終章 永遠とは今〔中村顕子〕
咲希は、逝ってしまった。死の国へと。
うちは呆然としていたけど、いやでも音楽室の中に漂っている雰囲気が伝わってきた。
みんな、合奏どころではなかった。みんなの心を負の感情が支配しているのを感じていた。それは、深い悲しみだったり、喪失感であったり。呆然としている人もいた。
うちも、合奏どころではなかった。
心の整理をしたかった。そのための時間が欲しかった。たぶん、それはみんなも同じだと思った。
「……みんな、合奏どころじゃないよね……。うちも合奏どころじゃないもん。……みんな、休憩にしよう!ちゃんと休憩が終わるまで、気持ちの整理がつくまで楽器を吹かないでね。うちも気持ちの整理がつくまで指揮台には登らないから。分かった?」
返事はない。でも、みんなの心を読めば分かった。みんな、心の中でうなづいていることに。
「一旦解散!休憩していいよ」
そう言った途端、何人かの人が部屋を出て行った。
重苦しい空気が音楽室の中を支配しているように感じた。
あ、楽器。
咲希の楽器、片付けておかなくちゃ。
サックスパートの3人は取り乱しているみたいだし、うちは中学時代、サックス奏者だったから。
うちは椅子をつたいながら、咲希の座っていた椅子まで行き、触れた。
あれ?この椅子……この咲希の使っていた椅子から、なんだか不思議な力を感じる。
もしかしたら……
うちは椅子の上を探った。
そして、見つけた。咲希のお守りを。
ああ、これはどうしようか。
やっぱり春花先輩に渡すべきかな。咲希が死ぬ前に、春花先輩に渡したものだから。
と、その時。
開きっぱなしだった窓から、暖かい春風のような風が吹いてきたのを感じた。
その風はうちらの心の中にある悲しみや喪失感を全て温かく包み込んでいった。
咲希を失った悲しみや喪失感は消えてはいない。たしかに心の何処かに存在している。だけど、それに囚われることはなくなった。
春風は、止んだ。
北風が窓から吹き込み始め、慌てて誰かが窓を閉めたみたいだ。カーテンを閉める音もする。
暖房がついているわけでもないのに、あんなに北風が吹き込んできていたはずなのに、カーテンが閉まっているはずなのに、音楽室の中は春の日差しが差し込んでいるかのように、暖かかった。
ふと気付いた時には、手の中にあったはずのお守りは消えていた。
手探りで探した。
でも、どこにもなかった。
椅子の上にもない。
床に落ちているわけでもない。
本当に、消えてしまったのだ。
音楽室の空気は、変わっていた。
悲しみや喪失感は消え、温かな何かが広がっていた。やがて、外に出た人が戻ってきた。その人達からも、悲しみや喪失感は感じられない。
少しずつ、音出しをする人が増えていった。
……もう大丈夫だ。
そう確信し、うちは指揮台へと登る。
「さ、曲をやるよ!」
「はい!」
みんなから元気な声が返ってくる。
もちろん、悲しみが消えたわけじゃないだろうし、この先も消えることはないだろう。
だけど、うちは気付いた。
咲希はうちらの中で生き続けていることに。
これからもきっと、うちらの中で生き続けるであろうということに。
多分、みんなもそのことに気付いている。
だから、もう大丈夫だ。
そう思えた。
命は、とても儚い。
春風の中で咲く桜のように、夏の夜に咲く花火のように、儚いけれど。
いや、儚いからこそ、大切にしたい。
だから人は、今を一生懸命生きるのだ。
未来なんてものはない。過去に縛り付けられていてもつまらない。うちらが生きているのは「今」だけなのだから。未来を生きることも、過去を生きることもない。
うちは、「永遠の今」という時間を愛おしく思った。
これで「霧の思い出〜Requiem 番外編」は完結となります。今まで読んでくださり、ありがとうございました。
感想等ありましたら書いて頂けますと幸いです。
もうすぐ「さよならの夜」も連載が終わります。そちらの連載が終わった後、「霧の思い出〜Revival」の連載に移らせていただきます。「霧の思い出〜Revival」は「霧の思い出〜Requiem」の派生版です。もし良ければそちらも読んでいただけますと幸いです。




