馬の目 2-2
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木を組み、そこに火を灯して巨大な炎を作り、そのぐるりにいくつもの天幕を張れば、それがどうやら彼らの家となるようで。
安住の地を持たぬ騎馬民族、馬小屋のようなものはなく、馬はそれぞれ天幕の横につながれて、人間と同じ時間に食事をし、同じ時間に眠る。
ここでは人間と馬に区別がなく、人間が酒を飲んで騒げば、馬もなにやら陽気な風情、暮れた空を見上げたり、ひづめを鳴らして土くれを飛ばしたり、なかには酒を飲む馬までいて、陽気で乱暴なひとびとと同じようなよろこびが彼らにもあるらしい。
中央に置かれた炎と、天幕のところどころに掲げられた松明、その揺らめきに負けぬ夜空の星々よ。
およそ存在するかぎりの星屑を詰め込んだような、めまいのなかに見る幻のようなきらめき、大気に揺れてまたたいて、天球めぐるたびに様相を変える。
求めればどのような図形でも作りうる数の光たちで、鳥の羽ばたきの軌跡がそのまま光となったような、涙と例えるには悲しく寂しい。
「はあ――こんな状況でも、悪くない夜だな」
つい、見上げてつぶやく正行に、となりのアリスも同様で、
「そうですね、本当に――きれいなお星さま」
裳裾が汚れるのもかまわず、硬い地面に腰を下ろせば、アリスの横顔も炎に赤く照らされる。
そのとなりにはさらにクレアも座り、くせかなにか、胸の前できゅっと両手を組み合わせ、無言のうちに空を見上げるが、口がぽかんと開いて呆けているらしい。
彼らの前には煮込んだシチューがあり、この時期にはすこし熱いが、遮るもののない野原では時折吹く風が冷たく、持つ器の温かさがちょうどよい。
目の前には松明があり、それを囲むように座るのは三人ばかりではない。
「この状況で、のんきなものだ」
ずずとシチューをすする音、正行から見て揺らめく炎を透かして見えるのが、赤茶けた髪をまとめた少女、ミーチェで。
馬から降りたミーチェの小柄に驚いた正行だったが、食事の前に、すこし戯れと年を聞いてみれば、ぎろりと正行睨みつけ、ミーチェが答えるに、
「十三だけど、なんか文句でも?」
「じゅ、十三? は、はあ……それはちょっと、予想外だったなあ」
ふん、と鼻を鳴らし遠ざかるミーチェ、馬の尻尾のように背中で跳ねまわる髪が怒っていて、正行はううむと腕組みに。
そこへ三人分のシチューを両手にやってきたのがアレクで、くすくすと笑いながら、
「本当にきみたちは相性が悪いな。妹がああして根拠もなく怒るのも珍しい」
「怒らせてるつもりはないんだけどな」
正行が首をかしげてシチューを受け取れば、それが夕暮れ時、ミーチェがアレクと自分の分の器を持って戻ってくれば、陽はとっぷりと暮れて、例の星空で。
「明日もわからない捕虜のくせに、星に見とれるやつを見るのははじめてだ」
「肝が座ってるだろ?」
と正行、ミーチェは唇を尖らせて、
「間が抜けてるって言ったんだ」
「でも、どんな状況にせよきれいなもんはきれいだよ。朝になって消えてしまうのがもったいないな――」
正行が見上げるうちに星空が変化するわけではないが、見飽きることのない壮大にして典麗、頭上にゆっくりとのしかかってくるような圧力さえ感じる広い星空である。
「星なんて、いつでも見られるだろう」
とミーチェはあくまで正行のことは認めないふう、空にした器をぽいと投げるように置いて。
「いつでも見られるけど、きれいはきれいだ。それとも、きみはきれいとは思わないのか?」
「別に――」
ミーチェはちらと空を見上げたあと、わずかに唇を噛んで、
「き、きれいじゃないとは、言ってない」
正行はくすり、ミーチェの頬がかっと赤らむのは炎の色が移ったせいだけではあるまいが。
アレクも笑って、
「仲がいいのか悪いのか」
「いいわけない! こいつは――ただの、捕虜だ」
言い捨てて立ち上がるミーチェ、アレクはゆったりと笑い、アリスも炎に隠れて薄い笑み。
「悪く思わないでくれよ。あいつはどうも、素直じゃない性格でな。きみたちに興味があるらしいが」
「いや、まあ、だいたいわかるよ。それにおれたちが捕虜ってのは本当のことだ」
食事のために縄は解かれ、捕虜らしい扱いを受けているわけでもないが、どこかぴりぴりしたような、張り詰めた空気が野営に漂っているのはどちらとも警戒を解いていない証で。
アレクも腰に剣を帯びたまま、炎越しにアリスを見て、
「アリス女王も、こんな場所しかなくて申し訳ない。このあたりにはほかの集落もろくにない。そもそもわれわれは一箇所に留まることのない民族だ。このような場所で食事し、眠ることははじめてだろうが、どうか理解してほしい」
「頭をお上げください」
アリスはゆったりと器を地面に置いて、
「たしかに野外で夕食をとるのも、こうした場所で眠るのもはじめてですけれど、それがいやだというわけではありません。捕虜として捕まっていながらおかしなことですけれど、すこしわくわくさえしているんです」
「わくわく?」
「普通に暮らしていればこんなふうに時間をすごすこともないでしょう――こうやって星を見ることも、決してありません。それだけでもすばらしいことだと思われませんか?」
