聖騎士①
「――君は黒龍石を、暗黒物質の類だと、考えているのかね?」
手ずから入れた香味花茶の香りと味を確かめるように啜ってから、白髪の老人――歴史学者ラナード――は、唐突に食事前に一旦棚上げした話を持ち出した。
ひと通り堪能した郷土料理の余韻を吹き飛ばすその一言を、アイヒシュテットは勧められた茶を啜る事で一旦受け流す。ここで本題を切り出してきた老人の真意を掴み兼ねた彼は、大袈裟に、今気がついたという風な演技をしてわずかな時間を稼ぐ。
内容が内容だけにありのままを単刀直入に話す事は躊躇われた。本心を言えば、出来る事なら今日はその話題を棚上げにしたまま帰ってしまいたかった。だが目の前の老人はそれを許さないつもりなのだろう。このタイミングで話を切り出したのはその意思の表れか。
わずかな逡巡の後、アイヒシュテットは決断する。
「……はい。我が国にはどうしても、それが必要なのです。貸与しては頂けませんでしょうか」
要求はストレートに。はなから腹芸で勝てるとは思っていない。アイヒシュテットは自分が交渉ごとに長けていない事を自覚している。
このタイミングでの提示が最善かと言えばそうではないが――和やかな談笑と腹が膨れた効果も幾分相まって――アイヒシュテットは一番思い切った脚本を選択した。
「そうさね。貸す事については吝かではないが……これは色々と大変な事になっているね」
伸びた白髪頭の後ろを軽く掻きながら、ラナードは唸り声にも似た大きな溜め息を付いた。
【黒龍石】とは、どこかの地方に伝承するお伽話に出てくる【暗黒龍が封じられた禁断の石】に名を由来する未解明の【暗黒物質】だとアイヒシュテットは聞いている。
暗黒物質とは、それ単体では何の力も持たないただの石ころだが、ある環境下では無限とも言える程の莫大なエネルギーを吹き出す資源触媒を総じて指す呼び名だ。特務局諜報部の調査報告書にも、黒龍石こそ我が国で言う暗黒物質の一つ――悪魔の核――である可能性が極めて高いと記されていた。
ラナードは手にしたティーカップに入っている茶の色合いを確かめるように覗き込んだかと思うと、静かにテーブルにティーカップを置いて、視線をテーブルの中央に置かれたガラス茶器に移した。
茶器の中では、濃い黄金色の茶に沈んだ――最初は小さな蕾だった――花々が満開になっていた。
「所謂ポテンシャルはそうだがね」
そうして彼は、そのままの姿勢で、神妙な顔をして独り事のように呟く。
「ポテンシャル? とは、どういう事でしょうか」
アイヒシュテットの問いに対して、ラナードはおもむろにズボンのポケットをまさぐると、中から直径二㎝から三㎝程度の球体を取り出し差し出した。
「今のアレは、これの類だね」
「これは、真珠……ですか?」
「これは聖球と呼ばれるものだね」
それは白く美しく輝く小さな丸い球体だった。アイヒシュテットは初めて見る神秘的な光を放つその宝玉に目を奪われた。きれいな球体であることから真珠といったが真珠とはまるで違う、【至高の一品】といわれる域の宝石だ。
「アイシス地方に伝わるサーガ・クラリオンネメシスだったかね。『天界から遣わされた神の国の戦士は、この世界を支配していた暗闇の王との戦いにおいて、小さな太陽を用いて世界を覆う闇を払い、地の奥底にこの世のすべての悪を閉じ込めた――』といった内容だったかね」
ラナードが急に歌を詠むかのように重厚な――かなり大袈裟な――口調で語りだしたのを聞き、アイヒシュテットは反射的に聖球から目を逸らす。老人の突拍子もないふるまいを前にし、彼は慎重に、老人の意を汲もうとその様子を窺う。
「い、いいえ。初めてお伺いしました」
独特な語尾の癖を持つ初老の歴史学者に圧倒されっぱなしの彼だが、それを表には出さぬよう、努めてビジネスライクな対応で返す。
「『暗闇の王は最期の瞬間残された己の力を小さな太陽に潜り込ませ、太陽を内部から砕き割り世界に昼と夜をもたらした。砕かれた太陽の半分は、欠片となって世界中に散らばり世界を巡った。巡る事で角がとれ、磨かれ、不思議な光を発する珠となった。いつしかそれらは、聖球と呼ばれ、中でも暗闇の王の化身といわれる忌獣を取り込んだそれは宝珠と呼ばれた』」
吟遊詩人風な台詞の後ラナードは一口茶をすすって、また続けた。アイヒシュテットも茶を飲もうとしたが――あ、続くのか。と気が付き――飲むのをやめる。
「『宝珠は、それ単体にも強大な力を宿していたが、もしそれらを全て揃える事が出来たなら、その者は全知全能を得て、どのような願いも叶える事が出来るだろう』――かの地では、そういう伝承だったと思うね」
「つまり、黒龍石は、宝珠のひとつであると?」
