たましいを守って 1-2
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いたたまれない正行の立ち位置は、そのまま国での正行の地位に通ずるらしい。
無論、正行はグレアム王国の人間で、立つならばグレアム王国側だが、かといって王座のとなりに立つというのもなにかおかしいし、クラリスのとなりに立って跪こうにも、主君たるアリスに跪くべきか、あるいはさらに上位のクラリスに頭を向けるべきか。
うろうろと赤絨毯の上、さまよう正行を見かねてアリスが、
「正行さま、どうぞこちらへ」
と呼ぶので、なんとか王座のそばに寄り、そのあたりに直立するでもなく、意味もなく足踏みでも。
「い、いったいなんで、クラリスさまがセントラムに?」
アリスに聞けば、クラリスはにたりと笑って、
「そなたに会いにきた、といったはずだ――というのはまあ、冗談だが」
ほっと胸を撫で下ろすのは、正行ばかりではない様子。
「無論、理由もなく大陸の北端まではるばる旅をしたのではない。諸君らに、どうしても頼みたいことがあってきた。国に関わることゆえ、雲井正行の同席を私が要求したが、邪魔をしたか?」
「邪魔ということもありませんが」
正行は頭を掻いて、
「突然のことにびっくりして――まさか、ここに皇族がやってくるとは」
「過去に決して例がないことではない。まだこのあたりにクロイツェル王国があったころ、夏の避暑にここへ皇族揃って旅をした記録もある。ここ三十年ばかりは、情勢も不安定で皇族が皇国から離れることはなかったが」
「それを押してまでセントラムへくる理由があった、ということですか」
「もちろん」
ようやく状況判断ができる程度に落ち着いた正行、眉をひそめてクラリスを窺う。
身体の線が浮き出した赤いドレスに、この北の大地では毛皮を羽織り、そこに艶やかな銀髪を流している。
その姿も目立つといえば目立つが、それよりも印象的なのが、クラリスの横に立っている少女の外見である。
正行が見たこともないような、ぱっと鮮やかな緑色の髪をしているのだ。
それを正面で分け、つるりとした額を晒し、眉は細く、瞳も黒く済んでいる、白いワンピースからは肩も露出し、よく見れば足元は裸足で、寒そうな顔ひとつ見せずに正行をじっと見つめて。
どちらかといえば上背のあるクラリスに並べば、いよいよ小柄な少女だが、緑の髪といい表情のない顔といい、一見して異様と知れる。
「アリスは、もう理由を聞いたのか」
と正行はとなりをちらり、アリスは肘掛けを使わず、王座のなかにちょこんと収まって、ゆるゆると首を振った。
「その前に正行さまをお呼びしたほうがよいかと。わたしだけで伺ってもよかったのですけれど」
「二度も同じ説明をするよりは、一度で済ませたほうが効率的であろう」
クラリスは口元に自慢げな笑みで、となりの少女をちらり、
「詳しい説明を聞く前に、この少女の話を聞いてやってくれ。そのあとで私が話そう」
軽く背中を押された少女は、赤い絨毯で一歩踏み出し、
「私はニナトールの使者である。皇国と協力関係にあるあなたたちにも救援を要請したい」
「ニナトール?」
と正行は首をかしげ、アリスがそっと、
「大陸の西に位置する国です。領土でいえば、現在でもハルシャと同等か、それ以上の広さを持っている国ですが――」
正行はうなずき、
「そのニナトールが、どうして大陸北端のグレアムに助けを?」
「ハルシャの侵攻に遭っている」
と少女はそれだけをぽつり、あとを継ごうとしないので、仕方なしにクラリスが、
「ニナトールは巨大な国だが、原則的に兵士というものを持っておらぬ。そもそも他国と交わることのない、山深い国なのだ。たとえ大陸でどのようなことが騒乱があろうと、ニナトールには影響しない、すなわち不可侵が暗黙の了解になっておるが、今回ハルシャはそれを破ってニナトールへ全面的な侵攻をかけてきた。周辺国のひとつとして、また、大陸の帰趨に責任を持つ皇国として、ハルシャの暴挙を見過ごすわけにはいかぬ。よって皇国は、ニナトール支援に動くことと決まった。そこで、諸君らに頼みがあるのだ」
