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ハロー、そして、グッドラック③

 荒廃した世界に少女はたゆたっていた。


 六聖球モード直列励起――被験体そのものを素子として取り込む情報処理演算領域拡張増幅システム。発動すれば被験体の記憶野は経路の最適化が成され、記憶情報の全てが0と1に還元される。

 初期化(フォーマット)された記憶が素地に戻る事はない。手放し難い全ての思い出を差し出しただ世界をたゆたう希薄な存在になるくらいなら、今ココで全ての思い出を抱いたまま消えたい――――彼女は世界を破壊し自ら消滅する道を選ぶ。


 彼女の思い出はシステムへの抵抗としての破壊によって溢れかえり、それは世界を満たしながら彼女を蝕んだ。彼女の破壊行為はその崩壊の代償として彼女の心を削り、彼女の生きる意志を干上がらせた。


 何もかも無くなってしまえばいい。

 この世全てが消えてしまえばいい。


 少女は想う。

 全ての元凶たる自分自身が無くなってしまえば、何もかもがきっと丸く収まる。


 人は一人では生きられない。人は産まれたその瞬間から人の連鎖に組み込まれている。

 連鎖を断つのは死ではない。死を持ってしても、生まれてしまった関わりを拒絶する事は出来ないからだ。

 だが一つだけ、全てを断ち切る方法がある。それが――忘却だ。



『何故生まれてしまうのか』『生まれなければこんな事には』

 それは誰しもが通る挫折。絶望。

 だがそんなものすらも、乗り越えてしまえば実は尊い思い出の一つに過ぎなかったと気がつく。

 人は孤独にはなれない。生まれいづる輪廻から逃れる事は出来ない。それは人が人となる前の、星であった頃から連綿と受け継がれてきた単なる事実だ。


 “人は人の形をしているけど、本当は星の欠片なんだ”


 夜空の煌めきにも似た剥離するテクスチャデータの輝きを見ながら、シホは破壊と引き換えに守った思い出の一つをなぞる。

 そんなロマンティシズムに塗れた恥ずかしいセリフを言ったのは勿論あの青年だ。


 あの青年――ジョージ。本当の名は確か、祥二郎。


 彼女は不思議に思う。どうして自分は、こんな時までジョージの面影に、アイヒシュテットを重ね見ているのか。

 ずっとずっと、ずっと引っかかっていた。彼に初めてあった時、初めてあった気がしなかった自分を意識してからずっと。


 最初少し距離を置いた彼の態度には嫌な感じがした。それは見えかけた何かが遠のいてしまうような、特別な何かが特別でなくなってしまうようなそんな違和感だった。

 どちらかと言えば人見知りの――玄奘がいうには極度の人見知りの――彼女だったが、その時は自分の直感を大事にしフランクな対応に務めた。本当は彼の一挙手一投足が気になって仕方がなかったが、そしらぬふりを続けていた。


 この世界で初めて会った自分と同等のインヴィティーズ。

 NPCやGMに対しては差別的な振る舞いをすることに慣れた彼女であったが、アイヒシュテットをそういう対象として扱うことには抵抗があった。

 フランクに接することで自分の足りない記憶を、向こうから何か気づいて言ってくれるのではないかとも期待した。

 だが今は――ここまで追い詰められてやっと、シホは思い出した。


 懐かしい。

 アイヒシュテットに見た懐かしさ。記憶をロックされてなお、懐かしく思えた特殊な――特別な存在。


 確証はない。むしろ在り得ないと考えるのが正常だ。彼は自分について、実は何一つ知らない。何の情報も持ってはいない。

 彼女からそれらを明かすことはなかったし、彼から尋ねられたこともなかった。仮に聞かれたとしても、あの時の自分なら答えることはなかっただろう。

 もし自分が消えたとしても、自分にたどり着けるだけの手がかりをあえてシホは残さなかった。


 そうすることで、全てを嘘に出来る。


 確かに存在した真剣な気持ちも、神の前で誓約するような偽りない心からの言葉も、二人の時間で生まれた大切な何もかもを、彼女のかけた保険【不知】は許す。

 忘却の次、ないしは同等に、人を免罪する魔法をかけて、彼女は彼の元から去った。



 会いたい。彼に会いたい。



 なのに心は乾きの苦痛に悶え軋む。

 こんな愚かなわがままがあるだろうか。自分をさらけ出され撒き散らされるくらいなら全ての繋がりを断ってしまいたいと思ったばかりなのに、なんと節操の無い事だ。彼女は自覚している。

