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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
馬の目
81/122

馬の目 2-1

  2


「突っ込め、突っ込め! 叩きつぶせ、叩き落とせ、踏み潰せ!」


 どちらの鬨か知らぬが、野太く怒号が飛び交い、歓声に絶叫、大地を打ち鳴らすひづめに尽きることのない剣戟、どうと身体が馬から落ちて、それを後続が踏み潰し、ばらばらと散る土くれに、命の無常が染みている。

 双方どちらも騎馬兵ばかり、すなわち合戦は一撃ずつの突進で行われ、まず両軍が向かい合い、なにかの合図で突撃をはじめ、すれ違いざまに斬りつけて、また距離をとって踵を返す。

 その一撃ごとに双方から四、五人の死者、あるいはけが人が出て、馬にも乗っていられず硬い地面へ落ちるが、それを拾う仲間もなく、むしろ後続に踏み潰されて命を落とすほうが多い。

 そんなような苛烈極めた衝突が、すでに何度か。

 いまも再び、双方の馬をくるりと回して向かい合えば、なにかのきっかけを待つ。

 一方の先頭に立つのは、ひげ面のいかにも屈強な男、もう一方は対するにはあまりに小柄な女で。

 しかしその女は剣を振りかざし、さっと振れば、自ら先頭を切って敵陣に突っ込んでいく。

 仲間たちが激しく喉を震わせながらあとに続き、相対する軍勢も馬の腹を蹴って駆け出せば、ぶつかるころには互いに風のような速さ、それで剣を水平に持ち、敵の首を刈るように戦う。

 お互い、鎧はつけていない。

 代わりに分厚い布の服が剣を防ぐ。

 両軍二百あまりの馬が交差し、再び分かれれば、どっと落ちるいくつかの身体、あるものには腕がなく、あるものには首がない。

 主をなくした馬はそのまま野原を駆けてどこかへ走り去り、櫛比と並んでいたのが、双方ともにところどころ歯抜けの状態で。

 片方の軍勢を率いる女、ミーチャはちらと左右を見て、その様子を理解したが、赤茶けた瞳は退くことを知らぬ。


「もう一度だ!」


 剣を振り上げ、鞍の上に立ち、かかとで腹をどんと蹴る。

 それで馬は地面を蹴って駆け出し、馬上にごうごうと風が鳴って、身体を起こすことさえできぬような風の抵抗、それでもぐいと胸を張れば、ミーチャのまとめた髪が上下左右へ跳ね回る。

 馬はぐんぐんと速度を増し、赤毛の下で筋肉がうごめいて、あっという間に敵の目の前、ミーチャはきらと白刃が光るのを見て身体を伏せた。

 すぐ頭上を敵の剣、かまいたちのように薙いで、真横へ突き出したミーチャの剣には重たい感触、ぐっとうめくような声が響いたかと思えば、その戦場からも瞬く間に遠ざかっている。

 背後に落馬する音を聞いて、ミーチャが身体を起こせば、刃が赤々と濡れ光っていた。

 追う仲間たちも同様に、相手の刃を交わし、自分の剣先をぐいとねじりこんで、かわされたと思えば、その後ろから新たな敵の影。

 巧妙な罠のように待ち受ける一閃が見事に首を切り落とし、まずは頭部が宙を舞い、あたりに朱を散らしながら地面へ転がって、思い出したように首のない胴体が傾ぐ。

 馬からごろんと転がり落ちれば、馬のほうはそのまま頭を上下に振って戦線離脱、見事勝利した相手は剣を振り回し、勝ち名乗りを上げる。

 両軍が何度も打ち合った地点、すでにいくつもの死体が転々と転がり、あたりは血のぬかるみができはじめている。

 硬いひづめで踏み荒らされた地面、死体は五体満足がほとんどなく、腕が折れ曲がり、身体が荒々しく分断され、首がなく、足がない。

 しかし彼らに対する憐れみはなく、それゆえに死体はいかなる形であろうとも穢れず、誇り高いものであり続ける。

 ミーチャは相手をにらみ、戦意はまるで失っていないようだったが、剣を振って仲間に指示を与えた。


「退くぞ、今日はこれまでだ」


 興奮にいきり立つ馬たちを抑え、踵を返してぞろぞろと退けば、相手も同じように馬を退いて去っていく。

 殺し合った敵味方にしてはあまりにあっけない、整然とさえしているような両者の引き際で。

 ミーチャは馬を返しながら、仲間たちの様子をちらと見る。

 腕を切られたのか、いまだ際限なく出血し、足跡代わりに血痕を残しながら馬にしがみついている者、無傷だが、だれひとり打ち倒せなかったのか、憮然とした顔の者、意気揚々、抜き身の剣を振り回す者。

 存分に戦い、存分に敗れ、あるいは勝ち、ともかく恥じぬ戦いができた者がほとんどらしい、ミーチェもまた、ひとりかふたり打ち倒し、馬から引きずり下ろしてやった興奮がいまだに冷めない。

