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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
馬の目
83/122

馬の目 3-1

  3


「退け、退け! なんとか逃れろ、追いつかれたら命はないぞ!」


 固い大地を打ち鳴らす数百のひづめ、調子がよければ太鼓のようなそれも、いまは騒擾を極め、もはや雪崩のような、ひとつの轟音にしか響かない。

 先行する騎乗の一団は、どれも必死の形相、舞い上がる土煙にも構わず目を見開き、歯茎をむき出しに、馬も汗をだらだらと流して激しく疾駆している。

 ミーチェが唇を噛みながら背後を振り返れば、透明の汗の粒がぱっと散る。

 空は不吉に曇天、昨夜までの晴天がうそのようなどんよりとした空気で。


「今日にかぎって、妙にしつこい連中だ」


 ぎりと歯を鳴らし、ミーチェは手綱をゆるめ、馬の後ろ足の付け根あたりをとんと蹴る。

 馬はもてるかぎりの速度で大地を走り、後続がぞろぞろと続いて土埃、舞い上がったのが消えぬうち、そのなかからぬっと新たな馬が現れて、白刃が威圧的にぎらぎらと輝く。


「追え、追うのだ、今日こそ決着をつけてやる!」


 叫ぶはひげ面の男、二百頭以上が近い距離で走り抜けるのは圧巻であり、大地がびりびりと震えて遠く離れた昆虫や動物さえ恐れをなして逃げ出している。

 後続の集団は、土煙で行く先も見えぬが、ともかく煙っているところを追っていけば間違いはない。

 ぶんぶんと振り回す白刃はまだまだ届かぬ距離ながら、光を乱反射させて脅しをかける。


「正統はわれらにあり、ゆえなきに王の血筋を名乗る逆賊を討ち滅ぼすは天の示し!」


 ひげ面の男が荒々しく叫ぶのに、付き従う騎馬兵もおうと応えて、一層速度を上げてゆく。

 同じ騎馬民族、そして馬もほぼ同じだけの能力なら、差は広がらぬが、いつまでも追いつかない、やがて力尽きるときを待つほかなく、そのような無駄はしないと、いつもならどちらかが退いた時点で戦いは終わりになるが、今朝はそれがちがっていた。

 早朝、野営をまとめて移動しはじめた直後に敵と遭遇した一団は、いつものように戦闘態勢、馬をずらりと並べてぶつかり合うのはよいが、その後退く姿勢を見せた一方に対し、もう一方がしつこく食い下がったのだ。

 ミーチェは先行する、すなわち逃げる集団の戦闘で、ごうごうと吹き荒れる風に髪を揺らしながら、苦々しげに顔をしかめる。


「あいつら、いつまで追いかけてくるつもりだ。本当に今日を決戦の日とするつもりか。それならこちらとしても逃げるばかりではないが、この状況では相対することもできない」

「向こうはそれが狙いなんだろう」


 だららとひづめを鳴らしてミーチェに並びかけたアレク、ぽつりと言うのに、


「相手を討ち滅ぼす戦いなら、なにも正面衝突する必要はない。隙を突いて、抵抗の機会を与えないままに倒してしまえばいいんだ」

「しかしなぜいまそれをやるんだ」

「さあ――もしかしたら、人質のことがばれているのかもしれないな」


 アレクは揺れる馬上でもいくらか余裕がある顔で、


「昨日、人質の荷台をさほど離れていない場所に置いていただろう。あれを目ざとく見つけたのだとしたら、この機会に総攻撃をかけてくる理由もわかる。人質と身代金の交換を終えて、おれたちが新しい武器を手に入れる前に叩いてしまおうという判断にちがいない」

