殻の境界③
木霊は筐体支配程度で管理下におけるような設定ではない。シホは自分の身体から血の気が引いていくのを感じた。それが何を意味するのかを知り過ぎていたからだ。
――無し無しさっきのナシ! こいつらやっぱ世界の枠なんか守ってなかった!
シホは内心で自己の仮説を全力撤回する。
「キミ、これどうやって!」
「ふ、ふふ。なんです? こんな事もわからないのですか?」
混乱するシホの姿に優越を感じたのか、役小角は平静を取り戻した。今度はシホが慌てふためく番である。
「ふっ。仕方がないですね。教えて差し上げましょう。これから私は、貴方の【人生】を、サンプルとして【記録集合体】に吸い上げます。貴方は私の手によって、来るべき新世紀の為の生贄となるのです。四つ目の【想起点】として――」
「そういう中二はいいから! 答えになってないだろ頭悪いのか!」
お前の脳内妄想に構っている暇はないとばかりに、苛立つシホは反射的に罵声を浴びせる。
「今やめたら許す! いい子だからやめなさい」
「頭悪くないし! 子供じゃない! いい加減淑女として扱いなさいよこのオバン! だいもんズ起動!」
シホの木霊がシホ以外の命令を受託する。この世界の仕組みとして絶対に有り得ないはずの挙動に、シホは最悪のシナリオを思い浮かべ恐怖する。
シホを補佐する五体の木霊は木霊の姿をした聖玉といわれる独立したホストでありサーバーである。シホの身体を管理し、世界にシホの精神を定着させる仲立ちをしている。
運営部により秘匿されたコードを用いることで使用可能となるそのシステムは、世界に招待者として認定されることで殻界側からのアシストを受ける。
そのメリットは、被験者にとって天啓である。招待者の記憶を世界に共有することを対価に、招待者の身体は、究極的には不老不死へと改編される、と言われている。
体内を巡るナノマテリアルマシンによって人体の設計図は徐々に改修され、被験者はヒト化ヒトの原型と呼ばれる神の作り給うた人の試作体へと近づく。
それはありとあらゆる不治の病を治す、人類の夢の到達点。招待者として認められたシホが、巫女となる時にラナードによって明かされたこの世界の存在意義。その可能性の追求こそが、女神のアトリエの原体、プロジェクトファミリアの中核である。
だがそれは、理論上の理屈ともいえる。
肉体の改変が起こるという事実は、なにも良い方向へだけ働くという確約ではない。
生命維持の点においていくつもの対策が講じられているとは言え、それらシステムが暴走しないという保証はない。介入できる要素が多いという事は、場合によっては命を奪う危険性もはらんでいる。
計り知れない堅牢さを誇るブラックシステム。そのアシストによって動作していた聖玉が、シホの命綱が、今、不正な介入によりその安全を脅かしている。
世界の表層に位置するNPCAI程度が、今や地球上に散らばるシステムの中枢にリンクするなど不可能だ。人類がその発祥を正確に探し当てる事が出来ないように、この世界の住人がそれを探し当てるなど天地がひっくり返ってもあり得ない。それは想像すら憚られる絵空事だ。
しかし現実は――役小角に呼び出された木霊達は、シホの頭や肩に乗っかり踊っている。シホの制御を離れている。
システムの根幹、最もブラックボックスに近い干渉不可領域に守られた世界の絶対の理に対して、このNPCAIは何らかのトリックを用いて干渉をしている。
現実にできないことを現実にやっているのならば、そこには必ず盲点があり、対策する手段があるはずだ。非現実を現実と見せかけている何かがあるはずなのだ。
シホは焦る心を押さえながら必死に観察する。このトリックを暴かないかぎり、最悪自分は――否。このフロアにいる全ての者が、現実世界で死ぬ。
「六聖球モード! 感覚リンク後MAIアロケーションシフト直列励起で再起動」
役小角の指示に、木霊達が一瞬顔をこわばらせる。
「まぢで?」「やるの?」「ほんとに?」「やめたほうがーやめたほうがー」「いなかのおかあさんないてるかもよ」
木霊達の命令を拒否する挙動は、禁忌操作をすることで作動する定型の警告である。
