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八重鏡  作者: 藤崎悠貴
馬の目
79/122

馬の目 1-1

  1


 なにかにつけて騒がしく、なにかにつけて華やかだった皇国を離れ、一夜とすこし、馬車はゆっくりと街道の、踏み固められた土の上をがらがらと音を立てている。

 付き従うのが、馬の二十頭から。

 立ち止まることなく、街道の土くれや石の露出に気も遣い、予定どおりの速度で進むはよいが、どうにも晴れぬ風情であるのは、絢爛豪華な皇国を離れるのが名残惜しいというわけではなく。

 馬車のなかのグレアム女王アリス、侍女のクレアの顔にも冴えはなく、揺れる馬車の、がらがらごとごという音以外は話し声も聞こえない。

 見れば、アリスや兵士の腕に、それぞれ黒い布が巻きつけられているのは、そのまま喪章の意で。

 一同はまるで棺でも運んでいるかのよう、打ち騒ぐとまではいかずも、すこしの会話でさえ不謹慎なような、そろってうつむけば馬にさえ覇気がなく。

 馬上の兵士たちは、背筋を伸ばし、ちらと後ろを振り返る。

 一同のしんがりに、雲井正行がいる。

 兵士とちがい鎧はなく、背筋を伸ばして馬に乗っても農民かなにかという雰囲気、身体の線も細く、兵士たちにはすこし混ざりきれていない。

 その正行だけが唯一、うつむかず、前を向いて馬を進めていた。

 顔にはこれといった表情も浮かんでいないが、それを振り返った兵士たちはちいさくため息をついて、まだしばらくはこのままだろうという雰囲気。

 正行も気遣われていることを知っているが、それでもいいかと思うような心情らしかった。

 皇国を出てから休みなく馬車を走らせ、途中集落で一泊、夜明けかどうかという濃紺のうちに出立し、いまではもう太陽も東の空に高く、昼が近い時間帯。

 奇しくも晴天、道をゆく彼らの心情とは相容れぬままに、まさか天が人間の心を思いやるはずもないが。

 正行はひとつため息、それで身体中が緊張していたということを知って、苦笑いのうちに鞍の上で居住まいを直し、空を見上げたあと、


「そろそろ休憩をとろうか」


 と前に向かって言った。

 それで兵士たちも陽が高いことに気づいたらしく、


「そうですな。そろそろ一休みしますか」


 ということになって、街道の脇、ひとの背丈ほども伸びて茂った草の根元に馬を止め、馬車を寄せて扉を開く。

 クレアが先に降り、その手をとってアリスが降りてくれば、一瞬遅れて白い裳裾が続く。

 正行も馬から飛び降りて、ぽんぽんと首筋を叩いてやりながらそばを離れ、大きく伸びをひとつ。

 改めて感じてみれば、よい夏の朝である。

 風はすでに生暖かく、頬を当てて気持ちいいというものでもないが、澄み渡った空は見ていて心地よく、馬上からは草の上に頭が出て、はるか遠く、草原のなかにぽつぽつと生える喬木まで見渡せる。

 兵士たちもすこし気が楽になったらしく、馬から降りると会話も生れ、正行はそれを見て満足げにうなずいた。

 そこにアリスがするすると裾を引きずって近づけば、正行はつい苦笑いで、


「どうも気を遣わせてるみたいだったからさ。それも悪ぃなと思って」

「大丈夫なんですか、正行さま」


 アリスは不安げに正行の裳裾をきゅっと握り、長い黒髪も風に流れるまま、じっと見上げる。

 正行はそれをやんわりと振りほどき、


「大丈夫だよ。心配させてごめんな。でもまあ、なんとか心の整理もついた」


 と正行、ちらとアリスを見たあと、その後ろ、駆け寄るまではできないが、心配げに両手を組み合わせ、自分を見ているクレアに気づいて、やはり苦笑いで。


「どうも心配させまくってるなあ、おれ。悪かったよ、ごめんな」

「いえ、その――無理は、しないでくださいね」


 クレアは控えめに言って、潤んだような目で正行を見ている。

 同様にアリスもそんな顔、正行は頭を掻いて、


「無理はしないし、そもそもできないと思うけどな。ま、これだけ悩めば充分だろ。そろそろ明るくいかないと」


 しかし暗い原因を知っているふたりにとっては、正行の態度も信用には値しないらしい、変わらぬ心配顔で。

 正行も、この暗がりが容易には払えぬものと知っている。

 いまさらのようにひとの死というものを感じて、おそらくそれは一生付き纏うものだと覚悟すれば、消え去ることはなくとも、多少は気分も楽になるというもの、正行はほんのすこし表情を明るくして、あたりを見回した。

