襲撃①
三人は走った。
シホ達の言う安全地帯と呼ばれる場所を目指し、アイヒシュテットは殿で後方を警戒しつつ走った。
あらゆる方向から襲い来る東国の兵士【武者】は、完全に生気を失っていた。体は土気色でところどころ肉が崩れ落ちており、その姿はまるでゾンビだ。持っている剣は錆びており、着けている武具も腐食の為半分は朽ちている。
「落ち武者の死骸って事はここやっぱり――」
「囲まれてます! 正面の敵を――」
「私が道を切り開こう!」
落ち武者と呼ばれたゾンビ達は動きが遅い。だが三人の行く手を遮るようにどこからか急に現れ迫ってくる。このままでは拉致が明かないとばかりに、アイヒシュテットは腰に下げていた聖騎士の象徴的宝具である聖剣を抜くと、聖職者の権能を発揮する際の宣誓を行った。
『〈quo vadis〉』
一言、アイヒシュテットは言葉を紡いだ。すると上空に聖剣をかたどった光が無数に現れ、それらはシホ達を遮ろうとする亡者達に向かって一斉に降り注いだ。
光の剣は正確に亡者達の心臓部分を貫くと、そのまま押し潰すような衝撃波を発生させ亡者を地面に縫い付けた。
『〈iterum crucifigi〉』
それでも尚もシホ達に向かおうと蠢く亡者達に対しアイヒシュテットの二言目の宣誓がなされる。すると光の剣は突き刺さった対象の周りに細かな青い稲妻を迸らせた。無数の細い稲光は、亡者の体を隅々までバチバチという音を立てながら焼き尽くすと、水分を失った亡者の体は自壊し、黒に近い灰色の粉となった。
「何それ凄いんだけど!」
「シホさん前、前!」
走りながら振り向くシホの目の前には、新たに現れた亡者がその行く手を遮らんと立ち塞がっていた。玄奘の声でそれに気がついたシホは、腕で空を切り裂く鋭い動作で亡者に向かって何かを投げつけた。
投げつけられた小さな物体は亡者の額に当たると、全く同じ速度で跳ね返りシホの手元に返った。額を丸く穿たれた亡者は、一瞬遅れて額から足先まで幾筋もの亀裂を生じさせたかと思うと、一、二秒後には全身が砂と化し地に崩れ落ちた。
――――ッ!?
その様子を見て、今度はアイヒシュテットが驚く。今のは間違いなく神の加護を起源とした洗礼の類だった。祈るべき主神のいない世道の洗礼に神の加護が宿る矛盾は、高位聖職者であるアイヒシュテットには説明の付かない事象であった。
「このまま真っ直ぐ!」
シホはアイヒシュテットに叫ぶ。目の前にはまだ亡者が残っている。
シホがまた腕を構えると、今度は複数の小さな物体を両手で放った。複数の物体が亡者の間を跳弾し、亡者は次々と砂と化していった。跳弾した物体は、やはり速度を落とす事なくシホの手元に返った。
「シホさん!」
「止まれ! シホ!」
玄奘とアイヒシュテットが同時に叫んだ。シホの投じた物体が手に返ったのとほぼ同時に、崩れ落ちる亡者の影から人影が飛び出していた。
「っとと!」
シホもそれには気づいていたらしく、玄奘とアイヒシュテットの叫びよりも早く彼女は左横へステップしていた。
直後シホのいた場所に人影が飛び込んだ。膝蹴りの姿勢からその場に着地した影は、そのまま体を器用に捻り飛び上がった。合わせて脚を跳ね上げシホの頭を蹴ろうとしたが、シホはそれをわずかに屈んで躱す。
だが影はそれを見越していたのかすぐさまその踵を落とし、屈んだシホの頭を狙った。シホはそれを素早く察知し、猫さながらのしなやかな動きで瞬時に後ろへと飛び退く。
紙一重の差で踵が目標を外れそのまま地面を打ち付けられると、鈍い衝撃音とともに地面がくぼみ、土煙が舞い上がる。
「いいぞ! 巫女のくせにやるじゃねぇか。アリだな!」
不意の一撃による意識阻害と弾き飛ばし(ノックバック)効果を持つ蹴りからなる体術系技巧【衝爪脚】。
そして技後硬直無しで繋がれた体術系上位技巧【彗天嶽】。
