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狼の唄の伝説  作者: 石燈 梓(Azurite)
第二章 族長の息子
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二章(2)


             2-2


「なんだ。そんなことも知らなかったのか? トゥグス」


 どこへ行くつもりかと思っていると、ディオが戻って来たのは、なんと俺のユルテ(移動式住居)だった。まだ葬儀中だったので、寝台に起きて書を読んでいたジョクも、驚いた顔をした。

 ディオは、断りもなく寝台にのぼり、ジョクの隣にもぐりこむと、いきなり眠り始めた。……眠かったらしい。(どうでもいいのだが。この二人、俺のユルテと俺の寝台だということを、忘れているんだろうな……。)

 夜っぴいて遊んだ後なので無理もないが。左腕の傷を処置せず、剣もジョクの膝に預けて眠ってしまったのには、さすがの俺も、呆気にとられた。


 それから気をとり直し、ジョクに今朝の話を訊いてみた。特に、クチュウト族の長の娘とディオの縁談と、彼氏の戦力との関係を問うと、冒頭のにべもない返事がかえってきた。

 俺は言葉を失った。

 羊皮紙の書を閉じ、その上にディオの剣を乗せながら、シルカス族の賢者は平然と言った。


「そのつもりで言って来られたのだろう? クチュウト安達(アンダ)は……。だから、おれは思うとおりに申し上げた。今、トグル氏との縁談を進めるべきではない。内乱が予想される時期に婚姻を結ぶことは、彼氏の自由を奪うばかりか、彼族の――まさに姫御(ひめご)の身を危うくする。盟主も無理は仰らないだろう。ディオは承知していると思ったが。違うか?」

「…………」

「一生結婚しないというのは大袈裟だが、娶るつもりはなかったろう? そうか……。盟主がそう仰ったということは、クチュウト安達は覚悟を決めたのだな。中立者は出さない方針か」


「俺は、お前はディオを心配して言っているのだと思っていたぞ」


 がっかりして言うと、ジョクは微笑んだ。黒い瞳がつややかに輝く。


「心配しているさ……。それとこれとは、話が別だ。お前が紹介する女達なら、影響はない。だが、クチュウト族となると違う。下手をすると、本当にエゲテイ(ディオの母)の二の舞になる」

「どういうことだ? 内乱が予想されるとは、どういう意味だ。中立者とは?」


「……本当に、何も知らないのか? トゥグス」


 ジョクの眼差しが一変し、不審そうに俺を見た。口調から余裕が消える。


「おい、とぼけているんじゃないだろうな。おれを、からかっているわけじゃあるまい? トゥグス」

「だから、何のことだ。もったいぶらずに言え」


 どうして俺が、ジョクをからかう必要がある? こんなに誠実で、正直者の俺が。――だが、冗談ではなさそうだった。

 ジョクは半ば呆れたように俺を見詰め、しばらく考えた。それから、元の口調に戻った。


「何故、タァハルがバヤン殿を連れ去ったのだと思う?」

「…………?」

「タァハル部族が、バヤン殿をキイ国に渡し……バヤン殿が、リー・タイクに殺された。それだけで戦いが終わるとは、よもや思っていないだろう、トゥグス」


 俺は思わず呼吸を止めて、ジョクを見た。――そうだ。忘れていたわけではない。


「勿論……。その為に、ディオは還って来たのだろう? 親父達は。本営(オルドウ)への攻撃に備える為に長城を越えなかったのだと、聞いている」


 ジョクは、見て来た者のように頷いた。俺は唾液を飲み込んだ。


「お前もそう思うのか、ジョク。近いうちに、タァハルとキイ国からこの地への攻撃があると」

「ああ。近日中に、タァハル部族は攻めて来るだろう。だが、キイ国はどうかな。ディオと盟主も、リー・タイク将軍が攻めて来るとは考えていないと思う」

「どうして?」

「考えてみろ。キイ国にとって脅威なのは、われわれ遊牧民が徒党を組み、大軍を成して()の国を攻めることだ。それが我等トグリーニであろうと、タァハルであろうと、関係ない。……とりあえず、最も近くにいる我々とハル・クアラ部族のことは、警戒しなければならない。奴等には、おれ達が部族同士でいがみ合っている方が都合が良いのだ」


