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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
馬の目
85/122

馬の目 4-1

  4


 空はようやく夕暮れというころだが、座はすっかり明け方の雰囲気、空を赤々と染め上げるのも朝日めいていて、眩しく目を細めれば、どうやら曇天もすこしずつ晴れてきているらしい。

 正行は散々酔いが回った頭でぼんやりと地面に座り、手慰みに指を動かせば、ちょうど正行の膝を枕に眠るミーチェの髪あたり、馬の尻尾めいた髪を指先で撫で、絡ませながら、ミーチェは知らぬ顔ですやすや寝息を立てている。

 あたりでは、それと似たような光景がちらほら。

 馬たちは足を折って眠り、人間たちは布団もなにもない地面にごろんと寝そべっている。

 まどろみに霞む視界をゆっくり動かせば、アリスとクレアが折り重なるように眠っているのが見え、その向こうではグレアムの兵とその身柄を誘拐したことになっている好戦的な騎馬民族がいっしょになっていびきをかいていた。


「ううむ、ここを襲われたらさすがにひとたまりもないだろうなあ」


 呟く正行の目もうつろで、呂律も怪しく、ぽんぽんとミーチェの頭を叩いては、ううんとミーチェが煩わしそうに暴れるのを眺めている。

 朝からの宴会も、明確なお開きはなく、ひとり、またひとりと酒に倒れ、気づけばこの有様、最後まで正行が残ったのは、酒に強いというよりは単に飲む速度が遅かったせいであろう。


「ああ、きれいな夕焼けだ。なあ、ミーチェ、見てみろよ。きれいな夕焼けだぞ」


 ぺちぺちと頬を叩けば、ミーチェは太ももでごろんと寝返り、


「うう……眠たい……」


 と目も閉じたまま、起きようともせず、頬をすり寄せる。


「だめだなあ、眠たいだなんて。せっかくきれいな夕焼けなのになあ」


 くどくどと正行、頭の芯までどっぷりと酒に浸かっているらしく、惰性で杯に手を伸ばしては、すでに中身が空であることに気づき、それを置いて、またしばらくして持ち上げて、ということをすでに何度か繰り返したあとで。

 そこへ、さっと近づく人影、正行がぼんやりしているあいだに、人影は布をミーチェの身体にかけてやり、自分は正行のとなりに腰を下ろした。


「なるほど、たしかにきれいな夕焼けだな」


 アレクは酔った様子もなく、折り重なる雲のあいだから朱色の光が漏れる様子に感嘆の息をつく。


「そう思うだろ。でも、こいつ、眠いっていうんだよ」


 正行はミーチェの頬をぺちぺちと叩き、ミーチェは煩わしそうに手を払ったそのまま、正行の指をきゅっと握って寝息を立てる。


「まあ、こう見えてもまだまだ子どもだ、しばらく寝かせてといてやろう」

「ん、そうかな。まあ、そうか、十三だもんな。普通なら酒なんか飲んじゃいけない年だ」

「グレアムではそうなのか?」

「グレアムではいいんだけど、おれがいた世界ではだめだったんだ。本当なら、おれも飲んじゃだめなんだけどな」

「ふうん、国も変わればいろいろあるもんだな」

「そりゃそうさ――ここにあるものはみんな、向こうの世界にはないものだったよ。その代わり、向こうの世界にあったものは、ここにはないんだ」

「見てみたいな、正行がいた世界ってのも」

「死んだら見られるかもしれないぜ」


 と正行は酔った顔で笑って、


「おれも、向こうで死んだからこっちにきたのかもしれない。そのへんのことはよく覚えてないんだ。なんせもう一年も前のことだし、そのあといろいろ印象深いこともあったから」

「まあ、どれを覚えていて、どれを忘れてしまうかは選べないものだからな」


 アレクはぐいと仰ぎ見て、


「おれもいろいろと忘れたよ。親の顔とかさ。死んでまだ三年しか経ってないんだけどな。もうどんな顔だったか、声だったか思い出せない。なんとなく、雰囲気だけは覚えてるんだが」

