聖騎士③
蝦夷とは、日ノ本が統一国家となる前の五島を指す俗称だ。五島を俯瞰すると弓の形に似ているという地理上の理由から、他国の都合によりその文字を押し付けられ、そう呼ばれたのが始まりとされている――が、その通説を真実とするには、若干の修正を要する。
国号【えみし】とは、元は魂の行き来を祀る愛瀰詩を由来とする。
【えみしのひと】とは、何者にも従わず縛られない気風を持った民を指す言葉であり、現地の人間は卑屈無き自由人という誇りをもって、それ以外の人間は秩序なき蛮族という侮蔑をもって互いに同じ名でその国を呼んだのがより正しき始まりの逸話であるようだ。
その蝦夷は現在では、国号を【始まりの地】を意味する【日ノ本】に改め、五つの島国で構成された連邦議会制の統一国家となっている。
日ノ本の議会は民衆より支持を集めた民衆の代表者【議会議員】達で構成され、議会はその多数決をもって議題に対し決裁を行うという仕組みで運営されている。
だが議会議員の選出は国土に比例した定数を割り振られている事から、必然的に中央に位置する五島中最大の島国【大和大国】が過半数以上の議席を占める結果となっている。
つまりこの国は、連邦制を謳いながらも大和大国が単一で議会を牛耳り支配する、大和大国の思うがままの【形式的連邦議会制国家】であった。
それでも王政である【蝦夷朝廷】から議会制民主主義国家へと移行した日ノ本は、その特質的な国民性を活かし独自の発展を遂げる事に成功出来た優れた国であった。
官から民へ様々な独占・寡占事業が開放され自由化した事により産業は発展し、土地は開け街道は整備され、日ノ本は蝦夷の時代には考えられない程豊かな国へと変わった。
超自然的天災【神風】によりこの国はほぼ鎖国状態である為、世界のほとんどはこの国の事を地図と文献でしか知らないが、少なくとも文化水準はグロックドルムより遥かに高い。
だがそんな日ノ本にもまだ、蝦夷の時代より、今も謎に包まれた秘境が数多く点在している。
その一つが、大和大国の中央辺りに位置する不死山麓の樹海だ。
神話の時代、この地を守る神霊が天上より降臨するまで悪魔の降臨を防ぎ続けた砲台が【不死山の火口】であったという話がある。
その運用をしたのは人間ではなく、悪魔との戦いでその麓で散った人間の戦士の魂を再利用した――つまり死霊化され使役された――者達だった。
その者達は不死の神官【英霊】と呼ばれ、その長たる者【舞媛】に率いられ、要塞兵器と共に壮絶な死者再利用戦術の末、人々と大地を守ったのだという。
悪魔に死霊をぶつける神話のセンスが、この国にある【もったいない】という精神からなのか、単に効率主義からなのかは判断がつかないが、少なくともこの部分については流し読みでいいだろうと当時のアイヒシュテットは思った。
あの時きちんと精査をしていれば、もしかするとこの苦境から抜け出せる緒を見つけられたのかもしれない。
いや、それは結果論だ。胡散臭いお伽話を正面から分析しようなどとは予言でもない限り思うはずはないし、ましてや自分がその場所に放り込まれるなどそれこそ夢にも思わなかったのだから。
アイヒシュテットは小さく溜息をつく。
前方は木々と闇。後方も木々と闇。見上げれば、空を完全に覆いつくした枝葉。
その姿はまるで森の鱗だ。幾重にも絡む枝々はその葉を密に交錯させており、かたくなな姿勢で空を拒んでいる。
絡みつくような濃い霧のせいで湿度は高く、居心地はすこぶる悪い。どこまで進んでも同じ様な景色ばかりが続くこの道。
木々の幹と地面一帯に生えているぼんやりと青緑色に光る苔が、手元を確認出来るくらいの明かりを支えている。
“――日ノ本にある不死の山の山麓にある迷いの森は、死霊が生者をその地底へと引きずり込む――”
アイヒシュテットは事前に読んだこの国のとある事件資料を思い出す。それは特務局の諜報部が彼に届けた極秘資料の中の一片に記された古文書の一節だった。
――話半分、と、思っていたが……迷いの森か。
もうどのくらい歩いたろうか。
アイヒシュテットはうんざりしながらも慎重に森を抜ける手掛かりを探りながら歩を進めていた。
物音は無い。薄暗さも相まって本当に気味の悪い場所だ。
――――?
