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ハロー、そして、グッドラック②

 システムの管理から外れた壊れた世界の境界で、夢から覚めようとしていたアイヒシュテットは、その声の主に意識を強制的に引き上げられた。

 声はアイヒシュテットを目覚めさせた。覚醒した彼は、次元回廊(アクアリウム)を一方向へ流れる光の奔流に逆らい、玄奘に抱きかかえられたまま自分が長いトンネルを飛んでいる、もしくは泳いでいるその景色を見て、自分の置かれた状況を把握した。


 “この好機、逃す手はあるまい。いつも通り成し遂げよ”


 声は一方的にアイヒシュテットに告げた。アイヒシュテットはその声が何を言っているのかを、当たり前のように理解できた。



 この世界に来る時、アイヒシュテットは同じようにして次元回廊(アクアリウム)を通った。

 彼はあの日、見知らぬ女医に助けられた。目覚めた先は電脳世界で、彼はそこで一方的に自分の知りたかった事実をつきつけられる。

 シホの患う不死の病について。そしてそれを治す唯一の方法と、自分に出来る行動について。


 それらを知った彼は、全てを無くしてもいいと覚悟をした。彼は彼女に会いたかった。彼女の助けになりたいと心から願った。

 彼女のいる世界へ行く為には、世界の管理システムの目を欺く為並行する隣り合わせの世界に潜り込み、そこから彼女のいる世界へと渡る手順が必要だった。

 その為に提示された条件の一つ【記憶を封じる作業への同意】は、彼にとって大きすぎる不安要素であった。


 電脳世界はその世界に存在する全ての人間の記憶野に干渉出来るという機構を備えていた。システムに検閲され条件に適応しないと判断されれば、即時に強制排除される。故に彼は、テスターとしての条件に合わせるため薬事的な記憶の調整を受け入れ、新しい自分として世界を生きる必要があった。


 普通に考えればそれは分が悪いどころか勝算のない賭けであったが、彼には勝てる目算があった。どんな状態になろうとも、自分は彼女を好きである事だけは決して忘れないという自信があった。それは誰が見ても根拠の無いただの思い込みであったが、それを覆すだけの力がその思い込みにはあると、彼は信じて疑わなかった。

 彼はアイヒシュテットという名前だけを残し、彼女の元へ流れ着く運命に手を伸ばすという愚かしい妄想に、彼は全てを賭け(BETし)た。



 人の執念というものは時に強運を呼びこむのか。賢者と呼ばれる世界の管理機構、世界の鳴動を司る《バルタザール》を欺いたアイヒシュテットという存在(ゲスト)は、確かに幸運であったし奇跡的ではあった。

 しかし人一人の運の上限などたかが知れている。その先で彼が境界の胎動を司る《メルキオール》に察知されたのは当然であったし、そこで回収されるのは必然であった。


 だがまたも奇跡は起こる。否、彼にとっては奇跡だが、彼を放った者たちにとっては、それは一つの手順に過ぎない。

 その時世界の境界で、大規模な破壊的混乱が起きる。種をまいたのは人であったが、その主軸となったのは誰もが予想しえなかった存在、人ではない人モドキ、NPC(キャスト)でありながら異端(バグ)となった“初代神霊樹の巫女(AI)”であった。


 彼女はアイヒシュテットに取引を持ちかけた。


 “わかったらお行きなさい。そしてもう一度――あの子を救ってください。御子様”


 彼女により認識を狂わされた《メルキオール》は、【日ノ本】に紛れ込むアイヒシュテットにつけた【タグ】を破壊され、彼を見失った。その瞬間、シホの世界(ひのもと)に関連付けを持たないアイヒシュテットは、並列する世界の位相の存在として日ノ本に受け入れられた。

 そして彼は、運営者鳩摩羅什によって特別個体として認定され、ビシージ制覇を機に神霊樹を管轄するプレイヤーとして日ノ本に正式登録された。――それをもって彼は、メルキオールにその存在を【観測者(オブザーヴァー)】として認識させ記録させたのだ。



