たましいを守って 1-1
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あっという間に春がすぎ、あっという間に夏がくる、その夏もどうやら終わりに差し掛かっているようで、心も忙しいが、季節のほうも存外に急いでいるらしい。
時間が早くすぎるのは、常に仕事を抱えているせいだ、とコジモは思い、あるいは生まれてから死ぬまで仕事を抱えていない人間などいるのだろうかとつい哲学ぐせで。
子どものころは毎日を乗り越えてゆくのに必死だ。
朝に目を覚まし、再び夜に眠るまで、たとえばほかの子どもとの縄張り争いや仲間を作るということの重大性を学び、向かい風の厳しさを知って、それでもなんとか夜空に煌々と輝く満月を目指す。
ときには木も根こそぎ掘り返すような強風や、町を海のように沈めてしまう豪雨、荒れ狂う天地に肺腑の底まで響く雷鳴も起ころうが、そのなかで立っていられなければい来てはいけないのだと知り、木にしがみつき、大地にひれ伏してなんとか嵐がすぎるのを待つ、そうしているうちに子ども時代は過ぎ去って、気づけば壮年、この年なのだとコジモ、生きることの無常さを痛感する。
それが人間の一生というもの、しかし悪くはない、一度は生涯の放浪を覚悟したのが、再びこの立派な城に戻り、雨露をしのげる一室で暮らしているのだ。
なにが起こるかわからぬが、なにが起こっても生きていくという覚悟さえあれば、様々起こる人生も悪くはない。
コジモはセントラム城のなかをゆく。
すっかり秋の気配を感じさせる、よく晴れているが肌寒い朝である。
石造りのセントラム城はどこにいてもひんやりと冷たく、とくに海側ではそれが顕著で、ぐるりと表に回ってくればいくらか暖かいのも、日差しが当たる広場ではのんびり過ごすのにちょうどよい。
コジモは紺色のローブに、フードを後ろへ流して、ひとりきり、城のなかをてくてくと歩き回っているが、王の間につながる巨大な廊下で、ふとアントンと出くわした。
コジモが手持ちぶさたでさまよっているなら、向こうもどうやら同じ様子、コジモはアントンという陰気な文官がきらいではなかったから、連れ立って、
「すっかり秋めいてきましたな」
などと世間話の切り口で。
アントンも、いつもどおりむっつりと唇を閉ざして怏々たる態度ではあるものの、ちいさくうなずく。
「また厳しい冬がやってきますな。このあたりの冬は、とくに厳しい。去年はそれを思い知らされましたよ」
「ほう、わしが人魚の島におったころですな」
あの場所は暖かくて楽園のようだったな、とコジモ、
「食料や積雪への対策は、われわれよりもここで暮らす市民がよく知っておるでしょう。われわれは彼らの手助けをすればよい。代々受け継がれる生活の知恵というのは、ときに一代の天才をしのぐ発想を秘めておりますからな」
「私は生まれも南方なものでね、雪は苦手ですよ」
「なに、数年も暮らせば身体のほうが先に慣れましょう。同じく南方で生まれ、長くこの地に暮らしたわしが言うのです、間違いありますまい」
アントンもわずかに笑い、ふたりは大通路からその脇の狭い廊下へ。
ちらと背後を振り返るアントンの横顔はすこし憂えて、
「あの通路に、何千、何万という人間が押しかけ、だれが足を踏んだの、だれが迷子になったのと叫んでいた戴冠式からそろそろ一年とは。時間の流れというのは私が思う以上に早いようですな」
「ううむ、ちょうどわしもそう思っておったところですよ」
とローブ姿の、年はアントンのほうがいくらか若いが、壮年ふたり、蝋燭の炎揺らめくなかをぽつりぽつりと、言葉も途切れがちに。
「つまり、グレアム王の死去から、一年経ったということだ」
アントンはため息を隠そうともせず、コジモは足元に視線を落としながら、
「グレアム王は、アリスさまでしょう。この一年、いろいろあったが、立派にやっているように思われますがな」
「たしかにいろいろあった一年ではありましたが、それよりも波乱に富んだ三十年を、かつてのグレアム王とともに過ごしてきたのですよ。アリスさまもご立派にやってらっしゃる。しかしそれよりもやはりグレアム王の勇姿をたくさん見てきたのでね」
