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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
馬の目
88/122

馬の目 5-2

  *


 クラウト率いる騎馬隊、その数およそ三百は、事前の斥候で場所を把握している敵の野営へ向かってまっすぐに進んでいた。

 夜が明けはじめたばかり、まだ風もわずかに肌寒いという時間。

 無数のひづめが地面を叩き、土埃が舞い上がる。

 草原というには草木のすくない一帯で、わずかに背の低い植物が土くれを割って顔を出しているが、乾いた土にはそれを大きく育てる力もないらしい、馬のひづめが踏みつけ、激しく後ろへ蹴りあげると、根も浅いのがごっそり抜けて宙を舞う。

 集団の真ん中あたり、頭領を気取ったクラウトの前にもそんな一掴みの草が飛んできたのを、太い腕で払いのけ、展望を遮るものもない。

 すでに敵の野営を奇襲するという意図、その方法は伝えてあるから、クラウトがいまさら指示するようなことはひとつもないが、耐えきれぬようにクラウトは剣を抜き払い、痛めていない腕を振り回して、


「頭領の敵、卑怯なる連中を打ち倒すのだ! 女子どもであろうと容赦するな、最後のひとりまで打ち倒さねば、われらに平和はない。必ずや頭領の敵に地獄へ送ってやるのだ!」


 呼応する声もいくつか、ほとんどはひづめの音にかき消され、ただ前進を続ける。

 たくましい四肢が地を蹴り、筋肉が躍動し、隆々たる身体を覆う茶色い毛が向かい風になびく、そこにうっすらと汗が浮かびはじめれば、敵の野営も近いころ。

 小高い丘を一団となって乗り越えた先、まだ松明を灯した敵の野営がちらと見えた。

 クラウトは一度集団を立ち止まらせ、すっかり明けた空を見て、腹の底まで息を吸い込めば、それをごうと吐き出して、


「かかれ!」


 その一声で騎馬隊がどっと丘を駆け下り、剣を振る場所を確保するため、自然と縦に並ぶ形、それぞれ腰に帯びていた武器を抜き払い、そのままの勢いで敵の野営へと突っ込むつもりらしい。

 わずかに天幕を張っただけの野営で、そのような突撃に遭ってはひとたまりもないが、だからこそ敵の狙いもわかりやすいというもの。

 もくもくと土煙を上げて丘を駆け下りる騎馬の一団を、正行はすこし離れた位置から冷静に眺めていた。

 一塊ではなく、縦にぬっと伸びた瞬間、


「よし、出よう」


 とミーチェに指示し、ミーチェがそれを全員に伝え、二百あまりの騎馬隊が突撃をはじめた。

 クラウトは集団の中程で、自らも剣を抜き払って馬上に立っていたが、ふと左側から地響きを感じて振り向けば、すでにすぐそばまで敵の騎馬隊が近づいていた。

 先頭を切る小柄な女の、ぎろりとにらむ視線まではっきりと感じられ、クラウトはほんの一瞬本能的な恐怖にびくりとしたが、すぐ持ち直し、


「止まれ、敵は側面からくるぞ! 引き返せ!」


 と指示を出すも、ひづめの音で先頭までは聞こえない。

 そのあいだにも敵の騎馬隊が突撃し、無防備な側面を鋭く穿って、長く伸びた陣がふたつに分断される。

 敵味方騒擾し入り乱れ、驚きの声や絶叫が響く。

 不思議と剣戟の音が聞こえないのは、ほとんど相手の剣を受けるひまもなく打ち倒されているからにちがいない。

 クラウトは立ち込める土煙に目を凝らし、額に汗を浮かべて激しくあたりを見回した。


「むっ――」


 茶色い薄煙にぼんやりと馬の影、身構えた瞬間に白刃がぬっと差し出され、剣先がクラウトの喉元で危うく止まる。

 ぎんと横へ弾けば、すかさず血走った馬の顔が現れ、小柄な女が馬上でクラウトをにらんだ。


「させるか!」


 クラウトはぶんと腕を振り、女ではなく、その馬の無防備な首に剣を振り下ろす。

 鋭い刃が筋肉質な肉を裂き、馬は歯をむき出しにいなないてどうと倒れ伏す、それでクラウトがにやりと笑ったところに、馬上から女が飛び上がり、クラウトの身体にしがみついた。