「そんなことは判っている」


 不快に感じ、俺は言い返した。


「赤子でも知っているだろう。その為に、キイ国の皇帝はタァハルを操り、我々と争いを続けさせる。今回バヤン殿が捕らわれたのも、その策ではないか」

「……だが、将軍の必要性についてまで、赤子は知るまい」

「なに?」


 俺の憤りを、ジョクはさらりと受け流した。軽く肩をすくめる仕草までつけて。

 それがあまりに見事だったので、俺は気を削がれた形になった。


「何と? ビルゲ(『賢者』という意味の尊称)」

「リー将軍がキイ国で果たす役割についてまでは、赤子は知るまい、と言ったのだ……。彼の地に数多くいた我々の祖先を北へ追い遣り、長城を築いた将軍達の功績は見事だ。今も、キイ国の国境をしっかり押さえている。特にリー・タイクは、カザからスーにかけて領土を持ち、ニーナイ国のフェルガナから、タァハル、タイウルト部の地へ続く天山(テンシャン)南路を守護している……。キイ国が謀略をめぐらせ、バヤン殿を捕らえることが出来たのも、リー・タイク将軍の働きがあってのことだ」

「だから、どうした」

「解らないのか、トゥグス。……我々がこの地にあって国境を脅かしている『から』、リー将軍の存在意義があるのだ。トグル・トロゴルチン・バヤンが部族を統一し、強大な力を持ち得たからこそ。――我々が分散し、とるに足らない小さな勢力になってしまったり、他の部族に滅ぼされたり……万一、キイ国の皇帝と手を結ぶことになったら、将軍は不要となる」

「……そんなことが、あり得るのか?」

「ない、とは言い切れないだろう」


 キイ国と手を結ぶなどということが……。

 たとえ話とは言え、あまりの内容に驚いた。そんな俺を、ジョクは愉快そうに見た。


「分からぬぞ。今は無理でも、数十年後にはそういうことになっているかもしれない。新しい共存の方法がみつかるかもしれない。タァハルとも、タイウルトとも……。可能性を棄ててはなるまい。メルゲン・バガトルは、少々時代を見る目が早いようだが……」

「…………」

「話が逸れた。元へ戻すぞ。――我々が強くなり過ぎても弱くなり過ぎても困るという、リー・タイクの事情は解ったな? 奴にとって、トグリーニとタァハルの部族間同盟は、死んでも阻止しなければならなかった。かといって、我々が滅んでしまっては困る」


「だから、タァハルやタイウルトと共謀して我々を挟撃するような真似はしない。……成る程。そんなことをして、今度はタァハル部族が強くなっても困るわけだな。我々には、タァハルやタイウルトどもと対抗し続けていて欲しい。ハル・クアラ部族が、我々に対してそうであるように!」

「……バヤン殿を殺すことが出来て、リー・タイク将軍はホッとしているであろうよ」


 青白い瞼を伏せ、ジョクは、ややしんみりと言った。


「皇帝に対する面目が保てたばかりではない。これで、我等トグリーニは永遠にキイ国の敵となった。部族はどうあれ、トグル氏は末代まで奴等を許さないだろう」

「キイ国の事情は解った」


 俺はホッとした。ようやく、ここまで辿りつくことが出来た。

 ジョクは確かに頭が良いが、己の考えに入りこむ癖がある。ディオもそうだ。気になることがあると黙りこんで思索に耽り、相手をしてくれなくなる。その兆候を察したら、失礼だが、遮らなくてはならなかった。