「それも世代かもしれませんな。これからの子どもたち、あるいは若者たちは、アリスさまのそうした姿を見て育つ」
「どうですかな。グレアム王とアリスさまでは、いくつもの点で異なる。グレアムさまはそもそも兵士であり、戦では常に先頭で兵士たちを鼓舞し、ときには周囲の制止を振りきって自ら戦線に立つほどで。グレアムさまは、男の見本となるような方だった。無論、アリスさまに同じような振る舞いを求めておるわけでもないが、しかしいまのままでは、だれの国なのかわかったものではない。グレアム王国とは、果たしてだれの国か。亡きグレアムさまの国か、アリスさまの国か、それとも――正行殿の国か」
コジモが顔を上げるのに、アントンはゆるゆると首を振って、
「誤解されては困るが、なにも私は正行殿に国を乗っ取る野心があるとか、牛耳るつもりでいるとか、そんなことを指摘するわけではないのです。城の人間たちがうわさするよう、たしかに私はロベルト殿や貴殿に比べて正行殿と仲がよいわけではない。彼がグレアム王国に現れたときは、得体のしれぬ若者だと感じて排斥すら考えたが、いまではそんなこともない。いまのグレアム王国にとって正行殿はなくてはならぬ戦力、それは理解しておりますが、どうも正行殿に依存する割合が高すぎる」
「たしかにそうかもしれませんな。だれもかれも、なにかあれば正行殿のところへ持ってゆく。正行殿もひとがいいものだから、頼まれればほとんどは断らぬ。結果として戦からなにから正行殿頼みになってしまう。広い目で見れば、それがグレアム王国のためといえるかどうか、というところですな」
うなずくアントン、ふたりは狭い通路を抜けて回廊へ。
明るく開けた回廊の、ぐるりと囲んだ中庭では、ちょうど兵士たちが一休みしているところ。
芝生の上に寝そべったり、鎧を脱いで談笑したり、いまではグレアム王国の兵士も旧セントラム王国の傭兵たちも、ほとんど区別なく笑い合っている。
それを横目でちらり、ふたりは進んで、
「まあしかし、依存というなら無理はないかもしれんと思うのです」
アントンはローブの袖に手を入れて腕組み。
「かつてのグレアム王国は、グレアムさまという巨大な支柱によって支えられていた。それが唯一、国を維持するために必要なものだったのです。それが失われ、本来であればグレアム王国は国力を弱め、領地をさらに減らすところだが、入れ替わりに現れた正行殿のおかげでむしろ充実した国力を得て、大陸でも五本の指に入る領地を獲得できた。いまや正行殿はグレアムさまの代わりに等しい。それが、あの若者でよいのか、という疑念があることは隠しても仕方ない。あなたはどう思われます、コジモ殿」
「ううむ、むずかしい問題ではあるでしょうな」
とコジモはあごひげをしごき、眉をひそめて、
「失われたひとを惜しむのは、昨日降った雨を地中に求めるようなもの。わしは直接グレアム王を見たこともないが、おうわさは聞いております。晩年は病に臥せり、ご苦労なされたのだろうが、しかしご立派な方だったのでしょうな。それに大陸一の大学者であられたベンノ殿が亡くなられたのも惜しい。かつてグレアム王国を支えていたふたつの要素がまとめて失われてしまったわけですな。無論、ひとびとはその代わりを求めましょう。グレアム王の勇気と威厳、ベンノ殿の知を正行殿ひとりに求めるのは、いささか荷が勝ちすぎる。しかしその点、わしは心配いらぬのではないかとも思うのですよ」
「ほう、それはどうして?」
「正行殿は、ひとりではない。アリスさまもいらっしゃれば、ロベルト殿も脇を固めておるし、アントン殿も複雑な内政において彼を支えておりましょう。ひとりひとりを抜き出せば、グレアム王やベンノ殿には匹敵せぬ者かもしれぬが、全体として見るならば決してグレアム王国は衰退しておらん、わしにはそう思われるのです」
「ふむ――そのようにばらけた国が、一丸となれますかな」
「役割はちがっても、全員の目的が同じであればさしてむずかしいことではない。国のためと思うならば」