「ふん、いまのままでもあんなやつら、すぐに倒してやるのに」


 勝気なミーチェはぐいと首を回して背後を見るが、仲間が続々と続くほか、舞い上がる茶色い煙に敵の姿までは見えない。

 実際、戦えばいくらかは勝機もあるというところ、しかし全力で追い回されている現状、くるりと反転して向き直ることもできない。

 まさかそれを待ってくれる敵でもなし、どうしたものかと悩みながらも馬は止められず、ひたすら逃げるしかないが、それもやがては力尽きることが明らか。

 アレクも向かい風が激しい馬上で眉根を寄せて考えるが、


「この状況まで追い込まれたのが、なによりも失敗だったな。せめてもうすこし早く相手の思惑に気づいていれば――全速力に乗ったいま、逃げる以外に手もないか」

「くそ、あいつらめ――」


 ミーチェは歯噛みし、腰に帯びた剣の柄へ手をやるが、抜き払ったところでその剣先が敵に届くことはないのだ。

 諦めて手綱を握り直し、ミーチェは後方に叫ぶ。


「このまま逃げ切るぞ、全力で走れ!」



 幾度か斬り結んで、双方ともに数人の死者を出し、それでもなお追いすがる馬群、すこし離れた位置で、正行は荷台に乗せられたままそれを見ていた。

 腕を縛られ、両軍は遠ざかったり近づいたり、もうもうと立ち上る土煙で位置が知れる。

 正行はゆったりと吹く生温かい風を頬に感じながら、すっと背筋を伸ばし、目を細めて戦況を眺めていた。


「どうも、昨日とは様子がちがうな」

「長い戦いですね」


 アリスも捕虜ながら姿勢よく荷台に座り、縛られてもいないから、どこぞの姫君が戯れにちょこんと荷台へ乗っかったようにしか見えない。


「あの方たちは大丈夫でしょうか」

「どうだろうな――たぶん、追われてるほうがアレクたちだと思うんだけど、ここからじゃよく見えないしな」

「で、でも、向こうが大変なあいだに、わたしたちは逃げ出すっていうのは」


 とクレア、荷台の隅にぴょんと飛び乗ってきたバッタを避けるよう、するすると正行に身体を寄せる。


「逃げても、おれたちには馬もないしな。どこかで追いつかれるか、うまく追っ手を振り切ったとして、セントラム城まで無事にたどり着けるかどうか。それよりもまずいのは、アレクたちが負けたときだ」

「負けたとき?」

「アレクたちの敵がおれたちの身柄をそのまま引き受けるって保証はないだろ。理想は無事に解放して、馬も分けてくれることだけど、いまよりもひどい扱いになる可能性もある。捕虜にしてはずいぶんといい身分だからなあ」

「それより――」


 アリスは荷台の端をきゅっと握り、草原をゆっくり見回す。


「あの方たちが心配です」

「そうだな――誘拐犯ではあるけど、悪いやつらじゃなさそうだしな」

「どうにかなりませんか、正行さま」

「どうにか、ねえ」


 不安げに正行の横顔を見つめるアリスとクレア、正行はちいさく息をついて、


「おれも普通の人間だからな、なんでもかんでもできるわけじゃないよ」

「そう――ですよね」


 どこか落ち込むようなアリスの目線、白い裳裾は土で汚れて茶色く変色し、それを思わしげに揺らせば、荷台がぎしと鳴る。

 振り返れば、腕を縛られた正行が立ち上がり、にたりと笑ってアリスを見下ろしていた。


「でもまあ、この事態はおれがなんとかできそうだ」

「正行さま――」

「とりあえず縄を解いてくれるか。なんとか向こうへ近づいて様子を見てみる」

「はいっ」


 アリスがその細くやわらかな指で荒縄を解き、正行は荷台を引いていた馬に飛び乗る。

 鞍もつけられていない馬だが、なんとか背中にしがみついて軽く横腹を蹴れば、よく訓練された馬はすぐに走りだした。

 颯爽と戦場へ向かう後ろ姿、といえば格好もつくが、実際のところは四肢でもってひしと馬の背にしがみつく様子、とても颯爽とはいえず、見送るアリスの顔にもうっすらと苦笑い。


「あの、だ、大丈夫でしょうか、正行さんは」


 とクレアが言うのに、アリスはこくんとうなずいて、


「正行さまなら、きっと大丈夫。あの方たちを助けて、すぐに戻ってきてくださるわ」


 アリスの言葉はあながち抗弁でもなく、表情も爽やかで、心からそれを信じているらしい。

 クレアはアリスの信頼を羨ましく思い、ふとそれが、アリスの信頼を得ている正行を羨ましく思うのか、それともそれほどに正行を信頼できるアリスを羨ましく思うのかわからなくなって、ぽっと顔を赤くしてぶんぶん首を振った。

 一方、馬で飛び出した正行は、


「おっ、うっ、おおっ――」


 暴れまわる馬の背にしがみつくのに必死で、手綱もおそろかに、向かっている方向も定かではない。


「く、鞍ってやっぱり大事なんだなあ」


 冷や汗が頬をつつと伝うのに、なによりも鐙がないのが大変で、両足で躍動する馬の身体をぐいと挟むのも無理がある。

 手綱だけはなんとか握り、振り落とされぬように首へひしとしがみつくのも、鼻先をたてがみがくすぐり、馬のほうでも心地が悪そうに首を上下させるものだから、速度を上げるどころではない。

