21話 選択
「いいかサシャ、選択肢は三つだ。ひとつ目は今この場で帰還の宝珠を使い、即座にラビリンス入口のスフィアに戻るという選択」
こんな所に跳ばされた事を考えれば、帰還の宝珠が通常どおりに働くかどうか、そこに一抹の不安はある。だが何がどうなっているか分からない以上、余計な事をしないで即座に撤収するのが一番安全だとシルヴィエは言う。
「なるほど。じゃあふたつ目は?」
「ふたつ目は帰還の宝珠を使う前に、安全に留意しながら周辺を確認してみる、という選択だ。ユニオンに少しでも情報を持ち帰り、調査チームに残りの探索を引き継ぐための動きだな。ただし調査チームがもう一度ここにこれる保証はないといえばない」
ユニオンの長い歴史の中で、ラビリンス入口のスフィアからいきなり未知の階層へ転移するなど、全くもって前例のないことらしい。理由は分からないものの今回は何かの拍子のイレギュラーで、調査チームが来たら次はしれっと元に戻っている可能性もない訳ではない。
だが過去にラビリンスが関係したカラミタ禍というものがあった以上、ラビリンスの異常はザヴジェル人にとって最優先の調査事項。詳細な調査はユニオンなり騎士団なりに任せるにしろ、もしかしたら何らかの異常の前兆かもしれず、出来る範囲の情報は持ち帰っておくべきだというのがシルヴィエの主張だ。
「……シルヴィエはどう思う? 実際のところ初めてのラビリンスだし、正直よく分からないよ」
「そうだな。このふたつで比べるのであれば、若干の不安はあるが、宝珠を使うにしてもその前にここのスフィアに触れて、どこに跳ぶのかぐらいは確かめておきたい。もしかしたらここは未踏破層ではなく、大幅な変貌を遂げた第一層という可能性だってあるのだからな」
通常であれば各階層の入口のスフィアに触れると、ひとつ前の階層の終点にあるスフィアに転移する。つまり眼前に音もなく浮かぶスフィアに触れ、それでラビリンス入口のスフィアに戻るならば――
そうなると、原則としてここは<密緑の迷宮>の第一層である、ということになる。そしてそれは、ラビリンス全体が何らかの変貌を遂げてしまったということだ。そこでもう一度スフィアに触れ、再びここにくるようならそれで確定だろう。
もしくはそうではなく、ここからの戻り転移先が現在判明している最奥の第二十層ならば、ここはそのまま<密緑の迷宮>の第二十一階層だということになる。
または戻り先がさらに未知の階層ならば、ここは未踏破の第二十一階層のさらに奥の階層のどこか、そんな推測が可能となる。
「ここのスフィアに触れるだけで、それらの基本的な判別をすることができる。悪い選択ではないはずだ。まあ、転移スフィア自体が『壊れて』ランダム転移になってしまっているという最悪の可能性もあるが、それを言っていたらキリがない」
帰還の宝珠を使って問答無用で帰還してしまう前に、それぐらい確かめておいてもいいだろう――シルヴィエが言うのはそういうことだ。
「うーん、そうだね。帰還の宝珠を使っちゃう前にそれぐらいはできるよね」
「サシャには申し訳ないのだが、ザヴジェルの民としてそのくらいは確かめておきたいというのが本音だ。周辺の積極的な調査まではしないにしてもな。そして、最後の三つ目の選択肢だが」
弱まる気配もなく続く周囲の蝉の大合唱の中、シルヴィエは少しためらうように言葉を継いだ。
「……最後のひとつは、せっかく前人未到の層に来れたのだから、思いきって先に進んでみる、という選択だ。ひとつ目の選択肢が安全最優先、ふたつ目を安全重視とするならば、この三つ目は積極性重視という方向だな」
「おお、確かに積極的だ!」
「この最後の選択肢は私一人だったら危険すぎて話にもならないが、サシャが共に来てくれるなら充分に考慮の余地がある、はずだ。そして、個人的にはここのスフィアの転移先を確かめた上で、無理のない範囲でこれを試してみたい。なぜなら――」
「……なぜなら?」
「――ここがもし第二十一階層なら、次はラビリンスコアのある最奥の間という可能性が高いからだ」
シルヴィエ曰く、各ラビリンスにある階層は十一、二十二、三十三……と十一の倍数になっているらしい。過去に完全踏破されたラビリンスは全てその法則に従っており、ただのひとつも例外はないそうだ。
そして、その一番奥にある最終階層には。
最奥の間と呼ばれるそこには、ラビリンスの心臓ともいえる巨大な魔鉱石、ラビリンスコアがある。都市まるまるひとつの動力源ともなるそれを持ち帰れば、莫大なお金と名誉を手にすることができるという。その一番最近の例は今を遡ること十数年間前、なんと<幻灯狐>のオルガ率いる合同探索隊が成し遂げ――
「うわ、オルガすごい! 実はスゴイ人だった!?」
