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03話 神託

「かかか風を統べる黄衣の王よ、大いなるゴサの配偶者よ――」


 ノルベルトら傭兵たちが絶望と共に生存を諦め、その場に立ちすくむその後ろから。


 震える声で、審問官の片割れが魔法の詠唱を始めた。誰一人として動こうとしない傭兵たちに痺れを切らし、恐慌をきたした思考のままに弱点と聞いた魔法を自ら放とうとしたのだ。


「――ななな汝ら新世代の神々に仇なす敵をききき、切り刻めえ! エ、エ、エアブレード(Hastur)!」


 彼の選択は悪くはなかった。

 新世代の神の力を己が裡に呼び込み、圧縮された空気を不可視の刃としてサシャめがけて放ったのだ。……けれども。



「最低だよ、よりによってソレを使うとか」



 見えないはずの空気の刃をひらりと躱したサシャが、憎々しげに吐き捨てた。


 確かに魔法は彼にとって鬼門である。中でも今使われた、いわゆる新世代の神「黄衣の王」の力を呼び込んだものは特に相性の悪い魔法のひとつだ。


 が、だからこそサシャには見えないはずの空気の刃の存在が分かる。

 それがどこにあってどんな軌道で飛んでくるのか、怖気立つ嫌悪感が存在することで把握はできるのだ。


「随分とえげつない魔法を使うんだね、“本物の”神官さまは」


 傭兵時代、サシャは魔法使いと共に戦うことを嫌った。


 それは周囲でそんな猛烈な嫌悪感がひっきりなしに発生するのが嫌だったからであり、魔法使いというものがどうにも信頼できなかったからでもある。


 魔法使いは対魔獣戦において確かに強力な戦力ではあったが、稀に理性を失って暴れ出すのである。それは「魔に飲まれた」と呼ばれる魔法使い特有の現象なのだが、サシャからしてみれば吐き気を催すような嫌悪感を際限なく撒き散らす、近寄る気すら起きない存在に堕ちるということ。


 もっともそんなことを言うのはサシャ一人で、それがサシャの魔法嫌いという評判となり、先ほどのノルベルトの暴露につながってしまった訳だが。



 それよりも。



 サシャが審問官が使う魔法に悪態をついたのには理由がある。

 かの空気の刃は、殺傷範囲が広すぎるのだ。今の審問官の魔法の腕前を見る限り、サシャだけなら充分躱せる。けれどこの場には未だ怯えて立ち尽くしたままの村人たちがいるのだ。


