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立ち昇る煙

作者: 赤馬研

煙突から立ち上る白い煙を見上げながら、これで本当にこの世の中から、親父が完全にいなくなったのだという事をしみじみと感じていた。


その煙の奥には初夏の田舎の真っ青な空が広がっていた。


ここは、実家近くの火葬場で、

数日前に亡くなった親父の亡骸を荼毘にふしているところであった。


あの日から約3年、辛い闘病に耐えてきたが、とうとう力尽きてしまった。


親父の死は、約3年の闘病期間を経てのものであり、日に日に弱っていく親父を見たいたので、覚悟はしていたものの、数ヶ月前にもうひとつの死に直面していた私に親父の死は、とても大きなダメージとなっていた。


親父の死と、もうひとつの死はある意味真逆のものであり、自分の気持ちを整理できずにいたのだった。


その親父の話は、約3年前のあの日から始まっていた。


「父さんガンかもしれない」


2003年夏に帰省し二日ほど実家で過ごし、東京に帰る日、実家の玄関を出る時にお袋から聞かされた。


その時はそうなんだと思ったくらいで、ショックを受けたとかそんな感じではなかった。


「はっきりしたら教えて」


と言い残し実家を後にした。


何の根拠もなかったが、今はガンも治る時代だと思ったのかもしれないが、大丈夫だろうと軽く考えていたのだと思う。


「親父やっぱりがんらしい」


東京の生活に戻り忙しくしている中で親父の事を忘れている時間が大半だった秋口のある夜、突然実家の兄貴から電話があってそう聞かされた。


再度精密検査をして見なければはっきりと断定できないが、膵臓ガンの可能性が高いらしかった。


「最悪、持って半年らしい」


「半年? 」 絶句した。


突然半年ということを突きつけられて、何がなんだかわからなくなった。

兄貴との電話を切る前から体が震え出した。


「半年、まさか」


膵臓は、胃の後ろに隠れていて、物言わぬ臓器と言われており、痛みがあるわけでもなく、ひっそりと癌が進行するので、検診などで判明した段階では、手遅れになっている可能性が高い癌と言われているらしかった。また、手術も難しい臓器らしかった。


電話を切った後、自分でも驚いたが涙が止まらなくなり、声にならない声を出して泣いた。


なぜだろうか?普段の生活の中では親父の存在など殆ど意識もしていないし、考える事など殆ど無かったのに、体が、心が驚くほど反応した。


ただ涙が止まらなかった。


「親父」


心の中で何度もつぶやいていた。まだ本人には告知していないが、事実を告げられたらいったい親父はどんな気持ちになるのだろうか?


親父は長いこと教師をやっていて、定年後も雇用延長しこの春70歳を迎えてようやくリタイヤしたところだった。

これからゆっくりと疲れを癒して気ままに生きようとしていた矢先だった。


(数ヶ月後、ある病院前にて)


「居た、あそこだ」


その年の冬の走りのある日、栃木県の大学病院に来ていた。ここは親戚のおばが看護師として勤めている病院で、そのつてを使って少し前に親父に精密検査を受けさせていた。

その結果を今日聞きに親父がこの病院に来ることになっていた。


事前におば経由で検査の結果を聞かされていた。

やはり膵臓癌だった。

今日主治医から親父に告知する。


親父は1人で結果を聞きに来ていた。

主治医からの告知を受けて親父がどうにかなってしまうかもと言うことで、私と兄貴が親父には内緒で病院に来ていた。


遠くから久々に見た親父の姿は少し乾いた感じに見えた。先入観がそう感じさせたのかもしれないが、今までの感じとは違って見えた。


「最悪の場合、もってあと半年です」


主治医は親父にそう伝えることになっていた。


70年がむしゃらに生きて来て、突然あなたの命は後半年だと言われたら、大概の人は大きなショックを受けるのではと思った。これからゆっくりと人生を総括しようと思っていたのだと思う。そこに残酷な告知がなされた。

親父が余りに可哀想だった。


「親父」


兄貴が、お前が声かけろというので、告知が終わって、親父が病院を出て、駐車場に向かう所でようやく声を掛けた。


「おう、なんだ来てたのか」


拍子抜けするくらい親父は私達を普通に受け入れた。

想像ではもっと驚くかと思っていたが、俺たちが来ることを少しは予想していたかのように、普通に、あっさりと俺たちを受け入れた。


実家までは病院から車で2時間半くらいある。私が親父が乗ってきた車を運転して、親父と色々と話しながら帰ってきた。多分、私が親父とこんなに長く話をしたのはこの時が初めてだった。父親と息子というのはこんなものかと思っていたが、それまでいかに話をしていなかったのかと、後になって後悔をした。後から思うとそれが親父との最初で最後の長い会話だった。