クラリスは王座と正行を交互に見やり、全身に自信を湛えたその姿は、ただそれだけで美しい。
「皇国はニナトールを全面的に支援するが、いかんせん皇国の兵は限られておるし、そのすべてを投入するわけにもいかぬ。よって周辺の国々から出兵を募ることにした」
「出兵ですか」
と正行がぽつり、腕組みして、
「大陸全土から兵士を集めて、多国籍の軍隊を作るつもりか」
「そのとおりだ。そうでもしなければ、ハルシャの大群には対抗のしようもない。いまやハルシャの軍は三十万を超えておる。大陸南部の国々は、ほぼ例外なくハルシャの属国と化しておるのだ。それに対抗するには、大陸北部の国々が一丸となって当たらねばなるまい。それでも、まだハルシャ軍には遠く及ばぬ戦力にしかならぬが」
「うん、そうだろうな――」
ハルシャは命令ひとつで総動員もかけられるが、いくら皇国の指示といっても国にあるすべての兵を差し出すわけにはいかない大陸北部の諸国、できるだけ多くかき集めたところで、十万にも満たぬ数だろうとは容易に想像できる。
戦力差は三倍、それも少数の三倍ならともかく、十万と三十万では開きが大きい。
目を伏せた正行を、となりの王座、アリスが肘掛けにぐいと身体を斜めで、心配げに見つめる、その崩れた足と、白いドレスのひだがいかにも不安な雰囲気。
クラリスは背筋を伸ばし、胸を張り、堂々たる立ち姿で正行を見て、
「どうだ、なにか思いついたか?」
「へ?」
「だいたいの戦力差を想定して、それを打ち崩す策を考えておったのではないのか」
「あ、ああ――いや、考えるにしても、材料がまだ足りませんよ。どこで、どんなふうに戦うのかもわからないし。数を見ただけでは、十万と三十万じゃ多勢に無勢、負けない唯一の方法は、戦わないことだ」
「それを覆すのがそなたの役割であろう」
「覆せたとして幸運、普通は無理だと考えるべきですよ」
と正行はわずかに眉をひそめて。
「策さえあればどうにかなる、という問題でもないし――もちろん、やれというなら、考えてはみますが」
「では、そうしてくれ」
平然とクラリスは言って、アリスに目をやる。
「グレアム王国には兵士を少数、それから優秀な参謀を貸し出してほしい」
「兵は、クラリスさまがおっしゃるのであれば――」
ためらいがちにアリスはうなずいて、視線を細かく正行へ流しながら、
「でも、優秀な参謀というのは」
「無論、雲井正行のことである。彼の頭脳は兵の百にも匹敵するであろう。この苦境、ぜひ彼の力を借りたい」
「正行さまの――」
アリスは正行の横顔を見るのも、不安を隠そうともせず。
正行はすこし考えるそぶりで、ゆっくりと頭を掻いて、
「おれがそれほど役に立つとは思えませんが」
「そなたの力は、そなた自身が思うよりも強力なものだ。現にそなたが指揮をとり、負けた戦がひとつでもあったか?」
「次がその最初になるかも」
「心配無用、そなたが案を出し、私が指揮をとるのだ、数がどうあっても敗れるはずがなかろう」
「く、クラリスさまが指揮をとるんですか」
「皇国の名のもとに集った軍勢だ。皇族が指揮をとるほかなかろう。まさか父上や弟にやれとは言えぬし、なれば私が指揮をとるしかあるまい。手を貸してくれるだろうな」
断られるなど微塵も思っていないようなクラリスの素振り、正行はいよいよ困りきって、すがるようにアリスをちらり。
アリスもまた同様に、どうするべきかと正行を見ていて、視線がかち合うが、結論は出ぬまま、ともかく正行は顔を上げて、
「すこし、考えさせてくれませんか。兵の準備もあるし」
「ニナトールはいまもハルシャの攻撃に晒されているのだ。われわれは一度皇国に集結し、その後ニナトールへ向かわなければならぬ。それに何ヶ月かかかるか。いまや一刻の猶予もないのだ」
直立したまま、ぐいと正行を睨みつけるクラリスの気迫著しく、正行はたじたじに後ずさって、
「それはそうかもしれませんが、おれもこの国の一員だ。独断で動くわけには」
