馬の目 6
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別れの昼下がりである。
これ以上グレアム王国の女王と兵士を引き止めておく理由はなく、またアリスも早くセントラム城へ戻って臣下を安心させてやらねばならぬから、戦いが終わって数時間後にはもう馬車に乗り込み、セントラム城へ向けて動きはじめていた。
一応、誘拐して身代金を要求していた手前、グレアム王国の国境付近までしか送り届けられないミーチェだったが、表面上寂しさは見せず、むしろ馬上でむすりと腕組みを決め込んで、
「さっさと行ってしまえ」
と馬に乗った正行を追い払うほどで。
正行はそれに苦笑いするやらなんやら、
「まあ、また遊びにこいよ。グレアム的な歓迎は、あんまりお気に召さないかもしれないけど」
「ふん――ま、まあ、どうしてもきてくれというなら、行ってやってもいいけど」
とミーチェはぷいとそっぽを向くのに、正行は馬を寄せて、
「これからひとりで大変だろうけど、あんまり無理すんなよ。だれかに助けてほしいならそう言うんだぞ。黙ってたらだれにも伝わらないんだから」
「う、うるさい、言われなくてもわかってるっ」
「そうかな――まあ、わかってるならいいんだけどさ。とにかく、身体に気をつけてな。無理するんじゃないぞ」
正行は過保護な父親のように言い聞かせ、ミーチェは鬱陶しそうに、ただそれだけではないような、ほんのりと照れて頬を赤らめながら馬上でうなずいている。
すでにアリスとクレアを載せた馬車は先行していて、国境付近に残るのは正行とミーチェのみ、正行はこのまま離れるのもどこか不安げで。
「どうした、早く行かないと置いていかれるぞ」
と言うミーチェも馬を引いて戻ろうとはせず、ふたりはいつまでもぎこちなく向かい合ったまま、空には白い雲が流れ、生暖かい南風が吹き抜ける。
「本当に、ひとりで大丈夫か、ミーチェ」
「大丈夫じゃなかったら、どうなんだ」
ミーチェはすこし笑って、
「ずっと、そばにいてくれるのか?」
「いや、それは――」
「だったら、早く行け。おまえの手助けなんかなくたって、あたしはちゃんと生きていける」
「むう……そうか。まあ、なんかあったらセントラム城へこいよ。おれはそこにいるから」
「ん――わかった」
「じゃあ、またな」
とようやく正行が踵を返し、手綱を引いて馬車を追おうとするところ、
「正行!」
とミーチェが呼び止めるのに振り返れば、茶色い布に包まれたものがぽんと飛んでくる。
慌てて馬上で受け取ったのは、拳よりもまだ大きい、琥珀色の美しい貴石である。
「これは?」
「わが民族に伝わる秘宝だ。あたしが持っていても使わないから、やるっ。べ、別に深い意味はないけど」
「大切なものなんだろ? いいのか」
「だから、おまえに預ける。ちゃんと保管しておけよ」
ミーチェは手綱を引いてその場で馬を回転させ、ちらと正行を振り返り、
「ま、またな」
と馬の腹を蹴って駆け出せば、頬がほんのりと赤く、馬の尻尾のような後ろ髪がぴょんぴょんと跳ねまわる。
正行は苦笑いで、
「ちゃんと預かったぞ!」
とミーチェの背中に叫び、その姿と足音が見えなくなるまで見送ってから、預かった貴石を再び布にくるんで大切に懐へ収めた。
そしてすくと身体を起こせば、顔も晴れ晴れ、ゆく手を遮るものもない。
「さて――帰るか」
まずは先行する馬車に追いつかなければ、と正行は馬の腹を軽く蹴り、あくまで急がずゆっくりと街道をゆく。
歴史書には残らぬ、いまは名もない騎馬民族との出会いと別れ、ひとびとの記憶には残らずとも、いくつかの心はいつまでも忘れ得ぬ大切な記憶である。
了