「こ、こいつっ」


 クラウトは慌てて剣を返すが、それよりも早く、腹に鋭い痛み、見れば女の短剣が柄までクラウトの腹に差し入れられている。

 ぐらりと揺らぐ身体、馬上から滑り落ち、硬い地面に落ちたクラウトが最後に見たのは、自らの馬の硬いひづめであった。

 ミーチェはそのままクラウトの馬を奪い、戦場を駆けまわる。

 振りかかる剣を払いのけ、懐まで飛び込んで一撃を加えれば、背後からどっと衝撃、別の馬が追突して折り重なるように倒れる。

 間一髪そこから飛び出したミーチェは、前方で戸惑っている敵にすがりつき、再び馬を奪って、血まみれになった剣を振り回した。

 ふたつに分断された半分を取り囲んだミーチェの軍勢は、瞬く間にその半数を打ち倒し、ようやく異常に気づいて立ち止まったもう半分にも襲いかかる。

 さながら血に飢えた野獣めいた戦闘であり、すこしずつ場所を移動しながら繰り広げられた戦闘のあと、土煙がゆっくりと晴れてゆけば、五体満足はほとんどいない人間や馬の死体が幾重にも折り重なっていた。

 だらりと投げ出された馬の足、横たわった顔は目も見開かれたまま、歯のあいだから舌が出て、だ液が地面を濡らす。

 人間にしても同じようなもの、だれのものともしれぬ腕がごろんと転がっていることもあれば、落馬したときに馬に踏まれでもしたのか、顔面全体がぐんと落ち窪んで人相もわからぬ死体もある。

 陰惨を極める状況も、戦っている本人たちにはまったくわかっていない。

 彼らはただ命を落とさぬように剣を振るい、いつ土煙から飛び出してくるともしれぬ相手に目を見開き、不意にすぐ近くで聞こえる絶叫に身を震わせることしかできないのだ。

 戦闘は一時間とすこし続いた。

 そのあいだにも東の空からは太陽が覗き、あたりは白々とした光に照らされる。

 遠くでは鳥たちも目を覚まし、草木が風に踊って、さわやかな朝の到来を告げている、その一方で血と土埃にまみれた戦闘も終わろうとしている。

 それまで絶え間なく続いていた絶叫とひづめの騒乱がゆっくり止んでいくと、土煙も薄れ、最後の南風ひとつで完全にあたりが晴れる。

 そのとき、馬に乗っているのはわずかに百とすこし、それ以外はすべて馬から落とされ、打ち倒されて、あたりから消えている。

 最後まで馬に乗って第一線で戦っていたミーチェは、柄までどっぷりと血で濡れ、ぬるぬると滑る剣を強く握りしめたまま、呆然とあたりを見回した。

 肩を大きく上下し、呼吸を見だして、薄い唇で呟くのは、


「これで、終わりか――こんなことで? 戦い尽くした果ては、こんな景色しかないのか」


 血と汚れ、脱力と虚無ばかりがあたりに散乱し、希望や誇りというものはばらばらに引き裂かれて風に舞い、どこかへ消えてしまっている。

 はるか遠くまで見渡せる草原の、その中心に立ってあたりを見回して、果たしてなにが見えるというのか。

 ひとりきりで見える景色など、たかが知れている。

 ミーチェの手から剣がすべり落ち、からんと地面を転がった。

 軽やかな鐘の音とはいかないが、それが戦の終わりを告げる喇叭となって、得られるものはなにもない、ただひたすらに虚無を詰め込んだような戦いは終焉を迎えた。

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