 しかし思わぬ幸運、ちょうど裸の馬にまたがる正行が行く先に、逃げる馬群と追う馬群が見える。

 正行は手綱をぐいと引き、なんとか逃げる馬群に合流する方向へ鼻先を向かせ、あとは運任せに。

 だららと律動もよく地面を叩く足音、それがいくつも折り重なって響けば、耳をつんざくような轟音で、正行はぶるると身体を震わせながら、なんとか逃げる馬群のなかに突っ込んだ。


「な、なんだ、どうした」


 と向こうでも裸の馬が乱入したことに驚き、あまつさえそこにしがみつく正行を見て、


「捕虜じゃないのか。なんだ、逃げ出したのか」

「ちがう、一応手助けにきたんだよ」


 正行は馬の首に抱きついたまま応えて、なんとか馬群に従って馬を走らせ、その先頭を目指す。

 とはいえ、全速力で逃げている途中の騎馬兵、疲労があるとはいえ先頭に出るのは容易ではなく、行く先々で驚かれ、敵と間違えられて剣を向けられながら、なんとか先頭へ抜けたころには正行も馬も汗だくになっている。

 四本の足でほとんど飛ぶように駆ける馬たち、そこに裸の馬が混ざって、ぬっと鼻先を先頭へ突き出せば、馬群を率いるミーチェもびくりと驚くが、乗っている人間を見たときほどではない。


「な、な、なんでおまえがここにいるんだ!」


 風に負けぬようミーチェが叫べば、正行も足音に負けぬよう声の限りで、


「助けにきたんだ、状況を教えてくれ!」

「助けに?」


 予想の斜め上をいく答え、ミーチェはしばし呆然で、その奥のアレクも手綱を握ったまま目を見開いている。


「どうしておまえが、あたしたちを助けるんだ。おまえは捕虜だろ」

「ほ、捕虜だけど、なんていうか――わわっ」


 馬が大きく首を振り、ずるりと身体を滑らせる正行で。

 慌てて手綱を握ってしがみつくものの、ミーチェは深々とため息、正行の首根っこをぐいと掴み、


「経験もないやつが、裸の馬に乗れるか。あたしと代われ」

「か、代わるって?」

「こっちに飛び移れ」

「で、できるか、そんなことっ」


 恐ろしい勢いで疾駆する馬上である。

 足元を見れば、地面はめまぐるしく背後へ押し流されて、揺れも大きい。

 しかしミーチェは巧みに馬を横付けし、身体を前へずらして正行が乗れるだけの空間を作った。

 正行はごくりと生唾を飲み、意を決してばっと飛ぶ。


「わ、わっ――」


 すべり落ちそうなところをミーチェに支えられ、鞍にしがみつき、鐙に足を通してようやく落ち着けば、ほんのりと赤い顔のミーチェがぎろりと振り返って、


「どこを、いつまで触ってるんだ」

「え、あ――す、すまん」


 分厚い衣装越しではあるものの、胸のあたりを鷲掴みにしていた正行はぱっと両手を離し、ミーチェはふんと鼻息荒く、正行が手間取ったのをあざ笑うよう、とんと馬の腹を蹴って離れれば、裸の馬の背にしっかりと乗って、鞍がないのを感じさせないほど美しい姿勢で手綱を握る。

 正行はその姿に惚れ惚れとして、


「さすがにすごいもんだなあ、騎馬民族って」

「おまえたちのような、すこし馬の扱いがうまい程度のものといっしょにするな。あたしたちはずっと馬といっしょに育ってるんだ」

「馬の扱いがうまいねえ――」

「な、なんだ、別にそんな意図はないぞ!」


 と食ってかかるミーチェ、正行はにたりとしたあと、アレクを振り返って、


「で、状況は」

「おい、無視するな、捕虜のくせに!」

「状況は見てのとおり、芳しくない」


 アレクはちいさく笑いながら、ちらと背後を振り返る。


「あいつらはまだ追ってくるし、そろそろこちらの馬にも限界が近い。無論、それは相手も同じはずだし、実際にこちらの速度が落ちても追いついてくる気配はないが、しかしいつまでも追いかけっこをしているわけにもいかないだろう」