「――だが、解らないぞ。それと部族内の諍いに、何の関係がある。ディオの縁談と。俺が知りたいのは、そちらだ」


 この台詞で、ジョクはこっちへ帰って来てくれた。顔を上げ、怜悧な眼差しを俺に向けると、何故か微笑んだ。


「タァハルの事情を、考えてみろ」

「たぁはるぅ?」

「そうだ」


 そんなもん考えたく無い、と思った俺の気持ちが顔に表れたのだろう。ジョクは、白い歯を覗かせた。


「奴等は、この草原(イリ)を欲している。だが……バガトル(勇者)を改め自らトグル・バヤン(『バヤン』には、『豊かな』とか『栄光有る』という意味がある。)と名乗る男が現れて、略奪を困難にした。頼みの綱のキイ国は、この男を倒すところまでは協力してくれたが、その後までは面倒をみてくれそうにない。お前なら、どうする?」

「どうするって……」


 どうするんだ?


「とりあえず、攻めてみる、か?」


 ディオもそれを警戒しているようであるし……。

 思いつくまま応えると、ジョクは唇を歪めた。莫迦にしているのではない。俺の自信のなさに困惑しているようだった。


「お前ひとりの時ならばいざ知らず。オルクト・バガトル(俺の親父だ)が帰還し、トグル・メルゲン・バガトルも、ディオも……アラル、テディン、スブタイといったミンガン(将軍)達が揃い、オーラト、ボルド、クチュウトの氏族長達が居て……。更には、ハル・クアラ、オロス、北方諸族の長達まで終結し、満を持している状況で――この時期に正面から戦いを挑んで勝てると思われているのだとしたら。我等トグリーニも舐められたものだな」

「だから、内乱か」

「…………」

「どうやって? どこにそんな――奴等のつけ入る隙があると言うんだ? ジョク。」

「…………」

「カザック(離れ者)か?」


 ジョクは、判らないのではなく、口にするのを躊躇うような表情で黙っていた。俺がこう言うと、痩せているせいで大きくみえる眼を見開き、まじまじと俺を観た。

 なめらかな声に驚きが交じる。


「確かに、強敵となるだろうな。連中は、我々の戦法を熟知している。だが、カザック達を抱えているのは、タァハルも、タイウルトも同じだ。そもそも、連中が、部族間の闘争や氏族同士の軋轢に、興味を持つと思うか?」

「それもそうだな」


 遊牧社会の厳格な統制をきらい、氏族を離れて草原を流浪する者達のことを、俺たち既成社会の側の人間は、離れ者(カザック)と呼ぶ。

 決まった庭(放牧地)を持たず、略奪をくり返す連中は、当然大社会からの追撃を受けるので、相当な武力的自信がなければ、カザックでい続けることは不可能なのだ。

 もともと同じ部族であり、言葉も習慣も同じ奴等と戦うことは苦痛だが……。その代わり、強固な社会体制を持たない生活は、飢えや疾病などで簡単に崩壊する。

 かつて、バヤン大伯父が部族を統一した時も、メルゲン叔父が名を継いだ時にも、大量のカザックを出したことが問題になった。


 ジョクは、ゆっくり首を横に振った。


「違う。トゥグス、良く考えろ。バヤン殿が死んで、最も得をした者は、誰だ? 言いかえると、メルゲン・バガトルが盟主となって、最も有利な立場を得た者は、誰だ?」

「有利となった者ぉ? 部族内で?」


 そんな奴がいるのかという気分だった。ジョクは頷き、ことも無げに言った。


「お前だ」


 …………。


「お前だ、トゥグス――オルクト・トゥグス・バガトル。メルゲン・バガトルの、更にはディオの外戚に当り、五氏族最大の勢力を持つ。貴様の氏族が、最も有利になったのだ」

「ちょっと待て!」


 俺が思わず大声を出したものだから、ジョクは慌て、片手を挙げてたしなめた。傍らで寝ていたディオが唸り、寝返りを打つ……。声が聞えたらしく、眉間に皺を刻んでいたが、目は覚まさなかった。