「そなたのとなりに女王がいるではないか。その許可を、いま取りつければよかろう」
といつの間にか、正行自身は城を空ける方向で考えているという立場になってしまって、ちらとアリスを見る。
アリスもどうしたものかという顔、クラリスと正行の顔を交互に見やって、
「それは、その、クラリスさまがおっしゃるのであれば、グレアム王国としてはよろこんで出兵いたしますが」
「では、雲井正行もしばらく借りてゆく。半年やそこらで戻ってこられるであろうし、可能なかぎりは安全も守ろう。正行、そなたも長旅に備えて準備をしておくのだぞ」
「は、はあ――」
くるりと踵を返したクラリスの背中は、どことなく上機嫌で。
揺れる赤い裳裾も優雅で、白いくるぶしがちらと見えて、クラリスは王の間を出ていく。
いっしょにやってきたはずの少女、白いワンピースを着ているほうは、それについていくかと思いきや、そのままじっと王座のほうを見上げたまま、動こうとしない。
正行がためらいがちに、
「どうかしたのか?」
と声をかければ、少女は声に導かれ、正行のほうをぐるりと見て、
「用件はない」
それならクラリスを追って出ていくもよし、いつまでも王座を見ている理由もないはずだが、少女はその場を動こうともせず、まるで根を張った植物のようで。
ニナトールからの使者というけど、と正行は少女をぼんやり眺めつつ、ずいぶんと妙な使者だな、若い女で、それも裸足とは。
「これでよかったのでしょうか、正行さま」
とアリス、王座のなかで正行にぐいと見を近づけて、
「もうすこし熟考してからお答え申し上げたほうがよかったのでは」
「ううむ、おれもちょっと気圧されて、判断を誤った気がするな」
正行は曖昧な表情で頭を掻く。
「判断を先延ばしにしても、皇国からの申し出を、断ることはむずかしいと思いますけど――」
「でも、国にとって重要な決定だ。せめて会議にかけるべきだった」
これが絶対君主であるなら、決定したの一声で済むのだろうが、と正行は心中つぶやき、それからため息。
「そもそも、おれが行ったところで大して役には立たないと思うんだよな――あのひとは、おれのことを過大評価しすぎなんだよ。もちろん、本人には言えないけど」
正行は少女の存在を気にしながら、
「ともかく会議を開こう。事後報告にはなるけど、できるだけ速く全員に伝えたほうがいい」
「そうですね」
とうなずくアリスは、出兵の行方とは別に、どうやら不安に思うことがあるらしいが、言葉にはできぬままに。
御前会議というべきだが、場所というのが城の地下、もと牢獄の、いまは火薬実験室となっている薄暗く湿った部屋で。
というのも、王の間で会議を開こうにも例の少女がその場を立ち去ろうとはせず、かといってアリスや正行が部屋を離れてもなんとも思わない顔、じっと王座のほうを見つめて立ち尽くしているのだ。
それならほかの部屋で、集まれるならどこでもよいが、という話、結局はそれが地下に落ち着いて。
集まった顔を見回せば、このような場所にはふさわしくないドレス姿のアリス、黒髪を左右へ流し、肩に乗ってゆったりと流れている。
ドレスは簡略式、コルセットもなく、腰がきゅうと引き締まっているが、胸は開きすぎず、光沢のあるなめらかな生地、手には長手袋で、裳裾はあまり広がらず、ただわずかに花びらのような広がり癖をつけている。
そのとなりには、いつものようにズボンとシャツの正行、ロベルトにアントン、コジモと並び、ほかにも老齢の臣下がちらほらと。
地下室のなか、椅子だけがずらりと並べられて、アリスとほかの臣下たちが対峙する位置関係である。
ともかく、皇国からの命令であるという説明はすでになされて、ロベルトは腕組みし、アントンは額に浮かんだ汗を拭き拭き、コジモは椅子に深く腰掛けて眉根を寄せる。
「ニナトールは、元来他国との交渉を持たぬ国、たしかに不可侵という暗黙の了解はございますが、それを犯したからといって出兵するというのは」
アントンはため息混じりに呟いて、
