16話 勧誘(中)
「……よく分からないが、つまりは本物の神の癒しってことでいいんだな」
純粋なる肉体派戦士である熊人族のバルトロメイが、今ひとつ理解できなかった場の流れに力ずくで割って入ってきた。
「よし決めた。神父殿、我らがクラン<連撃の戦矛>の専属神父にならないか? クランに入ってくれれば年間契約金として金貨十枚を前払い、さらに月に金貨一枚の幹部給を都度の狩りの歩合の他に支払おう。もちろん住むところと食事は全てこちらで用意する」
「な――っ!?」
突然の勧誘に驚きの声を漏らしたのはシルヴィエだ。
彼女は知っていた。それが、いかに型破りの打診かということを。
近年、ここファルタを始めとした迷宮都市ではハンターやディガーの専門クラン化が進んでいる。それはサシャがユニオンで初めに門前払いされたことでも明らかで、先ほど魔に飲まれたゾルタンがどこでもいいからクランに入ろうと裏で必死に活動していたように、新人ハンターやディガーはまずクランに拾ってもらえるように努力を重ねるのが普通。
初めは中小クランで経験を積み、やがて大手クランを年契約単位で渡り歩いていく――それが近年の迷宮探索者たちのサクセスストーリー。
大手のクランに入ればそれだけで生活が安定するのはもちろん、身分的にも社会的にも箔がつく。どんなクランに入っていたか、それはザヴジェルに暮らす者にとって自らの実力を端的に示す経歴書のようなものなのだ。
「わ、分かっているのかバルトロメイ殿。その、<連撃の戦矛>と言えば――」
シルヴィエが慌てるのも無理はない。
バルトロメイが率いる<連撃の戦矛>はこの迷宮都市ファルタで一二を争うトップクランだ。ザヴジェル騎士団とも関係の深い、ぽっと出の新人など絶対に入ることのできない格式高き実力派集団。
魔法使い系ハンターの最高峰がこの場にいるオルガの<幻灯狐>ならば、<連撃の戦矛>は武闘派ハンターの最高到達地点。入団試験の声がかかるだけでも大騒ぎなのに、バルトロメイサシャをいきなり幹部待遇で引き入れようとしているのだ。
だが、そのバルトロメイは事もなげに笑う。
「ああ、自分が何を言っているのか、もちろん分かっているとも。神父殿はぜひ我らのクランに入ってもらいたい。何だったらシルヴィエ殿も一緒にどうだ? これまでなかなか接点がなかったが、前からそれは考えていたのだ」
「わ、私も、なのか? それは嬉しい誘いではあるが、そもそも私はどこにも入る気が――」
「ちぇ、何だよバルトロメイ。こっちが誘おうと思ってのに先取りするんじゃないよ。それに、シルヴィエを強引に誘うのは感心しないね。シルヴィエは英雄の血筋、修行中の身だと知ってるんだろう? 騎士団やら<青光>やらが黙ってないよ」
オルガが軽く舌打ちをし、良いところで話を強引に変えたバルトロメイを睨みつけた。だが、これはこれで彼女も望む話の流れ。
オルガは自分の中の様々な憶測を一旦脇に置き、その熟れた美貌で艶然とサシャに笑いかけた。そして、匂い立つような色気を込めて言う。
「仕方ないねサシャ。ウチは顧問待遇であんたを迎えるよ。契約金は出せないけど、代わりの月に金貨三枚の顧問給を出そう。しかも主要メンバーは美人揃い、さらにあたい達魔法使いならではの見返りも提供できるからね」
「…………」
なんだかもう、理解不能な話の流れに相槌も忘れてぽかんと口を開けたままのサシャ。
異端認定をされ、国元を逃げるように出てきた自分がこうして勧誘されていることにも頭が追いついていないし、さらにそもそもが金貨など、手にしたことのない大金なのだ。
銅貨が十二枚で銅判に、銅判が十二枚で銀貨になる。そして銀貨十二枚で大銀貨になって、その大銀貨が十二枚集まってようやく金貨だ。