 ディオが落ち着くのを待って、ジョクは静かに、一語一語を噛み締めるように言った。


「声が大きい……。落ち着け、トゥグス。そんなに慌てるようなことか」

「ああ、済まない。だが、合点がゆかぬぞ。バヤン大伯父が亡くなられて、俺が一番得をした、などと。メルゲン叔父とディオが名を継ぐことで、俺達が有利になると――そんな言われ方をするとは、心外だ」

「だが、事実だ」

「…………」

「ザー、サイン(判った)。気分を害したことは、謝ろう。そういう捉え方をする者もいると、言いたかっただけなんだ。……冷静に考えてみろ。おれの言っていることに、間違いがあるか?」


 しかし、俺の機嫌は直らなかった。ジョクのせいではない。奴は正しいと頭では理解していたが、感情が受け入れなかった。


 身内であるディオやメルゲン叔父が、バヤン殿の死を悲しむというより憤慨し、その遺言に腹を立てるというのはまだ判る。しかし。

 仮にも、人の死を……誰かが殺されたことで、利益を得たと思うなんて。


 俺の沈黙をどう受け取ったのか、ジョクは、ゆっくり解説を始めた。


「お前は、ディオの外戚(母方の親戚)だ」

「…………」

「ディオがエゲテイの子である以上、それは間違えようがない。そして、内戚(父方の親戚)のシルカスが絶えれば、四氏族のなかで、盟主に最も近い血族となる。おまけに、オルクト伯父もトクシン伯父も、メルゲン・バガトルよりずっと年上で、お前も、ディオより年上だ。盟主(トグル)も長老会も意のままに動かせるようになると考える者がいても、当然だろうが」

「……それはそうだが」

「問題は、お前がどう思っているか、ではないんだ」

「…………」

「そう考える者がいる、ということ。有利になった者がいれば、逆に、不利になる者もいる、ということだ」


 俺は、ぞっとしてジョクを見詰めた。


 俺は本来ならば、動くことが出来なくとも部族の行く末に関心を持ち、情報を集め、冷静にそれを分析するジョクを、賞賛するべきだったろう。だが、とてもそんな気になれなかった。――まったく見当違いだと承知してはいたのだが。

 己自身の死すら念頭に置いて運命の環を解きほぐす彼が、まるでその環を作った当人のように思えたのだ。


 ジョクは、やや淋しげな眼差しを、傍らで眠るディオの顔に投げかけた。


「我ら五氏族は、トグル氏から(わか)れ出た。最初にシルカスが、次にオルクトが……。シルカスからクチュウト、オルクトから、ボルドとオーラトが。言うまでもないが、我々をつなぐ唯一のものは、この血だ。どんなに薄汚れようが腐ろうが、絶やしてはならない……かたよらせては、ならない」


 晴れた夏の夜空のような瞳で俺を見て、ジョクは、淡々と続けた。


「そうしなければ、今ある全ての体制が崩れることになる……。ところが、現実はどうだ。離れ者(カザック)は草原に溢れ、シルカスの直系は絶えようとしている。クチュウトも。トグルはオルクトに依存しなければ生きられず、今では、その血が本当のものかどうかも判らない」

「…………」

「それでも武力で部族を纏めていたトグル・バヤンが殺されて……タァハルやタイウルトがつけ入るには、絶好の機会だとは思わないか、トゥグス。お前に権力が集中するのを危ぶんだから、クチュウト安達はディオの縁談を持ちだしたのだ。それが賢明な策かどうかは、別として――そのような策すら使えない者は、どうすれば良いのだ?」

「すると、ジョク。お前は、四氏族のうちの誰かが、盟主(トグル)を裏切ると……?」


 ジョクの黒い瞳は、語るより雄弁だった。俺は、半ば答えの判っている問いを、恐る恐る口にした。


「一体、誰が?」

「ボルド」

「…………」

「――が、今ある体制を覆すことで利益を得る、唯一の氏族だ。クチュウト氏とは違い、そうする武力も勢力もある。滅びかけたトグル氏と我々に代わって部族を掌握し、イリを手に入れたいと望んでも、無理はない」


