聖騎士②
厩舎側の窓から月明かりが差し込んでいた。色々考えているうちにいつの間にかアイヒシュテットは眠ってしまっていた。
彼はふと、自分の体に薄い毛布がかかっていることに気が付く。そればかりかテーブルにはまだ湯気が昇る茶まで置かれていた。
人の気配を感じ取れないほど深く寝入ってしまっていたのか。自分の無防備さにアイヒシュテットは苦虫を噛み潰したような顔をした。
ラナードが帰ってきたのか。そしてまたどこかへ行ってしまったのか。
だとしたら一体どこへ。
アイヒシュテットはうつむき考える。そもそも何の準備にこんなにも時間をかけているのだろうかと。
――異教徒の洗礼でも始めるのか。それとも世道組織以外の何か別の都合か……いや、それはないだろうが。
祖国が戦争状態であるせいか、アイヒシュテットは些細な事が気になってしまう。
こんな最果ての地に敵国の間者がいるはずはない。無用な勘ぐりをしてしまう自分の小心さに彼は呆れる。
だいたい罠があったとして、一体彼らに何が出来るだろう。
アイヒシュテットは部屋を見渡す。部屋の隅には戸棚があり、ガラス越しに保存食や衣料品など日用品が整頓された状態でぎっしり収められているのが見える。とりわけおかしなものはない。
入ってきた扉にも鍵はついていなかった。窓も簡易的なもの。むしろ悪天候時に木枠が外れはしないかと心配になるボロさである。監禁出来るような部屋ではない。何より彼らの力で自分達を捕えられるとは思えない。
――異教徒の洗礼って、流石にそれはあり得なさすぎだな。
そもそも彼らの言う世道――我々が呼ぶ世教――は、アイヒシュテットに言わせれば宗教ではない。
彼らには信仰らしきものはあれど信仰すべき神がいない。確定した教祖、創始者もおらず、明確な経典や聖典もない。伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤に、領内の有力者層による政治体制に利用される過程で徐々に成立した起源を知れば、アイヒシュテットでなくても大抵の聖職者は、それを宗教とは認めないだろう。
異教徒への洗礼どころか宗教的思想があるかも疑わしい。
――焦るな。今更急いても何も変わらない。落ち着いて相手のアクションに備えるだけだ。
アイヒシュテットは気を緩めソファーに座り直した。
「アイヒシュテットさん」
その矢先、急に声をかけられた。
いつの間にか、もしくは元々そこにいたのか、テーブルの横に子供が立っていた。
「玄奘と申します。この度宮司から案内を任されました。お支度が済みましたらお声がけください」
少年か少女かわかりにくい綺麗な顔立ちをした子供は、努めて事務的な口調で言う。
アイヒシュテットはあまりの唐突な展開に少々混乱したが、すぐに気を取り直してその場に立ち上がる。
「これは失礼を。ぼんやりしていて申し訳ない」
疲れが溜まっているのか。そう内心でぼやきながらアイヒシュテットは軽く頭を振り姿勢を正す。
「いえ、ご挨拶は結構です。貴方の事は既に聞いています。それよりも出発の準備をお願いします」
極めて事務的な態度で子供は淡々と述べた。
――女の子? いや、ゲンジョウという名前からすると、男の子、か?
