#3 愛と充弘[2]
「充っちゃん!どう言う事なのこれは?」
次の日、引越しの準備を全て終えて、愛の家に充弘と母親は挨拶に訪れた。
「ごめん。俺、引っ越すって事愛に言いづらくて黙ってた……」
愛の顔は怒りに満ちてるというより、ショックで悲しそうであった。
「映画、見に行く約束は?」
「ごめん。約束を破って……でも、愛の身体に支障が出ない時、あの広場にある桜が咲く時、必ず会いに来るから!だから……」
守れる約束?充弘は躊躇いがちに答える。
「手紙……頂戴ね?」
愛はどうしようもない悲しみに打ちのめされていた。他所の土地に馴染んでしまった充弘が、自分のことを忘れ去るのではないか、その心配。
「もちろん書くよ!だから待ってて!今度こそ約束を守るから!」
充弘は、それだけ言うと母親と共に愛の家を後にした。
「……嘘つきは嫌いだよ」
ゆっくりと閉まるドアを見詰めながら愛は囁いた。
「へー。じゃあ、その充弘君が今日ここにやって来るんだ?」
五十嵐は、その幼馴染みの子に興味をしました。こんな可愛い子を彼女に持っているなんて羨ましい限りだ。
「あの桜の幹に、子供の頃にちょっとした悪戯で小さく刻み込んでいるんですよ。約束の代わりにって、充っちゃんが……」
愛は送られてきた手紙に書かれていたことで知ったという。いつまでも大事にしまっておいた手紙。日付がそれに書かれていた。毎年この日に逢おうって。
「長距離恋愛なんだね……凄く大変じゃ無い?おじさん感心するな〜」
人は、馴染んだ土地にいつしか身を置くことになる。それが一番心地いいから。
「あ、冷めちゃうよ?レモンティー」
話に耳を傾けることで、すっかり忘れていた。いまだに愛は、紅茶のカップに手をつけていない。
「私、猫舌なんです。もう少し冷めてからのほうが良いかなと思った物ですから」
愛は微笑んでいた。
「そう?なら良いんだけど……」
出来れば、温かいうちに飲んでほしいなと思ったが、本人の意思を捻じ曲げてまで強制するつもりは無かった。
そこで、五十嵐はそんな愛に、一つの質問をした。気になるのはその少年のこと。
「じゃあ、充弘君てどんな感じの子なの?」
再び愛の話は始まった。
「また、愛をいじめてるな!お前らそれしか脳ねえのかよ!」
いじめられっこの、愛。
それを見てみぬ振りは出来なかった。それが、幼馴染みとしての義務であろうと無かろうと、充弘は黙っていられなかった。しかし、元来気が強かった愛にとっては大事には至らない。頭の良い愛の言葉は逆に独りで立ち向かうことが出来るくらいに強烈であったから。
「充っちゃん。私へ平気だよ。たかが、体育の授業に出れないからって、私をいじめようとする方がバカなんだから!」
事実、マラソン大会を休んで見学している愛は、周りの子から隔離されているかのようで、惨めな思いをしているのは本当だった。出来れば、一緒に走って、完走してみたいとさえて思ってる。それが夢だった。
普通の子と変わらない自分を追い求めても仕方がない。生まれつきの自分の体質。
だけど、この事は悟られてはならないとさえ思っていた。でも、充弘は見抜いていたのだろう。
「愛?強がってるのも良いけど、俺以外にも友達作れよな?俺が居なくなったらどうするつもりなんだ?」
転校することを、この時、充弘はもう知っていた。だから、忠告もかねてそう言いった。
「平気。充っちゃんが居ればそれで私は満足なんだもの。当たり障りのない言葉を口に出して、好かれようなんて思っても無いもの」
愛は笑顔で答える。
「そんなんじゃ、一生後悔するぞ?悪いことは言わないから、友達を作れ!」
充弘は、これだけが心配であった。残していく愛のこと。一人の友達を大事にすることは確かに大切なことだ。だけど、社会に出たら、そうは言ってはいられないから。
「良いの、私は。外で働くようなタイプじゃ無いから……私は充っちゃんのお嫁さんになれればそれで良いもの!」
充弘の顔が、ボッと赤く染まった。素直すぎる愛の言葉は、充弘の心を動かすだけの原動力を持たせた。
「それ……何でもない……」
愛の手を引いて、次の授業に導く。ずっとこうして手を繋いでいたかった。それが叶うなら。
手紙は、引っ越してから一週間後に届いた。茶封筒に真っ白な罫線のみに書かれた、質素な手紙。それは充弘らしくて愛は笑った。
愛は直ぐにその返事を書いた。相変わらず、友達が出来ないと。近くに充っちゃんがいてくれたら良いのにって書いて出した。
送られてきた手紙。近況状況が書き連ねられている。
毎週出した手紙。近況状況を書き連ねた。
それらは、ダンボールにギッシリと収まるくらいにもなっていた。しかし、ある日を境にパッタリと来なくなったのである。
それでも、愛は手紙を出し続けた。それが住所不明の手紙になって戻ってきたとしてもだ。
あの日から一度も届かなくなった手紙。いっそ九州にまで足を向けようかとさえ思った。
だけど、愛の身体が長旅に耐えられないと悟った両親は愛の意向を聞こうともしないで止めた。
どうして何も連絡をくれないの?その気持ちをおさえきれずに電話をすることに決めた。
充弘の声が聞きたかったから。