「戦争、戦争はよいですが、内政を思うなら、あまり遠征は好ましくありませぬ。可能であればお断り申し上げたいところでございますな」
「しかし皇国の命令とあっては、理由もなく断るわけにはいきませぬ」
とロベルト、渋い顔つきである。
「出兵は、仕方ないことでしょうな。いまわが国には八千の兵がいる。二千程度の兵であれば、出兵してもなんとかなりましょう。城や国境線の警備は、普段は農民や一市民として生活している兵士たちでなんとかなる。セントラム王国時代の、職業傭兵たちを連れて行くとよいでしょう。彼らは戦いの専門家であり、利害が反転しないかぎり裏切ることはない。その点、同じ傭兵でもアルフォンヌが引き連れていた軍勢は、忠義という意味で疑問が残ります。現段階ではるか西の端まで遠征に連れていくには、いささか不向きかと」
「しかし一、二ヶ月のことではない、長引けば半年とかかる。まだ付近の情勢も安定とは言いきれぬなか、二千もの軍勢を遠征させてもよいものですかな」
「よいか悪いかというのは、言ってみれば問題ではありませぬ。なんにせよ皇国の命令に逆らうことなどできやしないのです。兵を出せというなら、無論よろこんで差し出すしか」
「問題は、だれが二千の兵を引き連れていくか、ということではありませぬか」
コジモが言うのに、全員がうつむき、そのなかで正行が口を開く。
「兵を率いていくというなら、ロベルト以上に適任はない。ただ、皇国へ寄ってニナトールへ、そこでハルシャと戦って帰ってくるという行程のあいだ、ロベルトが城を留守にし続けるわけにはいかないだろうな」
それはだれもが理解している、いまのこの国、この城にはロベルトが必要なのだ。
グレアム王国は、もとはといえば五百に満たぬ少数の兵力しか持っていなかった国、それが一年と半年あまりで八千の軍勢を抱える国となっている。
無論、五百の兵を維持するのと、八千の兵を維持するのとでは負担もちがう、金銭的な食料的な部分でそれを管理しているのがアントンなら、ロベルトは直接に兵をまとめあげ、さまざまな国や傭兵の寄せ集めから、グレアム王国の兵士を作り上げる役割を担っているのである。
これを欠いては烏合の衆、動くにも足並みが揃わず、内輪揉めを収めている間に取り返しがつかぬ危機ということになりかねない。
ロベルトがその場にいて、その巨躯でもって兵士たちを見下ろしているからこそ、彼らはグレアム王国の兵士となる。
無論、アントンが半年ものあいだ城を空けるわけにもいくまいが、そもそも文官の身であり、コジモもまた同じ立場、残るはひとりで。
「やっぱり、おれが連れていくしかないか」
正行がちいさく息をつきながら言えば、アントンがぐいと顔を上げて、
「私はそのことについても疑問だ。出兵にしても、正行殿の遠征参加にしても、グレアム王国の状況に大きく関わるものでありましょう。それをその場で決してしまうとは。われわれの意見など聞くまでもないということですかな」
眦を決して、アントンは頬をわずかに紅潮させる。
その怒りはもっともだと正行はうなずき、
「会議へかける前に決めてしまったことは本当に申し訳ない。たしかに全員の意見を聞いた上で決めるべきことでした」
「まあ、全員で決めてもどうせ同じ結論だろうがな」
ぽつりと言ったロベルトをアントンが鋭く睨んで、
「結論は、この際問題ではない。国の意思決定が問題だと言っておるのだ。無論最終的にはアリスさまがご決定なさることだが、正行殿はいささか大きな影響力を持ちすぎているのではありませぬか」
これには正行も眉をひそめて、
「会議を開かなかったのはおれの過ちですが、それとこれとは別の問題でしょう。それに、おれが影響力を持っているとして、それをおれが好き放題に使っているとでも?」
「自覚しているかどうかはわからんがね」
とアントンは鼻を鳴らして、