「ああ、立ち止まったらすぐ馬群に飲み込まれるはずだ」


 正行もいくらかまじめ顔、その横でミーチェはそばかすの浮かんだ頬を紅潮させ、むむとうなる。


「とくに、向こうはこっちを背後から突けるけど、こっちは戦うためには一度振り返らなきゃいけない。馬群のなかでそれだけの時間は与えてくれないだろう」

「いまのところ、逃げ続ける以外にないんだ」

「いや、手はある。あそこに丘があるだろう」


 正行は鞍の上で姿勢を正し、前方に見える小高い丘を指さす。


「ここへくる途中に考えた作戦だ。まずおれたちが先行して丘の影に入る。追ってくる連中の視界からは一瞬消えるはずだ。その隙に反転して、一点突破、敵を蹴散らして追ってくる隙をなくして退散する。どうだ、できそうか?」

「反転からの一点突破か――」


 アレクは口元に手をやったあと、ふと気づいたように正行を見て、


「それを、この短いあいだに考えたのか」

「大したことじゃない、苦し紛れの作戦だよ。ただ、このまま逃げるよりはいいと思うんだ。ただ、可能かどうかはきみたちが判断してくれ。おれにはきみたちの反転速度もわからないし、追ってくる敵の虚を突いて一点突破ができるほどの勢いと強さがあるのかもわからない」

「ばかにするな」


 とミーチェ、裸の馬を巧みに乗りこなしながら、挑戦的に正行を見る。


「そんなこと、あたしたちには楽勝だ」

「たしかに、実行は可能だろうな」


 アレクもうなずき、


「その作戦では、いまのしんがりが、反転後の先頭になるんだな。それを考慮していまのうちに場所を入れ替えておこう。全員にその作戦を伝える」

「でも、兄上、こんな捕虜の言うことを信用してもいいのか」


 こんな、と指をさされた正行は、鞍の上で余裕顔、かいた汗を冷やすように背筋を伸ばしている。

 それがまたミーチェの癪に触るようで、むっとにらむが、アレクはミーチェをなだめ、


「彼は危険を犯してここまできてくれたんだ。その助言も正当なものだろう。信頼に値するとおれは見る――これから全員に作戦を伝えてくる。正行、きみはしばらく先頭を引いて丘へ向かってくれ」

「ん、わかった、やってみる」


 アレクは手綱をぐいと引き、馬の速度を遅らせて馬群へ。

 それを見送った正行の横顔、ミーチェはじっと見つめて、


「縄は、どうした」

「アリスに解いてもらったよ」

「ふん、逃げるつもりだったんだろう、どうせ」

「逃げられそうなら、そうしたけどな。別にきみたちの状況を見かねて助言にきたわけじゃない。捕虜にしても、いまの待遇は望みうるかぎりの最上だろうから、それを守るためにきただけだ。あと、うちの女王さまが助けてやれっていうもんでね」

「ふん、慈悲深いことだ」


 ミーチェは手綱をゆっくりと引き上げながら、


「あたしは兄上のようにおまえを信じていないぞ。捕虜は捕虜だ、仲間じゃない」

「まあ、細かいことは気にすんなよ。いまは利害が一致してるんだ。ひとまず仲間ってことでいいだろ」

「よくないっ。あたしの仲間は、同じ民族の血を引くものだけだ」


 ミーチェもまたアレクと同様、馬群のなかへ沈みながら伝令し、最終的にはしんがりへ出て、反転後の攻勢に備える。

 正行はミーチェの堅い態度にため息で、


「まあ、そんなもんかねえ――」


 馬の首をぽんぽんと叩き、呼吸が上がって足も鈍りはじめている馬を励まし励まし、目標の丘へ向かった。



 追いすがるひげ面の、その馬もまた疲労が蓄積し、全力で駆けることはすでにままならぬが、士気ばかりは下がりようがない、剣をぶんぶんと振り回して土煙から土煙へと駆けまわる。


「あいつらの逃げ足も鈍ってきたぞ、いまが好機だ。長年の宿敵を叩き潰す瞬間が近づいているぞ!」


 太い喉は幾度の叫びにも耐え、いまだ衰えずひづめの足音にも負けない。

 とくにひげ面の男は、自身の言葉を強く信じているから、それが自然と声にも宿るらしい。

 宿敵、というなら、弾圧を仕掛ける他民族ではなく、意見を異にする同民族であろう。

 ひげ面の男が率いる騎馬民族と、その前方で逃げ惑っている騎馬民族は、もとはといえば同じ民族、それが数十年前に分裂し、それ以降こうして小競り合いを繰り返している。

 いわばやっかい極まる目の上のたんこぶで、それを払いのける瞬間をいままで探していたが、両者ともに戦力拮抗、これといったきっかけも得られず、ずるずるとじゃれあうような小競り合いばかりで、それがいま、先行する連中がその拮抗を破るために武器を手に入れようとしているという情報を得て、本格的に叩き潰さねばならぬときがきたのだ。