明らかな初見殺しである連絡技をシホが回避できたのは、彼女の類稀なる感と幸運によるものだ。アイヒシュテットは素直にシホの戦闘才覚の高さに舌を巻く。
そしてそれは敵対者に対しても同じである。土煙の中に浮かび上がったシルエットは、その力の大きさに反して意外なほど小さい。しかしその者はアイヒシュテットから見ても恐るべき力を持つ手練れであった。
ボサボサの髪。右目に黒の眼帯。手足だけが露出した見慣れぬ民族衣装。煙が晴れて現れたその姿は、どこからどう見ても年端の行かない少年にしか見えなかった。
見た目玄奘と同じくらいの――十歳そこそこの――その子供は、恐るべき能力を披露した後、笑いながらシホを褒めた。
「アイヒ君! あれは死霊です!」
言われるまでもなく、アイヒシュテットにもそれはわかった。初めこそその姿形に惑わされたが、土煙が晴れて顕になった少年の体は、明らかに異質の塊であった。
関節の制限がない身体の可動範囲。超人的な筋力。そして今見えている生気のない青白い蝋のような質感の肌は、代謝を不自然に制御する死霊系擬似生物に見られる大きな特徴である。
――それでいて知能も高そうだ。恐らくかなり高位の死霊か。
相手の力量を即座に自分より格上と判断したアイヒシュテットは、迷いなく剣を【誓いの構え】にし、宣誓した。
『〈Libera me, Domine〉』
アイヒシュテットが言葉を紡ぐと、死霊の遙か頭上に十数本の白く輝く剣が現れた。
死霊がそれに気が付き空を仰ぎ見るのと同時に、そのうちの一本が死霊を狙い降下する。
「なんだぁ?」
死霊は降ってくる剣を、気だるそうに頭を掻きながら難なく回避した――その瞬間。
「ぁぇ?」
理解できない現象に死霊は声を上げた。
躱したはずの剣が己の左足の甲を貫き地に刺さっていた。
死霊に躱された剣は、確かにそのまま地面に突き刺さった。だが地に刺さった瞬間、それは死霊の軸足にしていた左足の甲に刺さった状態で現れたのだ。
『〈de morte aeterna in die illa tremenda Quando caeli movendi sunt et terra Dum veneris iudicare saeculum per ignem――〉』
剣は次々と死霊を目掛け降り注ぎ、その手足や胴体を貫いた――厳密には死霊は拳で剣を撃ち落とそうと、若しくは足で蹴り飛ばそうと試みていたが全て寸前で剣は掻き消え、同時に死霊の体を剣が貫いている状態にすり替わった、というのが正しい――。
「何あれこわっ。【挙止封殺の剣】?」
一部始終を見ていたシホが表情をやや引きつらせながら低いトーンで言う。
「いえ、あれは聖騎士固有技巧【葬弔の十四行詩】です。相手が死霊や悪霊の類には絶対に当たるやつで、もし躱せたとしても、当たらなかった事そのものが修正されるという超絶技巧なんですけど、でも……なんで――」
シホ同様玄奘もあからさまに訝しがる。
アイヒシュテットの宣誓が終わると、十二本の剣は死霊に強烈な電撃を放出した。
青い光が溢れ、衝撃が死霊の体を膨張させる。
――そのまま蒸発しろ。
神の使徒【円卓の十二熾天使】を示す十二本の戒めの洗礼が、浄化の蒼炎を上げる。アイヒシュテットが仕上げを行おうと手に持つ聖剣を掲げ、その聖粒輝を解放しようとしたその時。
「――ッ!? 馬鹿な!?」
死霊に突き刺さっていた光の剣が、一斉に霧散した。
「侮り過ぎて痛い目を見たな巌流。良い気味じゃ。この勝負そちの負けじゃ」
バタリと力なく倒れた死霊から目を離し、アイヒシュテットは声のする方向を凝視する。
そこには、巌流と呼ばれた死霊と同じくらいの背恰好の人影があった。
足元まである束ねられた黒髪。
朱古力色の、肩紐とベルトが一体になった腰布。
