻った話はどんどん進んでいく。
「――では前言どおり、天空神への誓約をしてもらったら全てを話そう。オルガもエリシュカもそれでいいな?」
「ああ、正直大げさだとは思うけど、シルヴィエがそう言うんなら仕方ないね」
「私も構わないぞ。このエリシュカ=バルコヴァ、世界の秘密を知るためなら誓約どころか魂だって売り渡すとも」
そうして急遽天空神への誓約が行われ、シルヴィエは昨日<密緑の迷宮>で体験した全てのことを全員に説明したのであった。
◇
「まああ! サシャさまにそんな力が!」
「こいつは驚いた。まさかサシャがいれば最奥の間へも自由に転移できるとは」
「マスター! これは未攻略のラビリンスが一気に片付く特大の朗報なのでは!? ぜひサシャ君には片端から励んでもらって、その合間に何故サシャ君にそんなことが出来るのかという研究を――」
<幻灯弧>の応接室が華やかな歓声に包まれた。
もちろんそれは、シルヴィエがひととおりの説明をした直後の反応である。
「……喜ぶのは待ってくれないか」
すかさずシルヴィエが冷静に待ったをかける。
実際問題として分からないことだらけなのだ。
「我々も昨日体験したばかりなのだ。極端な話、今日<密緑の迷宮>に行ったとしても、昨日と同じことになるとは限らない。どうしてそんなことになるのか原理は全くの不明だし、他のラビリンスで同じことが出来るかどうかも、それこそ実際に確かめてみないと分からないのだぞ。繰り返すが、まだ全てが未確認の状態なのだ」
シルヴィエが客観的にそう釘を刺しても、応接室の面々は止まらない。
「ならば今日、今から行って確かめるべきだ! もちろん私も同行するぞ! マスター、この後の狩りの予定は全部延期してくれ!」
<幻灯弧>サブマスターのエリシュカがそう力説を始めたかと思えば、ヴィオラ姫は頬を薔薇色に染めて、
「ああ、もし未攻略のラビリンス群から大量のコアを持ち帰ることができれば! コアひとつで大規模な防護結界をひとつ作れるのです。不穏な奈落の噂がある今、それがどんなにザヴジェルの支えになることでしょう! さすがは世界を救う御方ですわ!」
と妄想の暴走が止まる気配がない。
落ち着いた老婦人のラダでさえ、サシャに「先ほどの非礼をお許しください。そしてどうか姫様の手をお取りになって世界を」と床に平伏してくる始末だ。
……どうしてこうなった。
サシャが頭を抱えていると、唯一落ち着きを残していたオルガが乾いた笑い声を上げた。
「サシャ、あんたといると飽きないねえ。この様子じゃどうにも収まりようがないし、あたいも付き合ってやるよ」
「……付き合うって、何に?」
「決まってるだろ。これからアンタたちと一緒に<密緑の迷宮>に行くのさ」
サシャとシルヴィエが立てていた今日の予定が、音を立ててよじれ始めた瞬間である。