「国というのは、王以上に権力を持つものがあってはならん。そんな国はすぐさま崩壊するであろうし、またそんなものはすでに国としての体裁を保っておらん。このあたりで主従関係をはっきりなされたほうがよいのではありませぬか。はじめのうちは、正行殿も異邦人であり、言葉遣いもおぼつかなかったが、一年も経てばすっかりグレアム王国の一員、いつまでも女王に対して友だちのような態度では他に示しがつかぬ。ましてや、正行殿は兵士や市民のあいだで智将と名高く、周辺の国々まで名は轟いております。そのような存在は兵士の見本とならなければなりませぬ。だれよりも国に尽くし、国のためだけに働くのでは」
「おれが、兵士に悪影響を与えていると」
「与えかねん、ということですな」
正行とアントンは身を乗り出し、半ばにらみ合うような鋭い視線、これはまずいとロベルトが割って入り、
「そう熱くなりなさんな。アントン殿の言うことにも一理あるが、正行殿に気楽に接してほしいというのはアリスさまのほうから言い出したこと、兵への影響にしても、正行殿を見習うべきところはあっても、反面教師にはほど遠い」
「いや、たしかにおれが悪かった」
言葉ではそう言いながら、正行はぷいと視線を逸らして、
「アリスへ――女王さまへの態度は、考えます。しかしおれが権力を乱用しているというのはうなずけない。おれはできるだけ国がよくなるようにと思って動いているつもりです。至らないところも多いはずだけど、権力だけを求めているようにいわれるのは心外だ」
「ともかく、いまの議題は出兵ではないのかね」
コジモが言うのにロベルトも同意して、
「内輪争いをしてる場合じゃない。出兵は、やるしかないようですな。それが皇国の望みとあれば。すぐに出兵できる人間を見繕いましょう。それでよいですか、アリスさま」
アリスはアントンと正行を交互に見て、深くうなずいた。
「そうしてください。どうかみなさま――遠く離れていても、心をひとつに。このようなことで国が分裂してしまっては、亡きお父さまに顔向けできません」
がたんと椅子を鳴らし、アントンが立ち上がる。
そのまま荒々しい足取り、階段を登っていくのを見送って、ロベルトは正行の肩をぽんと叩いた。
「まあ、あんまり気にすんなよ。ひとの上に立つ、ひとに見られるってのは、思いもよらねえところで不評を買ったりするもんだ」
「思いもよらないってわけでもないけどさ」
正行はどことなく拗ねたような顔、ロベルトは苦笑いしてその場を立ち去る。
ほかの臣下も、見てはいけないものを見てしまったような顔つき、正行をちらちらと盗み見ながら地下室を去っていって、最後にはコジモも椅子を引いて、
「なかなか、国というのも堅苦しいものだの」
と独り言かなにか、ぽつりと残して地下室を去っていった。
残されたのは正行とアリスで、アリスはうつむき、
「すみません、正行さま――わたしのわがままで、あんなふうになってしまって」
「いや、アリスが気にすることでもないよ。結局、アントンさんも嫌がらせで言ってるわけじゃない、外からはそう見えてるってことを教えてくれただけなんだ。それはおれも気をつけないとな」
と正行が席を立てば、アリスも慌てて立ち上がり、
「あ、あの、正行さま」
「ふたりきりのときはいままでどおりだけど、他人がいるところでは、おれたちもちゃんと女王と臣下になったほうがいいみたいだな」
正行はアリスをちらと振り返り、慇懃な、気取った仕草で頭を下げて、
「お先にどうぞ、女王さま」
導かれた階段で、アリスは不機嫌そうな顔、正行はアリスの裳裾が揺れるのを眺めながら、地上へ浮上する。
外の廊下に上がった時点で、すでに人目があったから、正行はアリスから適度に距離をとり、会話もなく進む。
アリスのほうでも正行に寄っていくことはないが、なんとなく不満げ、そこに侍女であるクレアがとことこと寄ってくれば、下のやり取りを知らないから、不思議そうに首をかしげる。
「どうかなさったのですか、アリスさま」
「別に、なんでもないわ」
しかし視線は正直で、つい正行のほうへ向かってしまうのをクレアも見てとって、こそこそと正行に近づけば、
「アリスさま、なにかあったんでしょうか」
「別になにがあったってわけでもないけど、まあ、ちょっとな」
と正行も苦笑い、クレアはただ首をかしげるばかり。