 幼いような頬を赤く上気させ、手綱を握る手もじっとりと汗ばんで力が入る。


「ミーチェ、無事か」


 と心配げに寄ってきたアレクにもミーチェは力強くうなずいて、


「なんてことない、一太刀も浴びてないよ」

「そうか――まあ、無事ならよかった」


 そういうアレクもまた無傷であり、剣の柄が汚れているのを見れば相手を打ち倒したのだとわかる。

 ミーチェは年相応の笑みを浮かべて、


「兄上は、何人?」

「ひとりかな」

「あたし、ふたり」


 と馬上で自慢げに胸を張るミーチェに、アレクは苦笑いして、


「あんまり無理するなよ」

「大丈夫。それより、人質は?」

「すこし離れたところで待たせてある。戦いには巻き込まれていないはずだ」

「ふん、まあ、巻き込まれていても大した問題じゃないけど」

「そう言うな。金に換えられる大切な人質だ。今日だっていくつか武器を失った。それを充填する資金も、おれたちにはもうないんだ」

「わかってるけど、あたしはあいつらが嫌いだ」


 ぷいとそっぽを向いて、ミーチェ。


「女王はただ着飾っているだけ、兵士もおとなしすぎる。たとえあの状況でも、だれひとり抵抗しようという男がいないとは。あんなもので、本当に兵士が務まるのか。そのくせ、舌ばかり回る」

「雲井正行か」


 アレクがかすかに笑うのにも気づかず、ミーチェは揺れる馬上で腕組みして、それでもほとんど身体が動かないのは腰から下でうまく馬の揺れを殺しているせいで。


「あいつは、とくに不愉快だ」

「しかしあれで大陸に名が聞こえる知者だ。おれも話したが、なるほど、頭は悪くないように思えるが、たしかに、おまえの好みではなさそうだな。兵士たちがろくな抵抗をしなかったのも、おそらくは彼の指示にちがいない。そこで犠牲を出すよりは、金で解決しようと思っているのだろう」

「それが気に食わない!」


 とミーチェ、燃え上がるような瞳でアレクを見る。


「男なら、どれだけ犠牲を出そうともおとなしく捕まるなんて屈辱、耐えられないのが本当だ。女のあたしでさえそう思う。それなのに、あいつときたら」

「彼らは、おれたちとは考え方がちがうんだろう。育った環境も、生きているうちに言い聞かせられたこともちがう。ちがう人間、ちがう民族なんだから、ちがうのが当然だ」

「人間としての誇りにちがいない」


 あくまで拒絶するミーチェに、アレクは苦笑いで。


「人間の誇りをどこに置くか、ということには大きなちがいがあるだろう。たとえば彼らは、おそらく生きることを誇りとする。おれたちは戦い、そのなかで死ぬことを誇りとするが、それとは真逆だ」

「のうのうと生きるだけで誇り高い人間になれるというのか」

「生きることにも苦労があるさ。事実おれたちも生きるために苦労している。他国の人間を捕らえ、それを人質に身代金を要求するほど、それが誇り高い生き方でないのはおまえもわかるだろう」


 ミーチェはむっとしてアレクをにらみ、薄い唇をきゅっと噛む。


「兄上は、あいつらの肩ばかり持つ」

「悪かったよ。だがまあ、彼らが無事でいなければ身代金も成立しないんだ。ミーチェ、おまえももう子どもじゃないんだから、大人らしい判断をしなければならない」


 アレクは馬を並べ、ミーチェの頭を乱暴に撫でた。

 それに眉をひそめながら、しかし馬を進めたり、振りほどいたりはしないミーチェである。

 ミーチェはぷいとそっぽで、


「ともかく、あいつらは好かない。あたしは嫌いだ」

「おれは好きだけどな」

「兄上!」

「冗談だ」


 勝ちも負けもつかぬ戦を終えて、誇り高き騎馬民族たちは放り出したままの荷台を回収し、今晩の拠点を求めて無限に広い野原をさまよい歩く。


 彼ら、アレク率いる二百名あまりの騎馬隊と一戦交えた連中も、戦いでできた傷を誇りとして、どこへともなく馬を進める。

 戦闘には参加しない人間を含めれば、その集団は四百あまり。

 馬はひとり一頭で、幼子でもたくみに手綱を操っている。

 彼らを率いるのは細面の優男で、中肉中背のずんぐりした体型、それが馬に乗って集団の中央あたり、ひづめをぱかぱか鳴らしてゆっくり進む。

 そこに、戦闘でもっとも危険な頭を務めるひげ面の、屈強にして粗暴な男が寄っていけば、それだけで優男は困った顔、馬を振って逃げるようなそぶりをするのに、ひげ面は先回りして退路を塞ぐ。