親父の葬儀が終わってしばらくしてから思ったのだが、俺はずっと親父の背中を追いかけていたような気がする。親父はいわゆる仕事人間で有り、休日も殆ど学校に行っていて、生徒の相手をしていたように思う。私の小さい頃の思い出では、いつも親父の背中の映像が頭に浮かぶ。家を出て行く時、テレビを横になって見ている時、とにかく背中のイメージが強い。子供は親の背中を見て育つとはよく言ったものだが、寂しいか、寂しくないかで言うと、間違いなく寂しいものであったと思う。私もずっと最後まで親父にこの事を言うことはなかったが寂しく思っていたのだと思う。


「お父さん、・・・」


どうすればいいの?

こっちで合っている?

どう思う?


こんな事を小さい頃、心の中でずっと叫んでいたように思う。


なんでもよかったのだと思う。もっと話をしたかった。もっと色々と教えて欲しかったのだと思う。当時はそんな事すら思いつかずに過ごしてたとは思うが。


車のかなでは、親父の病気の話が中心だったが、仕事についての話も少しすることができた。俺自身仕事について思い悩むことが沢山有り、幾つか質問をして親父なりのアドバイスを貰った。確かにと思うことと、なんか古いなと思うことと両方あった。ただ、とても嬉しかった。親父がそれで良いんじゃないかと言ってくれたことは少なからずともその後の自信になっている。どう生きて行けば良いのかわからないまま、いつも手探りで生きて来ていたので、親父からの後押しはとても心強かった。もっと話したかったが、2時間半と言う時間はそれには短すぎた。


随分と後から思ったことだが、俺自身心底相談できる相手が1人も居らず、いつも自分1人で手探りで生きている。親父が唯一の相談相手と言うのも稀だと思うが、もっと相談できる関係性が親父との間にあったらなと亡くなってから思ったものだ。



「医者は最悪のケースを言うんだよ」


本心なのか、そう思いたかったのかはわからなかったが、実家のある町に車が差し掛かった時に、あと半年だと言われたとポツリと親父は言った。


やっぱりショックだったんだ。初めて聞く親父のか細い声だった。


何も言葉を返せなかった。


初めて心が弱っている親父を見た。


直ぐに何かを変えるということでもなく、できる治療を粛々とやって行くのみということで、暫くして抗がん剤による治療が始まった。


やはり抗がん剤の副作用か親父は劇的に痩せていった。


両国に相撲を見に行ったり、上野で寄席を見せたり、何かを取り戻そうと思ったのだと思うが、同じ時間を過ごすことが増えた。


合わせて、ネットで調べる時間が増えた。せめてもの親孝行のつもりだったのかもしれない。

その中で、セカンドオピニオンというものがあることを知った。複数の医者の話を、診断を受けて、本当に治らないのか、適した治療は何かなどを確認することらしかった。


色々と調べた中で、一つたどり着いたところが、国立がんセンターだった。やっぱり国の最高の病院で見てもらおう。後悔したくなかった。親父を東京に呼んで、築地にあるがんセンターで見て貰った。


結果は何も変わらなかった。宇都宮の最初の医者の診断通り、かなり厳しい膵臓ガンだった。

ただし、現在続けている抗がん剤治療が一定の効果を示しているのでそれを継続して行くしかないと言われた。ここは、薬も効かない重度の患者が来る場所なんですとも言われた。

事前にネット等で調べた様々な事例では、がんセンターで新たな治療法を試し、諦めていた人たちが見事生還したと言うことが幾つもアップされており、私は密かに、そして今から思い返せば過度な期待を持ってがんセンターにすがっていたのだと思う。


その過度な期待に対するがんセンターの回答は、余りに残酷なものだった。


がんセンターが悪いわけでは勿論なかったが、国立がんセンターに親父にとって特別な治療があるわけではなかった。


「連れてこなければよかった」


築地のがんセンターから上野駅まで親父を車で送っている最中ずっと思っていた。


何かが変わるのではとすがる思いで連れて来たが、結果は絶対に助からないということをはっきりさせたに過ぎなかった。国の最高の病院のもう治りませんと言うお墨付きを、親父に突きつけてしまった。


「心配掛けたな、ありがとう」


そう言って親父は上野駅に消えて行った。


何をしてんだ俺は・・・。


しばらく上野公園の横の道に車を止め呆然としていた。運転する気にならなかった。


コンコン⁈ 車のガラスを誰かがたたいた。


「どうかしましたか?」


巡回中の上野警察のおまわりさんだった。

何かを思いつめたような顔で呆然としてるみたいだったので声を掛けてくれたらしかった。


見た感じ私より年上のとても優しそうな、少し田舎くささが残っているようなおまわりさんだった。だからかもしれないが、親父の病気の事、がんセンターでの事、私が大きく後悔していることを話してしまった。


