幕間 未明
山小屋への一本道は長かった。
一時間ほど走ったところで屋根を木の枝葉に覆われた小屋が見えた。
ようやく目的の場所にたどり着いたシホは走るのをやめ、屋根にかかる帽子のような緑を見上げつつ歩きながら息を整える。
仮想世界ゆえに実際は肉体的疲労など一切発生しないのだが、フィードバックされる知覚情報が緻密なため気持ちが引っ張られてしまう。
彼女は歩きながらその気持ちを整え、決して上等とは言えない小屋の扉の前で止まる。
そうして能天気に、扉をどんどんとノックした。
元々ずさんな設計をされた扉はシホが叩く度わずかにリバウンドする。
「……――む」
返事はない。暫く待ったが扉の向こうに人の気配はないようだった。
シホは左肩に担いだリュックを地に置いて、背中を目いっぱい逸らすと今度は両手で、全力で扉を叩こうとした。
「待て待て、ドアが壊れてしまうね」
その瞬間、急に扉が内側へ開く。振り上げた拳が半円状に空振りし、シホは扉を開けた初老の男性に意図せぬ体当たりをした。
「いるならさっさと開ければいいよ」
体を受け止められたシホは、地においたリュックを素早く拾い上げると小屋の中へ進入する。
「今日はお土産を持ってきたよ」
言うが早いか彼女は小屋の中に設置されていた大型のソファーに飛び込み、その勢いのままリュックを傍にあるテーブルへ放り投げた。
放り投げられてテーブルからスライドして地に落ちたリュックを拾い上げた初老の男性――ラナードは、その中身を見てあきれ顔で呟く。
「天地無用という言葉を知っているかね?」
「んー、それより大樹際の打ち合わせが先かな」
「相変わらずジコチューだね」
「だって大事でしょー、大樹祭」
大樹祭。
この地方を悪魔から守っていると伝えられる神霊が宿る大樹に祈りを捧げる祭りである。毎年七月に行われるこの祭りは疫病退散を願って始まったとされる。
「おばあちゃんが若かった頃には、姫巫女様が四つの大きな木にお祈りして回ってたんだよ。姫巫女様はお祈りする時、いつもその後ろに五人の導師様達が付いて回ってね。その人達がきちんと祈っていた頃は凶作や疫病なんて無かったんだって」
そんな話をシホは祖母から聞いていた。一番大きな木は神霊樹と呼ばれており、それは見上げきれない程の大きな木だったという。
「今は簡略化されてて味気ないよね。祭りは大勢でやる方がイベントって感じするでしょ」
「そうかね。ふむ。シホがそういうならそうかもしれないね。しかしこちらにも色々都合というものがあるのだね」
「うん。まぁその辺はいいんじゃない? 運営の都合くらいボクにもわかるよ」
現在の大樹際には祖母の語るような光景はない。
大樹際の主な流れは、まず役場兼神社で熾した忌火を白装束の青年八人が棒燈と呼ばれる御輿に移して会場まで運び、六十六尺の柱たいまつの周りを三回まわった後、忌火を四つのかがり火に分け、さらに二百本の手たいまつへと移し柱たいまつへ火を入れる、というものだ。
今は儀式も簡略化され、クエストとして分割されてしまっている。
その光景を見てみたかったなぁと思うシホであるが、かといってそれを実現するのは大変だ。巫女を目指すプレイヤーがクエストを達成するのに季節を待たねばならなくなってしまうし、実生活に近づけているこの世界では大イベントを個人単位で用意することは難しい。劇中劇に意識を飛ばす処理は、肉体と筐体に意図せぬ負荷をかけてしまう可能性がまだあるからだ。
大樹祭には男達が作る巨大な祭壇の上に多くのこの地方の伝統的な馳走を並べ、草木の匂いがする香を焚いてその村全員で祈りを棒げる。
クエストをクリアできた巫女たちだけがこの簡略化されたイベントを仕切ることができる。
逆に姫巫女がいないか、誰一人この姫巫女になるクエストをクリアできなかった場合はイベントそのものが執り行われない。
シホには個人的、業務的理由でこれを失敗するわけにはいかない事情がある。
「姫巫女クエをクリアして、大樹祭イベント仕切ればまとまったポイントがゲットできるじゃん。そしたら施設内を歩き回るくらいはできるでしょ? うまくいけばSNSとかメールとかまでできるかもしれないし」
「ふむ。連絡したい相手は多そうだね」
「そりゃそうだよ。シホちゃん奇跡の復活だもん。不死鳥のように蘇ったボクに皆きっと驚くね」
ふふふ、と悪い顔でシホが笑う。
そこへラナードが皿に乗った形の崩れたケーキを持ってやってきた。
「このシホが持ってきた手土産のケーキだがね。前に持ってきたのは回りが白いクリームだったと思うがね、しかし今度のは黒いね。まさかこれは、チョコレートケーキの類かね?」
その言葉にビンゴ! と、シホは親指を立てた。