「親の顔、か」


 正行はふとわれに返ったような顔で、


「そういや、おれも覚えてねえや。忘れるわけない顔なんだけどな」

「他人の顔なんか、そんなもんなのかもしれないな」

「でも妹の顔は覚えてるぜ」

「ああ――おれもミーチェの顔を覚えてる自信はあるよ。なんだかんだ言って、世話のやける妹だ。母親によく似ててな、戦いでは真っ先に立って剣を振るう。母親はそれで死んだんだ。こいつも同じようになってほしくはない。本人が聞いたら怒り出すだろうけどな――おれは、こいつには死んでほしくないんだ」


 アレクは静かに眠るミーチェを見下ろす。

 正行の指を握り、眠りこけている姿は、とても正行を敵視していたミーチェと同じようには思えぬが、これも一時のこと、目を覚ませば「一生の不覚」と恥じて元通りになるにちがいない。


「正行、きみの妹は、きみがいなくなった世界でしっかり生きているだろうか」


 つと視線を上げたアレクは、まっすぐ正行の目を見つめた。

 正行はちいさく笑って、


「そりゃ、しっかり生きているだろうな。おれのことなんて忘れちまってるかもしれない。でもまあ、泣いて暮らしてるよりはそのほうがいいさ」

「ああ、おれもそう思うよ。ミーチェには、おれがいなくなった世界でも笑っていてほしい。戦う誇りもわかるが、おれはそれ以上にミーチェが心配なんだ」

「――どうしたんだ、アレク」


 声に切羽詰まったものを感じて、正行はすっかり酔いを覚まし、アレクを見つめる。

 今度はアレクのほうが視線を逸らし、ふたりの頭上を数羽の黒い鳥がけたたましく不吉に鳴きながら通り過ぎてゆく。

 夕焼けに照らされたアレクの横顔は、すでにこの世のものではないように純粋で澄み渡り、正行は思わず息を呑んだ。


「おれはな、正行。永遠に続くようなこの戦いをやめようと思うんだ」

「戦いを、やめる?」

「もとはといえば、同じ民族同士の小競り合い、いつまでも同じ民族で殺し合っても仕方がない。きみたちを誘拐し、その身代金で武器を整えて勝ちを得ようと言い出したのはミーチェだったが、おれがそれに同意したのは、拮抗している戦力を増やすことで戦いを終わらせられるかもしれないと思ったからだ。でもそれ以上にいい解決法が見つかった」

「なんだ、いい解決法って」

「講和だよ」

「講和――そんなことが、できるのか。いままで殺し合ってきた相手なんだろ」

「できなくても、試してみる価値はあると思う。失敗したところでいままでどおりになるだけ、なにを失うわけじゃない。うまくいけば、これ以上無駄な血を流さずに済む――いや、きみに見栄を張っても仕方ないか。おれはただ、ミーチェに生き残ってほしいだけなのかもな。ミーチェはだれよりも馬の呼吸を感じられるし、剣の扱いもうまい。だからいままで先頭にいても生き残ってこられたが、いつまでそんな奇跡が続くかもわからない。あれほど強かった父親と母親が呆気なく死んだとき、おれはミーチェのことが不安になったんだ。死ぬような気配なんかなくたって、ひとは死んでいく。失ってからそんなことに気づいても遅いんだ。ミーチェには生きていてほしいし、戦い以外にも世の中にはたくさんの出来事があるんだって知ってほしい。民族の誇りやビザンヌ帝国の復古をばかりが人生じゃないはずだろ」

「まあ――それはそうかもしれないけど、ミーチェの人生は、ミーチェ自身が決めることじゃないのか」

「どうしようもない兄のわがままさ」


 とアレクは笑って、


「ミーチェは怒るだろうが、それでもおれはミーチェにそうしてほしいと思う。危険なことから離れて、たとえば皇国やきみの国で生まれ育った少女のように生きてほしいと――なんだろうな、おれも酔っているのかもしれない」