銅貨が数枚もあれば店でちゃんとした食事をとれる。大銀貨が一枚あればひと家族が一ヶ月は楽に生活できることを考えれば、その十二枚分、生活費一年分にもあたる金貨など滅多にお目にかかれるものではない。万が一持っていたとしても、気軽に財布に入れて持ち歩くようなものでは決してない。それが金貨というものだ。
かつてサシャが傭兵を引退するきっかけになったズメイ討伐、その当初の雇用条件は遠征十日間で銀貨三枚だった。それでも傭兵相手では破格の報酬だと噂になり、かなりの人数が殺到したものだったのだが――
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
大きく深呼吸をして気を落ち着かせたサシャは、そもそものところにある疑問点をバルトロメイとオルガにぶつけてみることにした。
バルトロメイが言ったのは契約金で年に金貨十枚と幹部給で月に金貨一枚、オルガが言ったのは契約金はないけど月に金貨三枚、どちらが多いか計算しようとして頭がこんがらがった訳ではけしてない。反射的に計算しようとして、すぐに目眩がして諦めただけだ。
そんなことより、サシャが聞こうとしたのは至極真っ当な疑問。
特にここがザヴジェルだからこそ、そもそもこんな風に勧誘される理由が理解できなかったのだ。
「あの、ええと。自分で言うのも切ないものがあるんだけど……単純に怪我を治すなら、その、ポーションでよくない? 上級ポーションってのなら癒しと同じぐらいの効果があるんでしょ? それを年にききき金貨何枚とか、それだけあれば充分以上にその上級ポーションを買えると思うんだけど」
――神父なんぞいなくてもポーションが一瓶ありゃ怪我は治るんだよ!
サシャの頭にあるのは、ゾルタンが魔に飲まれる前に言っていたその言葉だ。
自分の存在価値が否定されたようで悔しいし、考えないようにしていても耳に残って地味に落ち込みもしているが、それがザヴジェルにおける真実なのだろうと納得もしている。
そもそもが港町ファルトヴァーンでザヴジェルに降り立って早々に、宿の女将から神の癒しがお金にならないと宣告されているのだ。
「……だから、その。クランに誘ってくれるのは嬉しいんだけど、契約金だけで年に金貨何枚とか言われても……癒しにそこまでの価値はさすがにないんじゃないかな、なんて。あはは」
サシャがやや自嘲気味に自分の感想を口にすると、大手クランを率いる二人はどちらも揃ってため息を吐いた。そして互いに視線を交わし、交互に口を開いた。
「おやまあ、あの時ゾルタンがそんなことを言っていたのかい? 魔に飲まれた男に今さら言っても仕方ないけど、そんなんだからどのクランにも相手にされないんだよ。視野が狭いったらありゃしない」
「全くだ。それは本当の戦いを知らない民間人の理屈だな。奴もハンターなら、神父殿の癒しの価値に気付いてしかるべきなんだが。初めに言わなかったか? 神父殿の癒しの速さ、あれはブラディポーションの原液に匹敵する速さだと」
よく意味を飲みこめず小首を傾げるサシャに、戦士系トップクラン<連撃の戦矛>のクランマスター、バルトロメイが極めて真剣な眼差しで言葉を続けた。
「常に厳しい戦いの最前線にいる我々のようなハンタークランにとって、負傷者の治療にかかる時間の違いは生死の分かれ目だ。我々が神父殿に同行してほしいと考えるのは当たり前だろう?」
「え、生死の分かれ目って。さすがにそこまでじゃ――」
大げさな事を言っちゃってえ、と笑い返そうとしたサシャが、周囲の真剣な表情を見て口を噤んだ。そして小声でシルヴィエに尋ねる。
「……ねえシルヴィエ。ポーションでの治療って、まさかそんなに時間がかかるものなの?」
「ああ、そうか。サシャは知らないのか」
シルヴィエが未だに小首を傾げたままのサシャに向き直って説明を始めた。一般的なポーションだと、怪我の大きさに見合った等級で治療をした場合、傷が塞がるまでに数分程度の時間がかかるものである、と。