「聖球の中に幼竜まで退化した黒竜の化石を抱えている【驪竜の珠】は、宝珠の一つではあるのだね」
ラナードの説明にアイヒシュテットは黙考する。
――黒龍石は暗黒物質ではなく聖球の類で、尚且つその中でも忌獣を取り込んだ宝珠と呼ばれるものであり、それはこの地では驪竜の珠と呼ばれている、という事か。
驪竜。東方で言うそれは、グロックドルムで言う所の【リヴァイアサン】と呼ばれる大海に住みし竜である。近隣に海の無いこの興部町に何の縁があって海の怪王が祀られているのかは皆目見当もつかない。
彼の語った内容は自分が持っている情報とかなり異なる。しかしそれにしては具体的な内容――よく知らなそうな口ぶりに反して一字一句正しいのではないかと思われるしっかりした芝居口調――である。
老人が嘘をついていると断定できる材料はない。とはいえ、その話を納得し「そうですか、我々の勘違いでしたか、残念です、それでは失礼します」と帰る訳にもいかない。
そもそも黒龍石という物自体がアイヒシュテットに言わせると胡散臭い物なのだ。
この地で暗黒物質の力を初めて目の当たりにした誰かが、無知故に勝手に有りもしない昔話をでっち上げ、驪竜の珠とやらに話をすり替えた可能性だって無いとは言い切れない。
ラナードの話は参考程度押さえておくとしても、こればかりは実物を見てみない事には決断のしようがない。
アイヒシュテットがあれこれ考えていると、それを見越したようにラナードはにやりと口元を歪め、声をかける。
「伝承が真実かどうかより、ソレが黒龍石なのか無価値な路傍の石なのか、本当に知りたいのは差し詰めそんなところかね」
「あ、いえいえ、興味深い話です」
図星を突かれたアイヒシュテットは驚いたが、何事もなかったかのように演じる。咄嗟に、彼が歴史学者である点を踏まえ、伝承にとても興味があるそぶりをする。
「驪竜の珠ですか。なるほど。歴史的価値も計り知れないのでしょうね。それは是非拝見したいものです」
アイヒシュテットは歴史には本当に興味が無い。興味があるのは情報の齟齬だ。自国の調査力を疑っているわけでは無いが、この老人の歴史話を完全に無視するのは危険に思えた。
それはアイヒシュテットには珍しい、根拠の無い予感であった。
「そうかね。それなら行って確かめてみるかね」
「……はい?」
ラナードは立ち上がりティーカップの茶を飲み干すと、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「なぁに遠慮する事は無いのだね。早速案内しようかね。百聞は一件に如かずと言うし、行ってみるといいね」
まるで「お前の三文芝居をもう少し観たいな」と言いたげな顔で、老人は半ば強引にアイヒシュテットを誘った。
◆◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆◇
そうしてアイヒシュテットは、歴史研究学者ラナードに誘われるがままこの古びた社に案内されたのだった。
「社というのはね、世道で管理している古代文明の遺跡なのだね」
世道とはこの国の宗教である。惟神道ともいうその教えには、教典のような具体的なものはなく、開祖もいない。信仰の対象は神話であり、八百万の神なる自然や自然現象などにもとづく多神教である。
彼らにとって自然と神とは一体であり、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされる。
遥か昔に栄えた大いなる力、科学という学問に基づいた古代文明の遺品すら、彼らをもってすればすべてが神事となる。
歴史資料兼聖域。
ラナードはここへ来る道すがら、驪竜の珠はその社の一つ、双魚の社の最深部の祭壇に安置されている祭具なのだと説明した。
「準備が終わるまでこの部屋で休むといいね。茶を用意させよう」
双魚の社に入り最初に通された場所は、厩舎のような――半分は厩舎そのものだが、しかしもう半分は大理石の床に上品な椅子やテーブル、一目で上質とわかる希少な素材で作られたソファーが置かれている高級宿の装いを呈した――部屋だった。
「いえいえ、お気遣いなく」
アイヒシュテットは申し出を断ったが、ラナードは聞こえなかったのかそのまま外へ出て行ってしまった。
一人残されたアイヒシュテットは、大理石の床に荷持類を置き、ソファーに腰掛ける。
ソファーはアイヒシュテットの予想を遥かに超えた座り心地の良さで、腰掛けるというよりその座面の沈み具合から、身を預けると表現したほうが適切な代物であった。
開放感と心地良さからくる睡魔が何度となく彼を襲う。
その度彼は、それに流されぬよう大きく深呼吸した。
そしてぼんやりと天井を見ながら、彼は小さく独り言ちた。