 アレクはゆっくり首を振って、その視線が折り重なって眠るアリスとクレアに止まる。


「そんなことを考えても仕方ないとは思うが、つい考えてしまうんだ――もしミーチェがグレアムに生まれていたら、女王アリスのとなりミーチェがいたとしてもおかしくはないのかもしれないって。侍女の彼女は、きっとひとを殺したこともなければ、それを誇りとするような考え方なんて理解もできないだろう。ミーチェもそんなふうな少女であったかもしれないと思うと、な――王家の血を引くからといって、こんなふうに生きているのはどうなのか。ミーチェにとっての幸せは別にあるのかもしれない。それがどこにあるかはわからないが、探すことまで禁じられているのはおかしいだろう」

「まあ、そうかな――」

「だから、まずおれはミーチェを解放してやりたいんだ――この民族の決まりごとから、あるいはこの民族自身から。そうすればミーチェは自分自身の足で幸せを探しにいける。それくらいの強さは持っている子だから」


 アレクがミーチェを見下ろすのにつられて、正行も自分の太ももを枕に眠る少女を見下ろし、たしかに寝顔は血なまぐさい争いからはほど遠いとうなずく。


「なあ、正行」


 アレクは正行の腕をぐっと掴んだ。


「きみに頼みがある。ミーチェをこの民族から解放してやるのを、手伝ってくれないか」

「手伝うったって、おれになんかできることがあるかな」

「きみにしかできないことがある。今日だって、きみがいなければどうなっていたかわからない。おれたちは一度きみに助けられてるんだ。きみにならミーチェを任せられる」

「ミーチェは、おれになんか任されたくないだろうけどな」


 アレクはすこし笑って、


「本当は、ミーチェもきみに感謝しているさ。口にするだけの素直さがないだけで」

「どうかなあ。心の底からおれのことを嫌ってるような気もするけど」

「嫌っていたら、そんなふうに寝たりはしない」

「酔っぱらってだれがだれなのかわかんねえだけじゃないか、これ」


 ふたりが見下ろす先のミーチェは、やはり知らぬ顔のまま、ぐうぐうと深い眠りのなかで。


「それに、おれは交渉事は苦手なんだ。講和に関して、手伝えることはないと思うけど」

「講和の交渉は、おれがやるよ。きみには、万が一交渉が決裂したとき――戦いが避けられないようになったとき、おれたちを勝ちに導いてほしいんだ。その知力を頼りにしている」

「頼りにされても困るなあ。おれの頭にはなんにも入ってないぞ」

「いや、きみなら大丈夫さ。おれはひとを見る目は確かなんだ」

「ううむ……」


 正行はわずかに眉をひそめたが、やがては、


「わかったよ」


 とうなずいた。


「もし戦いが避けられないようになったら、勝利へ向けてなにか手がないか考えてみる。その代わり、講和が成立するか、戦いに勝ったらおれたちのことを解放してくれるか?」

「解放?」


 アレクはほんの一瞬、本当にその言葉の意味がわからなかったらしい。

 やがて、ああ、とうなずいて、


「そういえば、きみたちはまだ捕虜だったか。すっかり忘れていたよ」

「忘れるなよっ。捕まり損か、おれたちは」

「すっかり仲間のような気分だっただけさ」


 アレクはけらけらと笑いながら、ゆっくりと消えゆく夕陽に目を細めた。


「わかったよ。すべて終わったら、きみたちを無事にグレアム王国へ送り届けよう。しかしきみたちを全員拿捕できたこともそうだが、つくづく運がいい。おれたちは身代金以上のものをきみから巻き上げることができるんだから」

「おれは金のほうがいいと思うけどなあ」


 アレクは立ち上がり、ぐいと身体を伸ばして、正行を振り返れば、


「そうだ、正行。きみ、ミーチェの婿にならないか」

「は、はあ?」


 と正行も思わずミーチェの寝顔を見下ろしてしまうが、ぶんぶんと首振り、


「ば、ばか言うなよ! いろいろすっ飛ばしたあげくに年がちがうだろ、年が」

「十三と、十八だろう? さほど変わらない」

「年の差はそうかもしれねえけど、なんだ、その、十三って、向こうじゃ犯罪だろ」

「向こう? ああ、きみがいた世界か。まあ、こっちでも十三で結婚するのは珍しいけどな。普通は十六、七だ」

「それでも早いっての。ほんと、世界が変わればいろいろあるもんだよな。向こうじゃ無責任に生きていていい年なのに、こっちじゃもう一家を背負って立たなきゃいけないんだから。そのへんは向こうのほうが楽かもな」