歳は十歳位に見えるが、その落ち着きぶりには舌を巻くほど。中々堂に入った立ち振舞である。
彼が着ている独特の綺麗な衣装は、この地域の神官、宮掌が着ていたものを少し綺羅びやかにアレンジしたもののようだった。
服装からして下っ端には見えない。そこそこの役職であるのだろうか。
一瞬子供と侮ってしまった浅慮に、アイヒシュテットはバツが悪そうに苦笑いした。
◆
アイヒシュテットはすぐに出発を促した。
「こちらから参ります」
玄奘と名乗ったその少年は部屋の奥へ移動すると、突き当りの壁を押した。
驚いた事にその壁は隠し戸になっていた。彼が押した事で小さな音を立てながら壁は横にスライドし、そこに大人一人が余裕を持って通れるくらいの入り口が現れる。
「先導致しますので付いて来てください」
言われるがまま、アイヒシュテットは戸の奥を行く玄奘に付き従う。
洞窟の中を思わせるその道は、どのような仕組みなのか薄明かりに満ちていた。
遠い先は闇であったが、歩くには支障をきたさない程度の明るさが保たれていた。
一見下水地下道に見える土木構造物。しかし天井を見れば、山を抜ける隧道の作りに近い。
この道はどのような目的で作られたものなのか。アイヒシュテットは内部を詳しく観察したかったが、挙動不審とみられるのを恐れ興味の無いふりをする。
――困ったな。こういう時はどうすればいいんだろう。無言で歩くのも感じが悪いだろうか。
黙々とただ歩く二人。
何か気を紛らわせる話題でも投げておいたほうがいいのか。無言で歩いていたアイヒシュテットだったが、進むにつれ黙して歩くには間が持たないと感じ、彼はそれとなくラナードの事を訪ねてみた。
「宮司は所用があり私が案内を承った次第です」
ラナードは別の仕事にかかっている為ここには来られないと少年は説明する。
彼が言うには、ラナードは世道の宮司――アイヒシュテットの国で言う司教――という立場であったらしい。ただの歴史学者ではないだろうと薄々思ってはいたが、司教職には全く見えなかったアイヒシュテットである。
ゆえにこの少年が、この社の責任者だと聞かされた時の驚きはひとしおであった。
――こんな子供が司祭職、か。
聖職者に歳は関係ない。が、この年齢で司祭級というのは、アイヒシュテットの常識ではなかなか信じ難い。
とはいえ、この話題はあまり深く掘り下げないほうがいいだろうとアイヒシュテットは考える。ここで真実を追求しても意味は無いし、下手な言を言って藪蛇になるのは避けたかった。
不用意な発言によって無駄なトラブルが起こる事を彼は恐れた。
話は目的地の説明に移る。双魚の社と呼ばれたこの建物の最奥には、人の立ち入りを制限している区画があるのだという。
そこは礼拝などに使われる場所ではなく特別な祭儀場の為、区画そのものを封じているのだと玄奘は言った。
自分は何故そんなところに案内されているのか。そこに黒龍石があるのかとアイヒシュテットが問うと、玄奘は首を振り、来ればわかるとしか答えなかった。
そうしているうちに、二人はその区画へと繋がる広間に着いた。
フロアには幾つもの木箱や何に使うのかよくわからないガラクタが散乱していて、お世辞にも片付いているとはいえない有り様だった。
「ここでお待ち下さい」
フロアの入り口でアイヒシュテット達を留めると、玄奘は小走りでフロアを移動する。
彼は散らばっていた木箱を拾っては部屋の奥にある扉の前に置く、という動作を何往復もして、扉前に木箱を集めた。
やがて必要な分を集め終わったのか、今度はそれを階段状に積み上げると、バランスを崩さぬようそっとその上に登り始める。
扉の上には、赤い棒のようなものがせり出していた。
彼は積み上げた木箱の最上段に立つと、それを取ろうと手を伸ばした。
赤い棒は玄奘の背丈ではぎりぎり届くか届かないかの場所にあった。もう一つ箱を足せば届きそうだが、フロアには手頃な大きさかつ頑丈そうな箱はもう無さそうだった。それを見て、これは取れないだろうな、とアイヒシュテットは思った。