直列励起は特例権限に属する権能で、許可無く使用する事を厳重に禁じられている命令型実行術式だ。現実世界の肉体に多大な影響を及ぼす危険性もある事から、使用時には必ず木霊は警告を発し命令のキャンセル要望を提示する。
その上で木霊を統括するホストAIは世界を統括する上位ホストAIに照会をかけ、端末AI群による決議を行わせる。
様々な視点から申請の整合性は検証され、その結果不相応の否決となれば、木霊達は命令をセーフティ権限で拒む事が出来る――はずなのだが。
「いいからやりなさいよ! 馬鹿なんだから!」
「ちょっと! バカはそっちだ開くんじゃない! 見えちゃうだろ!」
踊り始める木霊達に笑みはない。それを見てシホは直感する。
セーフティは働かない。
木霊達は止まらない。錆びついたブリキのような動きで踊り続けている。
「うそ! うそでしょ! ちょっ何やってんのキミら! 運営働けよ!! 乗っ取られてるだろ!」
木霊たちの踊りが激しくなると、シホの筐体各所に文様が浮かび上がり、それらは徐々に発光し始めた。
「三次元並行平射接触命令式起動。反射防衛扉稼働。多角経路迷宮展開」
役小角の指令で木霊の踊りが激しい縦振りからゆっくりとした横振りに変わると、シホの筐体から漏れた光は寒天で出来た蜘蛛の糸状に結晶化し、シホを中心に拡散して巣を作った。
「ッ!!」
横にも上にもその果てが見えないほど平面拡散した糸は、じりじりとシホを宙へ持ち上げ始める。糸が拡散――ネットワークを形成――したショックで意識を失ったシホの頭は、力なく前に垂れた。
「やった……扉が……これで、帰れる」
役小角はもぞもぞと地を這いながら、シホの足元を目指し動き出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アイヒシュテットはシホ達を視認しながらも、意識を完全に覚醒出来ずにいた。
シホが蜘蛛の巣に捕らわれた時、アイヒシュテットは白昼夢と現の境を彷徨っていた。
祥二郎には家がなかった。
彼の家はその日を休む仮宿であり、少なくとも彼にとっては、そこは帰らなければならない場所ではなかった。
シホは家に居たがらなかった。
シホにとっての家は、病と無理やり向き合わされる逃げ場の無い檻だった。
この世界の創造主、リチャード=グレンヴィルには、家があった。
彼は世界の技術革新がしたくてこの世界を作ったのではない。
彼の目的は結論として不明だが、その設計の足取りを見れば、彼がこの世界を【家なき子の家】にしたかっただろう節は読み取れる。
リチャードの開発メモには【家を作る事は大人の証であり、人は誰しもが多かれ少なかれ大人になろうとし、大人になれた者は、様々な意味において結果として子を持つに至る】という記述が残されている。
【その建前は国や人種を問わず、差はあれど、世界に住む人々はその形に添ってきた。】
自分の先祖がそうだったように、自分もそうあるべきだと、彼は思っていたのかもしれない。彼は彼なりの、独自の方法で大人になろうと、幼少時には既にそう考えていたようだ。
◇
リチャードは控えめに言って鬼才であった。彼を知る学生時代の知人たちは、誰一人として彼を理解することが出来なかった。
この世の者とは思えない頭脳を持つ彼は、どちらかといえば迫害されていた。そこから飛び出る突飛な発想は、常に周りの人間の首を傾げさせてきた。
他者による彼の評価は低い。好きな事に対してだけ饒舌になる口が達者な夢想家。普段はおとなしく控えめ。むしろ怯えるように日陰へと隠れ、全く社交的ではなく社会性に乏しい。そのくせ成績は悪くなく、何を考えているかわからない気味の悪さがある。
賢いとは認識されながらも、彼を取り巻く周囲の反応は概ねそこから外れることはなかった。
そんな彼が人生を一変させたのは、徴兵によって軍に招集された時だ。
彼が大学時代に開発した未完成の超高性能演算機が、偶然国の有力者の目に留まり、彼は科学者の道を歩むこととなる。
◇
科学者に抜擢された彼は、すべての自由な時間を時代を三百年先取りした研究に費やした。