 彼はとうとう、この特殊運用サーバー群【日ノ本】への存在を公に許され、シホに接する事をシステムに認めさせた。――賭けはまだ続いているが――その目的の一端に手をかけることに成功したのだ。

 だというのに――


「……玄奘」

「おぁ! アイヒシュテット君! 良く意識有りますね! 寝溜め出来るタイプですか?」


「戻れ」

「え? なんて――」


「戻ってくれ」

「……はぁ!?」


「頼む」

「何言ってるんですか、死にたいんですか? そんなの無理です! 無茶ですよ、はちゃめちゃです! そんな事出来るわけ――」

「戻ってくれ玄奘!! 」


 ――ここで終わることができようか。


 アイヒシュテットは強引に玄奘を振りほどこうとした。全てを思い出した彼に躊躇はない。本気で彼は玄奘の救いの手を拒絶する。


「頼む! 俺はシホを助ける為にここに来た。今俺は記憶ロックを解除してる。詳しい話をしている時間はないが、シホは俺の現実世界での知り合いだ。俺の一番大事な人なんだ! お前は知らないだろうけど、俺は――」

「いやです! 死んじゃいます! 私も貴方も!」 


 アイヒシュテットは玄奘に向かって精一杯の大声で懇願した。だが体は逆にガチガチに固められ動かなくなってしまった。前よりも強固にロックされたようだ。

 数多のサポートを得て、数々の偶然を引き寄せ、彼はゼロをイチにした。マイナスの因果を逆手に取り、可能性をひっくり返して、様々な要因を踏み越えて漸くスタートラインに至ったのだ。

 だというのに、ここに来てそれが遠のくなど堪えられようはずがない。

 アイヒシュテットは声を荒げる。


「玄奘!! 頼む! 戻ってくれ! お前は逃げていい! 俺だけは置いて行ってくれ! 俺はシホを――!!」

「あーあーあー!! きーこーえーなーいー! あー! あー!」


 命は大事だ。だがこの場を逃げるという選択にどれほどの意味があるのだろう。そもそも何から逃げるというのかこの電脳世界において。今さら運命盤から降りたとしても賭けたチップは戻らない。残るのは決して消えない、見捨てた後悔を引きずりながら余生を生きるという負債のみだ。アイヒシュテットは瞬時に、降りるどころか勝負の継続を選択する。


 ――ごめん玄奘。


 玄奘が抵抗する意図も判る。だが彼女の夢に触れ、全てを思い出した彼には、それが生への唯一の提案だったとしても受け入れる事は出来なかった。


「玄奘!!」


 激しい一喝。その強烈な怒気に玄奘が一瞬身震いした。それは恐らくこの世界に訪れて初めて見せたアイヒシュテットの、激情に任せ荒げられた怒声だった。


「頼む。お願いだ。俺は、どうしても――」


 アイヒシュテットは全力で玄奘から逃れようともがいた。

 その拍子に偶然、本当にたまたま、アイヒシュテットはそっぽを向いた玄奘の頬に、刹那滑る雫を見た。

 アイヒシュテットは改めて、冷静になり玄奘の顔を見た。彼女は、その目と顔を赤く染め、その瞳に涙を一杯に溜めていた。


「玄奘……泣いているのか?」

「はぁ!? ナイてない、ですぅ! イキナリ何言い出すんですか、放り投げますよ!」


 玄奘は慌てて肩に顔を擦り付けた。それにより玄奘の拘束は緩んだが、アイヒシュテットはその隙を突いての離脱をためらった。玄奘にもシホを置いていくことに納得できない思いがあるのだと察したからだ。