アイヒシュテットは背伸びをしバランスを崩しかけていた玄奘を見兼ねて、彼の横まで行くと「これを取るんですか」と、跳躍して代わりに棒を取って渡した。
「……扉の解錠をしますから、離れていてください」
焦ったような、ないしは怒ったような小声を出しつつ玄奘がアイヒシュテットを遠ざけたので、アイヒシュテットは余計な事をしてしまったかと思いながらも「わかりました」とだけ答え素直に離れた。
玄奘は積み上げた木箱の一番上に立ったまま、今度は扉に背を向けた。そこには天井から、幾つものくぼみが施された板状の土板が吊り下がっていて、彼は手に持った棒でそのくぼみを何らかの決まり事に沿って叩いたりなぞったりした。
アイヒシュテットはぐらつく箱を見ながら、箱の位置を変えるとか組み直すとかしたほうが良いように思ったが、先程の事から黙っていた。
彼が赤い棒を大きく横へスライドさせた時、木箱がズレていつ崩れてもおかしくない状態になったが、アイヒシュテットはそれでもやはり黙っていた。
続けて彼が大きく背伸びをし、一番上のくぼみに棒を触れさせた動作が引き金となって、積み上げた木箱はアイヒシュテットの見立て通り完全に崩れた。
バランスを失った玄奘の体が、箱の階段を踏み外して宙へ投げ出された。
だがそれでも、アイヒシュテットは黙っていようと思った。これは落下するな。と思っていたので、彼が木箱を踏み外し地面に落ちる寸前に抱き止める事は容易ではあったが、彼はギリギリまで動かず、刹那の時間の中で何度も迷ってから、良心の呵責に突き動かされ漸く、玄奘を地面スレスレで抱き留めた。
「大丈夫ですか」
思ったより柔らかい感触だった。子供は意外にぷにぷにしているのだなと思いつつも、アイヒシュテットは彼を優しく地面に立たせた。
だが玄奘は、アイヒシュテットに礼を言うでも非難をするでもなく、ただ顔を伏せて黙り、そそくさと扉へ向かった。
アイヒシュテットにはそれが不満そうな顔に見えたので、やはり失敗だったかと思った。
子供扱いした事を怒っているのかもしれない。男子たるもの子供でもプライドがあるのだ。今助けられた恥は、地面に落下し出来ただろう傷よりも、大きく彼の自尊心を傷つけてしまったかもしれない。アイヒシュテットは玄奘に対し申し訳なく思い、また己の迂闊さを反省した。
玄奘が扉を引くと、そこは建物の中というよりは――天井に岩肌が露出した――洞窟のような場所だった。
「大樹祭の時期にのみ、祠は開かれます」
何事もなかったかのように平静として玄奘は告げた。
「祠、ですか。大樹祭の――ですよね? この場所をそう言うのですか?」
「この場所の事ではありません。祠は……実際ご覧頂いた方が早いでしょう。祠を抜けた先の祭壇に驪竜の珠は祀られています。祠にご案内します、付いて来てください」
一人先を行く玄奘をアイヒシュテットは急いで追いかけた。
◇
大樹祭については、会食の中でラナードから大雑把な話は聞いていた。
大樹祭とは、疫病退散を願って始まったとされる――毎年七月に行われる――興部町に伝わる祭りの事を言う。具体的には、媛巫女と呼ばれる神職が、五人の導師と呼ばれる神官を引き連れて四つの神霊が宿る大樹に祈りを捧げ回る儀式の事を指す。
だがここ興部町では、長らく媛巫女が途絶えている事から代替の儀式を継続していた。
興部町での大樹際の主な流れは、まず神社で熾した忌火を白装束の青年八人が棒燈と呼ばれる御輿に移して会場まで運び、六十六尺の柱たいまつの周りを3回まわった後、忌火を4つのかがり火に分け、さらに二百本の手たいまつへと移し、柱たいまつへ火を入れる。その後男達が作った巨大な祭壇の上に、多くのこの地方の伝統的な馳走を並べ、草木の匂いがする香を焚き、その村全員で祈りを捧げる、というものだ。
祭りは古くから町に伝わる由緒正しきものであるが、仕切りは村単位で行われる為、様式は村ごとで少々趣が異なる。主な違いは祭壇の様式や御輿、たいまつの造り等で、その中でも奉燈があるかないかでその格式には差が生じるという。