 馬車一台分しかない細い街道、左右は草むらで、いつなにが飛び出してくるかしれない。

 後ろから追いすがる馬もなく、すれ違う馬車もないから、気楽といえば気楽だが、なかなか気を抜けぬ場所であることもたしかで。


「このへんは、凶暴な動物とかいないのかな」

「さて、いるかもしれませんなあ」


 と兵士のひとりが答えて、


「しかしまあ、野生の動物というのは往々にして臆病ですから、こちらが騒がしくしていれば、向こうから近づいてくることはないでしょう。野生動物は基本的に数で勝っているか、力で勝っている相手しか襲いません」

「まあ、そういうもんか。普通、勝てない勝負はしないよなあ」


 正行は感心したようにうなずき、街道の端にとんと腰を下ろした。

 アリスは服を汚してはいけないと、クレアが赤い布を敷いてから、その上に座って朝からの疲れを癒すようにため息。

 馬を走らせるにも体力を使うが、馬車に揺られるのにも同様で、ただひたすらに移動をするだけでありながら、まだまだ先が長いのがつらく思われる。

 兵士たちも、まだ旅の序盤、と気を引き締めるが、ちょうどそれが途切れた休憩中の一瞬であった。

 叢中がさりと揺れて、なにかと身構えれば、ちいさな影が街道へ飛び出す、それがどうやらリスかなにか、小動物らしい。

 アリスが興味深そうに見るのもかまわず、影はそのまま草むらから草むらへ、姿を消してがっかりというところに、さらにがさごそ、まだなにかいるのかと振り返れば、草むらから馬の長細い顔がぬっと突き出した。

 はっと気づいた瞬間、音もなく飛び出した馬が四、五頭、街道へ躍り出る後ろから後ろから馬が続いて、立ち上がりかけた正行の前にも土くれを蹴り上げる馬が一頭立ちふさがる。


「なんだ、おまえら――」

「動くな」


 低い囁きに、正行は首がひやりと震えた。

 長細い独特の剣、当然刃の表を正行の首に押し当てて、それが陽光に青白く輝く。

 馬上から正行を脅すのは、よく見れば若い女らしい、馬の尻尾のような髪を跳ね上げ、剣呑きわまる目つきでもって正行を見下ろしていた。

 横を見れば、すべての兵士が同様に、抵抗ひとつできぬまま、草むらから飛び出した騎馬隊に制圧されていた。

 それぞれ武器を押し付けられ、あるいは三、四頭の馬に囲まれて、唯一の例外はアリスで、前に立ちはだかったクレアの首元には白刃光るものの、その先はアリスにまでは届いていない。

 正行は一瞬のうち、逃げるのが不可能だと察して、馬上の女を見上げながら静かに言った。


「全員、逆らうなよ。言われたとおりにするんだ。どうも、完全にやられたらしい」

「ふん、なかなかに利口だ」


 女が馬上で鼻を鳴らせば、馬もそれをまねるように低くいなないた。

 街道に現れて出た騎馬隊は五十とすこし、しかしまだ相手に温存勢力があるのは、草むらが揺れているのでわかる。

 正行たちが乗ってきた馬は、突然の襲撃に驚いて、どうやら街道から草むらのなかへと逃れたらしい、すでにその姿はなく、逃げるにも徒歩ではどうしようもない。


「おまえたち、だれだ?」


 正行は見慣れない服装の騎馬隊を見回し、つぶやいた。


「どこの軍勢だ――それとも、山賊かなにかか」

「山賊とは、無礼な」


 正行の首筋にぴたりと刃を当て、長く重たいものであろうに、それを片手でぴくりとも動かさぬ女は、ぐいと胸を張った。

 それがこのあたりでは見かけぬ、朱色や緑色の布を編みこんだ分厚い衣装で、顔つきも町で見かけるものとはすこしちがう。

 馬上の人間たちは鼻筋がぐっと高く、髪は赤茶けて、身体は小柄、手足が太く筋肉質で、瞳はくすんだような茶色であった。

 いままで出会ったどこの軍勢にもいないような、民族的な匂いを感じさせる集団なのである。


「山賊でないなら、なんなんだ」


 と正行が挑戦的に言えば、女はそれをそのまま返すような口調で、


「われわれは気高き騎馬民族、かつてのビザンヌ帝国の末裔である」

「ビザンヌ帝国?」


 聞いたことない国名、首をかしげる正行に、女は馬上でぐるりと首をまわし、明らかにそれとわかる服装のアリスを見つければ、そのアリスに向かって高々と言った。


「貴殿らはグレアム王国の女王アリス、ならびにその近衛兵と存ずるが、その身柄、しばらくわれわれに預からせていただく。素直に従うかぎり、貴殿らの安全は保障する。しかしすこしでも抵抗を見せるなら、命はともかく手足の一、二本は失うと思ったほうがよい」


 女は大作りな顔で笑って、グレアム王国の女王アリスをその手中に収めたのである。

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