 俺は、苦虫を噛み潰して首を振った。苛々と。

 湧き起こった不快感は、ジョクの言葉に対するものか、ジョク本人に対するものか、判らなかった。俺は、思わず、こう言った。


「いい加減にしろよ」

「…………」

「いい加減にしてくれ、ジョク。お前の考えは危険だ。何の根拠があって、ボルド氏をそこまで糾弾できるのだ。お前はユルテ(移動式住居)から一歩も出ていないと言うのに。駄目だ……お前こそ、人心を惑わし、彼氏を陥れようとしていると思われるぞ」

「だが、現にそのつもりで、メルゲン・バガトルは動いておられるのだろう?」

「…………」

「クチュウト安達は……。タァハルとの戦いに中立者を出せば、内乱の拡大に繋がると考えておられるからだ。戦いが避けられぬとよほど確信しておられなければ、盟主とて、ディオに無理は仰らないはずだ」

「口を慎め、ジョク。自分の立場が判っているのか? 仮にも、お前は、シルカスの族長だ。空想だけで話を進めるな。――お前に何が判る。氏族長たるお前がそのようなことを言えば、彼氏を追い詰めることになると、考えられないのか」


 言ってから、しまったと思った。言い過ぎだと。

 がまん強いジョクも、流石に気分を害したのだろう。がっかりした表情で、俺を見上げた。


「……『空想』で、悪かったな」

「…………」

「ユルテから外に出られない者には何も判らない、などと思うくらいなら、最初から訊くな。おれは自分の考えを述べたまでだ。――なら、お前は何だ。自分の足で歩けて、その目で観て、聴くことが出来る。疑問に思うことがあれば、己自身で調べることが出来るのに、しようとしない。――おれとお前に、どれ程の違いがある。どちらも、役立たずの無駄めし喰いだ」

「スマン……」


 後悔した俺の気持ちを察したのだろう。ジョクの台詞の後半は、冗談口調になり、口元には苦笑が浮かんでいた。

 俺は頭を下げた。ジョクは、首を横に振る。自嘲するような微笑と黒い瞳が哀しくて、俺は言葉を失った。

 ジョクは、眠っているディオを見て、しずんだ声音で言った。


「ディオの立場を、考えてみろ」

「…………」

「お前の立場を……お前こそ、考えろ。嫌な話であることは判るが、己だけは汚れていないと思うのは間違いだ。お前はそうでなくとも、お前の父――オルクト氏の祖先達は、代々そのつもりでトグル氏と婚姻を結んで来たはずだ。シルカスも同じ……。その体制を創ったのは、他ならぬトグル氏だ。おれ達は、否応なく、産まれた時から腐った政治の中に居るんだ」


 俺は、応えることが出来なかった。俺達の長話を、ついに煩いと感じたのだろう。ディオが眼を開け、寝起きの濁った目で、じろりと俺達を睨みつけたからだ。

 ディオは大儀そうに寝返りをうち、欠伸を噛みころした。表情は不機嫌きわまりなかったが、口調はいつもと変わらなかった。


「何の話だ?」

「…………」

「先刻から、ゴチャゴチャと、煩い……。何の話をしていたんだ? ジョク」

「クチュウト安達(アンダ)が――」


 俺は、何と言えばよいか判らなかった。ジョクは、ゆるりと微笑んだ。


「――何故、この時期にお前の縁談を持ちだしたのか。判らないと言うので、説明していた」

「ああ」


 ディオは頬杖をつき、鮮緑の瞳で俺を見た。それから、悪戯っぽい視線をジョクに向けた。


「トゥグスには野心が無いから、理解させるのは大変だろう」

「……そうだな」

「ディオ……」


 俺は、どっと疲れた気分になった。奴が、フッと嘲う。ジョクも。――確かにお前達は頭がいいよ。けどなあ……。

 ディオは、再度のんびり欠伸をすると、歌うような口調でジョクに話しかけた。


「ジョク」

「何だ?」

「歩けないのは、お前の個性だ。気にするな」

「……別に、気にしていない」

「そうか。ならいい。だが、クチュウトは滅びるぞ」


 どこをどうしたら、それが『だが』で繋がるのだ?