奉燈とは、高さ数メートルの巨大な灯籠をいう。背が高い直方体状で、前後に文字や絵が書かれており、中には灯り、上部には屋根飾りが付いている。普段は世道施設内のとある場所で管理されているが、祭日月になると、その年に対応した社の内の祭壇に祀られる。
奉燈は大樹祭に於いては特別な祭具で、祭壇に祀ることによって豊穣や無病息災などの他にも、様々な恩恵をその地域にもたらすと言われていた。また、祭壇に奉燈を飾れる事はこの上ない栄誉でもある。それは、取り扱える者が神霊により神威を授かった者、神霊樹の巫女に限られているからだ。
巫女は洗礼を受け祠に入り、幾つかの祭礼を済ませて神霊の名の元に奉燈を下賜される。そうしてもたらされた奉燈を祀る事は、神の公認を得たのと同義となり祭りそのものに箔がつく。
その為どの村も奉燈を祀りたいのだが、巫女になる為の条件は非常に厳しく、媛巫女級と言われる神霊樹の巫女になる事はそれに輪をかけて厳しい為、需要と供給の均衡が破綻しているのが実情らしい。
アイヒシュテットはふと、ラナードの言葉を思い出す。
――初代の媛巫女は事故に遭ってしまってね。それからずっとこの町には媛巫女がいないのだね。まぁ今は、候補はいるにはいるんだがね、シホという娘なんだがね、才はともかく性格に難があるというかなんというかね、そうさね、いずれ君とも会うだろうからその時にわかるだろうね。
そういえば、あの時ラナードは難しそうな顔をしていた。
候補者はいるのに煮え切らないというか、歯切れの悪い言い回しだったように思う。アイヒシュテットは気になって、玄奘にその事を尋ねてみた。
「あぁ、アレですか。そうですね……宮司ならそういう答え方をされるでしょうね」
「では、媛巫女の候補者はいる、という事でいいんですよね。ならその方は、やはり双魚の社に奉燈を取りに来るのですか?」
「さぁ。それはどうでしょうか」
玄奘は眉一つ動かさず真顔で答えた。
「……でも、その方は巫女なのでしょう? 難関をくぐり抜けた――」
「巫女といえどもただの巫女です。神霊樹の巫女いなるなど永遠に無理なのでは?」
アイヒシュテットの言葉を遮るように玄奘は言葉をかぶせた。その語気は少しだけ上がっており、何に対しての憤りなのかわからずアイヒシュテットは言葉をつまらせた。
アイヒシュテットのその顔を見てか、玄奘はほんの僅かだけ狼狽した様子を見せたが、やや視線を落とし、すぐに取り繕うような声で「その巫女は気難しい方で面倒くさがりのゴミく――……稀有な方なので、来ていただけるかどうか、判り兼ねます」と言った。
玄奘の声が小さく聞き取りにくかったのでアイヒシュテットは聞き返そうとしたが、聞き返してはいけない内容だった気がして寸前で口をつぐんだ。うっかり口を滑らせたと言うにはあまりに滑らせすぎ感が否めず、本当にうっかりであったのかアイヒシュテットには玄奘の胸の内が読めず判断がつかなかったのだ。
◇
玄奘に誘われるまま向かった先は、白い綱や奇妙な形に切りだされた紙などで装飾を施された小部屋のような空間だった。
「その俵環に入ってください」
「俵環とは?」
「そこの円です。その中心で少し待っていてください」
小部屋の中は、東の国の法術『結界』のような空間になっており、一面に砂が敷き詰められていた。
中央には藁を編んだ縄を幾重にも編んだ綱のようなものが円形に置かれており、玄奘はその中心部分を指して指示した。
「この辺りでよいでしょうか?」
言われた通りアイヒシュテットは俵環の中央まで足を進めた。
「結構です」
玄奘が合図すると、間もなく俵環がうっすらと光り始めた。
「これは――」
「封を解きます。そこから動いては駄目です」
地面の砂一面に光り文字が浮かび上がった。それは【緑甲紋様】と言われる未解明の機構が働く時に現れるという【象徴筆画】だ。アイヒシュテットの国でも一部の高位導師しか扱えない秘術で、実物を目にするのはこれが初だった。
そしてそれらに気がついた時、彼の視界は闇に閉ざされた。
にわかに訪れた落下感覚と闇。謎の力は、その後一秒にも満たない時間で彼の意識を刈り取る。
アイヒシュテットの身体は、光に包まれ、やがてその場から消失した。