「なるほど、それはそうかもしれませんな」
アントンは珍しく陰気のない笑みで。
「グレアム王国のためを思うなら、手法はちがっても行き着くところは同じ、人柄云々はともかくとして、その一点だけでつながり合っておればよいのでしょうな」
「その点、この国に疑念はありますまい。アリスさまも、正行殿も、アントン殿も、みなグレアム王国をよりよくしようと動いておるのですからの」
「うむ――だからこそ、ぶつかり合うこともあるが」
アントンはふと立ち止まり、それが回廊をぐるりと一周したところ、もとの扉へ戻るコジモの背中に、
「正行殿によろしくと」
「む、預かりました」
そのまま回廊を出たコジモは、また薄暗い廊下、ひとりで歩きながら、すれ違った兵士に正行の所在を聞けば、どうもロベルトやほか数人の鍛冶屋とともに地下へ潜っているという話、理由はわからないが、すこし前からよくそうしているのだと兵士も不思議顔。
「ロベルト殿はともかく、鍛冶屋を呼んでいるとは、なにか新しい武器の製造でもしておるのかの」
そのまま地下へ向けてこつこつと、道中に思い出すのはやはりアントンのことで。
陽気でひとと交わることを好むロベルトに対し、アントンはやはり陰気、それにあまり他人と慣れ合うのを好まぬ性格で、あらぬうわさを立てられることもあるが、それにしても国を思いよくやっている、アントンこそ真の忠臣と思うコジモである。
だが、とあごひげを撫でて、過渡期にあるグレアム王国にあっては、昔を重んじ、いまも忠をそこに置くアントンのような人間は多少浮いて見えるのかもしれぬ。
グレアム王国は首都をセントラム城に定め、王も変わり、国民も体制も大きく変わろうとしている。
それは大陸全体を飲み込んでいるハルシャの侵攻と、それによる戦火の伝播によって変わらざるを得なかったものであり、ひとびとは新たな活気に満ちている、そこにあってアントンのような男は時機にそぐわぬものなのかもしれぬが――しかしそう考えれば、正行殿ほど時勢に合った存在もないだろうと、コジモは改めて感心して。
グレアム王が病に倒れ、グレアム王国に新たな支柱が必要な時期にこの大陸へやってきて、瞬く間にグレアム王国をかつての小国の何倍にも巨大化させたのが、まだ若い異邦人なのだ。
いまや世間では、雲井正行の名はちょっとした伝説のように語られている。
無論、それは本人の知ったことではないであろうし、本人の望んだことでもないだろうが、周囲が放っておけないものが、どうやら正行にはあるらしい。
アントンと正行、正反対のふたりだが、どちらも国のために尽力している、そのふたりが反目し合うようなことにならなければよいが。
コジモは地下への階段を、とんとんと踵を鳴らして降りてゆく。
近ごろ、正行が昼夜問わず通っている地下室というのは、かつて牢獄として使われていた、強固さだけが取り柄の広い部屋で。
大きな石を積み上げ、その隙間を細かい砂で固めた壁、床にはかつて鉄格子がはまっていた深い穴がいまも空いている。
そこに木製の机を置き、ずらりと揃えられたすり鉢や木炭、砂や硝石など、それをごりごりとすり潰し、混ぜあわせているのが筋骨隆々たる鍛冶屋の男たちでなければ、魔女の実験室にも見えるところ。
正行はその男たちの後ろで腕組み、となりにはロベルトも立っていて、
「なかなか時間がかかるもんだな。実際にできるもんなのかい?」
「技術的には、充分可能だと思うんだけどな」
と正行にも確信はない様子で。
「おれが昔いた世界で、見たことあるんだ。だから実現不可能ってことはないんだけど、このやり方で合ってるのかどうかはよくわからなくてさ。前にベンノのじいさんとも話してたんだけど、結局結論は出ないままだったし――前の世界で、もっといろいろ調べてりゃよかったな」
まさか将来自分が異世界へ行くことになるとは思ってなかったもんな、と正行は心中ひとりごちて、机の端に置かれたものをひょいと取り上げる。
白い手のひらにずっしりと沈む、黒金の銃である。
銃身が長く、引き金は対照的にちいさく浅い。