「ごらんいただけましたかな、統領」


 ひげ面の男、クラウトのあたりに響き渡るような声、優男はそれだけで肩をすくめて、


「ごらんって、なにを」

「はっは、相変わらず五冗談がお好きで」

「そうでもないんだけどなあ。戦いなら、見ていたよ」


 優男、ラヴルフはゆるゆると首を振り、


「痛そうだったな。腕を落としたやつがいたろう。あの腕は、どうなるんだろう。このあたりに肉食の獣はいるのかな」

「一匹や二匹はどこにでもおりましょうし、そうでなければ腐って土に還るだけ、なんということもありませぬ」

「そうかい。まあ、それならいいけど。しかしあれだけの戦いで何人が死んで、何人が傷ついたか。その結果得られたものがなにもないのだから、やりきれんな。それならいっそ、相手と遭遇しても無視すればよいのだが」

「それこそ、ご冗談を!」


 とひげ面の男が声を激する。


「目の前に敵がいて、どうして無視などできましょうぞ。われわれに逃げるという選択肢はないのです。敵に背中を見せてごらんなさい、一族の笑いものになりましょう」

「笑われて命をひとつ拾うなら、おれはそのほうがいい」


 優男はむっつりと腕組みし、色白の顔をゆがませる。

 ひげ面もまた腕が震えるほどに手綱を握って、


「統領は、われらがビザンヌ帝国の誇りなどとるに足らぬとおっしゃるか!」

「まあ、そう怒るな、落ち着け」


 と優男は手を掲げ、


「おれが統領というのもおかしな話だが、その肩書きに、おれの血筋にすこしの威厳があるというなら、黙って話を聞いてくれ。たしかに、おまえのような男は誇りがすべてかもしれん。しかしそうでない人間もいる。たまにはよその集落へ寄って、話してみろ。まるでちがう価値観が得られて有益だぞ」

「われらに誇り以外のなにが必要だというのです!」


 ひげ面は眦を決し、いまにも優男に襲いかからんばかりの勢いで。

 優男はその熱血を拒むように身をのけぞらせて、


「誇りは死ぬとき必要になるもの、生きているあいだは永住の地に日々の食料であろう。すくなくともおれはそう思うし、おれに従うものも何人かはいる。まあ、いまはおまえのような、誇りに生きて誇りに死ぬ者も多いが」

「当然です。誇りを失い、なにが残るというのか」


 ひげ面は優男に軽蔑したような視線、そのままふんと鼻息も荒く、馬を駆って集団の先頭に踊り出る。

 集団の支柱となるのは「王」の血を継いでいるとされる統領、すなわち優男だが、実質的に集団を率いているのはひげ面の男やその同士、すなわち身体つきから屈強な、戦闘に長けた男たちであった。


「やはり、あの統領はだめだ」


 ひげ面は吐き出すように言う、その前後左右には彼と志を同じにする者たち。


「日和見主義もときにはよかろうが、われらが統領には向かぬ」

「しかし、血筋ばかりはどうしようもあるまい」

「近ごろはあの統領に感化され、戦いを拒む者までおるほどだ。相手を見てみろ、敵ながら天晴れだが、すべての人間が戦闘にも参加しておる。だれひとりとして五体満足でありながら戦闘を拒むような卑怯者はおらんのだ。そこへきて統領はといえば、若い男というのに覇気もなく、好かんの一言で戦闘にも参加せん。それは統領ということで許されるとしても、戦闘を拒むのもたいがいにしなければ、われらの心中から誇りが失われてしまう」

「問題は血筋か」


 ひげ面の男、ゆっくりと自らのあごひげを撫でて、


「王の血を引いているという事実だけは、われわれにはいかんともしがたい」

「まあ、われわれはわれわれの誇りを貫けばよいではないか。なんといっても向こうの連中は襲いかかってくるのだ。誇りなくとも、防戦しなければ命もままならんことは統領もご存知であろう」

「うむ――それはそうかもしれんが」


 それでもひげ面の男は納得しない顔、ふと空を見上げれば、よく晴れた夏の空で。

 彼らの進む先、立ちふさがるものはなにもない草原、小動物のたぐいも地鳴りのようなひづめの大軍に恐れをなして、すぐに逃げ出す。

 この自然にあって、自己を自己と認めるものは誇りしかない、それが彼らビザンヌ帝国の生き残りを自負する男たちの思想であった。

 時代遅れ、非文明的、粗暴、数々の謗りは受けようが、誇りこそが歴史であり、守るべき伝統であり、おのれであり、家族であり、人間である、そう信じ疑わぬのが彼らなのである。

 そのようなものに、およそ他民族の言葉ほど力を持たぬものはない。

 だからこそ同じ民族内から噴出する意見に怯えるのだ。

 ひげ面の男は馬の首をぽんと叩き、自らが率いる集団をちらと振り返って、それでいくらか溜飲を下げたよう、背筋を伸ばし、ぐいと胸を張れば、だれにも負けぬ偉大なビザンヌ帝国の兵士という顔。


「いくぞ、進め!」


 彼の号令で、四百あまりの人々、そして馬がゆく。

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