思いもよらない沈黙が続いた。


おまわりさんが真剣に何かを言おうとしてくれていた。


「私でもそうしたと思いますよ」


今さっき会ったばかりの人が、私と、親父の事を真剣に考えてくれていた。


親父の状況は何も変わらないが、私の気持ちはとても救われた。


それから私が目指す人間像の1人がそのおまわりさんになった。


「落ち着くまでここで休んで、落ち着いたら安全運転で帰ってくださいね」


そう言い残しておまわりさんは職務に戻って行った。


その後ろ姿はとても颯爽として、頼もしく、今も鮮明に頭の中に残っている。


ただ、親父にある意味絶望を突きつけてしまったこの時の事は、今も頭に引っかかっている。



最初の診断から2年がたとうとしていた6月の深夜、


親父の亡骸を乗せた車が我々の乗った車の前を実家に向かって走っている。

つい3時間前に親父の人生が終わった。

半年と診断されてからがんばってここまで来ていたが、ついに力尽きた。

幸いに最後の瞬間にその場所にいることができた。


「親父、よくがんばったね。今までありがとうございました。ゆっくり休んでください」


最後に親父にかけた言葉だ。


意識が遠のいた親父に届いたかどうかはわからなかった。


最後の半年の闘病生活は壮絶なものだった。


「家に帰りたい、連れて帰ってくれ」


よく聞く話だが、最後を悟った親父も自分の家で最後を迎えたいと強く思ったのだろう。


はっきりとは言えなくなっていたが、何度も何度もうったえかけていた。その思いは叶わぬままとなった。


それから葬儀が終わるまではとにかく大変だった。


多くの人たちが別れを言いに駆けつけてくれた。


様々な人たちが、それぞれの親父との関わりの中で感じてきたことを、それぞれの想いを乗せて伝えてくれた。

私は親父を通してこんなに沢山の人たちに支えられていたのかと気づかされた。


葬儀の日、火葬場の煙突から出ている煙をぼんやりと見ていた。親父が登って行っている気がしていた。


親父は自分の人生を、最後どう思っていたのだろうか?


俺のことをどう思っていたのだろうか?


もっと何かを伝えたかったんじゃないか?


もっとやりたいことがあったはずだ。


「どう生きて行けば良いのか?」


きっと親父は、最後に残される我々家族に、色んなことを言ってくれるつもりだったと思う。若しくは、書残すつもりだったのかもしれない。

しかし、抗がん剤の検査の為に入院してから、急激に容体が悪化してしまい、残念だが、そういったことを全く出来なまま、人生の幕をおろしてしまった。


この無念さは、俺なんかには到底想像できないものすごいものであったのだろう。


煙突から登る煙を見上げながら親父に向かって聞いていた。もう、その答えを直接聞くことは出来なくなった。


不意にどうしようもない孤独感に襲われた。

親父はもうこの世にいない。何かあっても助けてくれることはなくなった。

何があっても自分で切り開いて先に進むしかなくなった。


それまでの日常では、殆ど親父のことなど気にもせずに、今思うと気ままに生きていると思っていたが、いざ、親父をなくして一人になってはじめて、言いようもない重圧が襲って来た。


これからは全部自分で考えて、判断して生きて行かねばなくなった。できるか、俺にできるのか?

できるかどうかではなく、やるしかなくなった、やるしかない。


そう、もう一つ空に昇っていく煙を見上げながら、親父に話したことがあった。


「あっちに行って、あいつにあったら、俺たちは、お前の分までしっかり生きるからって伝えてくれ」


親父の死に直面する約半年前に、私はもう一つの死に直面していた。


人はいつか必ず死を迎える、そこには人の数だけ悲しみがある。同時に、感謝だったり、悔しさだったり、絶望だったり、充実だったり、人の数だけ様々な最後がある。


誰にも訪れる死。


だが、その中身は決して同じではない。生きたくても、生きれなかった人。生きれたのに生きなかった人。

その違いはどこにあるのか、あったのか。


その答えは人の死の数だけあって、どれ一つとして同じものはないのだろう。


ただ、その数だけ、悲しみや、感謝や、悔しさや、後悔があり、その人にとって何が一番よかったのか、、、。


誰かにはそれがわかるのだろうか。


私は、2つの違った死に直面して整理できないまま天に昇っていく煙を見ながら思っていた。


若しくは、どんな死にも、悲しみや、感謝や、悔しさ、後悔、絶望、、、


全部あるのかもしれない。


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