白い手袋と黒のソックス。鋒鋩、刃、鎚を一組にした槍を持つその人影は、少女。
彼女は笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩いていた。
「どうやって……何をした!」
「ふむ。其の方、何を驚く? ただの日除けのまじないぞ」
「……ただの……日除け?」
アイヒシュテットは剣を鞘に戻すと、鎧の背中に手を回しそこにつけていた短剣ほどの長さの棒を取り外す。
棒は一度拗じり左右に引っ張るとその大きさを三倍にした。
もう一度今度は逆側にねじり先ほどと同じく引っ張るとその長さは更に三倍となり、同時に棒の先端から穂先が飛び出した。
切り札たる【葬弔の十四行詩】を外からとはいえあっさり解体する死霊。対アンデッドの専門家たる聖騎士としては信じがたい話だが、魔術的トリックがあるようには見えなかった。
だとすれば、敵は想像を絶する位階の不死族。恐らくは悪魔王などに並ぶ人が手を出してはならない領域の存在。
であるなら、この奥の手――【投擲骨槍】を使うしかない。
アイヒシュテットは組み上げた槍を構えて、歩いてくる死霊の隙を窺う。どのような初動であっても見逃すまい、と、最大の注意を払いつつ死霊を睨みつけた。
だが死霊は、そんなアイヒシュテットを見て足を止めると、彼から視線を外して空を見上げる。
そして、空に浮く御輿に恭しく一礼した。
「媛宮。この者は妾が。御身がお手を煩わせるまでもありますまい」
やや間をおいて、その言葉への返事なのか、御輿から澄んだ女性の声がした。
『〈code 《寂寥なる 固陋の 庭園》 return〉』
「あれ、もしかして【プシュパカラタ】では?」
術式の宣誓音――歪んだ空気を通り抜け響く音――に、空を見上げた玄奘が口を開く。
「ちょっ! やばいやばいやばいやばい!」
続けてシホが大声を上げた。
アイヒシュテットは死霊に気を配ったまま横目でシホの様子を窺う。シホが見上げる先――シホから見て御輿の後ろ側――に、赤く滲む空間が見えた。
――空が、裂けているのか?
滲んだ赤は徐々に周りへ拡散し始め、滲みの強い部分から陽炎のような揺らめきが上がっている。
「ちょっとキミ! こんなところで【略式典礼】とか頭おかしいんじゃないの!?」
せり出してくる巨大な何かを見て、シホは絶叫とも付かない大声を上げた。
滲みはすぐに黒く染まり、大きく広がる。そこから出てきているのは巨大な石の構造物であった。
構造物は地響きのような低い轟音を伴いながらその姿をあらわにしていき、遅れて突風を周囲にふき散らした。
あんな巨大なものが地に落ちたら、いったいどれだけの衝撃が周囲を破壊するだろうか。桁違いの厄災を想像しアイヒシュテットは息を飲む。
「【虚数空間】では情報が質量を伴うの知らないの!? 自分もろとも頭飛んじゃうよ! 聞いてる!?」
一方それに対し動じるどころか文句を飛ばしたのはシホである。
「様子が変ですよ! あの人、もしかすると【代操】かも」
「じゃあさっさと確認して。PK対処はキミの仕事でしょ! おんぷちゃん! 紋接干渉に注意! アイヒ! そっち任せたよ! 作戦変更! ここで迎撃!」
彼女は半ばやけになった口調で号令する。
その檄、アイヒシュテットは眼を覚ます。彼は正気を取り戻すと、今自分にできる最善を成そうと死霊と自分の距離を見定める。
今推し量るべきは目の前の敵と自分との実力差と、それを覆す道筋。
向こうはシホに任せ、自分は言われた通りの仕事を果たすべく、槍を構えた。
◇
目の前に現れた死霊は、少しの油断も許されない相手であると彼の直感は告げていた。
死霊は一見無造作に槍を携えているように見える。が、その歩幅、姿勢は、瞬時に攻撃へ移れる重心を維持している。その立ち振舞には隙がなく、アイヒシュテットは攻撃のタイミングを掴みあぐねていた。