「星を見て、こうして食事をするだけですばらしい?」
アレクは不思議そうに首をかしげたあと、あたりをはばからぬ声で笑い出す。
「なるほど、グレアム王国の女王は不思議に魅力的だ。その魅力で国を率いているのか」
「さあ、どうかしら」
アリスは韜晦するような微笑に炎を反射させている。
それが、不意に正行を向いて、
「どうですか、正行さま?」
「え、お、おれに聞くのか、それ」
正行は後頭部を掻いて、
「まあ、たしかにそういうところはあるかもな――その、アリスだから、っていうのは。い、いや、そんなことはどうでもいいんだよ」
照れた顔をぶんぶんと振って、
「それより、昼間の戦闘はなんだったんだ。敵と出くわしたらしいってのはわかるけど」
「あれか――そうだな、きみたちには理解できないかもしれんな」
アレクは視線を落とし、
「いってみれば、儀式のようなものだ」
「儀式?」
「戦うこと――そこで命を落とすこと。おれたちの民族はそれをなによりの誇りとする。そのための、理由のない戦いなんだ。まあ、近ごろはそういうわけでもなくなっているが」
「理由のない戦いだって?」
信じられぬという正行の顔、アレクは口元をわずかに吊り上げ、薄い笑みのままで首を振った。
「充分に文明化したきみたちには理解できないだろうな。しかしそれがおれたちにはいまでも重要な戦いだ。戦うことと生きることは同義なんだよ。昼間の戦いも、勝ちも負けもない、得られるものはなにもなく、ただすこしすつひとが死んでいくだけだが、そうして死ねるのは誉れなんだ。むしろ生き残ることを恥辱とする」
「それがきみたちの民族か――」
「ただ、これから先はミーチェの前では言えないが、いまではいくらか形骸化しているのも事実だ。かつてはそれこそ戦いのための生であり、目的もなくあらゆる方向へ争いを振りまいていたが、いまはそんなこともない。言ってみれば、かつての風習を受け継いでいるだけだ」
「それで、命がけの戦いを繰り返すのか」
「それ以外にすることもない、というのが本音かな」
アレクは松明を見つめ、その瞳に炎が宿る。
「ただ、いまは戦うためにも金がいる。武器も新しくしなければならないし、こうして食べていくためにもやはり金はあったほうがいい。なかにはかつてのようにあらゆる集落と関係を絶ち、野生に生きたほうがよいという意見もあるが、おれはどうもそうは思えないんだ。文明的な生き方に憧れるわけじゃないが、もうすこし生きるということを考えてもいい気がする。どうやって、そしていつ死ぬかというばかりではなく」
正行も空になった器を地面に置いて、手を突っ張って身体を支え、ぐいとのけぞって空を見上げながら、
「きみがこのなかではいちばんえらいんだろう。大変だな、えらいってのも」
「えらいかどうかというのは、この際無関係さ。そもそもおれがえらいというのも、血筋がそうだというだけで、おれ自身には関係ない。原則的におれたちの民族に王はない。ひとりひとりが独自に判断し、それを汲み取ってまとめるのが王たるものの仕事なんだよ。そのあたりがきみたちとはすこしちがうか」
「いや、そうだな――でも、似たようなもんかもしれないな」
ぼんやりつぶやく正行、アレクは空になった器を持って立ち上がり、
「今晩はゆっくり休んでくれ。監視はつくことになるだろうが、おとなしくしていれば害はない。こんな待遇しかできなくて悪いが」
「捕虜になったのははじめてだけど、案外悪くないもんだ」
笑いながらアレクが去ってゆけば、別の兵士が遠巻きに、正行たちをそれとなく監視しはじめる。
兵士は闇にまぎれ、正行たちは松明のそばで煌々と照らされて、なるほど向こうは人質の扱いにも慣れているらしいと正行、誇り高い騎馬民族も生きるために苦労しているのだと知る。
「セントラム城は、どうなっているでしょうね」
アリスがぽつり。
「わたしたちが捕まったと知って、大慌てでしょうか」
「かもなあ。ロベルトあたりは、兵士が不甲斐ないって怒ってるかもしれないな」
他人事のように正行、けらけらと笑えば、ぱちんと炎も爆ぜる。
「心配、しているでしょうね」
わずかに目を伏せるアリス、クレアがそっと寄り添えば、悲しげな顔もちいさな笑顔に変わる。
「でも、わたしたちはみんな無事なんですから、きっと大丈夫ですよね」
「そりゃそうさ。戦争に比べれば、こんなことなんでもないよ。皇国帰りの、ちょっとした寄り道みたいなもんだ」
「のんきなやつ!」
と闇のなかから幼い声が毒づいて、どうやら姿は見えぬがミーチェがそのあたりにいるらしい、アリスとクレアはくすくす笑い、正行は頭を掻く。
しかしそれもすぎれば、夜らしい静寂、同じ野営のなかで物音が失せれば、耳朶を打つのは静寂のたぐい、たとえば松明がじりじりと燃える音、細い風がぴゅるると吹き抜ける音、草原のどこかから聞こえる虫たちの合唱、身動ぎしたときの、ほんのわずかな衣擦れの音で。
星空を仰向けば、薄い雲が生まれては流れて、目もくらむばかりの星空を覆うような、覆わぬような。
天球の、東の果てあたり、ひときわ大きく輝く星があり、そこからずっと北へゆけば、みっつ並んだまばゆい星、それと近くにある光量もさまざまな星を組み合わせて図形らしいものを作るうち、正行は自覚のない眠りに落ちていた。