 長年に渡る争いを、無論負けで終わらせる法はない。

 好戦的なひげ面の男に対し、頭領と呼ばれる男は最後まで最後の戦に反対の姿勢を示していたが、実際に戦闘を率いるのはひげ面、こうして戦闘のなかで先走れば、だれも止めるものがない。

 争いぎらいの頭領は、いまもすこし離れた場所で様子を見ているだけ、いったいそんな男の声をだれが聞くというのか。

 対してひげ面はといえば、声を張りあげれば後ろから応答があり、充分に影響力を持つ声を持っている。


「これでうまくやつらを滅ぼせば、血筋などではない、実力でおれが民族の頂点に君臨するのだ。そのためにも、同じ民族ではあるが、あいつらには滅んでもらわねばならん」


 ひげ面はにやりとして手綱を握り、激しく馬を追いながら、片手で剣を振り回す。

 視界のほとんどは土煙で、先を行く連中の足音だけが響くなか、ふと土煙が薄まって、前方の景色が見えた。

 小高い丘が、目の前にある。

 そして先行する馬群がいましもその丘の影へ飛び込むところである。

 ひげ面はふんと鼻を鳴らし、


「それで逃げたつもりか、おそまつな――」


 つぶやくうち、汗ばんだ頬がきゅっと釣り上がり、


「連中は丘の向こうへ逃げ込んだぞ! われわれは二手に分かれ、やつらを包囲する。ついてこい!」


 剣先を曇天に突き刺し、ひげ面は手綱を引いて馬の方向を変える。

 一部はひげ面に従い、丘をぐるりと回り込む道取り、残りはそのまままっすぐに先行する馬群を追った。

 それが結果的に正行の作戦には有利な条件となる。

 二手に分かれて包囲を企む騎馬隊の、半分程度だけがまっすぐに丘の影へ飛び込んだ結果、そこでぐるりと反転して待ち構えていた騎馬隊の奇襲にこらえきれず、むしろ驚き慌てて散り散りとなり、多数の犠牲を出しながらアレクとミーチェが率いる二百あまりの騎馬隊を取り逃がすこととなったのだ。

 丘を回り込んだ分、到着が遅れたひげ面が見たのは、落馬し傷ついた仲間たちの姿であった。

 それまで剣を振り回して大いに勇んでいたひげ面は丘の影で呆然と両腕をぶら下げ、


「どうしたのだ、なにがあった?」


 と聞くほかない。

 それに答える仲間たちも事情がよくわかっておらず、


「丘の影へ飛び込んだら、そこで連中が待ち構えていて、あっという間に――」

「待ち構えていた? あの短時間で反転し、武器を構えていたというのか」


 対する追っ手はといえば、追うことに必死で、剣を抜いている者さえ少数という様子、それでは相手になるはずがない。

 ひげ面の、日に焼けた頬を汗が伝い、見開いた目から驚愕が消えれば、悔しさがふつふつと湧いてくるらしい、剣を激しく地面へ投げ捨ててだれにともなく毒づいて。


「あの連中、はじめからこのつもりだったというのか。逃げ惑ったふりをしながら、こちらが油断するのを待っていたというのか……!」


 それからはっと気づいて、


「すぐにあとを追え! まだ遠くへは行っていないはずだ、なんとしてでも捕らえるのだ!」


 慌てて何頭か馬が駆け出すが、距離が広がることはなくとも決して追いつけなかった相手である、いまさら必死に足跡をたどっても追いつけるはずがないことは明らかで、むしろ少数の追っ手は返り討ちの危険さえある愚策であった。

 結局、追っ手はひとつの成果も得られず、すこし離れた場所に止めてあったのを確認していた捕虜の荷台さえ失っていて、連中は悠々と荷台を回収して立ち去ったのだということがわかっただけだった。

 ひげ面は報告を聞くや否や拳を握り、ぶるぶると唇を震わせて怒ったが、どのみち行き場のない怒り、やがて失策を責めるような仲間たちの視線に耐え切れず、ひとりで丘に上って土くれを蹴りあげた。


「見ていろよ、あいつら――必ずや捕らえて、全員首を落としてくれるわ!」

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