 あまりにさらりと言われたので、流石のジョクも、戸惑ったようだった。


「……お前も、そう思うのか」

「ああ。何とかならないかと、ずっと考えていたんだが、駄目だ。庭(ここでは、クチュウト族の縄張りの放牧地を指す)の位置が悪すぎる。オーラトとオロスと、タイウルトに囲まれていては、守りようがない。こうしている間にも、かすめ盗られぬのが不思議な程だ」

「そうだろうな」

「せっかく、お前が忠告してくれたのにな」


 クチュウト氏は、イリの北方、テュー河畔にオルドウを構えている。そのさらに北方にはオロス族と『森林の民』が、すぐ西にはタイウルト族の領土が、南にはオーラト族の領地がある。

 ボルド氏とタァハル部族が手を組めば、連中は俺達の南西から攻めてくるわけだから、ディオとしては、そんな処まで手がまわらない。バルカイク湖の西岸を敵が北上してくれば、打つ手がなかった。

 おまけに、タァハル部族とタイウルト部族は、いつも、すぐ同盟を結ぶのだ。


 ジョクは、哀しげに眼を伏せた。


「クチュウト安達も、苦しまぎれの選択だろう。中立して時期を待つには、力がなさ過ぎる。今でさえ、トグルの名があってこそ、オロスに併合されずにいるのだからな」

「何かいい策はないか、ビルゲ(賢者)」


 苦虫を噛み潰しながらも、ディオの口調は飄々としていた。ジョクが舌打ちをする。


「お前に出来ないものを、おれなどに出来るはずがないだろう」

「また、随分かいかぶってくれたな」

「スブタイ(オーラト族の将軍)に任せるわけにはいかないか?」


 俺が問うと、ジョクは首を横に振った。ディオが皮肉っぽく唇を歪める。


「忘れたのか、トゥグス。オーラトは、ボルド氏の縁戚だ。ただちに敵対することはなかろうが、ボルド氏の動向がはっきりするまでは、動きようがあるまい」

「打つ手なし、か……」


 俺も、ため息を呑んだ。


 ディオもすでに内乱を想定しているのであれば、事態は絶望的に思われた。またイリが戦場になるという考えは俺の気分を暗くさせたが、ディオの眼差しは鋭かった。

 奴は頬杖を突いたまま、不敵な視線を俺達にあてた。


「親子二代、いくさで妻を捕られるようでは、トグルも終わりだな……。ところで、お前はどうする、ジョク。トゥグスは論外だろうが」

「おれに、他の選択肢があると思うのか?」


 ジョクは苦笑して応えた。


「あったとしても、アラルは認めぬだろう……。お前とトゥグスが居ないところで、シルカスが活かされるとも、思えない」

「……永い戦いになるぞ?」


 ディオの言葉に、ジョクは、ゆっくり微笑んだ。血の気のない頬に浮かんだそれは、とても安らいでいるように見えた。

 ジョクは、殆ど息だけで囁いた。


「今に始まったことではない……」


 ディオは、フッと苦笑した。それから身を起こし、ジョクの両脚をまたぎ越えて、寝台から降りる。脱ぎ散らかしていた靴を履き、寝乱れた長衣(デール)を手ばやく整えると、これだけ言い捨ててユルテを出て行った。


「荷物を取って来る。昨夜、親父に起されて、天幕と葦毛(ボルテ)をそのままにして来たんだ。馬頭琴(モリン・フール)を持って来よう」


 ディオを見送ったのち、俺とジョクは顔を見合わせた。

 天窓から降りそそぐ陽光は、もう夕暮れの気配をまとっていた。




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