今残されている聖粒輝量では超絶技巧を発動させられない。
聖粒輝の回収は絶望的だ。いつもなら聖騎士の基礎権能で自然回復するはずの聖粒輝も、何故かはわからないが未だに少しも回復していない。
おまけに相手は死霊であるから、聖剣の権能、聖粒輝の間接吸引も望めない。
したがって敵を屠ることの出来る武装は、今手にしているこの槍のみ。
だが、この槍には致命的な欠点がある。それは、この【投擲骨槍】が、投擲専用の槍であるという点だ。
三十もの神聖刻印を施された聖具は破格の攻撃力を誇り、携帯にも優れているものの、相手の得物と物理的に打ち合えるだけの強度は無い。うっかり相手の薙ぎ払いを受けようものなら、それだけでも簡単に折れてしまうだろう。
何とも心許無い話である。しかしこちらの最大の切り札は既に切ってしまっており、二度目を使える見込みは無い。あの恐るべき化け物を倒すにはこれを用いる以外に方法は無いのだ。――が、あの隙の無さである。正面から槍を投げても到底当たるとは思えない。
――困った。本当に困った。
外した瞬間敗北が決まる――アイヒシュテットの額から緊張による汗が頬を伝う。
「向こうが気になるかや? 異教の輩よ。巌流を倒したその手腕は見事であった」
アイヒシュテットを賞賛するその少女の死霊は――彼とは正反対の――余裕の笑みを浮かべていた。
「なれど武芸の方はどうなのかのう。その方、妾と腕比べと参ろうぞ。久方ぶりの趣向よ」
右手に持った異形の――実用というより祭典用に近い――槍を軽々と数度回してから、死霊はゆっくり槍を構えた。
アイヒシュテットの槍を構える手に力が入る。
その様子を見て、死霊は高らかに名乗りを上げた。
「やぁやぁ妾こそは、蝦夷朝廷神殿槍術師範、宝蔵院胤舜なり。畏くも我らが舞媛の勅命により、朝敵を征伐する為にここに参っ――」
――ッ!?
奇跡が起こった。奇妙な振り付けの後身を固め喋り始めた死霊はどう見ても無防備そのものだった。
――勝機!
アイヒシュテットは半瞬の混乱後、胤舜の名乗りに乗じて槍を投擲した。
名乗りに気を傾けた胤舜は完全に不意を付かれ、聖騎士の空気を読まない最速の投擲を躱しきれぬまま胴を槍に貫かれた。
青い稲妻が槍全体から放出され、死霊は言葉にならない悲鳴と共に宙へ弾かれる。不死族を縛る強力な青い雷光は、槍に胴を貫かれた少女をバチバチという音とともに激しく焼き縛った。
そのまま地面に倒れ槍にその体を縫い付けられれば、倒しきれずとも動きを封じる事が出来る――はずだったのだが。
――っ!? そんな!?
死霊は器用に体を動かしバランスを取り戻すと、軽やかに地面に着地した。
稲妻の衝撃で数歩よたよたと後退し、結局はその場に尻餅をついたものの、地に縫い付けるには至らなかった。
「なんということじゃ。西洋の騎士とやらは、なんという無粋――」
――いや、まだ! ――アイヒシュテットは素早く腰に下げた道具袋から銀の短剣【冥府返し(フラガナッハ)】を取り出すと、それを胤舜に向かって投げた。
短剣は攻撃が終わったと油断し槍を見る胤舜の眉間に突き刺さると、青い炎を盛大に上げて燃え始めた。
「ガ?! アガガガアア?!」
きょとんとその顔に疑問を浮かべる死霊。一間開けての絶叫。
蒼い炎は死霊を包み込み自由を奪う。短剣は槍と連動して強大な対アンデッド用封滅術式を構築した。
「その短剣はお前の不死性が強いほどよく燃える。成仏するがいい」
額の短剣を引き抜こうとした胤舜の両腕は炭化し、短剣に手がかかる寸前でそれは胴体から離れ崩れ落ちる。断末魔は声帯を焼かれたことによりか細い息の漏れ出る音となり、やがて消えた。
悶絶し焼け崩れる胤舜を背にして、アイヒシュテットはシホ達の様子を見に走り出した。




