#1 不思議なお客
春休みに入る一日前。
それは、学生達の心を解放へと導く時期であった。
ここ、『カリブ』という喫茶店は、一年前建てられた。
そして今では直ぐ近くにある二葉女学院の学生たちの憩いの場所となっている。
テンポの良い軽快な有線の流れる、おしゃれなカントリー風の家具を基調とした店内は、『カリブ』のマスターである五十嵐と、バイト生の二人で成り立っていた。
今、朝の時間はそう忙しくないので、バイト生は昼から来てもらうことになっている。
それにしても学生ウケしそうな、ちょっと凝った内装は、まさに学校帰りの女学生の気をそそる喫茶店であった。
出窓に、木枠の窓ガラス。外には五本の桜の木が植えられている。今はまだ蕾ではあるが、あと一週間もすれば淡いピンク色の花を咲かせるであろう。
マスターの五十嵐は、三十前後にしてまだ若く、それにしてはダンディーな容貌が人気の一つであり、気さくで話し上手な所は女学生に好評であった。
今は、十二時前、学校が終わるにはまだ早い時間のそんな時計の針を気にしつつ、何と無しげに五十嵐はそんな帰宅の女学生を待ちわびるかのように、朝訪れたお客の洗い物をしていた。
「確か、こんな陽気のことだったな……」
何かを思い出すように五十嵐は思わず口に出していた。
不思議な少女の事。
それは、今でも鮮明に思い出せることが出来る。あんな貴重な体験を忘れれるはずが無い。泡立ったお皿を眺めながら、思い出に浸っていた。
『カラン、カラン……』
そんな思い出から目覚めるように、五十嵐は今入ってきたお客に気が付き、
「いらっしゃいませ」
お決まりの挨拶を交わす。いつもやってくる、二葉女学院の雅美と、佳子のグループであった。
「マスター!いつものお願いね!」
常連客の嗜好品はよく理解していた。
五十嵐は、いつもと変わらない日常がまた始まるのだとそう確信した。
1年前―
今のように洗い物に気を取られていた五十嵐は、一人の儚げな透き通るような白い肌に艶のある流れる黒髪。日本人形のような容貌。セーラー服の腰まであるのではないかと思われる長い髪を揺らし、潤んだ黒目がちな美少女が、自分の目の端に入ったことに気が付いた。
「あ……いらっしゃいませ」
面食らったように言葉を発した。
それもそのはず、ドアにカウベルが設置されているはずなのに、壊れているのか?鳴った記憶が無かった。
少女は、五十嵐に気をとられることも無く、足早に、入り口から三列目の出窓のある席に優雅に座った。
五十嵐は、このお客に何故か一種の一目ぼれのような感覚を覚え、お近づきになりたいなと早速、注文を取りに席に歩いていった。
「ご注文は、お決まりでしたらお申し付けくださいませ」
社交辞令のような言葉で、ハキハキと伝える。
しかし、少女は、
『何故そんなこと訊くの?』
と、不思議そうな目で五十嵐を見上げたのである。
「……それでしたら、レモンティーをお願いできるかしら?」
少女は一瞬考えるようにしてから軽く口の端を引き上げるようにして微笑んだ。まるで、初めて笑ったかのようなぎこちない笑顔であることに気が付き、五十嵐は言葉少なげに、
「ありがとうございます」
と、そそくさとカウンターへと戻る。
そして、セイロンティーを茶こし器にかけ、出来上がるのを確認する。しかし、その合間ちらちらとその少女を見ていた。
ほんのりと淡いテイストのファンタジー小説です。
短いお話ですが、何とか章に区切ってみました。
春に書いた作品なので、春らしいテイストですが、甘酸っぱいものが心に残れば幸いです。