 アレクは笑いながら、夜へ向けて火の準備をはじめる。

 正行も手伝うために立ち上がろうとしたが、膝の上のミーチェが目を覚まさず、あまりに気持ちよさそうに眠っているから起こすのもかわいそうで、結局太ももを枕に貸したまま、ぼんやりとアレクの姿を見ていた。



 夜明けのすこし前、全員が昼間から眠りこけていたこともあって、ほとんどの人間が起き出してアレクの提案を聞くこととなった。

 敵との講和を試してみる、というアレクの意見には当然反対も多く、その最たるものは予想どおりミーチェであった。


「どうしてあたしたちが妥協して敵と講和しなくちゃならないんだ。そんなことをするくらいなら、誇り高い戦いのなかで死んだほうがいい!」


 ミーチェは揺らめく炎にきらきらと目を輝かせ、アレクに向かってぐいと身を乗り出す。

 その背後で、ミーチェの意見にうなずいているのが数名、ほかはことの成り行きを見守っているようで、まだどちらにも傾いていないらしい。

 正行は、ほかのグレアム兵やアリスたちとともにすこし離れた位置から様子を見ていた。

 アレクはミーチェが反対することを予想していたように、まっすぐミーチェの目だけを見つめて、


「誇り高き戦いは、たしかに大切だ。おれたちはそのために生きている。だが、いまの相手は数十年前に分かれた同じ民族だ。同じ血を持つもの同士で戦っても仕方がない。いまの戦いは、誇り高い戦いじゃない」


 ミーチェはぐっと喉を鳴らして、


「……でも、あいつらがおとなしく休戦するとは思えない。今日だって、普段の決まりを破って深追いしてきたところだ。あたしたちを最後のひとりまで根絶やしにするつもりの相手と講和なんて、成立するはずない」

「向こうは全部で四百近い数がいるのに、戦闘ではいつも二百前後、こちらと変わらない数しか出てこない。女子どもが半数ということもないだろうから、きっと向こうにも積極的に戦おうとしない人間たちがいるんだ。彼らとなら講和を成立させられるはずだ」

「失敗したら?」

「そのときはいままでのように戻るだけ――また戦うしかない生活になる。いまより悪化するようなことはない」


 ミーチェは押し黙り、ほかは低く囁き合う。

 どうやらアレクを止める理由はないらしいが、ミーチェのように感覚として納得できぬと感じる者も多いらしい。

 正行はその様子を眺めながら、あえて嘴を挟むようなことはしなかった。

 これは彼らの民族の問題であり、他民族である正行が口を出せば、余計にいらぬ感情を刺激する、それならと松明のそばに立っていたが、どうやら話し合いの結論は出されたらしい。


「講和の使者はだれにする?」

「時期はいつごろがよいか」


 と囁かれるなかで、アレクは一同の前に立ち、


「使者はおれが行こうと思う。時期も、できるだけ早いほうがいい。ともかく少数の斥候で相手の位置を確かめて、ほかの兵をほとんど連れずに出向いてみよう」

「それではなにかあったときに危険では?」

「なにもないように願うしかないな」


 アレクは薄く笑い、ちらと集団の外れ、正行に目をやって、


「使者の付き添いとして、ミーチェと正行にきてもらいたい。かまわないか?」

「おれも?」


 と正行は首をかしげつつ、断る理由はとくにないから、


「そりゃいいけど――護衛の役には立たないぜ。おれ、剣のほうはまったくだめだからさ」

「なに、護衛目的ではない。単におれが使者としてここを離れているあいだ、きみの手勢を使って謀反でも起こされてはやっかいと思うだけだ」


 それが事実かどうか、ともかく正行はアレクに同行することとなったのだ。

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