21章 覗き見〔内川咲希と思われる人〕
午後になり、部活の時間となった。
私は2年2組の部屋でバリトンサックスを吹いていた。何かを思い出せるわけではないが、吹いていると懐かしくて、なんだかしっくりくるような感覚だった。だから、渡された基礎練習の楽譜や曲の楽譜を吹いていた。
部活が残り10分ぐらいになった頃に、
「少し他のパートも見てきたら?何か思い出すかもしれないよ」
そういったのは、野上さんだった。
「はい、そうしてみます」
私はたまには他のパートを見るのもいいか、と思い、言葉に甘えて部屋を出た。
すぐ隣の部屋がクラリネット、その1個隣がユーホ、その隣がコントラバス、その隣で一番端にあるところがチューバだと言われた。
私は早速隣の部屋に入った。クラリネットパートの人数は女の子が6人、男の子が1人、全員で7人だった。
「あれ、今入ってきたのは誰?」
女の人が声をあげる。上履きの色からして、2年生だ。1年生が返す。
「誰も入ってきてませんよ、早苗先輩」
「あれぇ……気配がしたんだけどな」
「気のせいじゃね?」
「きっと気のせいですよ」
そんな女子の会話に、ぼそりと呟く、男の子の声が混じる。
「いや……早苗先輩の言う通り、入り口に誰かいますよ」
「やだなぁ、優太まで。気のせいだって!」
「やっぱりそうだよね、優太!いるよね、誰か!」
この2人……早苗さんと、優太くんには、僅かに霊感があるようだ。
「うち、少し霊感があるって言われることがあるんだ。でも、感じるのは気配だけ。誰だかは分からない」
「まさか、そんなことって……」
「ここにいる霊、多分僕知ってるよ」
「優太まで……!」
「僕にも少しだけ霊感があります。ほとんどの場合は気配だけで、相手が誰だかは分からないんですけど、今回はいつもよりもより強く気配を感じるから、きっと知ってる人なんじゃないかって思って」
「じゃあ……誰?」
彼は首を振った。
「分からない」
私は、そっと部屋から立ち去った。なんだか胸が締め付けられるようだった。
私は気付いたのだ。優太くんが、昨日の朝出会った小林くんであることに。
きっと彼は、霊の正体が私であることを知っている。それでも彼は……
『分からない』
そう嘘をついた。その嘘が周りの人のためであり、私のためでもあったことは分かっていた。
「ありがとう、小林くん」
そう呟いて1個隣の、ユーホの部屋に行った。
そこでは1人の女の人がユーホを吹いていた。
柔らかくて、優しい音色だ。その女の人は私に気付かない。きっと霊感がないんだろう。
その隣が、コントラバスだよね。
2人の女の人が弦楽器を弾いている。
「……?」
1人の女の人が首をかしげた。
「佳奈ちゃん、いま、誰か来た?」
「いいえ、誰もきていませんよ」
「……気のせいだと思うんだけど、誰か来た気がしたから。うん。気のせいだよね。……ごめんね。練習の邪魔しちゃったね」
「いえ、大丈夫ですよ」
1年生の子は、とても優しい声をしていた。霊感が少しある2年生の女の人は、話すのがあまり得意じゃないように感じる。
私はそっとその場を後にし、隣の部屋に行った。チューバパートの人数は男の人が2人、女の人が1人、計3人だった。
「次どうしようか。そうだ!えっとね、あそこの四分の動きだから……51小節目から58小節目までお願いします」
「はい」
誰も私に気付かない。それが当たり前だと分かっていても、なんだか寂しくなる。
頭では理解していても、心は追いついていないのかもしれない。
パート練をしているチューバパートの人達をじっと見ていた、その時だった。
「!」
鳥肌がぞわっと立つ。
まだこの感覚には慣れない。
なんて言ったって、この感覚は、私の体を誰かがすり抜けたときの感覚。魂にしか感じられない感覚なのだ……。
生きているときの記憶は無くても、でも……
この感覚を味わったことはなかった。
それだけはわかったから。
ばっと振り返ると、サックスパートの人達が歩いていったところだった。
チューバパートの人も動き出す。
部活が終わりの時間を迎えたのだ。
特に変わったこともなくミーティングが終わる。私は楽器を片付けて(片付け方は初日に春花さんから教わっていた)中村さんをただ1人で待った。
『咲希、一緒に帰ろ!』
私にしか聞こえない声で、そう声をかけてもらえるまで。