「玄奘……俺だけでも助けようとするお前の気持ちは嬉しい。その為に身を切る思いで決断したお前の考えも俺は否定しない。だけどそれでも、俺は――」

「そうだったら何なんですか? アイヒシュテット君が戻った所で何が出来るんですか? 気持ちや努力だけで何がひっくり返せるんですか! 私が助けられるのは貴方だけです! シホさんはもう手遅れです! 引き返したってもう――」

「手はあるんだ、無策で言ってるんじゃない! SDOS(シーケンシャルデバッグアウトプットシステムコマンド)を使ってシホをオブジェクトの残骸からファイルリファレンスで再構成する」


 アイヒシュテットの言葉に、今度は玄奘がこの世のものとは思えないものを見たような大げさな顔で驚き、取り乱し、絶句した。


「な、なん――どうして、それを……まさかそれが、おじさんがアイヒシュテット君を呼んだ理由――」

「そんなのはわからない。この知識は俺を助けてくれたある人から教わった物で、やり方以外の詳しい理屈は知らない」


「その、対価については――? 最悪死ぬ事だってあるんですよ? ソレの負荷はシホさんの直列励起に匹敵します。運が良ければ無傷なんて事、絶対に無いんですよ? それをやったら現実世界側のアイヒシュテット君は――」

「構わない! 俺は死なない! そうなったらその時に考える!」

「はっ!? 馬鹿ですか!? いい加減にしてください! 何言ってるんですか意味わかんないです! 落ち着いてください!」

「後で落ち着く! 時間が惜しいんだ。これ以上の話は後にしてくれ。お前だってシホが好きだろ?」

「はぁ!?」

「俺はお前もシホも好きだ。とりわけシホについては愛してると断言出来る。お前だってシホが嫌いなわけじゃ、いや、大好きだろ、いいコンビだもんな。きっとシホもお前が好きだ。だから俺に賭けてくれ。俺は絶対に期待を裏切らない男だ。っていう評判だ」


 アイヒシュテットは脳裏に自分に言ったグロックドルム新王の言葉を思い浮かべながら玄奘を真顔で見つめた。


「なんつーむちゃくちゃな言い草ですかアイヒシュテット君。このタイミングでこく――――そういうのはずるいですよ。何ですか。何です、何なんですか。私が、どんな思いで! ――」

「――すまない。だけどげん――」

「っんもう! 判ってますよ! 行きます! 戻りますよ! 黙って掴まっていてください! 変な所で落ちたら禁則処理されちゃいますから! アイヒシュテット君! 私だってアイヒシュテット君を――――シホさんも助けたいですよ! だのに! ああっもう!! 馬鹿ですねホンット!! ワタシも!」


 玄奘はアイヒシュテットには見えない操作盤を出すと、片手で素早くそれを弾いた。


「いいですか、一回降りますよ。空間酔いされても困るんで私が合図するまでしっかり目を閉じていてください。それから、シホさんのいる所はもう地面なんて無くなってるんで降りられないです。すり抜けながら掻っ攫ってください。チャンスは一度ですよ。九割失敗すると思いますけど本当に失敗したら恨みます! いや、私にここまでさせといて無能を晒したら死ぬより酷い目に合わせますから! しくじったら百万回殺しますのでお忘れなく!」


 どっちなんだ、とアイヒシュテットが思った突如、閉じた瞼の向こうの光が失われた。



 重力が戻り、浮遊感から短い落下感覚がアイヒシュテットに訪れた。

 緩やかな着地。アイヒシュテットの足が地面の感覚を捉える。一瞬玄奘の動きが止まったが、直ぐにその腕はせわしなく動いた。

 きっともう一度飛ぶ準備をしているのだろう、アイヒシュテットがそう思った時



 《《システムメッセージ:蒼星の護り(エクスキューズ)を譲渡されました》》



 彼の脳裏に【来訪する啓示(エペフェニィ)】がイメージされた。

 直後、足に感じていた地面の感覚が消える。アイヒシュテットは啓示の疑問を確認出来ぬまま再び、あの光の奔流を流れる感覚にその身を飲まれた。


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