「待って欲しいのだねシホ。儂はケーキは無理なのだね。前のアレを覚えているかね? ケーキという食べ物は儂にはどうも合わないらしくてね。食べた後に胸が何というかね、ムカムカするという表現であっているものか、まぁそうさね、苦しさに分類されるフィードバックがね、前にように吐き出してしまったらせっかく持ってきてくれた――」
「だぁいじょーぶ! まーかせて! 前はほら、生クリームを使ってたじゃない? ボクが思うにね、ラナードの体にはあの白さが合わなかったんだと思うんだ」
「な……色、なのかね? 色が原因だと、そう言うのかね?」
「そう! そうなのだよラナードその通り! この世界の調律者たる神霊樹が認めし巫女、シホ様が断言しよう! ラナード! 君はやればできる男。チョコは大丈夫! きっと大丈夫! たぶん!」
「待つのだねシホ。だぶんって言ったかね? それは断言といわないのでは――」
「さァいってみよう! 実食タイーッム!」
シホは片手で身を起こすとラナードの方に体を向け、ケーキの入っている器を自分の方に引き寄せた。
「うーん、良い匂いだ。今度のケーキ、これは生クリームを一切使わないでチョコレートクリームだけで仕上げたケーキなのだよ。ボクが作ったものだから万に一つも問題は無したぶん! つまり! ボクの理論では今度のケーキを食べてもラナードは大丈夫というわけ!」
シホは「見て見て」とラナードの目の前にケーキを近づけた。
「うぅむ。自信はあるようだね。うぅむ。うぅ、む。まぁ、そこまで言うなら大丈夫なのだろうね。確かに白いクリームは使われていないようだね」
何故大丈夫なのか見当もつかない様子のラナードにシホは強引に迫る。
その鬼気迫る姿勢に正常な判断を下す前のラナードは反論の組み立てを阻害され唸る。
そしてそのまま押し切られる形で同意させられた。力説するシホの持つ未解明の何かを解明したかのような、例えるなら輝く自信めいた何かが、ラナードの思慮を狂わせたのかもしれない。――ラナードは驚くほどそういうシホに弱い。
「日々研鑽を怠らないシホには儂も脱帽するね。本当に嬉しく思うのだね」
「いいんだよ気にしないでラナード。ボクはラナードと一緒にケーキを食べたかっただけなんだから」
その言葉にラナードは息を詰まらせる。ラナードは今、心底感動していた。
自分如き老人の為にこの若く美しい少女は、思考を重ね苦労してくれている。それは何と有り難いことか、云々。そして老人は目を潤ませる。
しかしシホにしてみれば、今回の取り組みは純粋な優しさ百パーセントなものではない。
彼女の真意は食の開発である。このバーチャルな世界において未完成である食を完成させるため、彼の持つ特殊筐体の反応を観察し、今後に役立てるのが主たる目的なのである。
この世界に配置されている調律者達はそれぞれ課題を持っている。課題を達成した暁には、その難易度によって相当額の報酬が約束されている。
しかしそれらは、ゲーム内で実行され解決されなければならない。
調律者達は各々にいくつもの制約が課せられているが、その一つにゲーム外の関係者に協力を求めてはいけないというものがある。
例えばゲームマスターの一人たるラナードの筐体は、他のバーチャル世界に身を置くプレイヤーの筐体より神経感度が高い。しかし彼は管理者であり、ゲーム外の関係者である。ゆえに彼の筐体を研究開発に利用することは規約違反に該当する。
しかしロールプレイの流れの中で、ロールプレイとして何かを食べさせてその反応を見るのは、単なる一方的な観察であり協力を求めたことにはならない。
とはいえグレーである。だから彼女は「自分一人でケーキを食べるのは寂しいからケーキが苦手なラナードにもケーキを食べさせたかった」という小芝居をしているのであった。
「有り難うシホ」
ラナードの目が潤んでいるのを見てシホは若干笑顔をこわばらせる。年を取ると涙脆くなると言うが、ラナードはとりわけその傾向が顕著かもしれない。
「き、気にしなくっていいよ、照れるじゃないか。はははっ」
シホの凍りついた笑みの意味を知る事無く、ラナードは黙々とチョコレートケーキを食し始めるのだった。
◆
「ひめさま、ちょっとごそうだんが」
だいもんズ(おんぷちゃんたち)がやってきたのは14時間前の話だ。
深夜の安眠を妨げられたシホは、それでも起きて話を聞いた。
「どうかしたの?」
「ほんじつみめいなぞのひこうぶったいあらわる」「ぼくらみてたらおちてきたのでかいしゅうしようとしたら」「じっさいにかいしゅうしにいったのはかかしなのですが」「しっぱいした」
「かれらむのうなので」
シホは半分寝ボケたまま、じゃあとりあえず神童長に報告してと指示をし、再び眠る。
そしてその6時間後
「ひめさま、ごほうこくです。おきてー」
耳元で騒がれ再び目を覚ましたシホ。
片目だけ半分開け「起きてる起きてる」と、うわごとを発する。