まだ鋳造されて間もないような、艶やかに輝くのはいかにも男性的だが、ひんやりとした肌触りはむしろ女性的、正行は銃身を指先で撫でながら、
「おれの記憶にある火縄銃とも、普通の拳銃ともちがうんだよな。だからうまくいくって保証はないんだけど」
「そもそも、これがどれほどの威力を発揮するのか、おれにはわからねえな」
ロベルトはむんと腕組み、正行の持つ銃を見下ろして、
「こんなもんで撃つより、斬ったほうがいくらか早いぜ」
「近距離じゃ、そうだろうけどさ」
と正行は銃身をぺしぺしと手のひらに打ちつけ、
「おれとロベルトが剣で斬り合っても、まず間違いなくおれが負けるだろ。でもおれがこの銃を持って、ロベルトの間合いの外から狙うとする、そしたらおれにも勝つ可能性が出てくる。そういう、ちょっとした可能性を生むためのもんだよ」
「ふむ、たしかに正行殿は剣よりこういうもんに頼ったほうがいいのかもしれねえな」
「どうせ剣は上達しないよ」
と拗ねたように言うのに、ロベルトはけらけらと笑って、
「なに、そういう意味じゃねえよ。正行殿には死んでもらっちゃ困るからな。戦場に出ても、できるだけ奥にいて生き残ってもらわねえと」
「だれだってそうさ。死んでもらっていい人間なんかいない。だれかひとりでも死んだら、その分だけ戦力が減るんだから」
「戦力ね」
ロベルトがぽつりとつぶやいたとき、階段を降りてくる足音がこつこつ。
太い腕に汗の粒を浮かべて鉱物をすり潰している男たちも手を止め、視線を一身に集めて地下室へ入ってきたのは紺色のローブ、コジモはおやという顔で、
「この地下室は、もう長いあいだ使われていないと思っていたが、知らぬうちになにかの工場になっていたとはの」
「危険な実験工場だから、地下に作ってるんだ」
正行はコジモに向かってひょいと銃を投げ、慌てて受け取ったコジモは、ずっしりとしたのを腕で抱え、しげしげと眺めれば、やはり学者らしい目つき。
手のなかでくるくるとひっくり返し、銃口を目に当てて覗きこんだり、浅い引き金をかちかちと引いたり。
「まだ外見しか完成してなくてよかったなあ」
と正行は笑って、
「もし弾が入ってたら、コジモさんもいまごろまっすぐ立ってないぜ」
「ほう。どういう道具なのかね、これは」
「銃という、ひとを殺すための道具らしい」
ロベルトは腕組みで、
「その筒の先端から鉛玉が飛び出して、人間を撃ち抜くそうだ。まだ試作段階で、火薬の調整に難航してるんだけどな」
「銃か。しかしこの筒から飛び出す程度なら、鉛玉がちいさすぎるのではないか。これでひとが殺せるものかの」
「おれがいた世界では、それがいちばん人間を殺してたんだよ。剣みたいに、当たれば大怪我ってわけにはいかないけど、遠距離からうまく狙えば人間でも一撃で殺せるんだ。もちろん、練習は必要だけど」
正行はコジモから銃を受け取り、くるくると手のなかで回しながら、
「ほんとはこういうものを持ち込むべきじゃないんだろうな」
とひとりごちるのは、異邦人として、この世界に存在しない技術を持ち込み、世界を変えてしまうことにいくらか抵抗があるせいで。
とくに銃のようなものは、完成し、ある程度製造が安定すれば、大陸中に広まって戦いの形を変えるにちがいない。
剣と剣のぶつかり合い、つばぜり合いでにらみ合い、激しく打ち合えば語らずとも相手の心や強さがわかるような、騎士的な戦いからは縁遠い、両者ともに相手の顔色も見えぬ位置から撃ち合う、文字どおりの殺し合いになるのだ。
技術の流出を食い止めることには限界があるし、なによりこの世界に生きるひとびとに、こうした形状の武器があるのだと知らせることになる、それは近い将来にほかの国でも製造させることを意味するだろうし、なにより正行は、たとえ銃であっても、自分がひとを殺せるかどうかわからぬまま、いまも苦悩している。
兵を率いて、何百、何千と殺してきたのに、いまだ自分の手ではひとりも殺したことのない正行、その手がいつまでも白くやわなのを、いちばん気にしているのは彼自身で。