「何を今さら。オルガは迷宮都市ファルカで一二を争う大魔法使いだぞ? あのクラスに匹敵するのはザヴジェルでは古から続くシェダの一族ぐらいのものだ」
「おおおー。……あれ、でもそんなにコアを取ってくるのが偉業になるってことは、いくら二人で一緒に行くとはいえ、さすがにちょっと無謀なんじゃ?」
「それはまあ、間違いではないな。この周囲を見ただけでも魔獣が飽和状態に近いのは明らかだし、その中を縦断してどこにあるのか分からない次への転移スフィアを探していくのだ。本来であれば大人数で隊伍を組み、慎重に探索範囲を広げていくのがセオリーだ」
見渡す限り周囲にいる魔獣は、この<密緑の迷宮>が初心者向けと評価されているとおり、個々を見ればそれほど強さはない。特徴や対処法を知っていればそうそう不覚を取ることもないだろう。
けれども問題はその数。
ただでさえ未知のエリアを探索するのだ。こちらもある程度の人数を揃え、安全マージンを確保して臨むのが本来のやり方だ――そうシルヴィエは言う。
加えて今回の場合、半人半馬であるシルヴィエがその機動性から敵中突破を得意としているとはいえ、目的地も判明していない中で闇雲にこの密林を突撃していく訳にはいかない。疲れから動きを止めてしまい、完全に囲まれてしまえば状況は即座に詰みだ。
けれども、とシルヴィエは言葉を続ける。
「けれどもラビリンスの攻略というものは、そこにいる魔獣の脅威だけが要素の全てではない。――サシャ、この<密緑の迷宮>がファルタから近いにもかかわらず、なぜ探索が途中で止まっていると思う?」
周囲に広がる鬱蒼とした密林をぐるりと見渡し、サシャは軽い深呼吸と共に大きく頷いた。圧し掛かるような熱気に、何もしていないのに全身がもうじっとりと汗ばんでいる。
「分かった! 暑くて途中で嫌になるから!」
「そんな訳あるか! 大金と名誉がかかっているんだぞ? それだけでこんな初心者向けのラビリンスが有史以来、何百年と放置されるはずがないだろう。……答えは簡単、さっきも言ったかもしれないが第二十層の終点、第二十一階層へと繋がるスフィアが物理的には近寄れない、断崖絶壁の上にあるからだ」
「あ、そういえばそんなこと言ってたね」
「私もその絶壁の下まで行ったことはあるが、あれは無理だ。なにせその絶壁自体がまず空に浮いている。鳥でもない限り、岩壁を登るどころか触ることすらできない」
「うわ何その無茶振り。それじゃ絶対に先に進めないじゃん」
「ああ。あれを見てラビリンスが生き物だという説にも頷けるようになった。未だに未踏破になっているラビリンスは大抵がそんな理由だしな。先へのスフィアに物理的に辿り着けないようになっていたり、スフィア自体が巧妙に隠されていたり……何としてでもコアを守る、そんな執念のようなものを感じてしまうのだ」
おおやっぱりラビリンスってなんかすごい、と改めて周囲の密林を眺めるサシャ。
この空間全てをひとつの生き物が生み出したというのはちょっと実感が追いつかないが、そもそもこんな亜空間が連なっているという時点で理解を超えたシロモノである。もしかしたら――というとびきりの浪漫が胸を熱く焦がしていく。
「ん? でも、もしここがその空飛ぶ崖? それを超えた先の未踏破層ってことなら……」
「そう。もしここが第二十一階層もしくはそれ以降の階層なら、それはこの上ない好機ということになる。それだけ大掛かりな足止めを超えた先に我々はいるのだ。最奥の間は近いと思わないか?」
「おおっ、なんかすごい説得力ある! 確かに近そう!」
「近年攻略されたラビリンスは実際、こうした足止めを抜けさえすればすぐに最奥の間だというケースがほとんどだ。もちろん例外もあるが、ここが第二十一階層で次がすぐ最奥の間だと推測を立てるのは、そう的外れな賭けではないと思う。そして、ここなら魔獣の数は多いが、サシャと二人ならば進んで行けないほどの困難ではないとも考えている」
戦力的な部分はもちろん、お前の癒しもあるしな。
シルヴィエはそう嘯く。
「つまり危険がないわけではないが、挑戦してみる価値は充分ある。私にはそう思えるのだ。ただ……」
そこでシルヴィエはふと言葉を濁らせ、目をつむって大きく息を吸い込んだ。
「……ただ、何?」
「ああ、すまない。ただ、ズメイを倒したというサシャの強さを勝手にあてにしているのが少し申し訳なく、それと、行けそうだという判断が内心の願望に釣られているのではないと、冷静な判断の結果なのだと、そう言い切るには少し迷いがある」
「んん? 一緒に行くのは別にいいんだけど、というか一緒に来たんだから一緒に行くのが当たり前だと思うんだけど、迷いがあるってどういうこと?」
「……実はな、私がこうして武者修行をしている目的のひとつが、いつか父にラビリンスコアを持ち帰ることなのだ」