彼が当時注目していたのは、電脳世界といわれる、現実のような現実ではない世界だ。
有用性を疑問視する周りの同僚の白眼視も意に介さず、彼は今いる世界に、触れられぬ、見えるだけの世界をいかに手繰り寄せるかだけ考えていた。
寝食を忘れる程の熱狂をもって彼は取り組む。己の欲望を吐き出し、その想いを形にせんと、思いつくあらゆる手段の限りを彼は尽くす。
その過程で彼が軍にもたらした成果は多大となる。
超高速演算機の開発に始まり、それを応用・転用した鉄道や車両、艦船、戦闘機、通信手段など諸々の技術は凄まじい速度で進化し、遂には他国の追随を許さぬ域に達した。
けれどもそんなものは彼にとって些事であり、昇進も賞賛も彼の関心を引くものではなかった。
彼の関心はいつだってこの世と隣り合うもう一つの世界にあり、その世界の秩序たる神の創造に向けられていた。
◇
彼の理想は当時の科学者たちの大部分には受け入れられなかったが、彼を拾い上げたとある有力者は、彼とは異なる目算をもって彼を支援し続けた。
鶴の一声は、瞬く間に人を集めた。リチャードの思惑など関係なしに、フィクサーによって用意されたえさ場は、多くの人間の目に魅力的に映った。
様々な意図が飛び交う駆け引きの渦に引き寄せられた者達は、リチャードの作り上げた神輿のに乗り込み、気が付けば降りられなくなっている。
そうしてリチャードの夢であるそのプロジェクトは、発足にこぎつけた。
位相世界開拓計画。通称ミッション・ファミリア。
世界中の才有る者達がプロジェクトに関わり――何よりリチャード自身がその分野において飛び抜けた天才であった――協賛者も次第に増えていった。
時間と共に新世界の造形は深まり、様々な技術が次々と投入され――電脳世界に幾つもの限界突破が起きた。
その果てに出来上がったのは、神の如き思考物。
どこまでも果てなく成長し続けるそれを、彼は仮に【想起点】と呼んだ。
想起点の自立思考によって爆発的に解像度を上げていく世界は、高速で人類史をなぞっていく過程で、必然か偶然か、一つの禁忌を産み出した。
それこそが、人類が経験する二度目の大戦の引き金となった悪魔のシステム。
血の宣託と呼ばれた禁忌。女神のアトリエの最も古き原型。
1939年『Leap Second』の完成である。
◇
彼はやり過ぎた。
彼の思想設計を体現した機構は、人類の根源に迫りすぎた。
彼の推し進めた技術革新により人類の戦争戦術は一変していた。
ドクトリンは高度な算学によって単純合理化され、虐殺はゲームとなり、戦果は数値化された。人々はその大き過ぎる成果に恐怖した。
その結果、更なる技術革新を進めるため深く深くシステムに潜り込んでいた彼は、事態を恐れた身内の裏切りによって未帰還者となる。
その意識は相克を起こした世界に分割管理され、彼は彼の家に帰る事ができなくなってしまった。かつての仲間達は、その足がかりを大掛かりな改変で無効化し、彼は【ブラックボックス】の中に閉じ込められた。
そうして彼は、歴史からその存在を抹消された。
◇
殻のように閉じられてしまった世界を、彼は【殻界(ヤー=シェリ)】と呼んだ。
彼の意識はふわふわと、宛もなく新世界を漂った。
人間の感覚では気の遠くなる程の膨大な時間を、彼は果てなき彷徨に費やした。
二度と戻ることは叶わない。二度と帰ることは出来ない。
そんな失意も絶望も色あせ、彼の意識が無色透明の澱となって世界に沈み始めた頃。節目が訪れた。
殻界(ヤー=シェリ)は、時を経て、とある国の科学者達によって発見され、紐解かれようとしていた。
その国の名は、日本。最初に殻界(ヤー=シェリ)に接触した科学者の名は、倉敷総一朗といった。
総一朗は、人間の欲望の根源を探求する賢者であった。彼は、当時リチャードを取り巻いていた全ての人間が恐れ忌み嫌ったソレを、心の奥底から渇望していた。
『自分を還してくれるなら、その果てにあるものを君に譲り渡そう』
それを知ったリチャードは、ゆえに取引を持ちかけた。総一朗にとってのソレは探求の極みであったが、リチャードにとってのソレは、世界が完成し全てが始まる創世への至りでしかなかった。