どれだけ剣を振り、どれだけ大陸中を駆けまわっても、いつまでも手の皮はやわらかいまま、夕食の席で偶然手が触れた城の女中に、女の子の手みたいですね、といわれる始末。
なるほど、その女中の手と比べれば、普段から炊事仕事をしている女中より、正行の手のほうがよっぽどやわらかく、つるりとしているのである。
剣でひとを殺すことは、自分には不可能であろうと、いつまで経っても変わらぬ剣の重たさや扱いづらさに痛感する正行、それならとわずかな記憶を頼りに銃の開発をはじめてみたはよいものの。
「この世界に、もう火薬があったっていうのは幸運だったなあ。おれの知識だけじゃ火薬なんか作れっこないし、実験も危険だろうし」
「正行殿がいた世界では、火薬は一般的ではなかったのかね」
とコジモ、やはり学者らしい好奇心に瞳がきらきら。
「火薬そのものは、あんまり見かけなかったな。でもその技術は至るところにあったと思う。そんなこと考えて生きてなかったから、わからなかったけど――すくなくともこっちみたいに、石を爆発で削りだす以外の用途でも使われてたよ」
正行は銃身を撫でさすり、いつまでも冷たく手になじまないことに、ほんのすこし安堵した顔で。
「正行殿、新しく調合し直したものができたぜ」
と普段は石場で切り出しをやっている、こんがりと日に焼けた屈強な男が顔を上げ、正行はうなずく。
「実験をやってみよう。分量を細かく書き留めて、やってみようか。コジモさんも、できるだけ離れたほうがいいよ。巻き込まれるほどの規模じゃないけど」
調合した火薬を部屋の片隅に、短い枯れ草を導線に、火を灯すと同時に慌てて逃げ出す。
火薬の扱いには慣れている男たちは遠巻きに、ロベルトやコジモ、正行は半ば地上へ続く階段から顔だけ出すような体勢。
導線がじじと燃え、あっという間に短くなって、黒い燃え残りが一筋になるのも切ないが、炎の一旦がちいさく盛られた火薬に触れた瞬間、洋服をはたいたような軽い音、四方八方に火薬が飛び散るのを、男たちが腕で防ぐ。
音と爆発はあまり大したこともないが、それが手のなかで起こる、と考えればすこし怖ろしいものもあり。
正行は恐る恐る地下室に戻って、
「このくらいの規模が最小か?」
「もっとすくない量でもできるが、もう爆発とはいえない規模になるぜ。これでもすくなすぎるくらいさ。正行殿が言う銃ってのは、爆風で鉛玉を飛ばすんだろ? いまの規模じゃ飛び出しはするが、当たったところで多少痛いってくらいで、貫通まではほど遠いと思うがな」
「でも、これ以上爆発の規模を大きくして、銃のほうが保つかな?」
「さあ、そいつはやってみなきゃわからねえが」
「ううむ、バランスがむずかしいな」
腕組みする正行に、ロベルトはぽんと肩を叩いて、
「諦めて剣の鍛錬をしたほうがいいぜ、正行殿。なんならおれが直接稽古つけてやるからよ」
「そ、それが怖いんだよ。ロベルトに稽古なんかつけてもらったら、うまくなる前に死んじゃうだろ」
「死なねえ程度にやってやるさ」
「いや、力の強弱に関してロベルトは信用できない。このあいだ、また杯を割ったろ? しかも怒られると思って庭に埋めてただろ。あれ、もうばれてるぞ」
「げっ、なんで」
「おれがばらした」
「なにをう。やっぱり、稽古をつけてやる。覚悟しておけよ」
「や、やだよ、八つ当たりはやめろよ」
「八つ当たりじゃねえさ。軍師として、剣のひとつくらい使えねえとさまになんねえだろう」
ぐいと正行の腕を引くロベルト、身長差で、ずるずると引きずられていく正行を、コジモとほかの男たちが苦笑いで。
「や、やめろったら! 軍師の権限でクビにするぞ!」
「はっはっは、やってみろやってみろ。おれを敵に回して無事に済むと思うなよ」
「ぐぬぬ、冗談じゃないところがひどい」
と地下室を引かれる正行だが、そこへ兵士がひとり、階段を駆け下りてきて正行を見つけるや否や、
「正行さま、アリス女王がお呼びです。至急王の間へ」
「ほ、ほら、アリスが呼んでるってさ!」
「ちぇ、仕方ねえな」
正行はするりとロベルトの腕を抜け、呼びにきた兵士の背中をとんとんとやって、
「助かった。危なく命を失うところだった」