ある時。ふと、何か音がした気がした。
見える範囲に異常はない。前も後ろも見慣れた風景だ。
――……?
どこかから、ゆっくりとしたテンボの、高く澄んだ声が聞こえてきた。
――……歌、か?
声には旋律が伴っていた。アイヒシュテットはいつでも対応できるよう注意しつつ、次元倉庫から槍を取り外した。
知らない言葉と聞き慣れない旋律が何処かから流れてくる。歌詞が何を意味するのかは分からないが、それはとても悲しげな旋律であった。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
――何処だ……何処で歌っている。
アイヒシュテットはその歌声に耳を澄ませた。
声の方向を探ろうとするが、木霊のように反響する音はアイヒシュテットにその方向と距離を上手く掴ませない。
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも通りゃんせ 通りゃんせ
歌はそこで終わった。
アイヒシュテットは槍を右手に、その歌の主を探した。
注意深く、慎重に辺りの気配を探るが、やはり物音一つしない。風の微妙な動きを探ろうと彼は更に意識を集中した。
何かいる。
気配はないが、わかる。それは騎士特有の戦場における感なのか、聖職者特有の霊的感知力なのか――はっきりしないがはっきりとした危機が、彼に厳重警戒の要を告げていた。
緊張からアイヒシュテットの額に汗が浮かぶ。
十秒。
二十秒。
「見えますか」
囁かれて、アイヒシュテットは慌てて振り返る。
そこには見た事も無い鮮やかな朱の衣装を身にまとった女性が立っていた。
――っ!!
例えようも無い、不吉を掻き立てさせる威圧感。
続けて気圧が波打つような不快感。
それだけでも戦慄を覚えるのに十分な要因であったが、何より彼を凍りつかせたのは透き通るような白い肌をした彼女の、人離れした美貌が放つ気高さだった。
「驚きました。貴方は本当に来てしまったのですね」
あの歌は彼女が歌っていたに違いない。その声はとても穏やかで静かだったが、芯の強さを伴っていた。
シルエットとは裏腹な強烈な存在感。
彼女の冷たい瞳に見入られたアイヒシュテットは、体中の血の気が急速に引いていくような不快さに襲われた。
「ですがここからは、私の力が必要でしょう」
彼女は淡々と言った。
「貴方に用はない。私が欲しいのは黒龍石、貴方達の言う驪竜の珠だ。どうか渡して欲しい」
アイヒシュテットは頭をかき回されるような異様なプレッシャーに耐えながら答えた。
女は暫く黙っていたが、アイヒシュテットを値踏みするようにじっと見て
「あれは私が持ってこそ意味があるものです。ですが――あぁ――そうでしょうね。やはり彼は貴方を――」
と小さく笑った。
その一瞬の優しい笑みにアイヒシュテットが息を詰まらせた時
「――――」
蚊が鳴くようなか細い声が耳元で聞こえた。
アイヒシュテットにしてみれば、それは全く信じられない不可解な出来事だった。今の今まで目の前にいた彼女が今、彼の背中にもたれかかっていた。
まばたき一回にも満たない僅かな時間に起きた出来事は、もはや気の緩みがどうという事では説明がつかない。自分は既に彼女の術中にはまってしまっているのだとこの時アイヒシュテットは悟った。
「貴方は本当に忘れなかった。貴方ならきっと――――さぁ、もうお行きなさい。そしてもう一度――」
彼女はゆっくりと、しなやかにアイヒシュテットの背中から胸に手を回し、言葉を止めて首を横に振った。それを合図に、突如全身を激しい、斧の刃先で細かく何百回も殴り打たれ切り刻まれるような感覚がアイヒシュテットの体を飲み込んだ。
目の前が真っ白になり、視覚と聴覚が奪われた。
その後胸部を鋭く貫通する衝撃。
「――――っ!!」
思わず何かを叫んだが、頭の中心で何かがはじけた瞬間アイヒシュテットはそれを忘れた。
垣間見えたのは懐かしい友人か、それとも昔飼っていた愛しいペットか。全身を駆ける衝撃は、思い出そうとするアイヒシュテットから意識を引き離し彼を闇の中へと引きずっていった。