「もちろん怪我の大きさよりも上等なポーションを使えば時間は短縮されるが、高級品になればなるほど価格は天井知らずに上がっていく。サシャ、お前の癒しの効果は上級ポーション止まりかもしれない。そして、その上級ポーションは金貨一枚もあれば充分に手に入れることができる。だが――」
「――神父殿、我々<連撃の戦矛>はこの重装備を見てのとおり、ラビリンス内外の大物魔獣を専門に狩るハンタークランだ。それが我々の仕事であり誇りでもあるのだが、常に体を張って最前線で魔獣と戦っている以上、団員の負傷率はそれなりに高い」
シルヴィエの解説を途中で遮ったバルトロメイが、肩をすくめて背後の壁に立てかけたタワーシールドを振り返った。それは綺麗にメンテナンスされてはいるものの、窓からの横光を受けて微妙に波打っているのが分かる。魔獣から受け続けた攻撃の凄まじさが歴然とわかる一品だった。
「そんな我々にとって、戦いの場で負傷を癒す一分一秒が貴重なのはお分かり頂けるだろう? 最前線の負傷者が動けるようになるまで、その数秒が全体の生死を分けることもあるのだ」
「ああ、それは確かに」
サシャがシルヴィエに説明のお礼を目で告げつつ、納得の表情でバルトロメイに頷いた。
彼とて傭兵時代は常に最前線で魔獣と戦っていたのだ。一人の負傷者が戦列の穴となれば、それをきっかけとして全体が崩壊してしまうこともある。その怖さは身をもって知るところだった。
「必要以上に上等なポーションを使えば、もちろんその時間は短縮できる。だがポーションは高級になればなるほど、その効果ゆえに高価かつ稀少になっていくは当然のことだ。濫用はできない。費用面での負担はもちろん、どの局面でどれだけ上等品を投入するか――その判断が難しいのだよ」
だがそれも、昨日までの話だったがな、とバルトロメイが厳つい顔でニヤリと笑う。
「神父殿が適宜、後方であの癒しをしてくれれば負傷者の戦列復帰はこれまでになく早まる。戦闘中に余計な頭を使わなくてよくなるし、クランの継戦力は一気に高まるだろう。死傷率がぐんと下がるのは言わずもがなだ。我々はハンタークランとはいえ、一部の傭兵クランのように騎士団の要請を受けて地上の魔獣と戦うことも多い。そんな戦場で、どれだけ神父殿の迅速な癒しが活躍することか」
「あー、そういうことになるんだ……」
言わんとしていることをなんとなく理解したサシャが、未だ狐に化かされたような顔で小さく首肯した。
自分の癒しは治癒力こそ上級ポーション程度であるものの、幻とまで言われるブラディポーションの、その原液クラスの治癒速度と同じ早さを持っているらしい。
負傷をポーションで回復させると完治までに数分もの時間がかかるところを、自分の癒しなら場合にもよるが、その十分の一から数分の一で終わる。
であるならば、確かにバルトロメイの言うような状況では大いに価値があるのかもしれない。
宿の女将のような民間の一般人にはさほど意味のない治癒速度だけれども、バルトロメイような者たちにはそれが極めて重要な要素になる。それは納得と共にしっかりと理解したサシャだった。
それに、そういうことを重視しているなら。
サシャは思わず考えてしまう。
そうやって個々の戦闘員を大切にしているあたり、おそらくバルトロメイたちは緊密な連携を誇る精鋭集団なのだろう――そうも推察ができてしまうのだ。
そこから一歩、地上の魔獣とも戦うという点で我が身を振り返ってみれば。
かつて故郷での傭兵時代、正規の騎士団員でない傭兵は基本的に人海戦術で真っ先に突撃させられていた。サシャが嫌気が差して傭兵業から引退した理由のひとつがそれだ。
そこにはやはり、騎士団側に傭兵を使い捨てとする意識が常に根底にあった。貴族である騎士たちの肉壁として、はした金で集められた雑兵として――