 でもどうしても、気持ちは溢れてくる。

 彼の顔が見たい。彼の声が聞きたい。彼に触れ抱きしめて、その存在を確認したい。


「――祥二郎」


 それはシホが知る彼の本名。彼の持ち物に書かれていた名前。

 ていのいいことを考え実行し、お互い最後まで本名を明かさない関係で別れるとしながら、なんとアンフェアなことだろう。それでもシホは、知ってしまった彼の本名を口にした。


「会いたいよ、ジョージ……アイヒ」


 そして彼女は脱力する。

 破壊が尽くされ、彼女の筐体からも素子が散っていく。情報の欠落した筐体は彼女を構成する人型を失い、五感もそれに伴って失われていく。


 何もかもが時間と共に失われていく。彼女が歩みたかった未来も、少女としてこの世に生を受け過ごしてきた過去も、誰に認識される事無く時間に流され風化する。

 それが彼女の選択。彼女の決断。大事な物を失う事は辛い事だが、大切なものを一つだけ、この胸に残せるというなら、惜しくはない。

 彼女はこの銀の世界の砂漠に同化し、思い出を抱えたまま現実世界の本体諸共、その存在を放棄しようとしていた。

 世界に揺らぎが走ったのは、まさに全てが(つい)えようとしたその刹那の事であった。



『〈複散形花序障壁(キクタヴィローサ)〉〈最大顕現(オーバークロック)〉』



 その彼女を優しく抱きとめる存在。受け止められる感触に、彼女の見えなくなった目は、最後の力を振り絞ってその瞼を開いた。


「眷属よ、俺に全ての力を貸せ! 王でも友でも何でもいい! 俺に力を貸してくれる全ての存在に頼む! この一瞬に、俺の全てを賭ける!!」


 両腕を広げ、物凄い速度で彼の体は光の奔流を滑る。

 そして彼は、形の無い彼女だった粒子の大本を直感で見抜き、ソレをその胸の内に正確に抱き留めた。そして間髪を入れず、彼は彼女に口付け、聖粒輝を吹き込んだ。



 それは玄奘によってより詳細に明かされた筐体・星幽筐体の限定条件付き蘇生法。【調律者(インヴィティーズ)】のみが行える、秘匿されたこの世界の奇跡(デバッグコマンド)

 神がツチクレから作った人形の鼻に息吹を吹き込み人を完成させたように、アイヒシュテットは人工呼吸により聖粒輝をシホへと送り込み、彼女の存在を継ぎ足した。

 アイヒシュテットの世界(テストサーバー)の生命力の起源である聖粒輝は、アイヒシュテットの特異性によってシホによる消滅の術式(プログラムコード)の影響を免れ、血族式(クランプロトコル)を辿ってその筐体を強制的に再構築(リビルド)する。

 少しずつ五感が戻るシホの目に、ぼんやりと、見知った影が見え始めた。


「アイヒ……?」

「やっと会えた。君に会いにここまで来た」

「アイヒ――」

「帰ろうシホ。一緒に」


 彼によって補われた感覚は、確かに彼女に彼の体温を伝えている。だがそれで自分の現実の肉体が損傷を回避できたとは思えない。何より世界との繋がりを破壊したこの空間から外に出る事は、もう不可能だ。

 戻ってきた彼には申し訳ない事をしたが、自分にはどうしてあげる事も出来ない。

 シホは詫び、同時に、来てくれた彼に感謝した。心の底から嬉しさが、涙と一緒に外へ漏れる。


「でも、もう無理だよ。ごめんね。最後に会えて良かった。ありが――」

「無理じゃない! まだだ! まだ終わってない!」


 その彼女の言葉を、彼女が今まで一度も聞いた事の無い怒声で彼は遮った。


「シホ! いや、C! 悪いけど今度ばかりは君の意見は聞けない。ここは俺のわがままに付き合ってもらう! 危ないのは玄奘から聞いたよ? でも全部覚悟の上なんだ。Cが助からないなら、俺も生きてはいられない」