「お父さんに?」
これは誰にも打ち明けたことはないのだが、とシルヴィエは呟いた。
「理由までは知らないが、私が物心ついた時から父はずっとラビリンスコアを探していてな。オルガ率いる合同探索隊がコアを入手した時は、かなり無理をしてまで競売で競り合ったらしい。競り負けた父がひどく落ち込んでいたのが子供心に強く印象に残っていて……」
追憶に満ちたシルヴィエの眼差しは遠くの一点に固定されていて、しばしの間の後にサシャへと戻ってきた。
「その時、私はこう思ったのだ。強くなっていつかラビリンスコアを持ち帰り、父に贈って誇りたい、と」
子供っぽい理屈だろう? とシルヴィエは照れくさそうに笑った。
「だがな、それが私が今こうして、強さを追い求めながら霊峰チェカルの古代迷宮群をうろついている理由なのだ。英雄の娘たるもの、ザヴジェルに何かしらの貢献をしたい、そんな部分もあるといえばある。だが、本音を言えばそんなところだ。がっかりしたか?」
無言のまま勢い良く首を左右に振って、強い否定の意を示すサシャ。
シルヴィエはそれを見て、少しほっとしたように話を続けた。
「実際、父は傭兵団をやる傍ら、今でも手を尽くしてラビリンスコアを探し求めていると聞く。それを知る私は、特に意識はしていない筈なのだが、気づくとこの古代迷宮群で未踏破のラビリンス、つまりコアが残っているラビリンスにばかりに潜っている。もし私がコアを父に持ち帰ったなら――きっとザヴジェルの英雄たる父は、そんな私を何よりも誇りに思ってくれる。そう思えてならないのだ」
「シルヴィエ……」
シルヴィエはそこで一旦話を止め、単なる私の願望なんだがな、とその凛とした美貌で小さく微笑んだ。
愛槍は小脇に抱え、まとめて右胸に流していたアッシュブロンドの髪先を、無意識のうちに指先で小さく弄び続けている<槍騎馬>シルヴィエ。周囲にはうるさいほどの蝉の大合唱が、弱まる気配もなく続いている。
「まあ、そんな事を無意識のうちに考えているから、クランにも入らずパーティーも組まず、一匹狼になってしまっているんだけどな。なにせもし万が一ラビリンスコアを入手できてしまった場合、クランやらパーティーやらに入っていると公平な分配のために売らざるを得ない。とてもじゃないがコアそのものを個人的に持ち帰ることなど出来ないからな」
「…………」
「とまあ、私にはそんなささやかな夢があってだな。これまで誰にも話さずにきたが、ここにきて突然、最奥の間に一番乗りで乗り込める可能性が転がり込んできた。変なことを言い出してすまないが、少し判断に迷いがあるというのはそういうことだ。申し訳ない」
そう言って背筋が伸びた一礼をするシルヴィエに、サシャが胸をドンと叩いた。見上げる若々しい紫水晶の瞳はきらきらと輝いている。
「行こう、シルヴィエ」
サシャの胸は熱く燃え上がっていた。
凛々しい槍武者シルヴィエのそんな話を聞いて、協力を惜しむようなサシャではない。むしろ全力以上の力をもって実現を後押ししたい所存だ。
シルヴィエにとって英雄の娘という肩書きがどのくらい重いものか、サシャは知らない。けれども一人の娘として、そのたった一人の父親に認められ心を通わせ合いたいと願う想いは、何より尊く、何より美しいものだと思うのだ。
いくら魔獣が多いとはいえ、シルヴィエは二人なら大丈夫だと言ったし、危なくなれば帰還の宝珠を使えばいいだけだし、おまけにいざとなれば癒しもある。
まずはザヴジェルの一員として、ここのスフィアの転移先を確認する。ザヴジェルでの滞在日数がまだ片手で数えるほどしかないとしても、これまで出会った人々は皆あたたかくサシャを受け入れてくれた。
港町の宿の女将、オットー、ボリスを始めとした豹人族の護衛三人組、ユリエ、オルガにバルトロメイ、ユニオンのラドヴァンに受付の狐人族のミルシェ――彼らのためだけにでも、今回のラビリンスの異常の調査をする価値はある。
そして転移先を確かめたら、この前人未踏の大密林を進んで行く。目指すは最奥の間、そしてそこにあるというラビリンスコア。
それは、ザヴジェル全体でもここ十数年成し遂げられていないという、驚天動地の大冒険だ。シルヴィエのためにも、自分のためにも。サシャの鼓動は際限なく高まっていく。
「行こうシルヴィエ! いざ、ジャングルの秘宝を我らの手に! ラビリンス王に、僕らは、なる!」
決意に満ちた紫水晶の瞳がもう一度相方を見上げれば、悩める女ケンタウロスのシルヴィエがぽかーんと、天に拳を突き上げたサシャを見つめている。
「………………ラビリンス王?」
「…………ねえシルヴィエ、恥ずかしいからそこは一緒に『おう』って言って」
「……おう」
サシャの冒険は始まったばかりだ。