「神父殿の存在が騎士団に知られれば、おそらく騎士団の方も放っておかないだろう。引き抜きは断固として拒否するが、年間契約金の補助やら必要備品の融通、戦場における専属守備兵の派遣などは間違いなく申し出てくると思うぞ」
鼻息荒くそう追加するバルトロメイだったが、サシャは故郷の傭兵とのあまりの待遇の違いにちょっと乾いた笑みを浮かべてしまう。
確かに戦場で癒しはほとんど使わなかった。激戦区に放り込まれすぎて使っている暇がなかったこともあるし、そもそも今のように流暢に癒しが使えるようになったのは、郊外の村々を巡って神父の真似事をする放浪生活に出てからだ。
当時、もし今と同じ流暢さで癒しが使えたらどうなって……
……いや、たぶん何も変わらなかっただろうね。
それがはっきり分かってしまうことに、サシャの顔にはさらに乾いた笑みが浮かんでいくのであった。
「――なんか上手いこと言ってるけどね、バルトロメイ、そのやり方じゃあんたの丸儲けだろう。無知な相手を騙すんじゃないよ」
サシャが遠い目をして黙り込んだ僅かな会話の切れ目を逃さず、オルガがテーブルの上に乗り出すようにして話の主導権をもぎ取った。
「はあ? 人聞きの悪いことを言うな!」
「だってそうだろう? さっきシルヴィエが言ったとおり、上級ポーションは金貨一枚するんだ。あんたはそれと同じ効果がある坊やの癒しを戦場で湯水のように使わせて、坊やに払うのは年に契約金十枚と、月に幹部給の金貨一枚ぽっち? タチの悪い詐欺じゃないか。<連撃の戦矛>も地に落ちたもんだ」
フン、と挑発するように鼻を鳴らすオルガに、バルトロメイは一気に反論をまくし立てた。
「ふざけるなオルガ、それはあくまでも契約金と幹部給だろうが。狩りごとの歩合は別途払うし、それはさっききちんと言った筈だ。加えて、切り札となる神父殿の癒しを乱用する訳がないだろう。いざという時に打ち止めでは話にならん。当然ポーションで充分な時はポーションで済ませるし、神父殿の余裕と相談しながらの運用になるのは当たり前のことだ。そのあたりは魔法を使う魔法使いと同じ、知った上でわざと文句をつけてるってんなら、その喧嘩、買うぞ」
バルトロメイが巨体に怒気を滲ませて反論するその内容は、サシャが聞いても納得できる内容だった。
初めに詐欺だと聞いた時は驚いたが、サシャが見る限り、バルトロメイは仲間を大切にする誠実な戦士だ。微かに眉をひそめてオルガを見つめるシルヴィエを見ても、その反論の内容はザヴジェルの常識的なものでありそうだ。
ならばなぜオルガがあんなことを言ったのか、ということになるのだが、本人はバルトロメイ反論もどこ吹く風。ファサ、と暗銀色の髪を肩の後ろに払い、好戦的な微笑を浮かべて追撃している。
「へえ、歩合ねえ。どうせいつもの、クラン運営費を抜いた残りを狩りの参加者で頭割り、ってヤツだろう? それで一回あたり上級ポーション相当の坊やの癒しに釣り合うのかい? おまけに言えば、あんたの言うとおり癒しは温存するとしても、逆にそれでお仲間は納得するのかい? 場合によっちゃ何もしないのに頭割りの対象にはなってるんだからねえ」
「む……。それはその、一度メンバー間で意思の統一を図るとして。だが、神父殿の癒しの価値は誰もが認めるものだ。説得はそう難しくない」
「完全に説得できなかった場合、肩身の狭い思いをするのはあんたじゃなく、坊やだ。根回しもせずにこうして勝手に勧誘するのは無責任だと思わないのかい?」
「ああもう、何だっていうんだ。その辺の事情は同じような条件で神父殿を誘った<幻灯狐>だって同じだろうが」
そこでオルガが、その言葉を待っていたと言わんばかりにニンマリと笑った。それを見たサシャの背筋に、なぜか猛烈な寒気が走る。
これ駄目なやつ! バルトロメイさん逃げて!
そんな台詞が口から出そうになった、その時。