 アイヒシュテットは二度目の聖粒輝を吹き込む。強引に彼女に口付け、自分の全ての命を注ぎ込むように強く、長く、彼は空気ではない息を吹き込み続ける。

 彼女はそれを、何の抵抗もせずただ受け入れた。

 シホを構成する粒子が、半透明のぷにぷにした寒天状の【星幽体】から、人間の肉体を模した【筐体】へと変わっていく。


「俺は君との時間を嘘にしたくない。俺の想いもCとの約束も、今まであった色んな事とかまだ伝えられてない事とか、そういうの全部、俺には諦められない。諦めるなんて出来ないよ。だからCも諦めるなよ。そんなの分別じゃない。ここで諦めたら人生全部嘘だ。俺はCも、Cに誓った約束も、そういうの全部諦めない! すべてが嘘になる未来なんて嫌だよ!」


 三度目の聖粒輝が、シホの中に流れてくる。

 シホは動くようになった身体に神経を集中し、彼の体温を意識した。その存在を確かめる様にその背に両腕を回し、その右手で優しく彼の後ろ髪に触れた。


 ――ああ、また早まったかな。ボクは、いつもそうだ。


 初めて祥二郎が、Cに対し明確に、強引で一方的な意思表示をした。それをシホは全身で受け止める。

 強制を何より嫌うシホは皮肉にも――恐らくは初めて――その行為に幸福を感じた。それはきっと、彼女の人生の中でも例外中の例外的な事案だ。平時なら絶対に起きないだろう気持ちに揺り動かされた彼女は、柄にもなく【ヒロイズム】に飲まれ、勢いで運命に願った。


 ――ねえ奇跡(チャンス)の神様。本当にいるなら今来てよ。実在するなら今この場に来て。お願い。きっと今ならボク、その前髪を掴み取れるよ!


 起こりえない奇跡と知りつつ、彼女は心の声で囁く。

 愛する者に抱きかかえられたシホは――避けられない死が迫っているというのに――自分でも驚くほど平静としていた。

 穏やかな心とは、満たされるとはこういう事を言うのか。彼女の中には客観的に自分を見る余裕だけでなく、この先どうしたいかを妄想する余力まで生まれていた。



 彼女は妄想の中で、勝手に奇跡(チャンス)の神様役にラナードを据え、脳内で小芝居を始める。


“反省すべき点だね。だがこのままではその反省も改善する事無く終わるだろうね”


 シホの脳裏に聞き慣れた老人の声が響いてくる。


 ――ラナード。ボクは君のそういう所が本当にキライ。君はいつだって正しいことしか言わないんだもの。少しはユーモアを勉強しなよ。そんなんじゃ誰とも解り合えない意固地老人になっちゃうよ?


 “悲しい事を言うね、シホ。解り合えないなら儂は何度でも対話を重ねる事で解決を試みたいね。ゆーもあなんぞで誤魔化さずにね。だが、覚えておくとしようかね”


 ――対話かぁ。キミと理解し合うには多分平均寿命じゃ足りないと思うなぁ時間。人はさ、他人と対話だけで分かり合うのって無理だと思うのよ、物理的に。


 “そんな事はないね。しかしだとしても、最後のその瞬間まで諦めるべきではないのも人間だと思うね”


 ――ふふ。そうだね。そうかもしんない。ラナードはほんとブレないよね。なんか(たの)し。うん。じゃあ、もし次があったらボクもそれ、参考にしようかな。


 “そうかね。では今の言葉、忘れてはいけないね。今度のはいつもの空手形では済まないだろうから覚悟する事だね”


 ――うん? 何を覚悟するって? もう、ラナード、空手形なんて失礼だな。ボクがキミを騙した事なんて過去に一度だってあったかい? ないでしょ? ないない。うん、ない。


 “……その世界最後の日と言わんばかりの態度はどうだろうね。次が無いと諦めている様に見えなくもないが、それについては目をつむるかね――シホの出す答えはいつも儂を驚かせるから心配はしておらんのだがね。そうでなければ助け甲斐が無いというものだしね”


 ――助け甲斐が無い、かぁ。「自分なら助けられる」みたいなその口ぶりにはボクも「どんだけ大物なんだよっ!」って返さざるを得ない訳だけど、さて最後のツッコミがそんなベタでいいものかどうかボクも悩ましい事この上ない、って、ラナード? あれ? ん? うわぁっ!?――


 最後のシホの軽口は大きなうねりとともに訪れた【不可視の圧倒的な気圧の高まり】によってかき消された。

 そして厳かに、老人の一言が世界に響く。



 《|しかして止まれ。お前はとても美しい(Verweile doch Du bist so schö)》



 直後崩壊が刹那止まり、全てが消え、やがてその場に、闇が溢れた。


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