「おちてきたのにんげんだったー」「しんもんするのではんこください」「みのたけろくしゃくとしはわかい」「ふくすうのぶきをしょじ」「だいそうげんふかひ」
「うんうん人だったのね。歳はいくつくらいだった?」
「10さい?」「ってことはないかも?」「じゃあ18くらいで?」「それはこどもか?」「おおきなおともだちというやつでは?」
「大きなお友達は中年でしょー? 十八歳も子供ではないから」
「じゃあおとなで」「おとなは20さいだったような?」「せんきょけんはおとなのあかしでは?」「そういえばけんたくさんもってました」「おとなだからけんはもっていてもいいのだ」
「音符ちゃん達さ。それ、けん違いだから」
暫くワイワイと口々に何かを話しては笑い合っていた彼らだが、半分寝ているシホには理解できない。
彼女が覚醒したのはそれから6時間後のこと。
再び目を覚ました頃には、もう誰もいなくなっていた。
――さてどうしたものか。
シホはハーフサイズのロッキングベッドに寝そべりながら、床に落としていた本を拾い上げる。
そしてそのまま本を読み始める。考えることから逃避するために。
「……あぁもうやだ。家に帰ってお風呂入りたい。なんで仕事って増えるのかなぁ」
十分後。彼女は一人ごちる。
外部からの不正アクセス。この初動を彼女はシステムと運営スタッフに任せた。
外界から何かが紛れ込む事などそんなに珍しい事じゃない。姫巫女代行たる自分には、一応それらを調べなければならない責務がある。
だが対処は義務付けられていない。どうせいつもの些細な問題だろう。厳重に隔離されているこの世界だ、大きな事件など起こりうるはずもない。
問題は後から確認しレポートにまとめればよい。そういう論理で彼女は自分の仕事を間引く。
――ふぅー。めんどい。めんどい。めんどい。めんど……ん? 風?
ふと窓を見ると、カーテンが時折入ってくる風に揺られていた。恐らくだいもんズが外から入ってきてそのままにしていったのだろう。
テーブルを見ればいつものように御重が置いてある。だいもんズが運んできたのであろうお弁当だ。
その脇にはミミズの這ったような汚い文字で―おきたらたべてね。ははより―というメモがあった。だいもんズは平仮名しか書けない。
御重を開けると肉や野菜を挟んだパンと塩の小瓶が入っていた。
一口食べる。
「まっず」
それは味のない練り物のような何かだった。
塩をまぶして食べたら、粉の付いた練り物のような何かになった。
「やっぱだめかぁ」
どうやって食べても食べ物の域には達していない。シホは御重ごとその食べ物のように見えるそれを消去した。
「こっちはどうかな」
気を取り直し、彼女は次に飲料のテストを行う。
テーブルのわきに置いてある水樽のコックを開け、その脇に置いてあるコップに八分目ほど水を注ぎ、そのまま一気に飲み干す。
味はしない。水なのでそこは良い。しかし喉元を過ぎると飲料を飲む感覚が途切れる。
口元に水がたまる感覚こそ何とか表現できているが、そこまででは及第点に届かない。
「オープニングの曲はすっごくいい出来なのに、これじゃあ出落ちもいいとこだなぁ」
シホはテストで室内に音楽を流す。
どこからともなく穏やかなピアノの前奏が流れると、優しい歌声がそれに続いた。
曲調はだんだんと勇気を奮い起すような切ない旋律に変わり、シホはサビにしばし聞き惚れる。
「クリベリは天才だね! 美人で歌がうまくて音楽的才能に恵まれるとかどんだけ勝ち組だよって思っちゃうね」
シホは眼をつむりしばし曲を堪能する。
――それにしても……。
曲を聴きながら、シホはふとイメージする。
剣や弓を持った少年が空から降ってくるイベントとは一体何のモチーフなのか。
空から女の子が降ってきた場合、それは科学を極めすぎて滅んでしまった古代王国の正当なる王族の血をひく姫である可能性が高い。という話はどこかで聞いた事がある。
しかし弓と剣を持った身長百八十センチメートルの少年が空から降ってくる話など聞いた事がない。武装しているのなら鎧のような物も着ているのだろうか。
――板金鎧を着た一寸法師の大人になったバージョン?
絵的にありえない気がする。だが、まさかの可能性も考える。シュールの妙かもしれないと思い至ったからだ。
彼女は立ち上がると、部屋の端に設置してある大きな本棚へ向かう。棚から気になる本を抜き出し、開き、パラパラとめくる。
やがて目を離し、その場でぼんやり思案し、かと思えばロッキングベッドまで歩き、止まる。
何やら思案し、しばらくして腰掛ける。
――あ、オービターの観測映像も後で見てみるかな。……いや、めんどいか。やめやめ。
すぐに思い直す。手続き面倒くさいのだ、と。
「よし! 直接見よう! 百聞は一見に如かずだ」
シホは立ち上がると本をベットに投げ捨て、そそくさと部屋を出ていった。