 先ほどはたまたまサシャの後ろに誰もいなかったが、眼前の神官はそんなことは絶対に考えていなかった。


 戦場でもない無辜の村人たちがいるこの場で、何も考えずに無差別殺傷が可能な中範囲魔法を放ったのだ。それは、万人救済を謳う本物の神殿関係者としてどうなのか。



「……そっちがそうなら、こっちはこうだ!」



 サシャはひと声叫び、目にも止まらぬ速さで突進を始めた。


 それはまさに稲妻の如き身のこなし。

 不可視のはずの中級魔法を躱されて呆然としている審問官の脇をすり抜け、棒立ちで隙だらけのかつての同業者たちの間をかいくぐり。


 誰も反応ができない一瞬のうちに、包囲網の背後へと抜け出したのだ。


「なっ――!」

「あはは、そんなニブさで相手ができると思ってるの? じゃあね、さよなら!」


 そう言い残し、サシャは一目散に夜の帳の中へと走り去っていく。


 彼にとって、あの場で反撃しても勝算は充分にあった。

 駆け抜け際に双剣を振るえば、それだけで半数は無力化できただろう。


 人を殺すということに抵抗はあるが、その気になりさえすれば無傷殲滅も可能な、そんな程度のゆるい囲みにすぎない。


 けれども、あの場には村人たちがいた。


 乱戦になれば魔法の巻き添えが出る可能性もあるし、それ以上にもしあの場で審問官たちを全滅させたとしたら、後々になって村にとばっちりが行く可能性が高い。


 それはサシャにとって本当の勝利とは言えない。だから――



「よっと、危ない。ねえ、そんなへなちょこ魔法なんてさ、見なくてもよけられるんだけど!」



 ――勢いで振りきってしまわないよう、つかず離れずの距離で追手を誘引し、まずは村から引き離すのだ。


「ななな、何をやっている! 早くあの悪魔の足を止めろ!」

「風を統べる黄衣の王よ、大いなるゴサの配偶者よ。汝ら新世代の神々に仇なす敵を――」


 周囲はすっかり夜。


 その身体に流れる血がゆえに夜目が利き、そこらにうろついている魔獣など敵ともしないサシャである。軽快な足取りで流れるように荒れた小麦畑を走り抜けていく。


 審問官たちには騎乗という利があるようにも思えるが、地面は荒れ果てていて暗闇で馬を走らせるのには向かない。


 さらには遠吠えをしていた魔獣もどんどん接近してきている状況だ。安全を配慮すべき村人たちもおらず、この形に持ち込めばサシャが捕まるという可能性はまずないと言っていい。


 そうして追手をどんどん村から引き剥がし、彼らの頭から村のことなど消え去る頃合いを見計らって、その時は。




「……そうしたら、どうしよ?」




 韋駄天のごとく暗中疾走しながら、サシャは小さくひとりごつ。

 後ろの間の抜けた追跡ぶりを見て、なんだか改めて彼らと戦うのも馬鹿らしくなってきたのだ。


 彼の背後からは先ほどからひっきりなしに、やれ脇から魔獣が襲いかかってきただの、やれ窪みに馬が足を取られて落馬しただの、サシャの緊張感を削ぐような情けない悲鳴が上がり続けている。本当の戦場に立てば真っ先にやられてしまう、そんな類の生ぬるい集団だ。


 ――けれども。


 事ここに至って事態を振り返れば、どこが神殿の機嫌を損ねたかは知らないが、どうやら本当に異端認定をされてしまったようである。それはこの国において、かなりの大ごとと言っていい。


『ならば……ェル……行き……』


 癒しはもちろん新世代の神々からの魔法の力をも背景に持つ神殿の力は、王家と癒着していることもあって途轍もなく大きい。異端認定の情報が広まれば広まるほど、この国にサシャの居場所はなくなっていくだろう。


 なにより、ここまで大々的な捕縛隊を組織してきたのだ。


 傭兵社会全体に恨みを買っているとは思えないが、先ほどの聞く耳を持たない高圧的な審問官たちの態度といい、枢機卿の告発状がどうのと言っていたことといい、サシャ個人が何を言ってもこの冤罪を晴らせるとも思えなかった。


『……ヴジェルに……行きなさ……』


 しかも。

 捕縛隊に追いかけられている今。後ろの捕縛隊を殲滅でもすればますます神殿は彼を敵視するだろうし、撒いて逃げたら逃げたでいつまでも追ってきそうでもある。面倒な事態だった。



「…………なら国外に出ちゃう、か」



 神殿は王家と密接なつながりがある――それを逆に言えば、国ごとにお抱えの神殿があるようなものだ。事実、各国の神殿は神殿同士で熾烈な勢力争いをしているとも聞いている。


『ザヴジェルに……行きなさい……』


 ならば、このアスベカ王国の神殿に異端認定をされても、隣の国に行けば何事もなく暮らしていける可能性は少なからずある。


 天変地異が頻発し、魔獣がひしめく中ですら醜い勢力争いを繰り広げている各国の神殿が、異端認定をされた一個人を一致団結して追ってくるとも思えないのだ。


『我が愛し子よ……ザヴジェルに…………ザヴジェルに…………』


 隣の国で駄目ならその隣の国、それで駄目ならさらにその隣の国。更に言えば、小国ひしめくこのハルバーチュ大陸中南部から出てしまえば、ほぼ間違いなく追手とは無関係で生きていけるだろう。最近の彼の生きる楽しみともいえる、この神父の真似事すら続けられるかもしれない。