「い、命を? いったいどれほど危険な実験をなさっておいでなのです?」
「実験もまあ危険なんだけど、それより危険なものが世の中にはいっぱいあってな」
地下から地上へ、といっても光の差し込まぬ、暗く湿った階段だが、兵士とふたり足音を響かせて上がれば、そのまま王の間へ向かって歩き出し、
「ところで、アリスの呼び出しってなんだろう?」
「さあ。大事な客がいるとは聞いておりますが」
「客? だれかな――ロゼッタでも遊びにきたのかな?」
それならこの服でもいいか、と多少火薬で汚れた身体、裾に鼻を近づければ、わずかに硝煙の匂い。
細い通路から、城門から王の間までまっすぐ伸びる太い通路、ここには外からの日差しが差し込むので、正行は久々の陽光に目を細めた、これじゃまるで後ろ暗い地下暮らしみたいだな、いまは似たようなものだけど。
通路には常に赤絨毯、埃ひとつないように、女中が一日に何度も清掃している。
いまも通路の端で何人かの女中、濡れた雑巾でせっせと壁を拭いているのに、正行が近づけばちらと振り返り、
「あら、正行さま、どちらへ?」
「アリスがお呼びなんだってさ。とりあえず行ってくるよ」
「そのご格好で?」
と女中がくすくす笑うのに、正行も自分の身体を見下ろして、
「やっぱり、着替えたほうがいいかな?」
「まあ、気心の知れた女王さまなら結構ですけれど。本来なら、もっときれいなご衣装をまとうべきでしょうね。正行さまはお国の重鎮なのですから、見栄えも大切ですわ」
「ううむ、あごひげでも生やしてみるか。コジモさんみたいに」
「あそこまで伸ばせとは言いませんけれど――ちょっと、そこに立っていてください」
女中がぱっと正行を取り囲めば、服のあちこちについた黒い煤を手で払い落とす、その真ん中にぼんやり立っている正行は、暴風雨に痩せた身体を晒す冬の落葉樹のようでもあり、なんとなく気恥ずかしそうなのが、親に服装を整えられる子どものようでもあり、女中のほとんどは正行の母親ほどの年ごろだから、後者のほうが印象としては強いが。
「はい、これですこしは見栄えもよくなったでしょう」
最後には背中をぱんと叩かれて、前のめりに痛そうで。
女中たちは力強く笑って、
「あんまり情けなくしていると、女王さまに愛想をつかされてしまいますよ。あんなおきれいな方、ただでさえ引く手数多なんですから、しっかり捕まえておかないと」
「しっかりねえ……まあ、がんばるよ。そっちも仕事の続きがんばって」
正行は兵士のもとに戻り、
「お待たせ」
と一言、王の間へ続く階段を登りながら、兵士がぽつり、
「女というのは、強いですなあ」
「男もそうありたいもんだけどな」
磨きぬかれた大理石、つるつると滑る階段を一段飛ばして登って、王の間の前、呼びにきた兵士とはそこで別れ、代わりに王の間の扉を守る兵士ふたりが敬礼して、
「正行さま、なかでアリスさまがお待ちでございます」
「ん、ご苦労さん」
気持ち、襟を正した正行、兵士が開けた大きな扉をくぐってなかへ入れば、そこは広々とした空間で。
天井はぐんと高く、半円に丸くなって、赤い絨毯はそのまま王座まで続く。
城を占領した直後にあった金銀財宝のたぐいはすべて宝物庫へ入れられ、いまは赤い天鵞絨の王座があるほかはなにもない、ただひたすらに広いだけの空間になっている。
左右にはずらりと窓、東向きの窓から等間隔に差し込んだ白い光が地面を照らし、鏡面に似る大理石に反射したのが、部屋中にきらきらと散っていた。
その部屋でも、まず目に入るのは、赤い王座にゆったりと広がった白いドレス、それに黒い髪。
女王アリスがゆったりと微笑み、正行を王座から出迎えれば、そこでようやく正行は客の存在に気づき、王座の前にあって跪かないのが不遜に当たるかどうか、燃えるような赤いドレスに身を包み、ちらと背後を振り返る背中に、輝く銀髪が振りかかる。
「久しいの、正行」
と呼び捨てにするのも気づかず、正行は驚きに目を見開いて、
「く、クラリスさま? な、なんでセントラム城に――」
「そなたに会いにきたのだ」
微笑むクラリスの、美しさといったら。