◇
祥二郎はリチャードに招かれ、伴われ、彼と【この世界】の歴史を巡った。
それから次に、彼の希望か過去か、区別の付かない白昼夢に招かれた。
幸せな家族。家族の団らん。季節の催事、誕生日の祝い、ホームパーティ――
それは幸せの形だった。テレビでしか見た事が無い、絵に描いたような海外のそれを、あたかも実体験しているかのような臨場感を持って、祥二郎は見せられた。
――それでも、祥二郎はやはり憧れを感じなかった。
多分それは、祥二郎がいつか欲するであろう夢であり希望であった。
好きな人と共に過ごし、好きな人たちと笑い合い喜び合う、優しくて暖かい明るい世界。
けれど祥二郎には、それがひどく乾いたものに見えた。
喉が渇いた人間の為に代わって水を飲む事は出来ない。そんなもどかしさを感じた。
よく見えるからといって目の悪い人に無理やり眼鏡を掛けさせては争いになる。そんなやぼったさを感じた。
Cを通じて知りえた経験は、祥二郎に相手の抱える問題に介入しない【課題の分離】――本当の意味での他者への尊敬――を学ばせていた。
誰かの為に何かを与えるとか、与えられたければ与えるとか、そういうものは、きっと愛ではない。自分と誰かが楽しかったり嬉しかったりできるような何かを得る行動をすること。その中で起こりうる悲しかったり腹立たしかったりすることを恐れず、勇気をもって様々な手段を迷いながらも選択し、問題を解決していく努力を、人は愛と呼ぶのだと。
自分はCが大好きである。世界で一番だと言える自信がある。けれどそんな自分なのに、Cの気持ちはわからない。むしろわからないことだらけだ。
それでも、諦めない。
自分は何度でも彼女に話しかける。
自分は何度でも彼女に笑いかける。
自分は何度でも彼女に――祥二郎には、自然とそう思えた。
そんな彼だから感じたのだ。
この世界の在りようには、すべての子らを救う無償の愛という概念には、歪みがあると。
だから祥二郎は、持っていた棒を投げて、天井高くに設置されているくす玉を割り、リチャードを祝福した。
リチャードの問い無き問いを、彼は肯定した。
彼の思い出も、彼の理想も、彼の家族への想いも。何もかもをも祥二郎は認める。
帰れぬ人々が、帰れる人々を祝うのに、祝えない理由は無いと祥二郎には思えたからだ。
少なくとも祥二郎の中には、祝福出来ない理由が無かったのだ。
◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アイヒシュテットの放った【運命の光】が、空に浮かぶ役小角の祭具【雪洞】を貫いた。
直後、けたたましい音を立てて空がヒビ割れる。雷光が走る。
同時に、役小角はおぞましい断末魔の叫びを上げた。
「うとみありいれすぽお! Aチャンネルでブロードキャスト! 祭式略式典礼!!」
苦痛に呻き、割れた陶磁器を擦り合わせたような音を発していたシホは、音の停止とともに正気を取り戻した。彼女は地面に伏す役小角を睨みつけると、これ以上ない怒りを言葉に乗せて、木霊達の名を叫び指示を飛ばす。
「おこなの?」「げきおこかも」「ぶちぎれとかこわい」「あーちゃんやむなし?」「べーすることはふかのう」
慌てふためいた木霊達が、あわわわという恐怖に震えた声を出しながらシホの体の上を移動する。
「入力祇装始祖鳥! 奉納形式黒御酒神楽! 記憶を吸い上げるなんて絶対に許さないッ!!」
「ぴぴきゅ」「ぴきゅきゅ」「ぴききゅぅ」「ぴきぴき」「ぴきーきぃぴぴぴ」
配置についた木霊達が、油の切れたブリキ人形のような動きと音を出してぎこちなく踊りだす。
シホは宙に浮いたまま、両手を合わせ、祈りの姿勢で空を見上げる。
少し間を置いて、空の一部が剥がれ落ち、そこから一条の眩い光が地へ照射された。光は役小角のサイズに合わせるよう収斂すると、範囲内の全ての物を一斉に焦がし始めた。
「ボクの記憶を返せよッ!!」
シホの絶叫。直後、役小角は瞬く間に発火し、あっという間に消し炭となった。