「こんな事してていいのかな」
答えなどわかりきっている自問を、彼は眠気覚ましも兼ねて声にする。
心を無にすると眠ってしまいそうだ。彼は眠気を紛らわすため考え事をする。
考える題目は当然祖国の事だ。
祖国の今を考えると、だんだん居ても立ってもいられなくなるこの気持ちの問題は、如何ともし難い。
祖国グロックドルムは現在厳しい戦況にある。
特に食料品や衣料品などの物資の不足は深刻だ。兵の増援はともかく、民の支援はとりわけ優先的に解決しなければならない状況であった。
◇
自分はこの地において是が非でも達成しなければならない重要な任務を二つ抱えている。
一つは【黒龍石】の入手。もう一つは自国戦災者への支援を取り付ける事だ。
国の未来を背負った外交など腰が引ける。自分には荷が勝ちすぎていると思えた。だが記憶を失い倒れていた自分を保護し、騎士の仕事を与えてくれた当時は王子であった現新王には恩義がある。そんな人物からのたっての願いを自分は断ることができなかった。
任務を引き受けると自分は出世した。一つ二つ位が上がるという程度ではない。常識的に、一代ではとても成しえられないだろうという出世をさせられた。
聖騎士アイヒシュテット=フォン=ウィトルウィウス辺境伯。それが与えられた自分の立場であった。
自分はグロックドルム王国ウィトルウィウス地区を治める辺境伯であり、グロックドルム聖堂教会から正式にウィトルウィウス正教区の司祭に任命された聖職者であり、グロックドルム王国史上三人目の【聖騎士】位を受階した英雄。
そして国王、首相、第一書記に次ぐ第四位の役職である国家特務局、通称ベルディグリの【局長】という地位に立たされた。
その上でここ極東の同盟国【日ノ本】へ、外交に関する全権を委任された特使として派遣されることとなった。
正直に言えば、当時はやり過ぎなのではないかと思った。しかし新王はこれくらい必要だと言った。
交渉相手である日ノ本という国は驚く程権威に弱い国だという。そんな国を相手に有利な交渉をするにはありったけの権威を引っ提げて交渉のテーブルにつくのが順当だ。彼はそういってどう考えても自分には過剰過ぎる権威をまるで擦り付けるかのように自分に押し付けきった。
そして結果として、それは功を奏した。
日ノ本の政治主導者達は完全に浮き足立っていた。友好国であるグロックドルムからわざわざ事実上の国家のナンバー2が来るという事態に度肝を抜かれていた。
自分には何故そうなったのかその仕組がまるで判らない。ただ判ったのは、新国王の思惑通り彼らは異常なまでに下手な姿勢のまま交渉のテーブルに着き、こちらの良いように交渉を進められたという事実だ。
交渉がうまくいったといっても自分は半ば置物のような状態であったから、全ては特務局政治工作班の交渉技術の妙なのだが、おかげでこの地域【興部町】の有力者である歴史学者ラナード氏にまでたどり着けた。
日ノ本の有力者であるあの初老の男を説得し黒龍石さえ入手できれば目的の半分は達成だ。あの様子なら難なく貸与もなされるのではないかと思える。
問題は残り半分のほうだ。
自分は終戦を待たない即時支援――つまり日ノ本を出し抜き言いくるめ、戦争に巻き込まなければならないという立場にある。
“この戦争は勝利以外に止める方法がない。日ノ本を巻き込むのは本意ではないが、平和な世の為にはやむを得ないのだ”
自分は新王の言葉を思い出す。
現在のグロックドルムに支援をすれば、敵国たる中央国家群は現在第三国である日ノ本をグロックドルムの同盟国として参戦した敵国――人道を盾に上手く立ち回ったとしても戦争幇助国――と認定するだろう。
我が国が日ノ本に求めるのは派兵ではない。人道的支援のみだ。しかし日ノ本がいかに非戦の旗を掲げたとしても中央国家群はそれを一笑に付すだろう。もしそのような口実を認める国々であったならそもそも戦争は起きていないだろうから。
グロックドルムの要請を飲めば当然日ノ本も攻撃を受ける。その事実を国民が実感した時、非戦を謳うこの国の世論がどれほどの反発を生むかは自分には正直計り知れない。
しかしそれでも、自分は支援を取り付ける。
それは敵国が要求する終戦講和の条件が、全国民を奴隷化する所謂無条件完全降伏のみであるからだ。
無条件降伏の条文には、敗戦国の民は兵士によって強奪や強姦、虐殺が行われることを権利として認める条項が含まれている。そんなものを認めることは絶対にできない。
聖騎士を名乗る者が実は稀代の詐欺師であったなど皮肉を通り越して滑稽ですらある。仕掛ける側としても憂鬱極まりない。
それでもやらなければならない。平和の為には。祖国の民の為には。国を支える末席に身を置く者としては。




