#4 消えた少女
「それで、充弘君とは連絡が取れたの?」
五十嵐は、仕事のことも忘れて愛の話に聞き入っていた。ま、仕事といっても、愛しかこの喫茶店にはいないのではあるが。
「電話は通じなかったんです。この電話は、今現在使われておりません。ってね」
通じなかった?
「じゃ、充弘君は一体?」
五十嵐は、愕然とした。そんなアテのない人間をこの場所で待っているなんて……と、まるで新しく生まれ、空に舞い上がって儚くも壊れたシャボン玉のような気分に襲われた。
「だけど私は信じているんです」
愛は、何者にもとらわれない自信に満ちた笑顔で答える。
「毎年この日にここに来てるんだけど、充っちゃんが来なくって……でも、今年は違うんです。そんな予感がするから」
五十嵐にはさっぱり解らなかった。誰がこんなおかしな話をいつまでも信じていられようか?
「ごめんなさい。もう時間になりましたから……」
喫茶店の時計の針は、十二時半を過ぎている。少女は席を立ち上がると、慌てるようにして、入り口へと駆け出していた。
五十嵐は、呆気に取られていた。愛はレモンティーの入ったカップに口をつけることなく勘定もせずに走り出したのであるのだから。
その入り口は、今終業式を終えたばかりの女子学生と、昼から勤務するバイト生入って来ようとして今ドアが開かれる。
『カラン、カラン』
入れ替わるように愛は出て行った。五十嵐は、
「愛ちゃん、お勘定!」
愛を追いかけ慌てて、喫茶店の外へと駆け出した。
「あ、マスター?何処行くんですか?」
すれ違ったバイト生は、何が起きたのかを問いただそうと五十嵐を振り返ったが、五十嵐はそれどころではなかった。
無銭飲食で、この喫茶店を出られる訳にはいかない。愛を警察に突き出すことなんてしたくなかったから。その一心で駆け出した。外は春だというのにまだ肌をさそうという冷たい風が吹いている。しかし、五十嵐はそんなこと考えている時間など無かった。
喫茶店の前の道は少し大通りとなっていて、車の往来が激しい。五十嵐の目には今、走っている愛の姿を映していた。歩道はまだ赤だと言うのに、愛はそれさえも無視して飛び出していたのである。
その反対側には一人の少年が立っていた。少し焼けた肌に、体格の良いスポーツマンらしい骨格。健康的なその身体が五十嵐の目には好感が持てた。
その少年は、愛を目にした刹那、歩道を飛び出した。その光景を見て五十嵐は、
「危ない!」
丁度左斜線を大型ダンプが突っ込んできた。そのことが目に入っていないのか、気にせず愛も飛び込んでいた。
ダンプは急ブレーキを踏むことなく突っきろうとしていた。もし今ハンドルを切って何とかこの場を防ごうとしても間に合うはずが無い。そう五十嵐は判断した。
ダンプの運転手には、この状況が目に入ってないのか!?
「うわあ〜!!!」
五十嵐は叫んだ。頭のてっぺんまで響き渡る声。それは恐怖の為に真っ白な空間を感じさせた。その瞬間、生暖かい風が吹きぬけて行った。正確には、ダンプを中心に竜巻が起こったかのような感じであった。
五十嵐は何が起こったのか分からなくて閉じていた目を見開く。
空から何かがヒラヒラと舞い落ちてくる。初めは季節外れの雪かと思ったが、
「桜の花びら?」
五十嵐は、鼻筋に滑り落ちてきたその花びらの一枚を手に取っていた。それを軽く掌の上で転がす。
こんなことしていられない……愛ちゃんは?
無事でありますようにと祈りながら歩道を見た。しかし、二人の姿はその場から消え去っていたのである。
「どう言う事なんだ?」
五十嵐は、狐につままれた気分でその光景を眺めるしか出来なかった。呆然と立ちすくむ。
『バン!』
喫茶店の方から凄まじい音が聞こえてきた。
愛ちゃんと喫茶店。どちらも大切なことであったが、事故が起きなくて済んで肩をなでおろすと、無銭飲食だろうと何だろうと、もうどうでも良くなった。
そして今までいた喫茶店に足を運んだ。