「そうしたらいっそのこと、噂のザヴジェル領へ!」




 双剣一閃、飛びかかってきた狼型の魔獣を即座に斬り捨てたサシャの顔に、人知れず大きな笑みが広がる。天啓のごとく頭に閃いたそのアイデアが、実に、実に良いものだったからだ。


 この荒れ果てた国にそこまでの愛着がある訳ではない。そもそもが孤児だし、かつての同僚達には見事に裏切られたばかり。


 ――ザヴジェル領。


 それは国をいくつも越えた北にある、このハルバーチュ大陸北端の地。今は亡き旧スタニーク王国からの独立領で、なんでも迷宮(ラビリンス)を軸に繁栄している亜人の楽園なんだとか。


『そう……ザヴジェルへ行き……そして…………』


 噂ではひた隠しにしている彼の種族、その隠れ里まであるというし、終末近づくこのハルバーチュ大陸で唯一、未だ農業が盛んに行われている土地だという。そこでは誰もが自分のやりたいことをやり、適性がないのに無理やり戦いに駆り出されることのない楽園だとも聞いている。


「船に乗っていくのもいいかも!」


 そんなザヴジェルへは、確か海路でも行けたはずだった。

 生まれ育った国を離れ、男一匹、新天地を求めて大海原へと旅立つ――サシャの心は溢れんばかりの期待で舞い上がっていく。冒険とか浪漫とか、そういった物に滅法弱いお年頃なのだ。


「そう、冒険とロマン! そんな感じ!」


 行き先は決まった。


 サシャは何度目かの魔獣を半ば無意識のうちに斬り捨て、足取りも軽く走る方角に若干の修正を加えた。王都の傭兵ギルドに多少の金を預けたままではあるが、取りに戻るのは危険かもしれない。それは思い切りよく諦める。


 まずはもう少し後ろの追手を引き連れ、充分に村から離れる。そして一気に速度を上げて追手を振り切ってから北上し、いくつかの国を越えて海を目指すのだ。その先は船に乗り、目指すは名高き辺境の楽園、ザヴジェル。


『そう……そこに汝の…………』


 手持ちの金は心許ないが心配はいらない。神父服の懐には売れば数ヶ月は遊んで暮らせる、とっておきのへそくり魔鉱石がある。


 ザヴジェルに着いたらそれを元手にしばらくのんびりし、いろいろと情報を集めよう。そしてある程度の情報が集まった暁には――



 満を持して、ザヴジェルの面白そうな場所を旅してまわるのだ。



 ザヴジェルは大陸で唯一、北の魔の森に接する土地だ。歴史ある迷宮都市や巷で評判の精鋭騎士団などなど、観たいもの行きたい場所には事欠かない。


 大陸の南では奈落と呼ばれる暗黒に国ごと飲み込まれて消えているという噂もあるが、ザヴジェルはそんな危険な南からは正反対、北の辺境だ。今、この大陸で最も安全な土地ともいえるのではないか。


 しかもこの大陸の全体的な傾向として南方ほど神殿の力が強く、北に行けば行くほど神殿の力は弱くなっていくという。


 そんな北の辺境を気の向くままに旅し、なんなら道中は癒しを使って人々を癒し、代価に幾許かの路銀をもらってもいい――そんな心踊る計画が、雷光のごとく次々と彼の裡で閃いていく。


「なんか楽しくなってきた!」


 夜の荒野を追われている人間とは思えない上機嫌さで大きく息を吸い込む、かつて国内傭兵若手最強とまで評された双剣のサシャ。


 彼は知らない。

 神殿に追われ、たった今行き先を決めたその辺境ザヴジェルの地で、大きな運命のうねりが彼を待っていることを。弱りつつある主神、天空神クラールが描いた最後の神の筋書きが、人知れず動き出していることを。


 神の力が尽きかけ、綻びを見せ始めたこの世界。


 その神の寵愛を一身に受けるサシャの人生は、今まさに本当の幕を開けたのだ。




次話より本編です。

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